第9話・幽霊猫と消された双子 前編

 現在の俺の状況。

 何処かの廃ビル……だと思う。

 窓から見える景色は俺には見覚えの無い場所だ。同じ市内だとは思うのだけど……正直自信は無い。

 そして。

 俺は後ろ手に縛られて、柱に繋がれていた。座った床はコンクリで、酷く冷たい。

「――大野……基樹ね。21歳?」

 俺の運転免許証を持った男が、写真と俺の顔を見比べながら何かを確認するかのように呟く。

 その男がどうやら代表らしい。三人居る男の中で一番年上らしく、かつ、一番落ち着いている。

 その他の二人はチンピラのように見えた。

 何があっても舌打ちばかり繰り返す、まだ十代にも見える男と――、俺よりも少し年上の目つきの悪い男。

 代表らしい男はスーツを着ているが、どう見ても普通の人間には見えない。

 ……ええと、はっきり言ってしまえば、どう見ても、その筋の人です。いわゆる暴力団系。

 仕事帰りに「スイマセン」なんて呼び止められた。足を止めたのなら、俺は、この目つきの悪い男に腹を殴られた。

 それからはよく覚えてない。

 車に乗せられたような気がしていたが、物凄い吐き気に早く車から降ろしてくれと願うばかりだったのだから。

「あ、あのー……」

 俺は恐る恐る声を出した。

 後ろ手。手錠か何かかな。金属が冷たい。

 軽く持ち上げると、じゃらり、と鎖の音まで響く。

「俺に、何の御用でしょうか?」

 若い男が舌を打った。

 それを目で止めて、スーツが俺の顔を覗き込む。

「黒川って男を知っているだろう?」

「……黒川さん?」

 黒川さんとヤクザ。

 ――この時、まだ安王市の事件を知らない俺は、この不思議な組み合わせに目を丸くするだけだった。





『幽霊猫と消された双子』





 俺の顔を覗き込んだまま、スーツが笑う。

「そいつがね、俺たちの所でちょっと騒ぎを起こしてくれたもんでね。お礼を言いたいんだよ」

「……何かの間違いじゃないですか?」

 黒川さんが暴力団系の人に喧嘩を売るとは思えない。

 怖がるよりも驚いてしまって、俺はスーツの顔を真っ向に見たまま、そんな風に答えていた。

 スーツは笑って身体を起こす。

 一歩、身体を引くと同時に、若い男が動いた。

 足。

 俺の腹に、つま先が食い込んだ。

 悲鳴なんて綺麗なものじゃなかった。俺は間抜けな声を漏らす。

 こみ上げて来たものを抑えきれない。だらだらと閉じられない口から零れる。腹の中は空っぽだったらしく、喉を痛めつけながら、胃液が零れる。

「間違いじゃないんだよ。分かって貰えたかな」

「……」

 言葉なんて出るか。

 口を拭いたいと、荒い呼吸のまま考える。

 床を見つめ、これはどういう事かと考えた。

 ――どっちにしても、あまり、良い状況じゃない。

 俺の帰りが遅くなったらきっと誰かが心配してくれる。黒川さんは雨が届く場所なら知る事が出来るらしい。ならば、さほど時間を掛けずに見つけてくれるだろう。

 でも、すぐに、ではない。

 それまで持たせられるかなぁ。

 スーツは表情は穏やかでも、目がまったく笑ってない。

 他の二人は今にも暴力を振るいそうな雰囲気なのだ。

 俯いて俺は考える。

 俺に、何をさせたいんだ?

