第14話 青天とブルー

 パンッ、キュッ、パカンッ。

 晴れ渡った青空の下、ボールが跳ねる音や地面を踏みしめる音が響き渡る。

 五十嵐の家から戻った僕は今、河川敷にいた。雨風に曝されたままの、お世辞にも綺麗とは言えないテニスコートで一ノ瀬とテニスをしている。数か月ぶりに握るラケットの重さ、ボールの弾む音に安心感が湧いてくる。

 

「こうやって、一ノ瀬とテニスするの久しぶりだな」

「お前が部活に入ってくれてたらもっと早くに出来たんだけど。今からでも入る気はないか」

「部活は良いかな。何もしないで帰ったりとか、ゆっくりと過ごす放課後とかさ、そんな今の生活が思ったよりも楽しいんだよ」

「そう言うと思った」


 テニスは好きだけど、いまの帰宅部って響きが良く、一ノ瀬には悪いが、今回の誘いも断らせてもらう。


「覚えてるか、中学の時の通算戦績は俺の方が負けてるの。俺さ、篠崎との最後の試合で負けてから、もう一回お前と試合したくて練習してたんだぜ。……してたんだけどな」

「ははっ、何だよその言い方、悪かった悪かった。通算戦績か、そんなの数えてたな、今はもう勝てる気しないけど。毎日練習している奴に勝てるわけないって。あの頃よりも上手くなってるし。……あれ、そういえば、今日は部活無いの?」

「さすがに毎日部活があるわけないだろ。俺たち一年が参加できるのは基本、月、水、金の週3。他の日は、先輩たちだけでコートを使ってるんだぜ。良いよな」


 そう言うと、僕が軽く打った球に対し、一ノ瀬は思い切りラケットを振りぬく。ネットすれすれを通って返ってくる球は、サービスライン手前に落ち、伸びるように僕の方へ跳ねた。

