あの日の初恋に一輪の花を

GW

第15話 少しずつ変化する日常

　水曜日。

　それは、一週間の折り返し地点。

　水曜日。

　それは、乗り越えれば週末が急激に近く感じる一日。

　そして今週末からは、世間はゴールデンウィーク。

　教室の扉を開けると、ゴールデンウィークが近いからか、聞こえてくる会話の内容がいつもより賑やかだった。旅行の計画を立てる声、部活の予定を話し遊ぶ日を合わせようとする声、予定が無いと嘆く声。

　十人十色、みんなが楽しげな様子の中、いつもと変わらず遅刻ギリギリな僕はゆっくりと教室に入る。

「あ。お、おはよう篠崎君」

「ん、雨宮か。おはよう」

「おはよー、篠崎君いつもギリギリね」

「おっ、篠崎か、おはよう」

　少し変わった点と言えば、雨宮を始めクラスの人に声を掛けられるようになったことか。

　きっかけは、月曜の朝に雨宮から挨拶をされたこと。

　土曜に一條から聞いた話は本当だったみたいで、僕に対して話しかけ難かったらしく、雨宮と挨拶を交わしている姿を見ると、ひとりふたりと声を掛けてくれる人が増え、三日目の今日は、この光景がすでに当たり前のようになっていた。

　挨拶のついでに、五十嵐と付き合っているという噂も、そっと否定しておく。

「最近大変ね」

「ありがたいことに声を掛けて貰えるようになったからな」

「そういえば、いつの間に雨宮さんと仲良くなったの」

「あれ、一條から聞いてないのか。土曜に一ノ瀬とテニスをしてたんだけど、そのとき偶然会ったんだよ。あの、蛍光灯を交換した日の午後な」

「あっ、あの日ね」

　未だにあの日のことを話題に出すと、お互いに目が合わせられなくなる。

「普段五十嵐と二人で何を話してるかって聞かれたり、僕らが付き合ってるって噂があるんだけどって言われたり、五十嵐はクールな雰囲気でモテるって」

「えっ、なによそれ。付き合ってる？　モテる？」

「はは……やっぱりその反応だよな。毎日一緒に帰ってるって噂から、付き合ってるって話になあったみたい。納得してくれたかは分からないけど、一応否定はしておいたから安心してくれ」

「ありがとう、そういうことなのね。どうりで最近、篠崎君のことを聞かれると思った」

「なにを聞かれたのか分からないけど、迷惑かけたな」

「そんなことは迷惑じゃないし、別にいいわよ。それで、その……モテるってなに」

　自分で言って恥ずかしかったのだろう、ほんのりと耳が赤くなっている。周りを見渡してみると、未だにみんな話に夢中なようで騒がしく、こちらを気にかけている人は見当たらない。少しだけ声を落とし顔を近付けて話す。

　開けた窓から吹き込む風に、微かにシャンプーの香りが含まれていた。

「クールっていうか、落ち着いている？　ミステリアス？　そんな雰囲気が良いらしいよ」

「本当に？　からかってないよね」

「ぜんぶ本当。高嶺の花っていうのかな、普段生活している姿が落ち着いていて大人っぽいって言ってたよ。なんて言うか、僕との噂のせいで余計近付き難くなってたのかもしれないな」

　陰ながら人気のある五十嵐と喋ったり一緒に帰ったりしているということは、もしかしたら周りから恨まれる対象なのかもしれない。夜道は背後に気を付けなければと若干の命の危険を感じている。

　そんな僕の危機感とは反対に、五十嵐は呆けた表情をしている。

　いつもとは違い、この力の抜けた表情は珍しいなと思いつつ、話を続けた。

「ただ、一條と僕は五十嵐のことをクールじゃないと思ってるんだけどね。僕は今まで喋ってきたイメージで言っているけど、一條は転校する前の明るかった印象が強いらしいな」

「私も成長して大人になったのよ、きっと」

　大人になるって、そこまで印象が変わるものなのか。成長した結果、以前とは大きく印象を変えてしまうのなんて寂しい気もする。過去の自分を否定しているような感覚。

　まあ、この点に関しては僕も誰かのことは言えない。

　僕も大人になるために、沢山のものを捨ててしまったような気がするから。窓辺で揺れるカーテンを眺めながら、失くしたものが何かを探してみようとするが、それらはカーテン越しに見る太陽のように、完全な姿では見えなかった。