 不思議と俺は冷静だった。

 確かにこれは怖い状況だったけど、白桜荘に引っ越してから異様な状況は幾つもあって。変な化け物に追いかけられたり、流さんに殺されかけたり、と、本当に、色々。

 だから不思議と冷静だった。

 辛くて顔を上げられないふりをして男たちの動きを伺う。

 ぐぃ、と髪を掴まれ、顔を上げられる。

 スーツの男が笑っていた。

「黒川を呼び出して欲しいんだよ」

「……」

 口を閉ざして、息を吸って、考える。

 黒川さん、この人たちに勝てるかなぁ。

 言葉だけで化け物を追っ払ってくれるような人だけど――どうなのだろう。

「大野さん?」

 時間を稼ぐのも難しそうだ。

 俺は迷いながら口を開きかけた。

「――スイマセン」

 俺の正面。男たちの背後のドアが開いた。

 三十代ぐらいの、チンピラそのものと言う感じの男性が顔を出す。

「渡部さん――変な女が」

「女ぁ? 放って置けよ」

「ですが、その」

 男は言い難そうに俺を見た。

 どうやら俺に聞かせたくないらしい言葉らしい。

 スーツは忌々しげに顔を歪めて俺から離れた。髪を離されたが、絶対、何本か抜けたなぁ。痛い。

 スーツは十代の男に目で合図をする。「へい」と頷いて十代が従って、ドアの向こうに消えた。

 残される、俺とチンピラ。

 チンピラは俺を見ながら、ズボンのポケットから何かを取り出す。

 折りたたみ式ナイフ。

 ……流石にそれで刺されたら痛いだろうなぁ。

 にやにや笑いながら俺の前で、開いたり畳んだりを繰り返す。

 脅しているつもりなのだろうが、思わず拍手をしたくなるような手捌きだった。

 俺は思わず男の手元を見る。

 そして、悲鳴を聞いたのだ。

 男の悲鳴だった。

 チンピラは慌てたように振り返る。

「渡部さん?」

 スーツの名だ。

 俺をドアを交互に見て、それから「動くなよ」と声を掛けてドアの向こうへと行ってしまった。

 ……動くなよ、と言われても、動けません。

 もぞもぞと後ろ手でやってみるが、本当に手錠らしくて逃げられない。

 がちゃがちゃと遊んでいると、ドアが開いた。

 男たちが戻ってきたのかと思って顔を上げた俺に、その笑顔が向けられた。

 セーラー服を着た女の子だった。

 女の子、と言っても随分大人びている。

 後ろ髪は長く、額が全部出ている髪形。その髪型の下にあるのは、頭の良さそうな優等生然とした整った顔。

 細いフレームの眼鏡も相まって、学級長とかやってそうな、そんな女の子だった。

 彼女は俺を見て微笑む。

 薄いけど淡く色の付いた唇が微笑むのを、俺は呆然と見ていた。

 最近、よく綺麗な人と会うが――この子も綺麗な子だ。

 彼女はまっすぐに俺に歩み寄ってくる。

 目前で立ち止まる。

 見上げる俺に、両手を後ろに回し、身体を屈める。

 俺を覗き込む、微笑。

「初めまして――大野 基樹さん」

「初めまして……って、あれ、どうして、俺の名」

「先ほど、免許証を拝見しました」

 荷物は向こうにあります、と軽く瞳で背後を示す。

 再度、俺を見る瞳。

 瞳の色が、紅なのに気付いた。

 人ではありえないほどの、綺麗な紅。

 俺は表情を変えてしまったのだろうか。

 彼女は嬉しそうに――そう、確かに嬉しそうに、笑ったのだ。

 口の端をきゅっと上げて、薄く色づいた唇から白い歯を零して。

「ご想像の通りでございます」

 正直に言えば。

 俺は、先ほどの男たちに囲まれるよりも、今の状況が怖かった。

 たった一人のセーラー服の女の子。彼女に顔を覗き込まれ、微笑みかけられる。

 この状況が、本当に、怖かったのだ。

「大野さん」

「は、はい」

「ご伝言をお願いしても宜しいでしょうか」

「……?」

 彼女は口元をいよいよ強く微笑ませる。

 俺はその口元から目を離せない。

 笑う唇が、綴る。



「白桜荘の皆様。――そろそろ、お命頂戴にお伺い致します」



 あっさりと、笑顔で、彼女はそう言った。

「御神楽の二人が申していたと、そう、皆様にお伝え下さい」

 二人?