 その球が再び落下するのに合わせ、僕は肩の力を抜き腰を捻る。息を吐きながらラケットを構え、タイミングを待つ。感覚を頼りに、ラケットを振った。

 一年ぶりに本気で打った球は、ネットに掠り高く舞い上がった。


「あっ」


 ネットを越えず、自分のコートに戻ってきたボールが足元まで転がってくる。


「よーし、勝ったな」

「はぁ、ミスった。って、今のも戦績にカウントするのかよ」

「えー良いだろ、まだ俺の方が負けてるんだから。そっちにまだボールあるか」

「本気で打ってミスったし仕方ないか……。ほら、ボールはあるよ」


 数度ボールを地面にバウンドさせ、打つ。

 今度は綺麗にネットを越えた。


「そうだ、篠崎。普段放課後何してんの」

「ん? さっき言ったけどゆっくりしてる。教室で課題を終わらせたり、そのまま帰ったりだな」

「へー、本当に? 他に何かやってないのか」

「本当だよ、なんで嘘つくんだよ。大体、こんな感じだけどな。一ノ瀬は、部活が無い何してるんだ。いつも、いつの間にか教室から消えてるイメージなんだけど」

「学校のコートが使えない日は、同じ一年の奴らと別の場所でテニスしてる。今朝も少し打ってきてさ」


 道理で上手くなってるわけだ。今朝、十時に起きて早起きだと思った僕とは大違いで、そこまでテニスに全力を尽くしている一ノ瀬に対し、尊敬の念を抱く。

 言葉にはしないけれど。

 そんな他愛のない会話をしながらも、右へ左へ走りラリーを続ける。ここまで体を動かすのは久しぶりで、僕のくだらない雑念もこの瞬間だけ消えてしまうような気がした。

 一ノ瀬が高く打ち上げた球が太陽に重なり消えた。

 降ってくる太陽が地面に落ちてしまう前に打つ。

 雑念も悩みも一緒に飛んで行け。真っすぐ飛んだ球は、ネットすれすれを越え、コートの隅に届いた。


「まさか、あんな打ち方をするなんてな」

「打った自分でもびっくりしてるし、腕が痛いんだけど。そうだ、ごめんな、今度は勝っちゃった」

「やっぱりそれ言うのな。これで今日は一勝一敗か。ちょっと、休憩しようぜ」

「そうしよう。久しぶりに動いて疲れた」


 コートの脇に設置されたベンチに座り、鞄からソーダを取り出しキャップを捻ると、プシュッと涼しげな音がした。

 水滴が付いたペットボトルに口を付ける。炭酸の刺激と弾ける音が、夏の訪れを知らせてくるようだ。

 隣では、一ノ瀬が牛乳パックにストローを差して飲んでいた。


「なに飲んでるの」

「レモンティー。んー、これちょっと味薄い」

「ああそれか、安くて助かるけど、確かに薄いね。それにその飲み方、これからの季節だとアリとか寄ってきて大変になるよな」

「そうそう、俺も良くやる。でもな、家じゃできないから、ついこの飲み方をしちゃうんだよ」

「自分で買ったやつなら、ストローで飲むくらい家でも出来るんじゃないのか」

「まあ色々あるんだよ」

「そっか」


 休憩ということで、二人とも空を見ながらテンションの低い会話をしていた。深く突っ込むことなく、川のように流れゆくだけの会話。

 さらっと吹き抜ける風が気持ち良い。


「やっほ! 二人とも、なに縁側に並んだお爺ちゃんみたいなテンションで会話してるの」


 突然後ろから掛けられる声に、ビクッと肩が震える。

 

「なんだ、一條か」

「なんだって酷いよ、せっかく声かけたのにさ。こういう時は『おっ、一條じゃん。こんなところで会うなんて、もしかして運命か』とか言って欲しいな」


 振り返ると、偶然にも一條がいた。

 知った顔だったので安心し、『なんだ』と言ってしまったが、悪気は無い。

 それにしても、元気だな。五十嵐や一ノ瀬もそうだが、僕の周りの人はどうしてこんなに朝から活動できるのだろう。

 世間的には朝というか、もう昼だが。僕にとってはそろそろ普段の起床時間だ。


「おっ、一條じゃん。こんなところで会うなんて、もしかして運命か」


 素晴らしく心のこもった棒読み。


「ふふ、ちょっと棒読み過ぎだって」

「ああ、こんなに酷いのは聞いたことないな。いつも以上に感情が籠ってない」

「なんだよ、その反応は。せっかく言ったのに」


 テニスコートに『の』の字を書きながら静かに抗議をする。たぶんこの言葉も棒読みなのかな。


「ふふ、ごめんごめん、紫苑君。拗ねないで」

「ほら、ソーダでも飲んで元気出せよ」


 「ありがとう」って受け取るが、そうだ一ノ瀬さん。それは僕のソーダですよ。

 ……そうだ、これは僕のソーダだ。

 ふと、くだらない事を考えてしまい恥ずかしくなる。これ以上は止めよう。


「篠崎は大丈夫だな。ところで美菜はなにしてるんだ」

「花ちゃんとお散歩しながら、写真を撮りにね」

「花ちゃん? ああ、雨宮さんか。どこに……って、いた。おはよう、ごめん気付かなかった」

「お、おはよう一ノ瀬君。それと篠崎君も」


 ベンチに座っている僕らからは見えなかったが、一條の後ろにもう一人いるらしい。

 雨宮花、確か同じクラスだっけ。

 喋ったことないな相手に、人見知りがこっそりと発動し、「おはよう」と一瞬だけ振り向き言う。一條の肩越しにチラッと見えた大人しそうな姿から必死に考える。ああ、確か教室の入り口付近の席に座っていたような。


「私たち、テニスしてる二人の写真も撮ったんだよ、ほら」

「本当だ、いつの間に撮ったんだこれ。……さすが、二人とも写真部だな躍動感が凄い。篠崎も見てみろよ」

「橋の上で見かけてね。さっき紫苑君がミスをした辺りからだよ」

「それ見てたのか、恥ずかしいんだけど」

「いやいや、最後のカッコよかったよ。それに、学校ではナマケモノみたいに動かない紫苑君が、あんな生き生きとしてる姿を見れて今日はラッキーだね」

「確かに怠そうな感じはナマケモノだな。あと、死んだ魚のような目をして」

「そうそう、やる気のない感じ!」

「ね、ねえ、二人とも言いすぎなんじゃないの。その、篠崎君が可愛そうだよ」

「心配してくれてありがとう。でも、残念なことに二人の言ってることは間違ってないような気がして、否定できないんだよ」


 二人の間で、オロオロと心配そうな顔をする雨宮には悪いが、ナマケモノとか死んだ魚のような目とか、なかなか的を射ているなって感じだ。反論する気も起きず、なるほどと納得してしまう。

 

「そういえば、雨宮も写真部なのか?」

「そ、そうだよ。……私も写真部です」 

 

