第6話・幽霊猫と生きている猫
「――よお、基樹!」
仕事が午後休みだったので、俺は近所のホームセンターで買い物。猫砂を担いで白桜荘への道を歩いていると、そんな風に後ろから声を掛けられた。
基樹、と俺の名前を下で呼び捨てにする人は珍しい。
振り返ると、ダンボールを両手に持った大柄な男の人が走ってくる。
千葉さんだ。
千葉 啓介さん。
以前、小鉄と竜さんに命の危機を救われた事があるらしい。
それ以来、何かと白桜荘に遊びに来てくれる。霊感があるらしく、俺と同じぐらい小鉄の事は感じられるらしい。
そして――小鉄をまったく怖がらない、とても良い人。
千葉さんは俺の横に並ぶと歯を見せて笑った。
「買い物帰りか」
「はい。――千葉さんは、これからうちにですか?」
「おお、田舎から野菜が届いてな。……その、さ、桜井さんに食べて頂こうと」
何で此処で赤面するんだろうか。
手に持っているダンボールが小さく見えるほどの大柄な千葉さんが、こうやって赤面しているのは少し奇妙な気がする。
この人、背に関しては俺よりは頭ひとつ分高い。190近くあるんじゃないか、と思う。それに相応しく、身体全体ががっしりしていた。
その人が赤面している様は、何だか、笑ってしまいそうになる。
「ん? 基樹、どうしてにこにこしてるんだ?」
「ううん、何でもないです」
俺は堪えきれずにくすくすと笑った。
にゃあん、と。
俺の笑い声に被さるように、猫の声。
俺と千葉さんは辺りを見回す。
猫の姿は無い。
だけど声だけが近付いてくる。
「小鉄?」
にゃにゃにゃ、と短いご機嫌の声。
俺のスニーカーに気配。ジーンズの裾に擦り寄る気配もある。
小鉄だ。
どうしたんだろう? 白桜荘までまだ距離がある。お迎えにしては、少し、変だ。
小鉄は俺の足に少しの間擦り寄ると、みゃと鳴いて離れた。
そして、声が離れていく。
「………?」
千葉さんが首を傾げ俺を見た。
俺も首を傾げる。
ふみゃああ、と小鉄が大きな声を出した。
訴える声だ。
「……付いて来い、って言ってるの、かな」
呟くと、千葉さんは「よし」と頷き歩き出した。
小鉄の鳴き声を頼りに二人で歩く。
やがて行き着いたのは住宅地の中の空き地。
猫の声がする。
「…………」
俺と千葉さんは顔を見合わせた。
小鉄の声がする。
だけど、同時に別の声が。
恐る恐る空き地を探すと――見つけた。
ダンボールに入れられた、外へ出ようともがく子猫が二匹。
子猫は何も見えない空間にみゃみゃみゃと鳴いている。恐らく、そこが小鉄の居る場所。
ふみゃあん、と、もう一度、小鉄が訴えるように鳴いた。
『幽霊猫と生きている猫』
「可愛い!」
白桜荘の管理人である、桜井 茜さんの子猫を見ての第一声。
これでとりあえず問題は無くなった。
子猫は二匹で、柄が全く違う。一匹は茶トラで、もう一匹は三毛。三毛の方は少しだけ、小鉄に似ている。
うん、俺は死体でしか会ってないけど――こういう柄だった。
茜さんは茶トラの子を抱っこして笑顔だ。
「小鉄ちゃんより少し小さいわね。可愛い」
そう言ってから、俺の足元に笑顔を向ける。「あら、小鉄ちゃん拗ねないで。小鉄ちゃんと同じぐらい可愛いって意味よ」
茜さんは小鉄が見える。
羨ましい事だ。
小鉄は小さく鳴きながら、残り一匹の三毛の子に擦り寄っていった。
どうやらかなり気になるらしい。
猫同士はお互いが見えるようで、子猫は小鉄が傍に寄ると安心したように鳴き声が弱くなる。
まだ足元がかなり頼り無いが、子猫は目も開いている。多分離乳は終わっているだろう、と考えた。
子猫を拾った直後、子猫二匹は千葉さんに白桜荘に連れて帰って貰い、俺はホームセンターへと大急ぎで戻った。
幾ら猫を飼っているとは言え、幽霊猫の小鉄。キャットフードなんてものはない。
子猫用のキャットフードと、子猫用ミルク。餌皿は何とかなるだろう。
適当に幾つか購入して、大急ぎで帰宅した。
ウェットタイプのフードを指に付けて三毛に差し出すと、物凄い勢いで食いつかれた。匂いに気付いたのか、茶トラの方も大騒ぎ。
子猫の食事タイムとなった。
