新選組軍師伝
備成幸
新選組軍師伝
田舎もンでもお国のために働ける、そんな世の中になったんだ。京では江戸の侍のことを「関東の田舎侍」と言うから、その江戸からも低くみられる奥州仙台の百姓が京で名声を高められるなんて夢のような話。
僕、新選組に入って良かったと思っております。
「良作、早く来ないかね」
「はい、ただいま参ります、先生」
「お前はいつもぐずぐずしておるな。切腹させられるぞ、この木偶」
切腹すると血が出て痛いし、死んでしまうのでそろそろ行きます。
思えばあの日、江戸に出稼ぎに出ていた僕のもとに、土方副長と斎藤先生、藤堂先生を連れてやって来たのが始まりでございました。まだ二十五の僕ですが、最年少の藤堂先生なんかは僕の四つ下。何かしらお役に立てるはずだと思い、先生方に連れられて京へと向かった。都というのはやはり華やかで、故郷の奥州とは本当に済む世界が違うよう。そう思えば故郷の大海原や広がる田畑が浮かんできて多少懐かしい。
屯所は西本願寺と呼ばれる場所で、そこで僕も含めて二十六名の隊士志願者が待機させられる。皆さん新選組に応募するだけあって、強そうです。その後一人ずつ、ずっと眉尻が上を向いている永倉先生にそれはそれは重い木刀を持たされて、稽古をすることになりました。こう見えても僕は幼少の頃、新選組の礎ともなった「浪士組」を立ち上げた、清河八郎先生に剣を習ったこともございます。剣には少し、自身があります。
ぼこぼこにやられました。
思えば清河先生は「今に、君のような男が必要になる時が来るさ」と言ってくれました。あれは遠回しに、剣術が下手くそな僕を慰めてくれていたのですね。
新選組は家柄ではなく、実力のある者が上に行く仕組み。つまりは剣をふるえない僕では、この組の中ではまるで役立たずなのです。そして帰ろうと思ったその時、私は先生に拾っていただいたのです。
「おい、永倉。これが新入り隊士の顔ぶれかね」
永倉先生が嫌そうな顔をして「そうだが」と口にしました。
「ふむ。一人、私が召し抱えても構わんかね。人手が足りなくてね」
「それならコイツを連れていけ」
永倉先生が指名したのは僕でした。つまりは一番の貧乏くじを押し付けたんですね。
僕が従うことになりましたのは、新選組の文学師範を務め、さらには五番組組長を率いる文武の人。
武田観柳斎先生です。
「良作、この小生が早く来いと言っておるのだ」
「はい、ただいま」
僕の名前は斯波良作。新選組で文学師範を務めております。
「良作。こっちの書類はそっちの棚である、いい加減覚えたまえ」
「申し訳ありません」
僕は文学師範でありますが、武田観柳斎先生や伊東甲子太郎参謀のように兵学を教えるわけではなく、清国の言葉を教える役目でございます。と言っても僕はまだ新米隊士でありますので、一応は「師範」でありますが、隊士たちに講義などするわけではなく、主に書庫の整理が仕事です。
「先生、この書は」
「む。これは……仏蘭西の本は大概、伊東のモノだ」
「伊東参謀ですか」
おもむろに扇子を開いて、僕の手にした書にまとわる伊東参謀の匂いを遠くへ飛ばそうとする先生。今更ですが、先生は参謀のことがお嫌いです。
「仏蘭西流軍学だと? 武士の心を持つ日本人にそんなモノは似合わん」
「とはいえ先生、今どき弓や旧式の鉄砲を教えても戦で役に立つのでしょうか」
そりゃこんなことも聞きます。だって先生は時代遅れが羽織を着て歩いているようなお人ですから。よく聞くんです「あれは生まれる時代を間違えた」って。他でもない局長と副長の話を盗み聞きしたんですから、間違いないです。
先生は伊東参謀の書物で僕の頭を叩き、続いて畳んだ扇子を喉元に突きつけました。
