第16話 放課後は眩しく輝いて
長い一日が終わるチャイムの音が聞こる。
今日はいつも以上に長かった。
朝のニュースでは、今年のゴールデンウィークは最大10連休という情報が流れていたが、それは有給が取れる一部の社会人だけだろうなと考え、僕は息を吐きながら机に伏せる。ゴールデンウィークとはいうものの、今日は平日の月曜日。
昨日は日曜、明日は祝日、でも今日は平日。ただでさえ憂鬱な月曜日が更に憂鬱に感じていた。
しかし、聞こえてきたチャイムと一緒にその憂鬱とももうお別れ。やっと解放される。
数学の先生が授業終わりに「ゴールデンウィークだし、追加でこのページの問題を課題として出しておくから」と言いながら教室を出ていく。至る所から溜息や嘆きが聞こえてくる。
阿鼻叫喚。
地獄絵図。
まあ、僕には関係ない。課題なんて関係ない。
「関係あるだろ。現実見ようぜ」
肩をポンと叩かれる。一ノ瀬がため息まじりに呟く。
「声に出てたか」
「あぁ、ばっちり。まあ、関係はあっても、するかしないかは別だけどな」
「それは別じゃないだろ、課題忘れるなよ」
「ははは、それじゃ部活行ってくるわ。そうだ、明後日は遊園地前で集合な、忘れるなよ」
「大丈夫だって、早く部活行ってこい」
またな、と手を振りながら教室を出ていく一ノ瀬を見送る。教室を出るだけで沢山の人に声をかけられ、ひとり一人と挨拶を交わす姿を見ていると大変そうだなと感じる。
「二人ともまたね」
「五十嵐さんと篠崎君、さようなら。また来週だね」
「えぇ、またね。美菜も雨宮さんも、部活行ってらっしゃい」
「じゃあな、また来週」
一條と雨宮も部活へと向かい、一人また一人と徐々に減っていく教室。休み前だからだろうか、みんな楽しそうな話し声を響かせながら、いつもより早く帰り支度を済ませている。
その様子を見つつ、僕と五十嵐も鞄を持ち席を立つ。
廊下に出ると、北館へと続く渡り廊下から風が吹き抜ける。明日から連休だと思うと、いつのも古ぼけた校舎も輝いて見えた。
「連休っていいよな、景色が眩しいほど輝いてる」
「何言ってるのよ、眩しいのは窓の反射のせいでしょ。あ、でも、その言葉は何かの台詞っぽいね」
「ごめん五十嵐。今の言葉、忘れてくれないか。恥ずかしくなってきた」
「それは嫌ね。ふふ、篠崎君の言葉が眩しいな」
楽しそうに僕の前へと歩き出し、眩しいなと笑う。いつもより五十嵐のテンションが高い。明日から連休だからなのか、僕をイジるのが楽しいからなのか。
どちらでもいいけれど、振り向いた瞬間の笑顔が眩しかった。たぶんこれも反射のせい。
恥ずかしいからやめてくれ、と言いながら五十嵐を追おうとしたとき、バサッと何かを落とす音が渡り廊下から聞こえた。
僕らは音の方へと向く。
人工芝が敷かれた渡り廊下の真ん中で、ダンボールを抱えた女子生徒。足元には何かの冊子が散らばっていた。
「大丈夫か」
「えっと、大丈夫……じゃないかも」
「ダンボールの底が抜けたんだな」
声を掛けながらも、風に飛ばされないように、散らばっている冊子を急いで集める。
「はい、これで全部かな。ダンボールは大丈夫か」
「うん。直せたよ、応急処置だけどね。ありがとう、篠崎くん」
名前を呼ばれ驚いていると、その子と初めて目があった。
「こっちも集め終わったよ。どうぞ、川口さん」
「五十嵐ちゃんもありがとう」
確か、川口っていうと、うちのクラスの副委員長か。
後ろ姿で分からなかったが、正面から顔を見る事で確認する。思わず馴れ馴れしく喋ってしまっていたけれど、知り合いでよかった。
手元に視線を落とすと、冊子には『学園祭』の文字。その冊子をダンボールの中に入れながら、尋ねる。
「ねえ、副委員長。もう学園祭の準備なのか」
「恥ずかしいから、副委員長って呼ぶのやめてよー。そうそう、もう学園祭の実行委員が動き出すみたいだよ。私はたまたま先生に捕まって手伝ってるだけだからよく分からないけれど」