小さな背中を丸めて、うまうまと言わんばかりの小さな声を上げて食事に夢中になっている子猫を見ると、俺たちは無意識にも笑みを浮かべていた。
「可愛いもんだなぁ」
千葉さんの台詞に俺も頷く。
ふみゃあん、と小鉄が訴えるようにすり寄ってきた。
俺は少し苦笑して、小鉄の気配に手を伸ばす。
「一番可愛いのは小鉄だよ、大丈夫」
みゃみゃ、とご機嫌の声が俺の腕に飛び込んできた。
ごろごろ鳴く小鉄を抱っこしながら、俺は御飯を終えて満足そうな子猫を見た。
「この子たち……どうしましょうか」
思わず拾って来ちゃったけど。
あら、と茜さんが目を丸くする。
「うちで飼うのでしょう?」
うち、イコール、白桜荘。
あんまりにもあっさり言われて、俺は逆に戸惑う。
「い、いいんですか?」
「子猫ちゃんが二匹増えたぐらいじゃ困りません」
にっこり、と笑顔の茜さん。
それから彼女は付け足す。
「ミドリカワさんも猫が好きだし喜ぶわ」
「………?」
みどりかわ、さん。
誰だろ。聞いた事の無い名前。
茜さんは俺の顔を見て疑問を読み取ってくれたのだろう。
「四号室の方よ。普段は世界中を旅されているから滅多に此処に来ないけど……年に一度ぐらいは戻ってくるから、その時、紹介するわね」
年に一度。
幾ら家賃が激安とは言え、一年に一度しか戻ってこないアパートを持っているとは――金持ちかもしれない。
俺の頭の中で『ミドリカワ』さんは金持ちそうな恰幅の良い中年男性になった。
「さ」
茜さんが笑顔のままで声を上げた。
彼女なりの掛け声。
「千葉さんから美味しそうなお野菜頂いたし、新入りさんも来たから――今日は御馳走ね」
茜さんは、ぼーっと赤面しながら彼女を見ていた千葉さんに笑顔を向ける。
千葉さん、途端、更に真っ赤になる。
何だかどもりながらもごもご言ってるが、正直、聞き取れない。
「千葉さんも晩御飯食べて行きますよね」
「よ、宜しいですか」
「はい」
茜さんは相変わらず笑顔。「千葉さんのお食事の仕方、私大好きなんです。美味しいって沢山食べてくれるでしょう?」
ああ、確かに。
それにかなり感動したのだけど、千葉さんは魚を食べるのが上手だ。本当に骨だけしか残さないで食べる。俺も魚の食べ方には自信があったけど、千葉さんの方が上だ。
茜さんはもう一度子猫たちに笑顔を向けて、ぱたぱたとキッチンへ向かっていった。
キッチンは茜さんの聖域。「手伝う」は禁句だ。
……いや、手伝おうにもあの小柄な身体で物凄い手際よく料理作るんで、何もする事ない。むしろ邪魔。
俺は大人しく子猫たちの相手をしてようと思う。
いまだ抱いていた小鉄を床に下ろして、俺は古新聞を取りに行った。
古新聞を用意して破く。
空き箱にそれを敷き詰めて簡易トイレ。子猫たちのダンボールに入れてやる。トイレはまだ覚えないと思うが、しつけは早い方が良いだろう。
「さすが手際よいな」
千葉さんが感心したように言う。
「猫を飼うって時に覚えたんですよ」
俺は苦笑。
小学校の時の知識だ。いろいろ間違えてるかもしれないなぁ。
みゃみゃ、と鳴く小鉄に笑いかける。
「小鉄、この子たちに色々教えてやってね」
みゃん、と元気の良い返事が帰ってきた。
「――お、デカいの来てるな」
そんな風に言いながら、食堂のドアから室内を覗き込んだのは竜さんだ。
……えー、相変わらずよく分からないシャツ着てます。
『皮算用』って……どういう意味ですか、そのシャツ。本当に何処で買って来てるのか。
竜さんのシャツ――いや、竜さん自身が、俺の中で白桜荘の七不思議のひとつ認定。
「竜」
千葉さんは竜さんに向けて笑顔。
『デカイの』は千葉さんの事。やはり千葉さんも名前を覚えてもらってない。
仲間仲間。
竜さんは何故か食堂の窓へと真っ直ぐ向かう。
軽く窓を開き、外を見る。
そして首を傾げながら窓を閉めてしまった。
「どうしたんですか?」
「いや――」
曖昧な返答。
竜さんはテレビが見やすいいつもの席に座りながら呟くような声で言う。
「外で子供がうろついてるんだ」
「子供?」
「小学生くらい。男のガキだ」
千葉さんは顔を顰めながら竜さんが先程覗いた窓に近付く。
