第二章 篝火《かがりび》 其ノ壱
仁安二年(一一六七年)の年明け早々、四郎丸と五郎丸は院御所へ参上した。
童殿上ゆえ諱もなく、身内での幼名のまま院のお側に伺候することになったのである。
父清盛・長兄重盛に連れられて神妙に頭を下げている子供たちの愛らしさに、院も女房たちも思わず頬を緩めておいでになる。
「なんとこれは美しい子らよ。内大臣の北の方はよほどの美形と見ゆるな」
感嘆の声を上げる院に、清盛は畏まって返す。
「は…恐れ入ります。なれど院お愛しみの女御様にはとうてい及ぶべくもありませぬ」
「何を申しておる。そなたの北の方は女御の姉君ではないか。言うてみればこの子らとも同じ血を分けた叔母と甥、美しいのも道理かの」
正確には清盛の室時子と、この正月に女御の宣下を受けたばかりの滋子は同母姉妹ではないが、四郎丸五郎丸にとっては義理とはいえ確かに叔母に当たる。
その女御はどんな御方かと子供らしく気になったらしい五郎丸が、こっそりと目だけを上げて院の傍らを盗み見る。
すると﨟長けた女性も彼の視線に気づいて微笑みかけた。慌てて目を伏せた五郎丸に、女御からお声がかかる。
「そのように伏したままではつらいでしょう。お顔をお上げなされ」
優しく促す声に、子供らは素直に向き直る。
「これ」
重盛が小さな声で窘めたが、女御の「よいから三位殿も」という言葉に、自らも下げていた頭をゆっくりと持ち上げた。
重盛にとって四歳下のこの若い叔母は義理の母のさらに義理の妹という関係上、通常であれば御簾を隔てての対面となるはずだが、身内ばかりのことであるからと直の対面を許されたこの場にあって、女御はそこだけ花が咲いたようにお美しい。
お産みになった七ノ宮憲仁親王は念願叶って立太子されて東宮におなりになったうえ、いまだ院のご寵愛も深く、時めいておいでになる。
おっとりとしてあでやかなお姿は、思慮深く落ち着いて物に動じないふうの義母時子とは印象がまるで違うな、と密かに重盛は思う。
子供たちは女御のお美しさに見とれているようだ。言葉もなくただ白いお顔をぶしつけに見ているのに、もう一度低く窘める。
「四郎丸、五郎丸」
さすがにはっと気づいたように目を伏せる二人を見て、院は磊落にお笑いになった。
「ははは。そなたらも女御の美しさに見惚れたか。さもあろう。この
悪戯っぽく扇で口元をお隠しになり、秘密めかして子供たちに囁きかけられる。
「まあお上。そのような戯れ言を仰有って。この子らが本気にしたらなんとなさいます」
「そなたの手にかかるのは哀れじゃからの。どうじゃ四郎丸、五郎丸。女御をどう思う」
「おばうえはとてもお美しくてあらしゃいます。まるで宵闇にうかぶうす紅の牡丹のはなのよう…」
頬を染めてはきはきと答えたのはやはりというか、五郎丸だ。
「ほほほ…なんとお口のお上手なこと。それは義兄上のお仕込みでしょうか」
「いや女御様、子らの教育はこのところ重盛に任せきり。さしずめ兄が御所での作法として教えたものかと」
返答に困った挙げ句、息子に丸投げするなど父は意地が悪い。
しかし、先頃父の跡を継ぎ春宮大夫のお役をいただいて、以前より繁くお目にかかることが増えたとはいえ、ここで気の効いたことが言い返せるほど、重盛はこの義叔母と親しくもなし、困惑しているところへまた五郎丸の声が上がった。
「作法などではありませぬ。おばうえのお美しさに五郎は見とれてしまいました。
ぶしつけなことば、おゆるしくださりませ」
「…まあ…」
小さな手をついて深々と頭を垂れた幼子の言葉に女御は頬を染めて言葉を切られ、年長の男たちは誰も二の句が継げない。
当の五郎丸はにこにこ笑ってそこにちんまりと座っている。
こいつは俺などよりよほど女のあしらいが巧みかもしれん…と重盛が密かに思っていると、それまで黙っていた四郎丸が口を開いた。
「五郎はたしかに口がうまいですが、女御さまのかがやくばかりのお美しさに、十六もとしうえのわが母がかなうわけもございませぬ」
口が巧いのは五郎だけはないようだ。重盛は我が弟たちの如才なさに舌を巻く思いだった。
それにしても四郎、真顔で言うか。
「内大臣、幼き子らはそなたや重盛とは違う血を持って生まれたのではないか」
ややあって毒気を抜かれた
「は…
「よいよい。百鬼夜行の御所では、幼子といえどこの才覚が要るであろ。行く末頼もしいことじゃ」