「良いか良作。戦はな、より新しいものを学んでおけば良いというものではないのだ」
「ないのですか」
「ない」
ただ単に、武田先生が伊東参謀のことを嫌いだからそう言ってるのだと皆は言っています。
しかし先生だって一介の兵学者です。当然お考えあってのことでした。
「では、仮に我らが仏蘭西流の兵法だけを追い続け、戦になったとする。その時、どこに新選組と会津藩を含む、兵士全員が使う仏蘭西の武器があるというんだね」
確かに。今の会津藩と新選組の武器庫に一番多くあるのは刀や槍。伊東参謀の仏蘭西流軍学の講義に顔を出しましたが、その内容は当然銃の種類や使い方、陣形等で、刀や槍、弓の使い方については触れられませんでした。そう考えると、先生は一応時勢は読めているということでしょうか。
「言っておくがな、良作。小生だって、独学だがしっかりと諸国の兵法は学んでいるのだ」
「初耳です」
これを皆さんが知れば、先生も「さすが新選組の軍師」と言われることでしょうか。いや「やはり時勢に流されおった」と嘲笑されることでしょう。不憫な先生。
「越後流軍学に、楠木流軍学」
「先生、どちらも日本の兵法です」
「孫子に呉子を含む武家七書」
「清の兵法。それならば仏蘭西兵法にも対抗できますね」
「……は、清の言葉が分からんから諦めた」
全然諸国じゃない。というか先生にとっては、いくつもの藩でできている日本も「諸国」なのでしょう。やっぱり、先生は生きる時代を間違えたみたいですね。
さて、京に来て気づいたのですが、新選組は幕府の役人として働いている反面、伊東先生指導の下、尊王の意志が反映されております。
尊王をわかりやすく言いますと。
「別に幕府が一番偉いんじゃないよね。一番偉いのは帝で、みんなそれに仕える家臣だよね」
ということです。しかしこれは僕ら新選組も同じ。ではなぜ新選組が「尊王」を掲げる不逞浪士と戦っているのかというと。
「ああその理屈はよくわかってるよ。その帝を支える臣のまとめ役が幕府って話だろ」というのが我ら新選組の理屈。とはいえその裏には「帝よりも幕府の方が偉い」って思ってる人もいます。
「違うだろ、なんでお前らなんだよ。帝が一番上で、後のやつは皆平等のはずだろうが」というのが長州藩の理屈。とはいえその裏には「徳川なんかくそくらえ、俺らの天下にするぞ」って思ってる人もいます。
もっと細かく言えば、さらにこの思想から「開国」「攘夷」「公武合体」などいろいろあるのですが、今は省きます。皆さんで勉強してください。
ざっくり言えば、近藤局長らは前者、伊東参謀らは後者の理屈がしっくり来ているのです。そういう内部の亀裂が、昨今の新選組にはあるみたいです。固い絆で結ばれていた試衛館でも、藤堂先生は伊東参謀の影響を受けておりますし、噂では山南総長も尊王の意志があったとか。
そして先生はと言いますと。
「あーあ、小生は何をすれば一国を動かす存在になれるのだろう」
こんなことしか考えておりません。
「この頭脳、国のために活かさずしてなんとする」
先生の頭脳がいかほどなのかは僕もよく知りません。ですが、正直なところその思想が不幸を招かないかどうかが心配です。新選組の内部でさえ、少し口を滑らせれば切腹させられるかもしれないのに。
そういえば、武田先生は新選組では嫌われています。一つは、この喋り方。抑揚が腹立つんですって。
芝居がかった発音が妙に人を小ばかにしているようでイラっとくるらしく、そもそも一人称が「小生」なのがイラっとくるみたいです。
「小生は新選組の軍配者である」とは、先生が良く口にする言葉でした。監察方の山崎烝さんが「私は新選組の医者です」と言ったときにはみんな大笑いしていたのに、先生の時はみんな愛想笑い。