外を見たが、いくら夏の日とは言え結構薄暗い。何も見えなかったようだ。
「悪戯か?」
「此処で悪戯出来るガキはいねーよ」
竜さんが断言した。
断言し、続ける。
「だから、逆に気になる」
食堂のテーブルに頬杖。自由な手で愛刀の入った紫の袋を軽く弄ぶ。
「何しに来てるんだろーな」
呟いた後にふと何かに気付いたように俺を見た。
なぁ、と呼びかける声。
「五郎、今日はタマが妙に鳴く日だな」
「……そうですか?」
普通だと思うけど。
竜さんは愛刀の袋で自分の頭の横を軽く叩いた。
「何だか三匹ぐらい猫が居るように鳴いてる気がする」
「………」
俺と千葉さんは無言で顔を見合わせる。
見合わせ、お腹一杯で転がっている子猫二匹を千葉さんが持ち上げた。
ふにゃふにゃした子猫を示し、俺はとりあえず言ってみた。
「小鉄プラスあと二匹居ます」
「……………」
あー、と竜さんの不明瞭な声。
蒼い瞳を細めて、何か考え込む表情。
「……三匹も居ると名前覚えられねぇから、三匹ともタマでいいか」
「却下」
元々小鉄の名前さえ覚えて無いくせに。
竜さんは何だかずっとぶつぶつ言ってた。
言ってるくせに、最終的には子猫二匹を膝の上に乗せていた。
結構本気で猫好きだよなぁ、この人も。
茜さんの手料理をお腹一杯食べて、千葉さんは「また来る」と帰っていった。
空いている部屋もあるからこっちに引っ越してくれば良いのに、と俺が前に言うと物凄く赤面していた。「結婚前の男女がひとつ屋根の下なんて駄目だ!」とか言っていたが……何か勘違いしている気がする。
子猫二匹は元気な様子。新聞紙トイレも使ってくれているようだ。
小鉄がずっとそばにいてくれる。ひょっとしたら小鉄が色々と教えているのかもな。うん、小鉄にとっては妹弟が出来たようなものかな。
――弟。
弟、と言う言葉に、俺は少しだけ考える。
指先をダンボールに入れて、眠っている子猫の柔らかい毛並みを撫でた。
小さな生命。
ふみゃあん、と小鉄が鳴いて、ダンボール前に屈み込む俺の身体に擦り寄ってくる。
俺の表情を見て何か悟ったのだろうか。
いつまでも擦り寄ってくる。
「うん」
俺は笑う。
弱いものだとしても、笑えるなら大丈夫。
無理して笑うのもいい。そのうち、本当に笑えるようになるから。
そう自分に言い聞かせ、俺は笑って小鉄の方に顔を向ける。
ダンボールの中には暖かそうな毛布にバスタオル。……バスタオルに可愛らしい丸文字で『一気呵成』なんてプリントされている所から、バスタオルが誰の持ち物か丸分かり。そうか、小物にまで趣味が出てるのか……。
ま、まぁ。これだけ暖かそうなら平気かな。二匹居るし、お互いの体温で身体を温められるだろう。
「じゃあ、小鉄、部屋に戻ろうか」
いつもだったら元気良く返事する小鉄の返事が無い。
ちょっとだけ考え込んで、ああ、と頷く。
「いいよ、戻って来たくなったらおいで。部屋のドア、開けておくから」
みゃん、と小鉄が元気良く鳴いた。
どうやら子猫たちが心配なようだ。
小鉄、優しい子に育ったなぁ。
しみじみと親の気持ちを味わいながら、俺は自室へと戻った。
勿論、約束どおり、雑誌を挟んでドアを開けたままにしておいた。
翌朝。
目が覚めたのはしとしとと降る雨音だった。
外はまだ薄暗い。目覚まし代わりの携帯を確認すると、朝五時。あー……ちょっと早いなぁ。
小鉄の気配を探すが――俺の周りには、居ない。
まだ一階だろうか。
もぞもぞと身支度を整え、俺は一階に降りて行った。
夏の朝日は早いとは言え、雨の日。妙に薄暗い。
そんな天候でも、やはり食堂には既に人の姿があった。
居たのは、黒川さんと、そして小夜さん。
雨が降っているのだ。黒川さんの姿があってもおかしくは無い。ただ小夜さんと向かい合ってお茶を飲んでいるのにはびっくりした。
まるで今まで楽しく会話していたような雰囲気で、二人がドアの所に立つ俺を見る。
「おはよう」
黒川さんの優しい声。
小夜さんは笑顔で会釈をする。
「おはようございます」
挨拶を終えて、ダンボールの方へと視線を向ける。
――あれ?
