第2話・幽霊猫と雨の夜

 にゃん、と可愛らしい小鉄の声で目が覚めた。

 薄手のカーテンから差し込む光は既に高い。

 どうやらかなり寝坊したらしい。

 背伸びしつつ身体を起こせば、俺の周囲で鳴きながら飛び回っていて小鉄が改めて自己主張。

「おはよう、小鉄」

 呼びかけにベッドの上に飛び乗ってきた。すり、と俺の身体に擦り寄る気配。その気配に顔を寄せると、顔にももうひとつ擦り寄る気配。

 子猫の毛並みは感じない。

 感じるのは空気の動き。その程度のものだ。

 まぁ仕方の無い事だ。

 小鉄は幽霊なのだし。

 仕方の無い事だ。

 俺はそう考えながらもうひとつ大きく身体を伸ばした。





『幽霊猫と雨の夜』





 軽く身支度を整え、顔を洗おうと一階にある共通の洗面所へと向かう。

 二階にも一応トイレと簡単な洗面所はあるのだが、どうもあそこは薄暗くて好きになれない。この白桜荘に来て一週間だが、数えるほどしか二階のは使ってない。

 この白桜荘は元病院の変わったアパート。地上二階、地下一階の建物。地下は「物置に使ってるから入っちゃ駄目ですよ」と管理人さんに言われている。

 古いながらも綺麗に掃除された階段を、ぱたぱたとスリッパの音を響かせて降りる。その音に混じるように、小鉄のご機嫌の声が聞こえた。

 小鉄はすっかりとこのアパートに馴染んでいる。

 幽霊猫である小鉄を、此処の住人さんたちはまったく恐れない。むしろ可愛がってくれている。

 良い部屋を見つけたなぁ、と改めて嬉しくなった。

 一階に降り立ち、そのまま、隅にあるお風呂場、そしてその近くの洗面所に向かう。勿論、手には洗面道具。家賃が安い代わり、風呂、トイレ、洗面台、台所は共通となっている此処。何、家賃は激安。文句は言えない。

「――あら、基樹さん、おはようございます」

 可愛らしい声が俺――大野 基樹の名を呼んだ。

 そちらに向き直り、明るい笑みに笑い返す。

「茜さん、おはようございます」

 桜井 茜さん。此処の管理人さん。小柄で可愛らしい女性で俺とたいして変わらない年齢に見える――が、此処のちゃんとした管理人。

 束ねた長い髪を揺らし、エプロンで手を拭きながら茜さんが駆け寄ってくる。

「御飯、どうします?」

「あ、いえ――朝ごはんの時間過ぎてるでしょう」

「あまりものでよければ、御用意しますよ」

 笑顔で言われて、俺よりも俺の腹の虫が元気良く返事。

 茜さんはくすくすと笑いながら、「あとで食堂に来て下さいね」と立ち去った。

 



 食堂は玄関入ってすぐ。元待合室の大きな部屋にテーブルやらテレビを運び込んで作り上げている。今はキッチンとなっている部屋は、元診察室だそうだ。キッチンにはもうひとつドアがあって、そちらは薬品が納められている調剤室だそうだ。こちらも入っちゃ駄目と言われている。