 そう言われて初めて、俺は開いたドアの所に寄り掛かり、半身をこちらに向けて立っている男の子に気付いた。

 こちらは短ランを着ていた。

 全体は短く、立たせている髪型なのだけど、襟足だけが長く、腰近くまで伸びている。

 顔立ちは、女の子によく似ていた。

 彼は何も言わずに俺と、女の子を見ている。

 瞳の色は、真紅だった。

「御神楽 亜子と、紫雲が――貴方がたのお命を戴きに伺います」

 女の子――亜子さんが笑った。

 笑って、俺の前に座り込む。

 そして俺の身体に腕を回す。

「……へ」

「動かないで下さい。手錠に手が届きません」

 横から覗き込みながら、俺の背後の手錠を外してくれようとしているらしい。

 片手が俺の服を掴んでいる。

 白い、綺麗な手だった。

 長い黒髪が揺れるたびに、お香みたいな良い匂いがした。

 がちゃり、と、音、ひとつ。

「外れました。―― 一人でお帰りになれますか」

「は、い」

「そうですか」

 亜子さんは立ち上がる。

 優雅に一礼。

「それでは失礼致します。――伝言はくれぐれも宜しくお願い致します」

 亜子さんはスカートの裾を翻して歩き出した。

 ドアの所に立っていた男の子――恐らく、紫雲君が亜子さんを迎えて頷いた。

 二人、ドアから出て行ってしまう。

 俺は緊張の余りに強張った身体をようやく解く。

 ――そこで、違和感に気付いた。

 どうして、彼女たちは此処に来た?

 あの、渡部とか言う男たちはどうなったんだろう。

 冷えた身体でゆっくりと立ち上がる。

 今は閉じられたドアを開いた。

 途端、嫌なにおいに俺は動きを止める。

 血のにおい。

 そして俺は見る。

 先ほどまで生きて、動いていた人たちが、何もかも停止させてしまっている状況を。

 すなわち、死。

 手足どころか首まで飛んで、腹まで割かれて生きている訳が無い。

 俺の頭の中は既に真っ白だった。

「……」

 視界の隅に俺の鞄が映った。

 一歩踏み出したスニーカーが流れた血を踏む。

 それを見ないようにして、鞄まで辿り着いた。

 手探りで荷物を漁り、携帯を取り出す。

 110番。

 電話が繋がると同時に、俺は、何だか泣きそうな声で言っていた。

「人が、死んでるんです」

 



 俺は取調室だと思われる部屋に閉じ込められていた。

 あの廃ビル。すべての入り口に鍵が掛かっていた。開いていたのは唯一、窓ひとつ。しかし六階と言う高さでそこからの脱出は考えられない。

 部屋に残されていたのは、男の屍体が四つと、呆然としている俺一人。

 ……疑われても仕方ないよなぁ。

 何だか物凄く疑われている感じがしていたのだが、屍体の様子――引きちぎられたように手足やら頭がバラバラになっていた――を見て、かつ、俺が住所を言った途端に相手の反応が変わった。