違和感。
「御免」
黒川さんが小さく笑いながら謝った。
自分の膝上を示し、瞳を細める。
「此処で寝てるよ」
三毛は黒川さんの膝上。
そして。
茶トラは小夜さんの膝上でお腹を見せていた。
此処のアパートはみんな猫が好きだなぁ。
「……あれ、じゃあ、小鉄は?」
「そう言えば見てないな」
黒川さんがちらりと外を見る。
雨。
「あの子は雨が嫌いだったよね。……どうしたんだろう」
「……ちょっと捜しに行って来ます」
何となく不安になって、俺は二人にそれだけ告げ、慌てて玄関に向かった。
玄関先の傘を引っつかんで、そのまま外に出る。身支度整えてきて良かった。
雨の降りは弱い。夏の雨。気持ちよいぐらいの雨だ。
「――小鉄?」
呼びかけ。
返事は無い。
傘を開いた。
庭に踏み出す。
「小鉄、返事して」
呼び掛け。
小鉄の返事は無い。
「小鉄!」
俺は時間が許す限り外を探し回った。
だけど、小鉄の姿を見つける事は出来なかったのだ。
タイムリミット。
それは俺が仕事へ向かう時間。休もうかと一瞬考えたが、俺の感情を悟ったように黒川さんが言った。
「僕たちが捜しておくから、基樹君は仕事に行くといいよ」
「……でも」
「小鉄ちゃんは賢い子だから大丈夫。危ない事はしてない」
黒川さんは穏やかな声で言う。眼鏡の奥の瞳は本当に優しい。
俯く俺の肩に、そっと小夜さんが手を置いた。
小夜さんの顔を見ると、彼女は小さく頷いてくれた。
大丈夫。そう言われている気がした。
「……スイマセン」
消え入りそうな声で俺は皆に小鉄の事を頼んだ。
携帯番号を黒川さんに伝え、何かあったらすぐに連絡を貰うようにお願いした。
お願いして――俺は後ろ髪を引かれる思いで仕事に向かった。
俺の仕事は病院付属の介護施設である『ひだまり』の職員だ。
平日昼間、家族の人が仕事に行っている間に介護が必要な人を預かり、お世話をする。つまり、人間相手の仕事。
小鉄の事が気になって仕事が手に付かない、と、言う訳には行かない。
そんなんじゃ駄目だ、と自分に言い聞かせ、俺はいつも以上に頑張って働いた。
が、やはりいつもとは何かが違ったらしい。
ミスはしなかったが、休憩時間、偶然居合わせた主任が不思議そうに俺を見た。
「……何かあったのですか?」
主任は30代半ばぐらいの男性だ。黒川さんとは違うタイプの、穏やかそうな人。穏やかそうな人だが、丁寧な口調は妙な迫力がある。
「スイマセン」
俺はまず謝った。
「飼猫の姿が見えなくなって」
「ああ、小鉄、でしたか?」
「はい」
小鉄の事は何度か話した事がある。
どんな猫かは説明してないが。
主任はため息を付いた。
「それは心配でしょうが――あまり無理はしないで下さい」
「無理?」
「無理に、元気に振舞っているように見えます」
「………」
スイマセン、と俺はもう一度頭を下げた。
主任が俺の肩を叩く。
とんとん、と柔らかく。
「謝る必要はありませんよ」
そうだ、と主任が言う。
「その子の写真はありませんか。写真を動物病院やスーパーに貼って貰うと見つかり易いのでは?」
「………」
し、写真なんて無いなぁ。何度か挑戦したが、オーブだっけ? 心霊写真によく写るヤツ。アレが写っていたり、妙な影が入り込んだりしているだけで、小鉄の姿は一度も撮れてない。
「え、ええと、カメラが苦手な子で……」
「それは仕方ありませんね」
主任は酷く残念そうだった。
彼なりに俺を手伝ってくれる気だったのだろう。
嬉しいと同時に申し訳ない。