　ホームルームが始まるチャイムが鳴る。その音と同時に、生徒は自分たちの席へと戻りだす。

　するとその波に乗って、どこかへと行っていた一ノ瀬と一條が席へと戻ってきた。

　お互いに「おはよう」と言葉を交わしながら、教室に入ってきた担任の方を向く。

「そうだった、そろそろみんなで遊園地の計画立てようぜ。昼でいいかな」

　囁く様な一ノ瀬の声に頷き、承諾の意思を示す。聞こえているのだろうかと隣を向くと、五十嵐も小さく頷いている。それを見た一ノ瀬は満足そうに黒板を眺め始めた。

　遊園地に行くという話も、もう来週なんだなと思いつつ、前の席に座っている子のポニーテールを見ていた。

　そういえば、近くに座っている人の名前も憶えてないな。

　気付けば朝のホームルームから四時間が経過し、昼の十二時半を過ぎていた。時間の流れは速さを実感しながら、いつもどおり、一ノ瀬たち三人と昼食をとる。

　やはり話は遊園地について。

　目の前では一ノ瀬がノートを取り出し机の上に広げていた。チラッと中を見ると、いくつかメモが書かれている。

「さて、どうしよっか。美菜から聞いたんだけど、五十嵐さんと篠崎はあそこの遊園地について、あまり詳しくないんだよな」

「そうだね、最後に行ったのは何年も前だからな」

「ええ、私もそんな感じね」

「ということで、美菜と話してちょっとだけ情報を集めておいた。二人はさ、開園時間から遊びたい？　それとも、朝からは嫌か」

「私は皆に合わせるわ。篠崎君はどう」

「んー、せっかくだし、朝からでも良いよ。っていうかお前と一條は開園から遊びたいんだろ」

「やっぱり分かっちゃった？　圭と話してたら、開園から行こうって盛り上がっちゃって」

　へへっ、と笑う一條につられ一ノ瀬も笑っている。そんな楽しそうな二人に対し、「開園って何時なんだ」と聞く。

「確かその日は、八時半だよ。二人のところだと七時くらいに出発する電車に乗ることになるかな」

「おお、意外に早いんだな」

「篠崎、朝起きれるか？」

「いや、起きるかな。頑張るけど」

「大丈夫よ、起きなかったら私が引きずってでも連れて行くから」

「篠崎のことは五十嵐さんに任せようかな」

　スーツケースのように引きずられている自分の姿が容易くイメージできる。来週は、はやく起きないといけないと密かに決心をした。

「朝はその時間で、朱音ちゃんも紫苑君のことよろしくね。圭、次の話をしよ」

「そうだな、二人は何か乗りたいアトラクションとか食べたいものとかあるか」

「そう言われても、よく分からないからな」

「って言うと思って、パンフレットをスマホに送ったよ」

　一條から、遊園地のアトラクションやフードに関して載っているマップが届いた。ジェットコースターにお化け屋敷、フリーフォールや観覧車の絵が目に飛び込む。

　こんなに広いんだという驚きと、面白そうだなという好奇心が混ざり合ってじっくり読み込んでしまう。やっぱりジェットコースターは欠かせないな。

　それに、レストランで五十嵐と話した会話を思い出し、どんな反応をするか気になっていた。

「僕はこのジェットコースターかな。この遊園地で一番速いやつ」

「篠崎って意外とそういうの好きなんだな。俺はこの辺の、一回転したり、水に飛び込むタイプが好きなんだけど。五十嵐さんは何かあった」

「わ、私はこのお化け屋敷がいい、かな」

「あれ、朱音ちゃん、怖いの大丈夫だっけ」

「……大丈夫よ」

　「お化け屋敷でも無反応な人がいるから」と、こちらを見ながら呟く。五十嵐も金曜の会話を憶えていたみたいだ。

　それにしても、隠せないほど怖いのが苦手なくせに、わざわざお化け屋敷を選ばなくても……。

「ちなみに私は観覧車に乗りたい！　みんなで観覧車から夕日をみたいよね、どうかな」

「一條らしいな、そう言うと思った」

「ああ、想像通りだ」

「そうね、美菜らしい」

「えー、その反応、なんか私が単純みたいで恥ずかしいんだけど」

「単純って言うか、純粋かな。一條のそういうところ、僕は可愛くて好きだよ」

「おい篠崎、また美菜を口説いてるのかよ。やめてくれよ」

「いやいや、口説いてないし。痛っ」

　一ノ瀬からは、「口説いてる」と怒られ、五十嵐からは無言で脚を蹴られ、僕が一体何をしたというのだろう。「別に何とも思わないよな」と一條に言っても、顔を赤くしながら小さく頷くだけで、返事がなかった。

　そんな反応をされると段々恥ずかしくなってしまう。

　この場の空気に耐えられず、僕はメロンパンを齧る。口の中にふんわりと広がるバターの香りだけが見方だ。

「あの、五十嵐さん。そろそろ脚を蹴るのをやめてもらえませんか、僕が何かしたかな」

「いえ、何となくイラっとしたのよ。いつも美菜のこと可愛い、可愛いって言って……美菜は渡さないわよ」

「ごめんなさい。あと、一條はいらないです」

「私って朱音ちゃんのものだったの。っていうかそこ。紫苑君、私のこといらないって言わない。せめて貰おうとしてよ！」

「貰おうとしろだってさ。なあ五十嵐、一條を貰っても良いか」

「仕方ないわね。一ノ瀬君が許可を出せば良いわよ」

「な、なんで俺なんだよ。篠崎には美菜を渡さないからな」

「へー」

「ふーん」

「ちょっと、その反応やめてくれ！」

　僕と五十嵐は、話を振られて焦る一ノ瀬の反応を楽しんでいた。

　金曜のレストランからの帰り道で五十嵐と話した内容を思い返す。この遊園地企画、本当は一ノ瀬と一條が二人で行く予定だったものに、折角だからと僕らも誘ってくれたのだ。たぶん、僕と五十嵐が仲良くなれるように気を遣ってくれたのだろう。

　そんな優しい二人に対し、僕らは二人きりでも楽しんで貰えるように行動しようと約束していた。

　もちろん、僕らもしっかりと楽しみながら。

　「もう、圭は昔からそうだよね」なんていう一ノ瀬たちの会話が聞こえるが、いまは気にせずに五十嵐とマップを見ながら遊園地で食べたいものについて話す。

「あ、この限定パフェ美味しそう」

「本当ね、これにする？」

「そうするか」

　こうやって少しずつ計画は進んでいく。

　ゴールデンウィークまであと少し。