僕は別に気になりません。僕も奥州仙台の抑揚で「田舎もン」ってバカにされているので、先生のおかげで僕の存在が薄まります。
「良作。沖田の剣術指南がこれからあるだろう。顔を出しておきたまえ」
「ですが先生、書庫の整理がまだ」
「新撰組で学問は二の次、最も大事なのは剣術。顔を出さねば、小生のようになるぞ」
こう言っていますが、先生は別に剣術ができないわけではありません。それだけは誤解なさらないでください。
見た目はひょろっとした坊主頭で、西洋眼鏡をかけてます。だから皆さん「こいつは弱い」と思って、日ごろの鬱憤を晴らすべく稽古を申し込むのですが、そこそこ強いので敗れ去り、また皆さんがイラっとするのです。そのため先生は山南総長という人から「君は学問に専念したまえ」と言われたそうです。まあ、その総長はもういらっしゃらないので存じませんが。
その総長がいなくなった理由というのが局中法度と呼ばれるものでした。新選組には厳しい内部制度がございまして、先生に「死ぬ気で覚えろ」と入隊した初日に目が真っ赤になるまで覚えさせられました。
一、士道に背きまじき事。
一、局を脱するを許さず。
一、勝手に金策を致すべからず。
一、勝手に訴訟を取り扱うべからず。
一、私の闘争を許さず。
これらのことを少しでも破れば、切腹させられるのです。
百姓の僕でも武士らしく切腹して死ねるのはありがたいことですが、それでもやはり厳しいです。
しかし先生はと言いますと「そういうやり方もあるだろう」と軽く受け入れておりました。それがこの頃の新選組のやり方について疑問を持つ永倉先生や原田先生への亀裂につながったのです。しかし、人望のある永倉、原田と、人望のない武田。最初から勝負は見えておりました。
あ、別に僕は武田派というわけではないです。ただお仕えしているのが武田先生だから応援しているだけで、僕がもっと剣術ができて永倉先生に使われていたら、間違いなく武田先生の悪口を言っていたことでしょう。
これも以前、先生に訊きました。
「先生、どうしてこんなおかしい法度があるんでしょう」
先生はろうそくの火で夜な夜な兵学書に目を通していた時でしたので、少々鬱陶しかったやもしれません。しかし一応真面目に答えてくれるのが先生の素敵な所です。
「確かにこの法度は狂っている。だが新選組という集団の方が、もっと狂っている。この場所では、この法が分相応なのだ」
よくわかりませんでした。
「新選組は頭のおかしい人しかいないんですか?」
「そういうわけではない。だが、今までのやり方ではこの集団は明らかにまとまらないのだ。兵を動かすのに最も大事なのは統率力。新選組のような場所ではこれがちょうど良いのだ」
先生に「そういうもんですか」と返すと「そういうもんだ」と返ってきました。先生が一番嫌いな人間はバカな人なので、こういう話をするとちょっと嫌われます。その証拠に、眉間にしわが。そろそろ罵倒が来ます。
「良作。君ね、そんなことばかり言ってるんなら国へ帰りたまえ。新選組のためにならん」
「申し訳ありません」
来るとはわかっていてもやはり傷つきます。
「……なんでまた新選組なんかに志願したんだね」
「お国のためです。願わくば清河八郎先生のように、日本のために何かを成し遂げたいです」
「清河八郎とは大きく出たな。だが何をすればいいのかわからないから、とりあえず名の知れてる新選組に入ってみた。当たりだろ」
「当たりです」
これも先生の悪い癖。相手の考えを当てたがるんです。そしてだいたい当たってるのと、その後自慢げに笑うのが皆さんイラっと来るみたいです。
「先生、そういうことやるから嫌われるんですよ」
「良作、夢はあるかね」
「先生」
そうは言っても生真面目な人間ですから、こういうこと聞かれるとすぐ考えちゃうんです。
