第五章 天花《てんか》其ノ壱


院御所の観月の宴から六波羅第に戻った重盛たちは、宴の熱気――というより、有り体に言えば摂政松殿基房とのやりとり――も冷めやらぬ夜半、すでに戌の刻を半刻も過ぎた時分に、まだ兄弟で曹司ぞうしに居流れていた。

先に戻った宗盛は、もうとうに自室に引き取っている。

家人にそう聞かされた重盛は苦笑を零し、長兄の帰りを出迎えようともしない次弟を非難することもなく、鷹揚に許した。


「おお兄うえは三郎兄うえに甘すぎです」


代わりに憤慨したのは重衡だった。


「だいたいおお兄うえよりもさきに席をたって、かってに帰っておしまいになるなんて。父うえがおききになったら、おしかりをうけます」

「…父上には言うなよ、五郎。母上がお困りになるであろう」

「母うえもきっとお怒りになるもの。三郎兄うえはおお兄うえにしつれいです」


するとそれまで黙って湯漬けを啜っていた知盛が口を開いた。


「それくらいにしておけ、五郎。大兄上がお甘いのは、三郎兄上に限ったことじゃない」

「そうじゃそうじゃ。俺が一番甘いのは、そなたら二人じゃともっぱらの評判らしいぞ」


笑って返すと、重衡は桜色の口唇を尖らせて拗ね、知盛は心外そうに目を瞠る。


「おれもですか、大兄上」

「自覚がないとは、三郎もそなたらも困ったものじゃの。それより」


ここで口調を改めて、重盛は末弟を軽く睨んだ。


「…五郎。兄は聞いておらぬぞ。どこの姫じゃ」


まさかまだ幼い弟に通う姫があるとは、重盛にとっても青天の霹靂だった。

観月の宴の終わり、摂政松殿基房に邸の付近で家人をうろつかせた理由を問い質された重衡の答えは、女にもらった扇を落としたから、というものだったのだ。


「いやです、おお兄うえ。はずかしいです」

「冗談ではないぞ。四郎、そなたも知っていたのか?」


照れてみせる重衡に舌打ちして、上の弟に目を向けると、知盛は黙って肩をすくめて見せた。


「こいつがおれにそんなことを悟らせるとお思いですか、大兄上」

「恋は秘めるもの、なんでしょう?これはわたしのひみつです」


妙に大人びた答えを返す重衡が可笑しい。次の年が明けてようやく十一歳。いかになんでも女のもとに通うには早すぎる気がする。

いや、無論早いものは結婚することもあるが、それはあくまでも家同士の結びつきであって、自ら外の女性と恋仲になるという性質のものではない。

最初の相手はたいてい年上のもののわかった女性、それも側付きの女房や親が教育の一環として世話をする場合がほとんどだ。


「よもやと思うが、藤原本家の姫ではあるまいな」


ふふ、と可愛らしく笑った重衡は何も言おうとしなかったが、それ自体が雄弁な答えであった。のが基房邸の近くである以上、通う相手がそこにいることは間違いない。


「今頃殿下もそのことに気づいて、妹姫を詰問されておられよう。あまり軽々しい真似はするな」


そう小言めいたことを口にしながら、自分でも説得力がないと苦笑をこぼす。重盛自身、もっと若い頃はたくさんの恋をしてきたし、今も通う相手がいるのだから。

それを知っている弟たちはもっと遠慮なく笑った。

日頃あまり感情を表に出さない知盛でさえ、可笑しそうに声を上げて笑っている。

珍しいことだと思ったが、この弟が子供らしく大きな声で笑うのが兄として純粋に嬉しく、いつしか自身も大きな声で笑ってしまう重盛だった。



(続)

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