 食堂に入るとすぐに茜さんが姿を見せた。

 キッチンと何度か移動して、テーブル上に御飯、味噌汁、卵焼き、煮物、簡単なサラダと言う御飯を並べてくれた。

 全然あまりものじゃない。

「小鉄ちゃんも何か食べる?」

「あ、小鉄は――」

「じゃあ、牛乳を用意してあげる」

 皆まで言わずとも茜さんはすぐに悟り、更に牛乳を用意してテーブル横に置いてくれた。

 すぐに小さな水音が響く。

 幽霊ってのは、固形物は食べられないが、何故か水やら牛乳は摂取出来るらしい。

 小鉄が美味そうに牛乳を舐めている音を聞きながら、俺はぱん、と両手を合わせた。

「いただきます」

「はい、どうぞ」

 茜さんが嬉しそうに答えた。



 食事をしながら俺はふとテーブル上に目を止めた。

 お菓子。

 箱に入れられた、手土産に丁度良いようなお饅頭だ。

 それは俺が此処に持ってきたもの。

 新しくこのアパートにやってきて挨拶周りをしようとした所、茜さんが困ったように言った。

――あのね、此処の皆さん、時間が凄く不規則で……。それになかなかこのアパートに帰ってこない人も居るの。

 部屋に挨拶周りをしたら逆に迷惑掛けそうな雰囲気。

 でも挨拶したいし、と考え込む俺に、横で話を聞いていた竜さんが、テレビを見ながら言った。

――此処のテーブルにでも手紙付けてあげておきゃあ、皆見るし、喰うだろ。

 それに、と竜さんは付け加えた。

――一日二日で居なくなる訳じゃねぇ。長く居るなら、皆にいつか会うだろ。無理に挨拶して回る必要もねぇ。

 竜さんの意見に。

 俺は、素直に従う事にした。

 お饅頭の包装を解いて、箱のまま、簡単な手紙を付けて食堂のテーブル上へ。

 その準備をしている横で、竜さんが二個目のお饅頭に手を伸ばしていた。



 そのお饅頭。

 俺が最初に付けた手紙以外に、別の紙が箱の下にある。

「………?」

 丁度食事が終わったので、俺は身体を伸ばしてその紙を取った。

 二つ折りされた白い紙。開いたなら、ボールペンで書かれたらしい綺麗な文字が見えた。





『お饅頭ご馳走様でした。美味しかったです。

 近い内にご挨拶に伺います。


      黒川 水生』





 ………みずき? みお?

 綺麗な字だけど、女性の字ではない。男性の字だ。なら、みずき、さんかな?

 手紙を読む俺の視線の中に腕が入った。

 お饅頭を遠慮なく握る手。

「……竜さん」

 手の持ち主の名前を呼ぶ。

 思わず半眼。

「竜さんが一人で食べてませんか、ひょっとして」

「賞味期限前に消化してやってんだよ」

「まだまだ余裕ありますよ!」

 俺の前に立つのは、お饅頭の置き場所を教えてくれた、そして、このアパートを紹介してくれた竜さん。

 初めて会った時気付かなかったが、この人も髪が長い。男の人だが、尻尾のように首の後ろで結んだ金髪が、背中の真ん中ぐらいまで伸びている。

 そして、常に持っている紫色の袋に入った長物。

 とんとん、とリズムを取るようにその袋で己の肩を叩いている。

 蒼い瞳を細めて、テーブルに乗っていたリモコンでテレビを付けた。

 チャンネルをころころ変えて――子供向けアニメで止めた。

 ……見る気、か?