 相手をしていた中年の刑事さんは、確かに「なんだ」と呟いたのだ。

 それから急に態度が変わった。

 一刻も早く俺の前から姿を消したいと言わんばかりに、「代わりの者が来ますので」と言うなり出て行ってしまった。

 そして、取り残されて、少々。

 俺は椅子に座ったまま、テーブルをじっと見ていた。

 御神楽と名乗った二人を考えていたのだ。

 俺は――あの人たちの事を警察に言えなかった。

 言っても信じてもらえない気がしていたし――それに、白桜荘の人々を殺すと言う彼女たちは、おそらく、人ではないのだろう。

 人でないモノの話を、警察にしても、何の効力があるんだろうか。

「――お待たせしました」

 ドアが開くと同時に、寝惚けたような声がした。

 そこには中年の男性が立っていた。

 少々出っ張り気味のおなかに、あまり綺麗とは言い難いようなスーツを着ている、男性。

 彼は酷く眠そうに欠伸をして、俺の正面に座った。

 テーブル越しに向かい合う。

「大野 基樹君ね。21歳」

 手元の書類を覗き込みながら確認。

 俺は少しだけ考えて口を開く。

「……取調べって、二人一組でやるんじゃなかったんですか?」

「ああ、これはもう取調べじゃあ無いんだよ」

 髭の剃り残しが残る顎を撫でて口元を歪ませる。「零号に関係する事件は、俺たちにゃあちょっと荷が重い」

「……ぜろごう?」

 男は答えなかった。

 もう一度にやりと笑って、手元の書類に再度視線を落とす。

「今まで零号絡みの事件に関わってないでしょう? こっちのデーターベースにヒットしなかったんだけどなぁ。オタク、何?」

「……何、って、その、どういう?」

「……」

 男は顔を上げた。

 まじまじを俺を見る。

 ええと、と問いかけ。

「オタク、白桜荘に住んでるんでしょ? 今連絡したら、向こうもオタクの事を同居人――いや、家族って呼んでたよ」

 家族って言葉に俺は場違いだが嬉しくなる。

 少し、ほっとした。

 何だか何もかも大丈夫なような気がしてきたのだ。

 男は俺の顔と書類を交互に見る。

「……オタク、人間?」

「人間です」

「……始末人とか、狩人とか、そういう系? フリーの?」

「は?」

 何語だ、それ。

 男はこちらをまじまじと見る。

 やがて。

 腹を抱えて爆笑した。

 立ち上がると、テーブル越しに俺の肩を掴んでばんばんと叩く。

「いやぁ、人間か! 本物の、ごく普通の人間か! なのにあそこで家族やってんのか!!」

「え? あの? 何、が? え??」

「いやぁ、たいしたもんだなぁ」

 うんうんと男は何度も頷き、同時に俺の肩を何度も叩く。

 物凄い嬉しそうな顔で男は椅子に座り直した。

「俺、井上。まぁ、これからも白桜荘に住むんだったらきっと親しくなると思うから自己紹介しとくわ」

「は――はぁ」

「この街の、零号事件の担当者だから」

 零号事件。

 当たり前のように口に出されるその単語を、俺は知らない。

「零号事件、って何ですか?」

「ああ、隠語。つまり、だ」

 笑って、言う。「あんたの家族のような――特殊な輩が暴れた際に、それを処理する為の特殊機関があってな。そいつらが扱う事件を、零号って呼ぶんだよ」

零と、すなわち、レイ。レイ、イコール、霊。

 笑ってしまうほど、そのままの名前だった。

 でも俺は笑えなかった。

 気付いたら、俺はどんどん深い場所に来てしまっているような気が、今更ながらしたのだ。

 特殊機関って。

 ……そんな、竜さんが好きなアニメや漫画じゃあるまいし。

「そういや、白桜荘の人が迎えに来るって言ってたぞ。誰が来るのかな。あの色っぽい和服美人が来てくれると嬉しいねぇ」

「小夜さん?」

「そうそう! イイ女だね、アレは。独特の色気がある。――未亡人っぽいね」

 俺は何と答えていいのか分からず、曖昧に笑った。

 ノックの音。

「はいはーい」

 井上さんが答えて、ドアが開いた。顔を出した若い男の人は、俺の方を一度も見ず、「迎え来ました」とだけ告げた。

 あからさまに視線を逸らされている気がした。

 ドアが閉じる。

「さ、迎え来たみたいだな。帰るんだろ?」

「はい」

 立ち上がって、井上さんはドアを開いた。

 廊下に出る俺の背中をぽん、とひとつ、叩く。

「まぁ――色々あるだろうが、気にすんな」

 はい、と俺は頷く。

 井上さんに案内されて玄関の所まで送られた。

 待っていたのは、小夜さんだった。

 彼女は井上さんに深々と頭を下げる。井上さんの鼻の下は既に地に着くかと思われるほど伸びていた。

 デレ過ぎ。

 挨拶を終えて、小夜さんはそっと俺の手を握った。

 指が文字を綴る。

 帰ろう、と、綴った。

「はい」

 俺は頷き、手を引く小夜さんに合わせて歩き出す。

 暫し沈黙。

 警察を出て、道の途中。

 小夜さんは足を止めて俺の顔を見た。

 心配そうに、俺を見る。

 俺の掌に文字を書く。


 だ・い・じ・よ・う・ぶ・?