でも何も思いつきません。
「とりあえず何か、日本のために……」
「小生の夢はな」
「先生」
「良作、人が話している時は黙って聞きたまえよ」
土方副長なら怒って先生を蹴飛ばしただろうな。先生は少しも悪いと思っていないみたいです。
「小生の夢はなあ、諸国を見て回ることだ」
「諸国を見て回る」
それはそれは、また面妖な話だと思いました。一国を動かしたいと言っていた先生が、まさかその一国から出て行こうとするだなんて。
そう言うと扇子で頭をぶたれました。
「違うぞバカ。我が国をより良き国にするために、一度諸国を見て回るのだ」
先生は立ち上がると、坊主頭をぽりぽり掻きながら書庫の棚の奥に腕を突っ込んで、二冊の本を取り出しました。どちらも手垢まみれでボロボロになった兵学書です。
「越後流軍学書と、楠木流軍学書。手に入れるのに苦労したのだ」
「はあ。自慢ですか」
「馬鹿もン。小生は甲州流軍学を完全なものにするため、他の兵法も必死になって覚えたと言いたいのだ。一を学ぶためには、千を知らねばならぬのだ」
「それっぽいですね」
「うむ、それっぽいだろう」
二人してちょっと笑いました。思えば先生の笑顔はあまり見かけませんでしたね。
さて、僕が新選組に来てから、三月が経とうとしています。
昼間は新選組隊士としての鍛錬と見回り。夜は文学師範及び先生の弟子としての召使い。仕事は多いですが、少しも苦ではありません。しかしやはり、剣術の稽古は厳しいです。剣を持った沖田先生は鋭い目をこちらへ向けて、目にもとまらぬ速さで突きを繰り出します。防ごうとしても、僕の持つ竹刀はあっという間に吹き飛ばされてしまいました。
「甘いです。斯波君、もっとしっかり剣を握りなさい。次」
汗一つかかず、白粉を塗ったような顔で沖田先生が皆を片っ端から倒して行きます。
先生から「孤立しないように」と勧められた剣術ですが、僕はここまでやられていても楽しいです。最近仲良くなった人がおりまして、土方副長の下で旗持ちをやっておられるお人です。
名前は尾関雅次郎さん。
「沖田先生は、いつも凛としていますね」
「そうかな」
「雅次郎さんは目が細いからよく見えていないんですよ」
「…………そうかな」
いつも素っ気なく返事をしてくれる雅次郎さん。僕は彼が好きです、だって僕と同じくらい剣術ができないから。そんな雅次郎さんが、年下の沖田先生に叱られるのは少々見ていられません。
「尾関さん、相変わらず『下手くそ』ですよ」
「……申し訳ないです」
「相手の動きを深読みしすぎなんです。それと、その考えに足がついて行ってない」
沖田先生のやり方は、全員一通りぶっ飛ばしてから、一人ずつその悪い所を叱っていくというやり方でして。沖田先生を相手にすれば、あの永倉先生も藤堂先生も叱られています。
「加納君は剣先が毎回ぶらぶらしすぎです。山崎さんは逃げるばかりで攻めてこない。魁さんは力押ししすぎです」
とその時です。土方副長が入ってきました。
「総司。……今日の師範は斎藤に任せるって話だったぞ」
「あ、土方さん。聞いてくださいよ、皆さん全然ヘタッピなんですよ。どうしてこんな人たちばっかり集まっちゃったんでしょうね、帰ればいいのに」
沖田先生は試衛館の皆さんの前だと饒舌になります。
「総司。お前は…………まだ他の仕事があるんだから、さっさと来い」
「ケホ。はーい」
沖田先生が自分の手拭いと竹刀を投げ出して、土方副長についていきました。次いで副長の視線を感じたのか、雅次郎さんがそそくさと後を追います。
「……どうも副長、最近機嫌が悪ぃなぁ」
大柄な島田魁さんがどっかりと胡坐をかいて、汗の湿気を放ちながら首をかしげてます。最近というか、僕にはいつも機嫌が悪いように見えるのですが。