「そうなんだ、お疲れ様。それにしても、それ重くないか。もしあれなら、代わりに運ぶけど」
「いやいやいやいや、そこまでしてもらうのは悪いって。もう少しだから頑張るよ」
丸みを帯びるように膨らんだダンボールと、赤く熱を持った手のひらが嫌でも目に入るが、頑張るよと力なく笑いながら言う言葉を聞き、これ以上は手伝えないなと身を引く。
関係ない僕が、これより先に無理やり踏み込むのはあまりよくない気がしたからだ。お互い、余計な気を遣いすぎてしまう。
風が吹く。風に乗って、中庭から吹奏楽の音が聴こえてきた。疎らな音の欠片。それが、どこかで聞いたことのある曲になる。
「あ、こんなところにいたのか。待っていても来ないから心配したよ」
そう言って渡り廊下の反対側から現れたのは、うちのクラスの委員長だ。トロンボーンの音色がテーマ曲のように流れ、一人笑いそうになる。
「委員長も資料運んでたのか」
「そう。帰り際に先生に呼ばれたら、あんな重いものを押し付けられてな」
手が真っ赤だ、と笑いながら手のひらを見せてくる。
「本当だ、赤いな。どれだけ重いんだよ、その箱。……ああ、そうだ。ここでゆっくりしてるけど、今日、サッカー部は練習無いのか」
「今日はオフだよ。ても明日からは毎日練習さ」
「結構、ハードだな」
帰宅部の僕は、明日からは家でナマケモノのようになる予定なのに、みんな部活や塾など忙しそうだ。
そんな他の人たちと比べると、僕は少しだけ青春を無駄遣いしている気がしてしまう。気のせいであって欲しいが。
「委員長、ごめんな。僕が川口さんを呼び止めたせいで、わざわざここまで戻らせちゃって」
「いや、それは気にしてないよ。何か用事でもあったのか」
「全然。ちらっと目に入ったその冊子が気になっただけ」
「篠崎でも学園祭には興味があるんだな」
「『でも』ってなんだよ。たぶん人並みには、あるはず。お祭りは嫌いじゃないよ」
「はは、やっぱり意外だな」
「見ているのが好きなんだ。僕は部活も何もしてないから、準備とかやることも少なそうで楽しみってわけ」
お祭りは好きなのは、そんなに意外だったのか。僕のイメージは一体どうなってるのかと、少しだけ疑問を覚えた。
気付けば、聴こえてくる楽器の音が増えていた。いつの間にか、話したい内容から少し逸れていたので、本題へと戻す。
「そうそう。委員長、部活が無いなら、このダンボールを持って筋トレ代わりにもう一往復してみないか」
「ははは、突然どうした。……って、そういう事。そうだな、筋トレでもするか」
「おう、頑張れ」
他人事だなと笑いながら、足元に置かれた箱を軽々と持ち上げ歩き出す。
自分とそんなに変わらない体型をしているはずなのに、どこにそんな筋肉があるのか不思議だった。その後ろ姿を見ていると、自分ももう少し筋肉つけたいなと思う。
「そんな、葉山君、悪いよ。私が運ぶって。私が頼まれた荷物だし」
「気にするな。篠崎が言ってただろ、良い筋トレになる」
渡り廊下の端、北館へと一歩踏み込んだ委員長が、振り向く。
「じゃあな、篠崎と五十嵐さん。気を付けて帰れよ。また来週」
「またな。そっちも転ぶなよ」
「またね、葉山君」
そう言って僕らは、徐々に小さくなる背中に手を振った。
僕らは帰ろうと南館へと歩き出すと、委員長について行こうとした川口さんが駆け寄ってくる。
「二人ともありがとう。お礼はまた今度させてもらうね」
「気にしなくていい。僕は何もやってないから」
「私も大丈夫よ。気持ちだけで十分だから、気にしないで」
「え、本当に? いや、でも……」
「本当に良いんだって。その分、委員長にお礼してあげて」
「無理は良くないか、分かったよ。でも、感謝してるって気持ちだけは受け取ってね。それに、二人と話せて楽しかった。またね」
委員長が行った方へと走り去る姿を見送りながら、僕らは今度こそ帰ろうと歩き出す。
風に乗って聴こえてくる曲は、先程のものとは異なっていた。曲名は分からないが、包み込むような柔らかい雰囲気を持ったメロディーだった。