「だ、大丈夫ですよ。ちょっと蹴られましたけど、痣になるかなぁ、これは。でもほら、元気」

 俺は必死に答える。

 小夜さんはずっと俺の顔を見ている。

 大丈夫、ともう一度答えようとして、俺は、今更ながら自分の手の震えに気付いた。

 震えていた。

 物凄く。

 それに気付いて、俺は屍体を思い出す。

 動かなくなった、人間の、身体。

 屍体。

 殺された、もの。

「……ぐっ」

 込み上げてきた吐き気に耐え切れず、その場に座り込む。

 胃の中は空っぽで、胃液さえも出てこなかった。げぇげぇと俺は地面に呻くだけだ。

 横に座り込んだ小夜さんは、ずっと俺の背中を撫でてくれた。

「――小夜さん」

 名前を呼ぶ。

 擦れた声だった。

 何だか顔が濡れている。

 俺は、自分が泣いているのに、ようやく気付く。

 小夜さんは小さく頷いて。俺の肩を抱き締めてくれた。

 優しい優しい腕だった。

 ――俺は優しい母さんなんて知らないけど、きっと、そういう種類の腕。

 その優しい腕の中で、俺は、よく分からない感情のまま、泣いた。

 何が哀しいのか。何が辛いのか。何が涙の理由なのか。

 俺は、分からないまま、抱き締めてくれる小夜さんの腕に縋るように、泣き続けた。





 白桜荘に帰り着くと、茜さんが玄関まで出迎えてくれた。既に周囲は真っ暗だったから、手に持った明かりが本当に嬉しかった。

 それと、にゃん、と可愛い声が俺を出迎える。

 小鉄。

 俺の小鉄。姿の見えない、幽霊猫でも、小鉄は精一杯の愛情を俺に向けてくれる。

 俺はその可愛い気配に両腕を伸ばした。

 気配が胸に飛び込んでくる。

 ごろごろと鳴らす喉。

 茜さんはそんな俺たちを見て微笑んだ。

 普段どおりの、優しい、笑顔。

「お帰りなさい、基樹さん。お疲れでしょう? ご飯食べます? お風呂に入ります? それとももうお休みになります?」

「いえ――」

 俺は茜さん、そして小夜さんの顔を見て、言った。

「御神楽さんから、伝言を預かってきました」

 二人の表情の変化。

 茜さんはあからさまに戸惑った。

 そして、小夜さんはすっと表情を消したのだ。

「御神楽さんに、会ったの?」

 質問してから、茜さんは左右に首を振る。

 いいえ、と呟いた。

「皆に集まってもらってから、話を聞きましょう」

 どうせそういう事でしょう?

