外伝1・幽霊猫が来る前に


「――何やってんだろ」

 竜 真之介は愛刀の入った袋で己が肩を軽く叩きつつ、そう呟いた。

 彼の視線の先は住処としている廃院を改造した古アパート、白桜荘。そのアパートを囲む高い塀相手に、女が一人、悪戦苦闘している。

 どうやら塀に紙を貼りたいらしい。

 女の名前は、桜井 茜。この白桜荘の管理人である。

 小柄な彼女は、紙――どうやらポスターか何かのようだ――を貼りたいようなのだが、その紙があまりにも大き過ぎ、巧くいかないらしい。

 竜の見ている前でも数度目の挑戦。

 で、紙が落ちてきてそれに絡まり、のんびりとした声を上げている。

 悲鳴のつもりらしいその声に、住人としては手伝ってやるべきかと思い、竜はようやく動き出した。




『幽霊猫が来る前に』




「何やってんだ、管理人」

「あ、あら?」

 小柄な彼女が振り返り、ついでに首をかなり上げて竜を見る。

 両手はぺたりと塀に張り付き、随分と低い位置でポスターを押さえていた。

「あら、竜さん、お帰りなさい」

「おお、ただいま」

 素直に返事をし、それから顎でしゃくる。

 ポスター。

「……新しい入居者捜すのか?」

「そうなの」

 茜は笑顔で頷いた。頷いた拍子に押さえていた手がずれてポズターが滑り落ちる。慌てた彼女はポスターを地面に落とさない為にかなり怪しげなポーズを取る。

 踊っているようだ、と内心、竜は考えた。

 茜の手からポスターを取り上げ、改めてそれを広げる。

 紙はカレンダーの裏側。

 書かれている文字は太字で大きく、「入居者求む」。家賃云々、部屋条件は幾分小さな字で丁寧に書き込まれている。

「なかなか上手に出来たでしょう?」

「だな」

 得意げな茜にとりあえず頷いてやる。

 頷き、続けた。

「呪われたアパートとか副題付きそうだだけどよ」

 つるつるしたカレンダーの裏側に、どうやら筆と墨を用いて書いたようだ。墨が流れに流れてどう見てもホラー映画のような文字になっている。

「どうせだったら紅い字の方がよくねぇか? もっと呪われそうだ」

「白桜荘は呪われてませんよぉ!」

 茜は彼女なりの怒鳴り声でそう言い、竜の手からポスターを奪い去る。

 そしてまた悪戦苦闘。

 そのポスターを貼って本当に入居が来るかどうか分からないが――まぁ、それでも。

 茜の気が済むならいいか、と竜は後ろから手を伸ばした。

「ガムテープで貼る気か?」

「はい」

「ポスター押さえててやるから、ほら、早く」

 ガムテープを切って寄越せ、とポスターを片手で押さえながら言う。

 ちなみに愛刀はちょっと塀に立てかけた。

 横から差し出された小さく切られたガムテープで四墨を固定。

 そして、実に呪われそうな勧誘ポスターが塀に貼られた。

「有り難う、竜さん」

 にこにこ笑顔の茜の横で、やはり何だか新しい入居者なんて来ないような気がするなぁ、と悪霊でも出てきそうな文字を見ながら思う。

「八号室、もうずっと空いてるでしょう? 私、寂しくて」

「……今のままでも十分賑やかだと思うけどな」

「うん、今でも凄く楽しい」

 茜の笑みは穏やかで優しい。

 瞳を閉じて――過去を、遠い過去を思うように。

「私がこんなに幸せな気持ちになる事を許されるなんて、思ってもみなかった」

「………」

 とん、と竜は茜の頭に片手を置く。

 子供みたいにさらさらした黒髪を撫でると茜は嬉しそうな笑い声を零した。

「竜さんも、みんなも凄く優しいし、私、幸せ」

「……」

「だけど、もう一人増えたら、もっと楽しいと思う。もっと嬉しいと思う」

 そこで茜は瞳を開いた。

 視線。向かう先は、門に取り付けられた看板。

 『白井病院』と書かれた、それ。

 いまだ茜が取り外さない、金属製の看板だ。

「……そっちの方が、白井先生も喜んでくれると思うし」

 竜は茜の視線を真似るようにそのプレートを見た。

 ――やがて小さく頷いた。

「そう、だな」

 口元に、少しだけ、笑み。「誰か居たら――俺も声を掛けてみる」

「本当、竜さん?」

「日本男児に二言は無い」

 ぐしゃり、と頭を撫でて茜の頭から手を離す。

 茜の癖の無い黒髪は、幾ら乱暴に撫でられても乱れもしない。

 その黒髪と、茜の嬉しそうな表情を横目で見ながら、竜は壁に立てかけたままだった愛刀を手に取った。

 茜にはこう言ったものの、知人は少ない。

 さて、どうしたらよいものか、と考える。

 運よく部屋を探しているような輩に出会えると良いのだが。



 しかも、『この』白桜荘に入居できるような逸材が。


 見つかりゃいいけど。

 と、竜はこそりとため息を付いた。




 ――幽霊猫小鉄とその飼い主基樹が、白桜荘にやってくる、一週間前の話である。




                        終

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