「何だかんだ、お人好しね」
「どうしたんだよ、突然」
「色々とよ。冊子を拾いに走ったり、荷物を運ぼうとしたり……葉山君に荷物を運んでもらえるようにお願いしたり」
「なんのことだろうな。五十嵐だって、僕より早く川口さんのところに行こうと動いたくせに」
「なんのことかしらね。篠崎君の優しさが眩しくて何も覚えてないわ」
「まだそのネタを引っ張るか」
人が疎らになった玄関で靴を履き、外に出る。北館の玄関と南館の玄関に挟まれた中庭で、音楽を流しながら練習をするダンス部の姿が目に入る。
学園祭に向けての練習なのだろうか、と考えながら家へ向う。
さて、本格的なゴールデンウィークの始まりだ。駆け出したくなる気持ちを抑えながら、五十嵐の歩幅に合わせて歩いていた。
「ただいま」
誰もいない、いつも通りの家。
まっすぐ自分の部屋に入り、鞄をクッションの上に投げ捨てながら制服を脱ぎ、制服から部屋着の裾が膝上くらいまであるパーカーに着替えた。ダボっとゆとりのある服の解放感と安心感に包まれた僕は、ベッドに体を預け、ぼんやりと天井を眺める。
時間がゆっくりと流れていく。
どれくらい時間が経ったのだろうか、このままでは眠ってしまうと感じ、「やっと休みだ」と大きく背を伸ばしながら跳ね起きる。立ち上がると思い出したかのように空腹感に襲われ、少し早めの夕食を作ろうと考えながら、リビングへと向かう。窓の外からは五時を知らせる曲が流れていた。
僕はその曲に合わせ、鼻歌混じりに冷蔵庫を開く。冷気が首元を撫でるのを感じつつ、急いで食材の確認をする。
少し寒い。
冷蔵庫の中身も空っぽで、寒々しい。
どうしようか。
スーパーに行くか、それとも空腹を諦めてもう眠ってしまうか。ただ、この二択なら答えは決まっているが。
「行こう」
さすがにお腹が空いたまま眠れないだろうと思い、せっかく明日は休みなのだから豪華な夕飯を作ろうと決心する。家に居ると独り言が大きくなるのは何故だろうかと考えつつ、冷蔵庫の扉を閉めた。
「着替えるか」とまた一人呟いたとき、インターフォンが鳴った。ビクッと驚きつつも玄関に向かいつつ、誰であるかを尋ねた。
「篠崎君」
その声で相手が五十嵐であることが分かり、安心して扉を開く。さっきの冷蔵庫みたいに、扉の先には誰も居ないということは無く、大きな鞄を持った五十嵐が立っていた。
この景色、結衣さんが引っ越しの挨拶に来た日を思い起こさせる。あれからまだ一か月。
何となく懐かしい香りがした。
「どうした」
「その、今日からお邪魔しても良いかな」
「ああ、そうか、大丈夫だよ。それにしても早かったな。もしかして一人で部屋にいるのが寂しくなったのか」
「そんなことないわよ。……早く来すぎたのなら、一旦家に戻るけど」
「心配しなくても良いさ。とりあえずどうぞ。一部屋空いているから、そこを自由に使ってくれ」
「ありがとう。お邪魔します」
五十嵐が靴を脱ぐのを待ち、家の中で今は誰も使っていない部屋へと案内する。
「今から夕飯の食材を買いに行くつもりだったんだけど、五十嵐はどうする。ここにいるか」
「私も行くわ、泊めて貰うんだからお手伝いさせて」
「気にしなくていいのに。じゃあ、着替えてくるから、五十嵐も準備しておいて」
「わかった。篠崎君、今日からよろしくね」
「ああ、よろしく」
少し前までは空き部屋だったはずのこの空間に、五十嵐がいることであまり長居をしてはいけないような気がして、逃げるように部屋から出る。閉めるドアの隙間から、「ありがとう」という声が漏れたような気がした。
廊下に差し込む西日が眩しい。
パーカーのフードを被り足早に、自分の部屋へと戻る。
着替えよう。
――こうして、僕達のゴールデンウィーク、不思議な同居生活が始まったのだった。
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