すると目が大きくて小柄な人がそそくさとやって来ました。山崎烝さんです。
「実はですね、やっぱり伊東先生とソリが合わないようで」
「だろうなぁ。俺も心配してたんだよ、それ」
山崎さんは魁さんや雅次郎さんと同じく監察役で、新選組の内部の情報には詳しいのです。
と、ここで僕ら三人の中に伊東参謀の懐刀・加納鷲雄さんが入ってきました。
「いやあ俺もね、それが心配なんだよ」
「鷲雄さんからも伊東先生にナントカ言ってくださいよ。副長が伊東先生のこと嫌いなのは明らかじゃないですか」
「そりゃ俺もね、何度も注意してるんだよ。でも聞きやしないんだもん」
伊東参謀というお人ですが、あの人はなんというか鬼才と天才を一緒くたにして、変態の中に放り込んだような人でして。つまるところ女装癖がありました。それが副長は嫌で嫌で。
「この前副長にぼやかれましたよ」
烝さんが周りの目を気にしながら声を潜めます。
「俺の相方はろくでもない奴ばっかりだって」
副長が参謀を相棒と思っていたのかは、副長と交流のない僕にはわかりません。恐らく僕が思い当たる中では、沖田先生や近藤局長でしょうか。
「兎角、伊東先生と土方さんがぶつからなきゃいいんだけどな」
しかし少なくとも参謀が新選組にはなくてはならぬお人だったのは確かです。
そして参謀が認められていくうちに、立場を無くしたのが武田先生です。この会話の中にも、先生の名前はどこにもありませんでした。以前はそこそこ話題にもなっていたのに。
今では「時代遅れ」と隊士の皆から笑われて、先生の講義を聞こうとする人はいなくなりました。こうなってくると、せめて僕くらいは、先生の味方でいてあげよう。この頃はそんなことを思っていました。
ちなみにこのことを先生に申し上げますと。
「馬鹿もン。伊東ごとき、この武田観柳斎の敵ではないわ」
「本当ですか」
「本当だとも。いざ戦になってみろ、あんなへなちょこは采配を投げ出すぞ。その時に小生の軍配をよく見ておくことだ」
「心得ました」
が、時代の波はうねります。幕府はその波に今にも飲み込まれそうです。幕府が飲み込まれそうということは、新選組はてんてこまい。新選組がてんてこまいということは、僕や先生が何かをどうこうできるような状況ではなくなりました。
この数年で、新選組内では脱走や仲間割れが相次ぎ、何人も死にました。中には僕の友人も。
そして、武田観柳斎先生も、ある朝ぽっくり死体が見つかりました。銭取橋という場所です。
先生が死んだ時、誰も泣きませんでした。むしろ、みんなが噴き出しました。
「聞いたか、観柳斎が死んだんだとよ」
と、若い皆が喜んでいるのは、腹が立ちます。
「あいつらめ」
立ち上がりましたが、すぐに気持ちが萎えて皆のいる場所を通り過ぎて廊下へ出てしまいました。
申し訳ありません、先生。僕はそこまで強い人間ではないのです。ここで一言申せば「裏切者に加担した奴め」と僕も命を狙われることでしょう。
先生、最期に僕らが話したことってなんでしたっけね。たしか。
「先生、薩摩藩と関係を持ってるって本当ですか?」
「馬鹿もン。お前はまた噂に流されおって」
「しかし先生、ならどうして荷造してるんです」
先生は咳払いして、僕の前に胡坐をかきました。先生のお気に入りの羽織は、なんか所も解れてしまっています。
「小生は、伊東に負けた」
僕のぽかんと開けた口から、色々こぼれた気がします。
「先生からさような言葉は聞きたくなかったです」
いつでも人を見下して扇子を広げていたあの姿は既になく、弱弱しく笑みを浮かべる坊主頭がそこにおりました。
「小生は新選組のために、いろんなものを投げ打ったのだ。その結果がコレだ」
先生の文机の周りには、いくつもの紙屑が転がっています。全て、先生への悪口が書かれています。