 茜さんは、何もかも分かっているような声で、優しく笑った。

 俺は黙って頷いた。

 小鉄は喉のごろごろを止めて、じっと俺たちの様子を伺っているようだった。





 皆が食堂に集まる。

 俺が此処に来てからはじめての風景かもしれない。

 酷く辛そうな様子だけど、黒川さんまでもが此処にやってきたのだ。

 俺は思わず窓を見る。

 雨は降っていない。

「――で、御神楽のどっちに会ったんだよ?」

 竜さんがテーブルに肘を付いて尋ねる。

 気の無いような姿勢だが、瞳の色は物凄く真剣だ。

「亜子と、紫雲。そう名乗ってました」

「二人か」

 竜さんは天井を見上げる。

 黒川さんは頭を抱えていた。頭痛がするらしい。茜さんが差し出した水の入ったコップを額に押し当てて、それでも、口を開く。

「で。――二人の伝言、って」

 問われ。

 俺は少し迷った。

 今更ながらの迷い。

 でも、伝えなきゃならないのだろう。

「ここの――白桜荘の人の命を貰いに来るって……。……そう、言ってました」

 そのままの言葉を伝える。

 伝え、周囲を見る。

 誰一人として驚いてなかった。

「――待ってたんだろうなぁ」

 黒川さんがぽつり、と呟く。

 瞳を閉じる。

 表情は、殆ど無かった。

「竜玉が全部集まるまで……待って居たんだね、あの二人は」

 竜玉。

 流さんから黒川さんが取り返した、あの宝石。

 それがどういうものなのか、俺はいまだ分からない。

「クロ、どうするんだよ?」

 竜さんが口を開いた。

 身体を起こし、片手で刀の入った袋を弄んでいる。

「正面からぶっ倒しに行くか? どうせ――管理人が入れなきゃあ、やつらはこっちに来れねぇだろ」

 竜さんの言葉に、茜さんはゆっくりと頷いた。

「二人が……どれだけ力を付けたか分からないけど、護りの力だったら、私の方が強いと思う」

 ゆっくりとだが、茜さんの言葉は確信に満ちていた。

 普段の優しい瞳の色じゃなくて、とても、強い色。

「そうじゃなきゃ、直接宣戦布告しに来たと思うの。そうじゃなくて、外に出ている基樹さんを狙ったんだから、いまだ、私の力は有効だと思う」

 全部仮定の話で御免なさい、と、謝罪の言葉が続いた。

 黒川さんはまだ額にコップを押し当てたまま沈黙している。

 頭痛を堪えているような――それとも、考え込んでいるような。

 やがて瞳を開く。

 普段の穏やかそうな色合いとは異なる、何処か淡々とした、冷たい目の色だった。

「茜さんは今までどおりの護りを。真之介は――此処からあまり離れないようにして欲しい」

 ただ、と続く。

 黒川さんの瞳が俺を見る。

「基樹君の護衛を頼みたい」

「了解。――が、始終は無理だぜ?」

「真之介が無理な日は小夜さん、お願い出来るかな?」

 小夜さんは小さく笑顔で頷いた。

 それから俺を見て小首を傾げて微笑む。

 よろしく、と、そう言われている気がしてきた。

 はぁい、と、まゆちゃんが白い手を上げた。

「まゆも、護衛できてよ?」

「まゆちゃんは単独行動は避けて。――出来うるなら、外には出ないで欲しい」

「……はぁい」

 黒川さんはもう一度瞳を閉じた。

 小さく、息を吐く。

「真っ向から戦うにしても、戦えるのは真之介だけでは心もとない」

「……せめてオッサンかトラでも居ればいいんだけどな」

「大河内さんには連絡取ってみよう」

 オッサン、と言うのは水鳥川さんの事だ。ならば大河内と言うのがその、竜さん通称の『トラ』さんなのだろう。

 どういう人か検討も付かないが、戦う能力に長けた人だと言うのは黒川さんの口ぶりから分かった。

「――あの」

 恐る恐る、俺は手を上げる。

 俺の膝上でぴくぴく身体を動かしていた小鉄が、それに応じるように小さくみゃん、と鳴いた。

「質問、いいですか?」

「どうぞ」

「……御神楽さんって、何なんですか」

 その、と、俺は必死に考える。