 写真部だったのか、というか一ノ瀬はよく知っていたな。

 それにしてもどうしてだろうか、雨宮が僕の方を見てくれない。

 少しだけショックで、小声で一條に相談する。


「一條。僕、雨宮に何かしちゃったのかな。避けられてるような気がする」

「それなら大丈夫だよ」


 『花ちゃん、しっかりしないと駄目だよ』と声を掛け、雨宮を僕の前に立たせる一條。


「さて、ナマケモノの紫苑君に問題です!」


 ででん。と、隣で効果音を付け加える一ノ瀬。本当に息ぴったりだな。

 あと、ナマケモノ言うな。


「ふだん紫苑君は花ちゃんたちに何と思われているでしょう!」


 知らないです。

 そもそもそれが聞きたくて相談したんだけどな。温くなったソーダのペットボトルを手の中で転がしながら、考える。


「教室の隅に居る目立たない生徒Cとか?」

「それは違うだろ。この答えは、『喋ってみたいけど話しかけにくい』だな」

「さっすが、圭。正解」

「なにそれ、別に話しかけてくれれば良いのに」

「お前、話しかけるなオーラが凄いんだよな」

「そうそう、私たちはただ人見知りなだけって知ってるからあれだけど。なんかね、話しかけ難いらしいよ。『どうすれば仲良くなれるの?』ってよく相談されるんだよね」


 話す二人の隣で、雨宮が小さく頷いている。どうやら話しかけるなオーラとやらは本当らしい。

 そもそも僕と喋ってみたい人なんているのだろうか。


「ちなみに花ちゃんもその一人です! 紫苑君も仲良くしてあげてね」

「わあ、わあ、内緒にしてよ! それに篠崎君には五十嵐さんが」

「え、なんで五十嵐」

「篠崎君、五十嵐さんと付き合ってるんじゃ」

「はあ?」


 つきあってる。

 僕と五十嵐が。

 付き合ってる。

 彼氏、彼女、恋人……そういう付き合ってるということでしょうか。

 

「五十嵐と付き合ってないけど、どうしてそんなことに」

「ごめんなさい。毎日一緒に帰ってるって噂がクラスで話題になっていて」

「いやいや、雨宮が謝らなくても良いんだって。確かに毎日一緒に帰ってるのは事実だけど」

「おい、その話本当だったのかよ。何でさっき教えてくれなかったんだよ。羨ましいな」

「へー、時々一緒に帰ってたのは知ってたけれど、毎日だったんだね。この噂は本当だったんだ! 朱音ちゃんにも確認してみよ。なかなか二人に聞けなくてうずうずしてたんだよね。花ちゃん、ナイス!」


 一條に抱きつかれ戸惑っている雨宮から目を逸らす。

 自分の知らないところで噂になっているのは少し怖いと思うし、五十嵐に悪いことをした気がする。

 そもそものきっかけは、一條が僕に五十嵐を送ってあげてねと言った言葉なのだ。一條はあの時のことを忘れているのだろうか。


「でもさ篠崎、五十嵐さんは人気だから気を付けないと、誰かに取られちゃうぜ」

「僕のでは無いし、五十嵐が選んだ相手なら良いだろ。っていうか人気なのか」

「ああ、あのクールな感じがな」

「私は、篠崎君と五十嵐さんの二人はお似合いだと思うよ! クールでミステリアスな部分が一緒で」

「……ありがとう。でも、今は誰かと付き合ったりとかはしなくて良いかな」


 クールか。

 確かにそうかもしれないが、ああ見えて、微かだがコロコロと表情は変わるし、思ったことは言うし、自然に出た笑顔は可愛いんだよな。多分、あの笑顔をしている瞬間の方が素なのかもしれないと思うほど。

 クールなフリをしているだけのかもしれない。

 だめだ、今朝、間近でみた五十嵐の目と包まれた香りを思い出してしまう。

 考えを振り払おうと、足元に落ちているテニスボールを拾い、話を変えようとしてみた。


「二人ともテニスしてみる?」

「それよりも、朱音ちゃんとどんな事を話しながら帰ってるか知りたいな。花ちゃんもそう思わない」

「うん、気になるよ。全然イメージがつかないの、聞いちゃだめかな」

「特に会話とかはないけどな……」


 さらっと僕の提案は流されてしまう。

 面倒なことになってしまった。面白い話もないし上に、逃れることもできそうにない。

 一ノ瀬に助けを求めようとしたが、僕の隣で楽しそうに笑いながら、「頑張れ」の一言。

 味方がいなかった。


 青春という言葉が似合いそうな、晴れ渡った青空の下で、僕の心はブルーになっていた。

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