 レースだらけのワンピースを着た少女が、何故か日本刀構えて敵らしい相手に立ち向かっている。

「……」

 竜さんは椅子を引いて腰を下ろしている。腕を組んで、真面目に鑑賞の姿勢。

 ……と、とりあえず皿を下げよう。

 ご馳走様でした、と手を合わせて呟いて、キッチンに皿を下げる事にした。

「――おい」

 キッチンから戻ると竜さんの呼びかけ。

 何故か膝の上を撫で回している竜さんの動き。

 よく耳を澄ますと、ごろごろと甘えた声がする。小鉄が膝に乗っているのだ。

「これからどうするんだ?」

「折角の日曜日ですから――少し辺りを見てこようかと」

 この辺りに何があるのかも知らないのだ。

 ふぅん、と竜さんは頷く。相変わらずアニメから視線を外さない。

「……構えがなってねぇなぁ」

 酷く真面目な口調で感想を呟く。

 呟いて、俺を見た。

「雨が降るから傘を持っていけよ」

「雨?」

 窓から外を見る。

 夏の匂いを残した、青が透き通るような良い天気だ。雨の気配は微塵も無い。

「祭りが近いから雨が降る」

「……は?」

「説明面倒。とりあえず傘持ってけ」

 はぁ、と不明瞭に答える。

 傘なんてあったかな……。引越しの際に古い傘を捨てた記憶が残ってる。出かけのついでに何処かで買って来ようか。

 考え込む俺に向かい、竜さんの言葉が続く。

「雨降るし――まぁ、とりあえず、気を付けろ」

「雨以外の何に気を付けろ、と?」

 竜さんの視線は再びテレビ。エンディング曲を流している。

 意外と悲壮感の漂う曲だ。

「まぁ、色々だ」

 祭りが近いからな、と、意味不明の言葉を繰り返した。

 気付いたら、ごろごろと言う小鉄の鳴き声は止まっていた。

「……小鉄、寝てます?」

「ああ、腹見せて転がってる」

「そのまま眠らせてやってくれます?」

「目が覚めてお前が居なかったら捜すぞ、タマ」

「タマじゃないって」

 思わず突っ込み。本当にこの人は名前を覚えようとしない。

 ……そんな人だが、何故か小鉄は懐いている。

「じゃあ、小鉄の事、お願いします」

 軽く頭を下げて、外出の準備をする為に自室へと向かった。






 アパート周辺。

 チェックするもの――は、基本はコンビニ。それから猫砂が安く売ってる場所。

 小鉄は幽霊猫だから本来ならばトイレは使わないのだが、砂を掘るのが大好きなのだ。しかも一定時間が過ぎると砂を変えろと訴えだす。

 意外と猫砂は重い。そして嵩張る。

 近場に売っている場所があるならそれをチェックしない手はない。

 あとはこまごまとした日用品が売っている店もチェックしておきたい。

 それから――それから。

 最重要。

 小鉄と散歩に行ける場所。

 静かな公園とか、神社などが良い。人があまり来ず、小鉄が甘えた声を出して走り回っても誰も気にしない場所。そういう場所を探しておかないと。

 幸い、この周辺には古くから住んでいる人が多いのか、あまり開発が進んでいないような様子。通勤途中に見ただけでも、良さそうな森や公園が幾つもあった。

 小鉄が気に入るようなのがあれば良いけど。

 俺はぶらぶらと歩き出した。



 徒歩圏内にコンビニふたつ。スーパーひとつにホームセンターひとつ。

 うん悪くない、と、パソコンでプリントアウトした地図に書き込みながら呟く。

 思った以上に便利な土地だなぁ、此処。

 本当良い場所に住めた。

 自転車買わなきゃと思っていけど、それは暫く後で済みそうだ。

 後は――

「………」

 ふと顔を上げた俺の目に、よく茂った木々が見えた。

 少しばかりの高台。良い感じの森がある。

 視線を前に向けると、石段。

 神社のよう、だ。

 アパートからの距離を思う。さほど遠くない筈だ。散歩には丁度良いかもしれない。

 思ったより段数の多い石段を上り、一番上へ。

 結構な広さのある神社だ。石畳が一番奥、本殿まで伸びている。その左右には木々。

 空気が綺麗だ。

 何となくそう思わせる雰囲気の、場所。

 小鉄、気に入ってくれそうだな。

 悪くない。

 ぼんやりと辺りを見回して、ただ立ち尽くす。

 気付けば随分とその神社に居た。

 そろそろ帰らないと。腕時計を確認するともう夕方に近い。

 きっと小鉄が心配しているな。




 ――おかしい。

 暫しの後、俺はその言葉を繰り返す。

 口に出してこそ呟かなかったが、おかしい、と。

 日は既に落ち、夜。月も星も無い真っ暗な夜だ。電灯がぽつぽつと道路左右に並ぶものの、完全に道を明るくしてくれている訳ではない。逆効果。光の届かない場所に淀む闇を作り出す。

 気付けば早足の俺は、ただ歩き続けた。

 帰れないのだ。

 神社からアパート。そんな距離ではない。歩いて――幾ら掛かっても十数分程度の距離だ。

 それが帰れない。

 何度も、何度も。

「……まただ」

 神社の前に辿り着く。

 鳥居を見上げ――ぶるりと身を震わせた。

 脚が震えている。これは恐怖ではなく、ただの疲れ。

 俺は自棄になって石段に座り込む。

 ……小鉄、寂しがってないかな。

 あのアパートなら誰かが居るだろうから本当に寂しい思いはしないだろうけど、小鉄は俺が長い間傍に居ないと不安で探し出す。

 妙に高い、親を呼ぶ子猫の声。

 何とか昼間、俺が働きに行っている間は耐えられるようになったのだが、夜に俺が居ないと不安でしょうがないらしい。

 俺は頭を抱えてため息。

 俺、いつの間にこんな方向音痴になったんだ?