「何だか今朝から行方不明とかそういう話ばかり聞きますね。――大野君の飼猫も、小学生も見つかれば良いのですが」
「小学生?」
何だろう、それ。
主任はゆっくりとした口調で言った。
「昨夜から小学生の男の子が一人、行方不明なんだそうです。家にも戻ってないと、親御さんが捜していらっしゃいます。――こちらでお預かりしている方のお孫さんだそうで。親御さんが朝にいらっしゃった際にお話されてました」
「……それは心配ですね」
「家出かもしれない、と言ってました」
主任は少しだけ目を細める。
考え込む表情。
「昨夜、親御さんと大喧嘩したそうで」
「へぇ」
「猫を拾ってきたそうです」
猫。
その単語に改めて反応。
「猫を拾ってきて、飼うと言って聞かなかったのを怒鳴りつけたらしいんです。捨てて来い、と御父様が男の子と子猫二匹を外に放り出してから戻ってきていない、と」
「…………」
子猫。
しかも二匹。
「そ、その猫って、三毛と茶トラでは」
「さぁ? 猫の種類までは――」
主任は俺の言葉に首を傾げていた。
そんな主任を見ながら、俺は思い出していた。
拾った猫は二匹。
そして竜さんの言葉。
小学生ぐらいの子供がうろついている、と。
たんなる偶然、だろうか。
でも同じ町内だし――そんなにぽんぽん捨て猫があるとは思えない。
……しかし。
今白桜荘に居るのがその捨て猫で、昨夜うろついていたのが行方不明の男の子だとしても。
小鉄行方不明には、関係無いか。
俺はひとつため息を付いて、午後からの仕事の意識を向ける事にした。
一日ポケットに入れたままだった携帯電話には、白桜荘の人たちからの着信は無かった。
俺はいまだ雨が続く中、仕事を終えて大急ぎで帰宅する。
玄関先にはエプロン姿の茜さん。彼女は俺の顔を見ていつものように「おかえりなさい」と出迎える。
表情だけは冴えなかったが。
「……小鉄、帰って無いんですか?」
「えぇ……水生さんも皆も捜してくれてるんだけど……」
何処に行ったんだろう。
茜さんは悲しそうに俯く。
「御免なさい……白桜荘の中に居ないのは分かるんだけど……、小鉄ちゃんが何処に居るかまでは分からないの」
「敷地内に居ないと分かっただけでも十分です」
俺は無理矢理笑う。「外、捜してきます」
「えぇ、気を付けて」
「はい」
頷いて、付け加える。「子猫たちの世話、お願いします」
「えぇ、それは任せておいて」
茜さんはようやく普段に近い笑みを浮かべてくれた。
何となく嬉しい。
暗い表情の皆は見たくなかった。
俺は茜さんに自分の荷物をお願いして、そのまま小鉄探しに行こうと思った。
「――お兄ちゃん」
背後。
振り返ると、外から丁度帰ってきたのだろう。紅い傘を差したまゆちゃんが立っていた。
今日は振袖を着ていない。紅いスカートと白いブラウス。昭和時代の少女のような、可愛らしい服装だ。
まゆちゃんは茜さん以上に不安そうな顔をしていた。
「まゆも、さがしたのよ? でも、こねこちゃん、どこにもいないの」
「有り難う、まゆちゃん」
でも、と俺は付け加える。
まゆちゃんの白い靴下。それに跳ね上がった泥を見ながら。
「風邪引いちゃうよ、ほら、まゆちゃんは中で待っていて?」
「でも」
「大丈夫、俺も今から捜しに行くから」
「でも」
まゆちゃんは「でも」を繰り返す。
俺はそんな彼女に笑いかけて、背中に手を回すと、そっと茜さんの方に押した。
茜さんは小さく頷いてまゆちゃんの身体を抱きとめる。
「ほら、まゆちゃん、中で待っていましょう?」
「……」
「まゆちゃん」