決定的だったのは、新選組がいよいよ幕臣として取り立てられた際、先生が出世することに対し、永倉先生と原田先生が異議を申し立てたことです。それだけならいつもの事だったのですが。
「確かに、局長はあまりにあの男を信用しすぎね」
この伊東先生の発言が大きかったです。
局長と副長は「しばし様子見」として先生だけ幕臣になるのを数ヶ月遅らせることになりました。その話が隊士たちに広まったとたん、先生の役職付けを取り下げるための抗議を綴った紙が先生の部屋に転がるようになったのです。
「良作。小生の何がいけなかったのかね」
「先生は何も悪くありません」と首を横に振ろうとしたとき。先生が眼鏡のずれを直して咳を三度繰り返しました。先生に教えていただいた軍学にあった「間者がいる」という合図です。間者にばれてはならぬので背後を振り向くことはできませんが、やることはわかっています。僕はどこから見ているかわからない間者を相手に、芝居をやるしかないのです。
「先生は近頃、近藤局長らにあまりに媚びへつらう態度が目に余ります。しかも今どき古い甲州流軍学などに意味があるとも思えません」
先生はまた小さく笑うと「そうであるな」と風呂敷を背負い込みました。
そして扇子の骨で頭をぶたれました。
「馬鹿もン。間者などおらぬわ、騙されおったな」
「え」
「よくも散々言ってくれたな。師を悪く言う弟子は破門なのだ」
断っておきますが、別に弟子入りした覚えはありません。
月明かりで坊主頭が光ってます。僕は取り急ぎ、書庫においていた自分の筆と刀だけを持って先生の後を追いました。
「先生、僕もお供いたします」
「お前は破門と言ったぞ。小生について来ると斬り捨てるぞ」
冗談めかして言ったようなセリフですが、先生の目は本気でした。弱い僕は怖気づいてしまい、砂利の上に座り込んでぺこりと頭を下げました。
「先生、今日までお世話になりました」
「え、そんなこと言われると泣けるな。やっぱりついて来るか?」
「先生」
「……わかっておる」
月明かりの下、坊主頭が小さくなっていきました。
脱走すれば切腹が待っています。先生はそれをわかっているのでしょうか。
僕はわかっていたと思います。新選組に全てを投げうった武田観柳斎は、もしかすると新選組の手で殺されたいと願っていたのやもしれません。
「なあ良作、お前、小生と一緒に兵学者にならんか。お前が仏蘭西流で、小生が甲州流」
「先生」
「…………わかっておる」
今度こそ、先生の坊主頭は見えなくなりました。
「良作というのは如何にも田舎臭いな、お前も「斎」をつけた名前にしたまえ」
「先生、いい加減誰かに見つかりますよ?」
「………………わかっておる」
今度こそ、今度こそ、先生の坊主頭は見えなくなりました。
先生と喋ったのはこれが最後でしたが、先生の痕跡はこれが最期ではありません。先生は恐らく斬り捨てられる前日、屯所にコッソリと戻っていたようです。その証拠に、もはや僕しかいなくなった書庫のやけに目立つ棚に、甲州流軍学の兵法書が埃もかぶらずそこに置いてありました。そしてその中に、一通の文が入っておりました。
新選組の軍配者として、皆に嫌われながらも己が道を走りぬいた武田観柳斎先生が、最期に残した文。
その内容とは。
『良作。京を出てまずは国へ帰ろうと思ったのだが、金がない。できればこれを読んだ日に持ってきて欲しい。鴨川銭取橋で待つ』
僕がこれを見つけたのは、先生が斬られた朝でした。
先生、本当に申し訳ありません。ちょうどその日は烝さんや雅次郎さんたちと飲みに行ってて書庫にいなかったんです。
次の日、僕は伊東参謀のもとに行きました。参謀は口元に紅をして狐のような顔で僕を迎え入れました。