「何度か名前は聞いた事あります。でも、その、なんで――」

「命を狙うような事をしてるのか、って話だよね」

 黒川さんは瞳を閉じたまま話を続ける。

 辛そうだ。

「クロ」

 竜さんが見かねたように声を掛ける。「続き、俺が話しておこうか?」

「当事者から聞いた方が分かり易いよ」

 黒川さんがコップをテーブルに戻した。

 俺を見て、笑う。

「竜玉、って覚えてる?」

「はい、流さんの――」

「そう、あれ」

 黒川さんがテーブル上で軽く右手を握り締めた。

 再び開いた時にはそこにあの石が乗っていた。青緑色の綺麗な石。

「これをあげた人、流以外にも六人居てね」

 指先で竜玉を遊ばせる。

 きらきらと輝く光に、普段なら反応する小鉄は黙っていた。

「そのうち一人が、あの二人のお父さん」

 うん、と、黒川さんは優しく笑った。

「あの子たちは、僕の友達の子供なんだ」

「……どうして、その二人が」

「――逆恨みだ」

 ぽつん、と竜さんが割って入る。

 黒川さんはちらりと竜さんを見たが言葉を止めようとしなかった。

 話すに任せる。

「人間に殺されたんだよ、あいつらの親父。クロが人間に対して力を振るうなって命じていたから嬲り殺し」

「………」

「それで」

「いや、その時点ではまだ大人しくしてた」

 茜さんが立ち上がった。

 集まる視線に笑いかける。

「お茶、用意して来るわ。――水生さんはお水でいい? ぬるくなっちゃったでしょう?」

「まゆも手伝うわ」

「有難う」

 茜さんはまゆちゃんと一緒に台所へと消えた。

 それを見送ってから竜さんは改めて話し出す。

「誰に殺されたかはっきり分からなかったのもあるが――大人しく、此処に居たさ。陰でこそこそ誰が犯人か探してたみたいだがよ」

「犯人は――」

「狩人って分かるか? 人間以外の存在を狩る人間。そういう奴等の中でも悪趣味なやつらさ。人外をぶっ殺して悦に入っている鬼畜ども」

 竜さんは忌々しげに吐き出す。

 表情はさほど強くない。右手には紫色の袋を握り締めている。愛用の日本刀が入っている、あれだ。

 握り締める指に力が入っているのがよく分かった。

「あのガキどもは犯人を探し出して自分の手でぶっ殺すつもりだった」

「でも、僕はそれを許さなかった」

 黒川さんは淡々とした声で続ける。

「例えどんな理由があろうとも、人に手を上げる事は許さないと二人に言った」

 黒川さんの言葉は二人には絶対の筈だった。

 しかし、黒川さんたちに突きつけられたのは、惨殺された人間の死体だった。

「それが別れの挨拶だ。――さっき会ったろ、滝之上ってオッサン」

「……いえ、井上さんです」

「そう、その滝之上が上手く処理してくれたんだけどよ、普通、此処の前に死体積んでいくか?」

 名前に関して突っ込みたい気が満々だったが、黒川さんの表情を見る限り、突っ込める雰囲気は無かった。

「――許さない、って言われたよ」

 黒川さんは瞳を伏せる。

「亜子に。紫雲は何も話さない子だけど、瞳が怒っていた」

 思い出しているのだろう。

 その言葉を向けてきた、二人を。

「僕にとって、父はその程度の存在だったのか、って。遥か昔の約束の方が、父の命よりも重いのかと責め寄られた。貴方のその甘さが、弱さが、父に死を招いたと言われた」

 ことん、と。

 俺の目の前に湯飲みが置かれる。

 真横にまゆちゃんが立っていた。

 お盆を胸に抱いて俺に微笑みかける。

「おちゃ」

「うん、有難う」

「どういたしまして」

 まゆちゃんは笑って自分の席へと戻った。

 茜さんが残りの皆にお茶を配り終わるまで、黒川さんは黙っていた。

「――亜子と紫雲は、僕の周囲の命をすべて奪うつもりだ」

「どうして?」

「大切なものを奪われ続けても、それでも、力を振るわないと言えるのか、確認したいんだと思う。――そして、僕が約束を違えれば、一時的でも僕は力を失う。そうなってしまえば、眷属の血を引く彼らでも、僕を殺せるだろう」

