第五章 天花《てんか》其ノ弐


それから数日して、重盛は宮中で妙な噂を耳にした。

摂政基房が今の地位を追われ、早晩失脚するだろうというのだ。

特に失政もなく、藤氏長者でもある基房が凋落する理由はなく、単なる噂だろうと放置していたが、その話の出所が基房の妻である藤原公教きんのり卿の娘となると、いささか事は剣呑だった。

公教卿の娘達のうち二人は共に基房公に嫁しており、元々仲の良かったこの姉妹が揃って夫を責め立てたというのだ。


「二条様の奥方の使いの者が来て、向後お付き合いをご遠慮したいと申しました…!」

「桐蔭卿宮の御母君も、次の菊の宴は失礼すると仰せですわ」

「五辻様の夫人も西条公の姫君も御同様にございます」

「何がありましたの?このような屈辱をわたくしたちが受ける、一体どんなことをなさったというのです?」


貴族社会では社交が何よりも大切な義務であり、また処世の術でもある。

それを次々と断られたとあれば、たとえ頂点にいる藤氏長者の家とはいっても、安穏とはしておれぬ。

基房は妻たちを宥めるのに骨を折ったらしいが、その頃にはこの噂は宮中に蔓延しきっていた。他ならぬ彼の妻たちとその女房たちが半狂乱であちこちに取りなしを頼み、結果的に噂を振りまく事になったらしい。


こうなると貴族たちというのは底意地が悪く、今では殿上の間どころか馬寮めりょうの下の者たちでさえ、寄ると触るとこの噂で持ちきりであった。

おそらくこの噂は、先の観月の宴での院のお振舞が原因であろう。あの方のなさりようは、重盛から見ていてもはらはらさせられる。

平家を重んじてくださるのは大変ありがたいが、そのゆえに他の堂上たちから妬まれすぎるのは好ましくない。


しかし重盛にはまた別の懸念があった。

三条の大臣おとどこと公教卿は北家の出だが重盛の父清盛とも繋がりが深く、その意味で婿たる基房公から警戒される存在でもあった。

その娘である妻たちからの情報も彼にとっては無視しがたい問題のはずで、またぞろ平家が仕掛けたなどと邪推されてもかなわぬと思う。

だが実際には摂政解任げにんの沙汰などなく、基房は変わらず凛然と職務に精励しているのだった。

あれはなかなか見上げたものだ、と重盛は秘かに好敵手に感嘆したものだ。

基房の毅然とした態度と、院や帝のお沙汰もないことから、その噂も秋の深まりと共にやがて薄れていった。


それでもなお、重盛が安堵の息を吐くことが出来ない原因がある。

つい先頃、重衡が基房公の従者に傷つけられた一件で、四弟知盛がずいぶんと屈託していたことだ。

以前から折りに触れ感じていたことではあるが、あの二人は互いを大事にしすぎるあまり、周りが見えなくなることがある。

今回もそのために知盛が非常に不安定な精神状態にあることを、この長兄は見抜いていた。

そしてこの、まだ幼いながら果断さと剽悍さに富んだ弟が、何かしでかすのではないかと危ぶんでいたのである。


ただ、何を言うにも知盛はまだ十一歳、仮に何か企むとしても、子供の悪戯程度で済まされることだろうと高をくくっていたのも事実だった。

その点、重盛ほどの男も――いや重盛なればこそ、先に弟たちに自ら語ったとおり甘さが先に立ち、常の冷徹さや危機を察知する勘のようなものが鈍っていたのであろう。

後に彼はそのことを悔やみ、断腸の思いである決断をするに至るのだが。



(続)

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