「で、どんな御用?」
「伊東参謀、僕に新選組を除隊させてください」
嬉しそうに狐が飛び跳ねました。
「奇遇ね、私も新選組に不満があるのよ。だからね、今度新しい部隊を作ろうと思っているの、その名も」
「いえそうでなはなく。諸国へ行きたいのです」
意見を否定されたのが面白くなかったのか、参謀はムスッとして脇息に頬杖をつきました。
「諸国ねぇ。正直、あなたは優秀な文学師範だから、私としても壬生狼としても手放したくはないはずだけれど」
参謀としては、せっかく目障りな武田がいなくなって好きに動ける機会。優秀な配下になるであろう人材を手放したくは無いのでしょう。
しかしだからこそ隙が生まれるのです。
「参謀。僕は新選組に不満が無いわけではないのです」
「あら、詳しく聞こうじゃないの」
「僕はもともと尊王の志でここへやってきました。しかし気づけば新選組は幕府の狗と成り果てました。ならば僕は、同じく尊王の志を掲げる伊東参謀の御為に働きたく思います。そのために、僕が異国の情報を手に入れている間に、参謀は新選組を乗っ取り、いずれは我らで国の大事を成すのです」
「おっけー」
おっけー出ました。異国の言葉で「許可する」という意味だそうです。
「では明日の朝一番に平戸に向かいなさい。局長たちには私から言っておくから」
「ありがとうございます」
案外早く許可が下りたこの状況。伊東参謀が馬鹿だったとか、僕の作戦が功を奏したとか、そう言ったことではありません。伊東参謀にとって最も邪魔な存在は、土方副長でも沖田先生でもなく、自分になびいていない文学師範なのです。ようするに剣術馬鹿はどうとでもできるけど、賢い奴はいなくなってくれた方が助かる、ということですね。
参謀、あなたは己の才覚に酔いすぎたのです。武田先生と同じように。僕は明朝、平戸から船に乗るために出立しました。見送りを頼んだ覚えはありませんでしたが、一人だけ来てくれました。尾関雅次郎さんです。
「雅次郎さんだけですか。というか誰にも言っていないのにどうしてわかったんですか?」
「お前に渡す物がある。届けに来ただけだ」
雅次郎さんから手渡されたのは、浅葱色の羽織でした。新選組の羽織です。しかし、僕はこれを着たことがありませんでした。僕が入隊した時には、この羽織は誰も着ることはなくなっていたのです。
「この羽織、観柳斎が廃止を呼びかけたんだ。兵を動かす時に敵に丸わかりな恰好をしてどうするんだって。でもな、永倉さんが嫌がって嫌がって」
「それが始まりだったんですか」
しかし、随分と先生らしい。この羽織はもしかすると、先生のものなのでしょうか。
「観柳斎のことだけどな、ぶっちゃけ俺はちょっと嫌いだったぞ」
「ここだけの話、僕もちょっとだけ苦手でした」
「あいつがさ、扇子で手をぺちぺち叩いてる時、イラっとするんだよなぁ」
「嫌いっていうか、こう、面倒くさいですよね」
一通り話し終わるとお互いに頭を下げて、雅次郎さんは屯所へ、僕は異国へ。ふとスズメの声を聞いた途端に、髷を引かれるようにして思わず振り向いた。
「雅次郎さん、剣術頑張ってくださいね」
「嫌だなあ。旗だけ持てていれば、それでいいのに」
かくして僕は新選組を除隊し、異国に向かうことになりました。
平戸についたのはそれから七日後。僕の持ち物の中には、三冊の書。船に乗ると、潮風が朝日の届かない夜の向こうから吹いてきます。船がいよいよ進み出したので、僕は船の柱に浅葱色を括りつけました。
「さて、何を知ろうか」
誠の旗が潮風に揺れている。
新選組軍師伝 備成幸 @bizen-okayama
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