 ……もうひとつの、ありえない可能性も頭の中にあったのだけど、出来るだけ考えないようにしていた。

 ――俯いていた俺は、それに気付き顔を上げた。

 冷たい。

「……雨」

 俺の呟きに応じるように、ぽつん、ぽつん……だった雨が勢い良く降り出した。

 一瞬迷い、石段上の神社を見上げる。

 本殿。屋根がしっかりあったあそこならば、雨宿りには丁度良いだろうけど。

 けど、何となく――行けなかった。

 俺は立ち上がると走り出した。

 今度こそ帰りつきますように。

 祈りながら。





 雨の降りはどんどん酷くなる。

 走り続ける俺の足下で雨水が跳ねる。スニーカーは既にびしょびしょだ。

 それでもアパートは見えない。

 神社らしい石段が視線の端に見えたが――見ないフリをした。

 暗い。酷く暗い。

 外灯の灯りさえ、そして、家々の明かりさえない。

 此処は――何処なのだろう。

 息が切れる。雨は冷たいだろうに、身体は熱い。熱く、重い。

 もう駄目だ。

 俺は足を止めた。もう走れない。

 荒い呼吸を続け、それから、顔を上げる。

 目の前に石段が見えた。

 熱かった身体が急激に冷えた。

 雨の音。

 それに混じって――微かな音がする。

 誰かの足音?

 いや違う――何かが、這い、忍び寄るような。

「……っ……?!」

 振り返る。

 闇が淀む雨の夜。

 何も居ない。いや、何も見えない。

 だけど、だけど、『何か』が居る。

 『何か』が俺を狙っている。

 気のせいじゃない。既に確信。

 俺を此処から逃がさないと、『何か』が。

「……」

 どうする?

 どうするって言っても、相手が何かも分からない。

 逃げるしかない。

 此処で立ち尽くしてその『何か』に掴まるよりも、死ぬまで逃げた方がマシだ。

 俺はその気配の反対側に向かって走り出した。

 走り出した俺に従うように、その気配も動き出す。

 走る。

 早い。

 俺の体力は既に限界。

 追いつかれる。

 振り返る余裕なんて無い。だけど俺の頭の中には、『何か』が爪を伸ばして俺を捕らえようとしている様が浮かんでいた。

 爪が、俺に。

 何度も繰り返される左右の風景。

 その風景に初めて、異なるものが混じった。

 最初は何か気付かなかった。

 その人は黒いパンツを穿いていたものだから、完全に闇に溶けていたのだ。

 かなり接近してようやくその人物に気付く。

 微かな笑い声が聞こえた。

 苦笑、のようだった。

「――祭りが近いからと言って少し元気が良過ぎるよ、君たち」

 柔らかい声が『何か』に呼びかける。

 優しい声なのだけど――妙な迫力がある。

「それに第一――この人は贄ではない」

 そう言いながら、持っていた傘をすっと上げる。黒い傘。闇に溶ける原因、ふたつめ。

 浮かび上がるように見える白いシャツ。その上に同じぐらい白いのでは無いかと思える顔があった。

 眼鏡の温厚そうな男性だ。

 彼は俺に向かって笑いかけ、黒い傘を差し出した。

 


 にゃん、と。


 声がした。

 差し出された傘の下、俺の胸に飛び込んでくる気配。俺のすぐ背後に存在する『何か』の気配とはまったく違う、慣れた、可愛らしい気配。

 俺の腕の中、その愛しい気配は精一杯喉を鳴らしている。

「小鉄……」

 安堵の息と共に小鉄の名をゆっくりと吐き出す。

 全身から力が抜けた。

 俺の様子に、眼鏡の男の人はもうひとつ笑う。

 俺に傘を渡すと、その人は俺の背後に再び声を掛けた。

「さぁ、帰るんだ。僕は何ひとつ許していない。早く帰りなさい」

 強い口調。

 俺の背後の気配が動き――そして引いていった。

「あ、有り難うございます」

 何が何だか訳が分からないが、どうやらこの人に助けてもらったのは事実。

 それに小鉄。

 ……誰、だろう?

 眼鏡の奥の瞳を優しく細めて、その人が言う。

「お饅頭のお礼だよ」

 笑顔。「美味しいお菓子を有り難う、基樹君」

「………」

 お饅頭?