「……はい」
まゆちゃんは心配そうに俺を見ている。
俺は出来る限り普通に笑う。
「小鉄が見つかったら、まゆちゃんに一番に連絡するよ」
「やくそく、よ?」
「うん」
じゃあ行って来ます。
そう言って、俺は柔らかい降りの雨の中、動き出した。
当てもなく周辺を捜し回る俺の耳に届いた音。
電子音。
携帯の着メロだ。
慌てて俺は自分の携帯を取り出す。
見覚えの無い番号が表示されていた。
「も――もしもし」
『ああ、基樹君? 黒川だよ』
黒川さん。
「小鉄見つかったんですかっ?!」
思わず叫ぶ俺の声に応えたのは、やはり落ち着いた黒川さんの声。
『いや――まだなんだけど。多分、居場所は分かった』
「何処ですか?!」
『白桜荘の近くに、廃工場あるの知ってるかな? 塀で囲まれていてちょっと見難いんだけど』
頭の中で必死に周辺を思い出す。
近く? 近く?
『コンビニの近くだよ。コンビニから……四件隣かな。工場の中は雨が降ってないんでよく分からないんだ。窓のある部屋にいるから何とか姿は見えたんだけど……』
黒川さんの言葉、後半部分は殆ど聞いてなかった。
工場の位置が分かった。
高い塀に囲まれた古い建物があるのは知っていた。そうか、あそこが工場か。
『僕もこれから向かうけど――今神社なんだ。先に真之介に行って貰ってるから、合流して迎えに行って貰えるかな』
「はい! 分かりました! すぐに向かいます!」
『お願いするよ。小鉄ちゃんはともかく、もう一人の子は真之介を嫌がると思うから』
「はい!! 分かりました。有り難うございます!」
返事をして電話を切って、俺は傘をたたんで走り出す。
小鉄、すぐに迎えに行くからな!!
その時はそれしか頭に無くて、他の事は完全に無視していた。
黒川さんの言葉。よく考えれば色々と不思議な発言ばかり。
……もういい。黒川さんに関しては、白桜荘の七不思議二番目で確定!
今は小鉄の事が最優先だ。
竜さんとは工場前で落ち合った。
錆び付いた鎖が絡まった鉄門。半分以上外れてしまっていて、入るのには何の問題も無い。
その門を見上げ、竜さんは愛刀の入った袋で肩を叩いていた。
「おお、五郎、来たか」
「こ、小鉄は見つかりましたか」
「いや、まだだ」
お前を待っていた、と竜さんは続けてから、遠慮なく工場に踏み入った。
外側からも結構ぼろぼろなのは分かっていたが、中に入れば更にぼろぼろだ。昔はきちんとならされていただろう敷地内も、雑草に瓦礫にゴミに……と酷い有様。
竜さんは目を細めて周囲を見回す。
「……クロの水鏡に映る範囲だから、此処から見えると思うんだけどな……」
その呟きを聞きながら、俺もあたりを見回す。工場。灰色の、三階建てぐらいの建物。大きく崩れている箇所がある。窓は幾つもあるが、その殆どが硝子が無い。割られているようだ。
「一階って言ってたしな。入ってみるか」
「はい」
竜さんが言うと同時に俺はずんずん歩き出す。手身近の入り口をがんと蹴飛ばし開け、そのまま侵入。
「小鉄!!」
叫ぶ俺の背後で竜さんがため息を漏らした。
「お前――結構過激だな」
「小鉄の無事を確認するまでは乱暴にもなります」
「……据わった目は怖いんだけど」
竜さんの呟き無視。
構っちゃいられない。
「小鉄、居るなら返事して!」
俺たちが入った場所は少し広い、入り口間際のロビーと言う感じの場所だった。
ドアの殆どは壊れていて――一番奥に妙に暗い部屋がある。
「――向こうか」
竜さんがそう行って、愛刀を袋から取り出した。
………え?