 俺は何だか黙ってしまう。

 黒川さんはそこで始めて優しい笑みを向けた。

「基樹君はちゃんと皆で護るよ。――だから、普段どおりの生活を送って欲しい」

「俺に出来る事は何か無いのですか?」

「決して一人で行動しない事。それだけは約束して欲しい」

「五郎が人質に取られちゃ動きが取れねぇからな」

「……スイマセン」

 既に今回一度取られました。

 その事に黒川さんも気付いたんだろう。

 苦笑するように笑う。

「御免ね、基樹君。ちょっと向こうでやんちゃしちゃって」

「……ヤクザさんに喧嘩売ったんですか?」

「うーん、ひとつ、組を潰しちゃった……かな?」

 かな? と小首を傾げてにっこりされても可愛くないです怖いです。

 竜さんが軽く背を伸ばした。

「まぁ、五郎と竜玉はきっちり護るとして、そういう話だな」

「……その、玉もですか?」

「多分、これを狙ってくると思うんだよね」

 いまだ黒川さんの指先にある、それ。

「高価なんですか?」

「まずは死ななくなる。年も取らなくなる。あとは……まぁ、色々? ひとつだとそれぐらいかな」

「……何個あるんですか?」

「七つ」

 ……それを全部取られたらどうなるんだろう。

 竜さんがふと思いついたように言った。

「七つ全部集めたら、願い叶えてもらえるとか」

「あははは、何処かの少年漫画じゃないんだから、そういう事は無いよ」

 流石にその漫画は俺も知ってます。

「――それじゃあ、ご飯にしましょうか?」

 茜さんがにっこり笑って立ち上がった。

 ふみゃん、と、俺の膝上で小鉄が元気よく返事をした。





 ご飯を終えて部屋に戻って、俺はごろりとベッドに転がった。

 小鉄がふみゃふみゃ言いながらベッドに乗ってくる。見えないが、小さな足の形にシーツが沈むのを見る。可愛い形が四つ。小鉄の足。

 それを見て微笑み、俺は小鉄の頭辺りの空間を撫でる。

「小鉄」

 呼ぶ。

 みゃん、と応える声。

「俺、ちょっと疲れたよ」

 言って、考えた。

 ちょっと疲れた、程度で済んでいるのが凄いんじゃないか、俺。

 誘拐されて殺されかけたようなもんだ。死体も目撃したし。

 ……うん、よく頑張ってる。

「明日からも色々あるのかな」

 小鉄は何も言わない。

 ごろごろと喉を鳴らしている。きっと俺の手に頭を摺り寄せているのだろう。

 見えたのなら、きっと、可愛い仕草。

 うん、と、俺は頷く。

 きっと色々あるだろうけど、小鉄が居るなら大丈夫。

 小鉄も、白桜荘の皆と言う家族も、居るんだから。

 大丈夫。

「――……」

 にしても。

「……亜子さんって綺麗な子だったな」

 ふみゃ、と小鉄が鳴いて、俺の頬にぺしっと軽い風が当たる感触。

 驚いて起き上がった俺の前で、小鉄は、シャァ、と短く鳴いた。

 威嚇の声。

 ……怒ってる?

 と言う事は、頬に当たった風も小鉄がやったのか?

 ……そう言えば、前に俺たちを追いかける化け物を威嚇して追い払ってくれたよな。

 そういう事が出来るのかもしれない。

 でも、なんで俺に怒るんだ?

「………あ」

 亜子さんが綺麗な子だったと言った、から?

 まさか。

 そんな、嫉妬みたいな。

 でも、俺は小鉄の気配に向かって手を伸ばし、言った。

「一番可愛いのは小鉄だよ?」

 みゃあん、と甘えきった声が手に寄ってきた。

 ……ほ、本当に嫉妬してたのかな。

 だとしたら、まるで人間の女の子みたいだ。

 猫も長く人間の傍に居ると人間みたいな思考になるのかな。

 ……嫉妬する小鉄、ってのも、可愛い、と思う。

 うん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る