 って事は。

 暫くの間相手を呆然と見て――俺はようやく口を開く。

「……ど、どのお部屋の方ですか」

「ああ、黒川。二号室の黒川 水生だよ。初めまして、それから、今後とも宜しく」

 黒川さんの下のお名前が、『ミオ』だと此処でようやく知った。

 雨はいまだ降る。

 髪も服も濡れているのに黒川さんは笑顔のままだ。

「あ、傘――」

「いいよ、雨は好きだから」

 小鉄ちゃんが嫌がるから差して来ただけだから、と相変わらず優しい表情。

 俺と小鉄を見て「さぁ」と促す。

「帰ろうか。晩御飯の時間はとっくに過ぎてるよ」

 言って、黒川さんは俺に背を向ける。

 外灯は夜の道路を照らしていた。左右の家々からは生活の灯りが漏れている。

 俺の腕の中では、小鉄が喉を鳴らす。

 雨はまだ続いているが、黒川さんと小鉄の登場で、世界はすっかりと現実へと戻った。

「………」

 黒川さんの後ろを着いて歩きながら、俺は傘の影で小鉄に頬を寄せた。

 身を寄せてくる気配に、もう一度、安堵の息を吐いた。






 数日後の夕方、竜さんに「クロが言ったなら大丈夫だろ」と言われて神社にやってきた。

 ちなみに、竜さんは黒川さんを『クロ』と呼んでいた。ちゃんと名前――通称だとしても――で呼んでもらえている人も居るんだ、といまだ五郎呼びの俺は考える。

 石段の上。前には気付かなかった小さな石碑があった。この神社の名前が刻まれているそれ。



 『黒川神社』



 …………黒川さんって神社の関係者なのかな。

 小鉄はご機嫌の声を上げて走り回っている。

 ふらふらと歩けば、本殿近くに今度は看板が立っている。この神社の由来が書かれている。随分と読み難くなったそれに目を通した。



 

 昔々。

 この辺りは竜神が住んでいました。

 竜神はよく空を飛び、そして雨を降らしていました。

 しかし雨は幾日も続き、折角育った作物さえも腐らせてしまいます。

 そこでとある若者が空を行く竜神に訴えました。

 若者の真摯な訴えに耳を貸した竜神は、己が空を飛ぶ事で雨が降るのを考え、もう決して空を飛ぶ事をしなくなりました。

 そのおかげで作物は立派に育ち、感謝した若者と村人たちは竜神を祭る神社を作ったのです。

 神社が作られたのをとても喜んだ竜神は、年に一度、決まった日にだけ、空を飛んで神社を観に来ます。

 その為、現在でも、祭りの日には雨が降るといわれています。




 ………祭りの日が近い、って言ってたな。

 それから、祭りが近いから雨が降る、って。

「……えーと」

 考え込む俺の足元に小鉄が駆け寄ってきたようだ。抱き上げろ、とジーンズの裾を引っ張ってくる。

 抱き上げる、と言うよりも手を地面に向けると気配が寄ってくる。それを抱き上げるだけ。

「……そろそろ帰ろうか、小鉄」

 にゃん、と小鉄は可愛らしい声を上げた。




 アパートに戻ると、門の所で竜さんと行き合わせた。相変わらず紫色の長い袋を持っている。本当、何が入っているのだろう?

「おお、おかえり」

「はい、ただいま」

 返事をし、横に並ぶ。

 玄関までの短い距離。俺は迷いながらも問い掛けた。

「あの、黒川さんは――」

「さぁ、部屋に居るんじゃねぇか。あいつ、雨の日しか出てこないから」

「…………」

 思わず沈黙。

 ふん、と竜さんは鼻を鳴らし、手を伸ばした。

 玄関のドアを開く。

「変わったヤツだけど悪いヤツじゃねぇ。仲良くしてやってくれよ」

「はい」

 色々と考える事はあるが、俺を助けてくれたのは事実だし。

 それに。

「小鉄が懐く人に悪い人はいません」

 俺の返事に竜さんは、にやり、と唇を曲げて満足そうに笑った。

 笑みのまま、俺に背を向けた。

 それでも、手は俺が入る為にドアを押さえてくれている。

「有り難うございます」

 礼を述べ、先に小鉄を床に下ろしてアパートの中に入らせる。小鉄は喜んで中に入っていった。

 小鉄はこのアパートが本当に気に入ったようだ。

 此処に住む人で悪い人は居ない。

 それは小鉄が保障してくれている。

 なら、大丈夫だ。

「そう言えば、竜さん、お祭りっていつなんですか?」

 俺は笑顔で先行く竜さんに問い掛けた。

 竜神のお祭りってのを、是非、見てみたかった。



                        終

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