第五章 天花《てんか》其ノ肆


木枯らしの吹く初冬となった神無月二十一日、その事件は起こった。

知らせを受けて蜂の巣をつついたように騒がしい宮中を抜け出し、精悍な頬を厳しく引き締めた重盛は、秘かに六波羅の邸に戻った。

到着するなり真っ直ぐに彼が向かったのは、宮中での儀式のために院御所の務めが休みだったはずの弟たちの曹司だった。声も掛けずにばたんと妻戸を開いた重盛は、ただならぬ様子の主人を慌てて追ってきた家司も、乳母子の貞光さえも閉め出して、驚く弟たちを塗籠に連れ込んでぴたりと遣戸を閉ざした。

いつもは穏やかでゆったりした挙措で動く兄の、常になく荒々しい振舞に言わずもがなの事態を察したか、大人しく控える弟たちを振り返って静かに口を開いた。


「本日、帝の加冠の儀のためのご参内途上であった摂政殿下が、賊に襲われる難に遭われた」


一旦言葉を切り、低く問う声になる。


「…そなたらが仕業か」


いつも自分たちには甘すぎるほど甘い長兄の、いつになく冷たい声音に、重衡が慌てたように腰を浮かせる。


「あ…あの、おお兄うえ、これは……」

「重衡。兄は『そなたら二人がしたことか』と訊いておる」


幼名でなく、いみなで呼ばれたことに兄の強い怒気を感じ取ったか、いつもは口達者な重衡がそれ以上言葉を継ぐことも出来ずに口を閉ざす。代わって答えたのは知盛だった。


「いいえ、大兄上。おれひとりが成したことです」


淡々とこちらを見つめてくる四弟に、重盛は腹の底から響くような怒声を発した。


「この大馬鹿者が…!!」


あまりの大声に塗籠の厚い壁を通しても外に居る者たちに聞こえたらしく、それまで心配そうに呼びかけてきていた貞光の声も止んだ。

怒鳴られた知盛は一瞬びくりとしたが、変わらず長兄を見上げ、重衡は怯えた顔でじっと二人を見つめている。

重盛は再び声を落とし、その弟たちを見据えた。


「そなたは己が何をしたかわかっておるのか。摂政殿下たるお方を賊のように襲いたてまつるなど、臣下としてあるまじき所業ぞ。断罪され、遠流おんるとなっても仕方のなき仕儀じゃ!」

「おことばですが大兄上。おれは松殿基房の臣下などではありません。あの男は大兄上を愚弄し、五郎を傷つけ、平家をあなどりました。おれはそのむくいをくれてやったまでのこと、そのために遠流となろうと、いっこうにかまいません」


むしろ誇らしげに、挑むように兄を睨み上げてくる四弟の、幼いながら正当で真っ直ぐな憤りに、重盛とて本心では同意なのは言うまでもない。

だが彼は父に代わる平家の棟梁として、決して許してはならぬことがあった。


「勝手な言い分もたいがいにせよ。そなたはそれでもよかろう。望み通り佐渡でも対馬でも遠流になればよい。だがそなた一人いちにんのことでおさまると思うてか」


兄の言葉に目を瞠りさっと蒼醒める弟の顔を見て、きりきりという胸の痛みを感じながらも重盛は言葉を継いだ。


「父上もこの兄も、母上も妹たちも、いいや平家すべてが罪人じゃ。一族郎党ことごとく首討たれても不思議はないのがわからんか!」


誰よりも家族思いの知盛が、こう言えばどんな気持ちを抱くかはわかっていた。だが、己のしたことの重大さを理解わからしめるためには致し方ない。

本当は松殿基房などどうでもよい。藤家と平家の間柄など、これ以上悪くなりようもない。

しかし棟梁として、いや何よりも兄として、弟を思えばこそ、これだけは言っておかねばならぬことだった。

知盛はかすかに震えながら、俯いて座り込んだ重衡を振り返る。


「…そうじゃ。そなたが守ろうとした重衡も同様。みな三条河原に首曝しても仕方なき仕儀じゃ。畏れ多くも帝の加冠の儀の大礼に摂政殿下のご参内叶わず、儀式に遺漏あったとなれば、帝に弓引くも同然の大罪じゃ」


そこで重盛は語勢を改め、静かに知盛に問い質した。


「…そなたはそこまで考えて事を成したのか?平家による現政権の打倒、帝を廃して藤氏をことごとく滅ぼし、かの将門公のように父上をこの国の帝とする覚悟を持って此度のことを成したというのか?」


けして臣下として思ってもならぬ反逆を口にする、あまりに重い長兄の言葉に、知盛も重衡も真っ青になって一言も発せない。

まさかそのような事態を考えていたわけでは当然なかろう。ただ自分たちの大切なものを傷つけられたことが悔しく、報復したいという欲求に従っただけの彼らに、そのような大望や覚悟などあるはずもないことを知りながら、刃を喉元に突きつける。そうした立場にいる己を、重盛は自嘲した。



(続)

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