「……か、刀が必要になる事あるんですか」
「こういう古い場所には集まるからなー」
「小鉄危ないんじゃないんですかっ?!」
俺は自分でも信じられない速度で奥の部屋に向かってダッシュ。
妙に薄暗いその部屋に、小鉄の名前を叫びながら踏み込む。
ぞわり、と。
闇が俺の足に絡みついた。
「っと!!」
慌てて一歩下がる。
部屋が薄暗かったんじゃない。
部屋に、暗い何かが居る。
「小鉄!!」
叫ぶ。
小さく。
ふみゃん、と、猫の声がした。
居た!!
此処に居るんだ!
「あー、やっぱり溜まってたか」
竜さんが刀を持って俺の横に並ぶ。
彼に焦った様子はない。
「ま、五郎下がってろ。まずは弾く――」
竜さんが何やら言ってる。
が、俺は正直、かなり頭に来ていた。
部屋の黒。それを睨み付ける。
「――ふざけるな」
自分でも信じられないぐらい低い声。
踏み込む。
足に絡みつく黒い何かを、もう片方の足で力いっぱい踏み付ける。
ぎち、と変な悲鳴が聞こえた。
俺の足下で黒い何かが千切れ、消えた。
「廃工場に集まってぐだぐだしているようなだけのヤツが、俺の小鉄に手を出すなっ!」
怒鳴る。
闇が、薄くなった気がした。
「退けろ、馬鹿野郎っ!」
自分でも何を言っているか分からなかった。
分からなかったが、効いたようだ。
ぞわぞわ、と黒い何かが部屋の隅に引っ込んでいく。
部屋が明るくなる。
さほど広くないその部屋。元は事務室か何かだったのだろう。部屋の隅には倒れた棚があった。
その棚の横。窓際に、男の子が一人蹲っていた。
そして。
みゃん!!
可愛らしい、猫の声。
俺は慌てて窓際に駆け寄る。
両腕を伸ばし、その気配を受け止めた。
「小鉄!!」
みゃあみゃあみゃあ。
力一杯鳴く声。
小鉄だ。
俺の小鉄だ。
「もう、小鉄、どうしてこんな所に居るんだ。俺、心配したんだよ? もう勝手にどっか行っちゃ駄目だからね」
「……あのー、五郎?」
何だか凄い立場が無いような声で竜さんが言う。
俺は小鉄を抱き締めたまま軽く振り返った。
「何ですか、俺と小鉄が感動の再会してるってのに」
「そのガキをまずどうにかしてから感動の再会しねーか?」
竜さんは使う事が無かった愛刀を袋に戻しながら続ける。「死ぬぞ」
みゃ、と、同意するように小鉄が鳴いた。
俺は蹲る子供に視線を送る。
目を真ん丸に見開いて、がちがち震えていた。
見るからに衰弱してる。
「だ、大丈夫っ?!」
今更ながら俺は慌てる。
男の子の身体を抱き上げるが、ひどく冷たい。
本当に、ヤバイかもしれない。
その子は俺の顔を見て少し表情を和らげたが――何故か俺の背後を見て凄まじい悲鳴を上げた。
俺の背後。
居るのは竜さん、だけだ。
「………?」
「まぁ、クロの水鏡に気付いたってガキだから、俺の事も別に見えてんのかもな」
「……」
色々突っ込みたくなったが、後にしよう。
携帯電話で救急車を呼ぶ。
電話している俺の横で、竜さんは大あくびをひとつして、「眠」なんて呟いていた。
結局。
話はこういう事だった。
親に拾った猫を捨てて来いと言われたあの子は、とりあえず元居た場所に子猫を置いた。
だけど心配で離れられなかったらしい。
そこを通りかかったのが俺と千葉さん。
誰かに拾われたのを確認したが、ちゃんと飼ってくれるか不安だったので、あの子は俺たちを付けたようだ。
取り合えず家に入るのを確認して――そこからあの子は困った。
家に帰りたくなかったらしい。怒鳴った父親と味方してくれなかった母親。二人を困らせるつもりで、一晩ぐらい帰らない事にしよう、と企んだらしい。
そして白桜荘の近くの廃工場に忍び込み――変なものに掴まった。
……いや、正しく言うと、『掴まりかけた』。
あの子が言うには『声だけの猫』が現れて、一晩中、その変なものを威嚇してくれたらしい。
