第五章 天花《てんか》其ノ参


神無月初めに入り、そろそろ色づいた木々が人々の目を楽しませるようになった頃、重盛の曹司に知盛重衡がやってきた。

父清盛が福原に、母時子が西八条に別れて暮らしているために、兄弟は何事も棟梁であり長兄である重盛に伺いを立てるのが常だった。


「明日、五郎とともに遠乗りにまいります」

「おお兄うえもあしたはご出仕ではないのでしょう。ごいっしょしましょうよ」


そう重衡に誘われたが、すでに翌日の外出を決めていた重盛は首を振った。


「そうだな……いや、やめておこう。明日は亀岡の荘へ行こうと思うておる」

「ご視察ですか」

「ああ。訴状もいくつか届いておるのでな」


それを聞いた重衡は口唇を尖らせて、ええー、と不満そうに言ったが、すぐに四兄に窘められる。

その知盛は、父に代わって一族のあらゆる仕事を引き受けている長兄に向かって軽く頭を下げた。


「ご苦労のおん事とぞんじます」

「そう思うならば、早うそなたらも大きゅうなって、兄の手助けをしてくれよ。頼みにしておるからな」

「…五郎はともかく、おれはそういうのは苦手です」


幼い頃そのままに眉間に皺を寄せる弟に思わず噴き出す。

知盛は能力的には衆に優れているのだが、細かい手間を嫌う。

当人に言わせると向いていないのだ、ということになるが、実のところそれは怪しいと重盛は思う。


「要はそなた、面倒なのであろうが」

「…わかっておいでなのに、お意地が悪うございます、大兄上」


顰めた眉のまま溜息を吐く少年は、十を一つ二つ過ぎたばかりにしては冷めている。その熱の低さが意図したものであるくらいは知っているが。



知盛は兄弟の誰よりも実は情が深い。そして激情家でもある。そうした部分が己の弱点にもなり得ることをこの年で既に悟り、意識的に抑えているのだ。

まだまだ子供でありながら何故そこまで、と重盛などは思うが、彼の実兄である宗盛を見ていて思うところがあるのかもしれない。

宗盛は義理とはいえやはり我が弟ながら、気位高く神経質で尊大で、いくぶん癲癇気質も持っている。意に染まぬことがあると奇声を発して怒り、周囲を慌てさせるが、正妻である継母時子の生んだ長子であるゆえか、周りも彼を憚っておよそ叶えられぬことはない。


そうした三兄を知盛・重衡の弟たちが冷ややかに見ていることも彼は判っていて、同母の兄弟でありながら反りが悪い。

でありながら異母兄が彼らと仲が良いことを妬み、その恨みもあって日頃の宗盛の言動は、時に重盛に対し嘲りや嫉みが露骨である。

一応長兄として立ててはいるようだが、内心、身分低き女腹の者よと侮り、堂上平氏である母の出自を鼻に掛ける心底が見え隠れする。

義母時子は賢く穏やかな女性で、重盛を一族の総領としてきちんと立ててくれるが、宗盛の乳母であった女があれこれと吹き込んだものであろう。


無論、重盛自身は三弟のそのような傲岸さを恬淡と受け流しているが、正直良い気分ではないし、第一見苦しい。

知盛や重衡は重盛自身よりも腹を立てているらしく、気色ばんだ重衡が父の面前で宗盛に食ってかかったことがあった。

その時はむしろ重盛が「長幼の序を云々するならば、そなたも宗盛を重んぜよ」と重衡を窘めた。

重盛としてはそのことで宗盛をも諭したつもりであったが、そうしたことに気が回るようであれば、そもそもあの三弟が長兄に対して無礼な態度を取るはずもない。

以降ますます尊大さの増した宗盛に、父清盛さえも手を焼いているようで、重盛としては頭が痛い。


ともあれそうした三兄の言動に反発を感じている知盛は、己を抑え、感情を露わにすることがそれまで以上になくなった。自分が激発すれば長兄に迷惑が掛かるとでも思っているのだろう。

重盛の目には、彼がそうした熱を外に逃がす手段が、ともすれば激しすぎる剣の稽古や、思うさま馬を走らせる遠駆けであるような気がするのだ。

時に誰よりも大事に思っているはずの重衡をさえ近づけず、ひとり馬を走らせる弟に、重盛は己にはない意志の強さと感情おもいの深さをみる思いだった。


この弟はいま、少年から青年への、子供から大人へのきざはしを昇ろうとしているのかもしれない。

そう考えると、まるで母親が我が子の巣立ちを淋しがるような、甘酸っぱく切ない感傷を抱いてしまう兄であった。



(続)

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