「小鉄、頑張ったんだね」
にゃおん、とご機嫌に鳴く小鉄の、多分、背中辺りを撫でた。
「でも、何処かに行く時は俺にちゃんと言ってほしいな。心配したんだから」
皆、皆、心配したんだよ、と俺は小鉄に囁く。
小鉄はにゃん、と少し神妙に聞こえる声で返事をした。
それから、もうひとつ。
あの、三毛と茶トラの子。
結局、あの男の子の家が引き取る事になった。
あの男の子は意識を戻してからずっと「猫が、猫が」と親に言い続けたらしい。
猫が守ってくれた、と言う発言を親がどう認識したか分からない。
分からないが、白桜荘に子猫が引き取られている話を聞いて、親御さんたちが譲って欲しいと言いに来たのだ。
寂しくなるけど、しょうがない。
一泊二日の入院で元気を取り戻した男の子と、俺は白桜荘の外で会った。何故か茜さんがあの男の子を白桜荘に入れる事を嫌がったのだ。
子猫二匹が入ったダンボール。
お父さんとお母さんは俺に何度も礼を言う。
――一応、偶然迷い込んだ俺の飼猫が、男の子を発見した、と言う事にしていたから、だ。
だいたいは間違いは無いから、まぁ、いいか。
ひとしきりの挨拶を終えて、俺は改めて、男の子にダンボールを差し出す。
子猫、二匹。
生きている猫。
小鉄とは違う。だけど、小鉄のように可愛らしい存在。
俺は男の子と視線を合わせた。
「ひとつ、約束してくれるかな」
「……何?」
男の子は不安そうに俺を見る。
俺は笑って、でも目を逸らさずに言った。
「何があろうと、この子たちを守るって約束して」
俺は心で付け加える。
俺が、小鉄を守ろうとした時のように、何があろうと、守ると約束して欲しい。
何があろうと、何を失おうと、守るって、約束して欲しかった。
……流石にそこまでは言えず、男の子が「うん!」と元気良く頷くのを笑顔で見ていた。
また後日、改めてお礼に伺うと言うご両親をやんわりと断って、俺は一人、白桜荘に帰った。
帰宅して、食堂で竜さん捕獲。
此処で色々と突っ込むべきなのだろうが。
……何となく面倒になった。
「黒川さんが小鉄を見つけてくれたんですよね」
「おお」
「お礼言いたいけど――今日は無理ですか」
外は快晴。
竜さんは食堂のテレビを見ながら「寝てんじゃね?」と適当な返事を返してきた。
……そうか、雨の日以外は寝てるのか。
やはり白桜荘七不思議ふたつめ確定。
水鏡とか何だか聞き覚えの無い単語も出てきたが――うん、やめておこう。
あの子がどうして竜さんを見て激しく怯えていたのかも知りたいが――これもパス。
俺も神経麻痺ってきたのかもしれない。
「なぁ、五郎」
「はい?」
「お前、意外と根性あるじゃねぇか」
「…………」
ちょっと考える。
「……工場の事ですか?」
「おお」
「小鉄が変なのに攫われているかと思って頭に来てたんで、つい」
基本平和主義者なんだけどなぁ、と言いたいけど、よく分からないものを踏み千切った時点で平和主義者でもなんでもないな、俺。
ため息付きつつ、お茶を用意した。
竜さんも飲みたそうに湯飲みを揺らすものだから一緒に用意した。
同じ食卓テーブルに付いて――俺は吐息するように言った。
「あの子たち、幸せになれると思いますか」
「なれるだろ」
竜さんはあっさりと即答する。
俺が淹れた日本茶を美味しそうに飲みながら。
「心配すんなよ」
「……はい」
そうだよな。
信じるしかない。
ふみゃん、と小鉄が俺の足元にすり寄ってきた。
可愛らしい鳴き声の方を見て微笑んで、立ち上がる。
「小鉄も牛乳飲む?」
にゃぉん! と元気の良い返事が返って来た。
その声を聞いて、俺は自然、心から笑えた。
終
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