「わたくしも気にかけて大切にお預かり申しますゆえ、義兄上、ご安堵召されませ」
女御もにこやかに言い添えられる。それをしおにお礼を申し上げて御前を下がり、案内の女房の先導で子供たちに与えられた局に入った。
女御の配慮か院の平家に対する阿諛追従か、加冠前の子供の控え部屋にもかかわらず、日当たりもよく広い房室を戴いたことに、重盛は安堵した。
本日はゆるりと過ごし明日からの勤めに備えよ、との院のお言葉を残して女房が去り、家族四人だけになったので気が抜けたのか、四郎丸も五郎丸も脚を投げ出してふうっと息を吐く。
「これ、脚を崩してはならん」
叱るのはまたしても自分だ、といささか憮然としていれば、察した父が笑う。
「まあよい。初めて院の御前に出て、気を張っていたのであろう。じゃが四郎、五郎。余人がおるときはならぬぞ」
「父上、ずっとにございますか?」
半泣きのていで尋ねた五郎丸に、父は意地の悪い目を向ける。
「そうじゃ。子供とはいえ、ここは院御所。家うちとは万事異なり、人目も多い」
「寝るときはいかがいたせばよろしいでしょう?」
真面目な面持ちで問うたのは四郎丸だ。
「…四郎。そなた、足を組んだまま眠れるか?」
重盛が呆れて問い返せば、難しげな顔をして答える。
「できぬことはござりますまいが…」
思わず父と噴き出してしまい、それこそ仙洞御所であることを思い出して慌てて声を抑える。
「今、思わず父上も兄も笑うてしまったが、こちらでは大声を出してもならぬ。人前での行儀もしかり。院御所には特別の決まり事が多い。初手から全てを完璧に行うは難儀だが、ひとつひとつ院や女御様、他の女房方のお導きを賜って守っていくように」
「はい!」
「…だから大声を出してはならぬというに」
元気よく返事をした子供たちを窘めて、重盛はこれから先の平坦ならざる道を思いやった。
まだ院と密かにお話がある、という父を残して子供たちを連れ、先に院御所から退殿したその日、夜半に戻った父に呼ばれて酒の膳を自ら運んで共に酌み交わした。
「のう重盛」
「は」
「思うよりもあやつら、達者にやっていくかもしれぬぞ」
「…実はわたくしもそのように。しかし四郎はあの通りの無愛想、五郎は調子者…何やら無性に気が揉めて仕方ありませぬ」
「ふふふ…。切れ者の三位殿としたことが、まるきり母鳥のような」
「…父上」
「怒るな。心配せずともよい。あれらはそなたが思うより、この魑魅魍魎の跋扈する御所を泳ぎ渡る力があるやもしれぬぞ」
父の機嫌がよいのは、やがて一門を担う子供たちが幼き頃より禁中での人脈を作っていけることがわかったからなのだろう。
そうかもしれない、そのようであってほしい、と重盛も思う。だが、同時に何か寒いもの…禍々しい何かが、この一件に端を発して、あの子供たちを呑み込んで行くような気がしてならないのであった。
(何事も起こらねばよいが…)
重盛は暗澹たる思いで杯を口に運んだ。
やがて如月に入り、梅の香が空気を振るわせるようにあたりに漂い始めたある日の夕刻、重盛は六波羅第の邸を訪れた。
春宮大夫といっても、東宮傅と違って毎日東宮のお側についているわけではない。
帝のおわす内裏に伺候することもあれば、春宮坊で役所内の差配や、己が邸にあって平家の所領管理の実務に携わることもある。仕事は山のようにあった。
(これらすべてを、かつて父上はお一人でこなされていたのか…)
父の尋常ならざる超人ぶりに、改めて舌を巻いた。そのうえ先の内乱では今は院となられた後白河帝を輔け、最終的な勝利者となったのだ。
やはり父上は只人に非ず、と、自らも他の公卿たちから精勤ぶりを揶揄されていることを知らぬ重盛は思った。
その多忙な彼が弟たちの房室に足を向けたのは、このところ取り紛れてなかなか顔を見ることができなかったからだ。
彼らが殿上を始めて早やひと月近く。そろそろ毎日の勤めにも慣れた頃合いだろうか。
幼い弟たちは院のお覚えもめでたく、ことに四郎丸を毎日殿上するやお手元にお呼び寄せになる。
あの無口な弟のどこがお気に召したものかと重盛は首を捻ったが、どうやら今様のお相手をおさせになっているらしい。四郎丸も五郎丸も子供ながら張りのある美しい声をしていて、ご機嫌伺いに法住寺殿を訪った貴族たちに披露させてはご満悦でおいでだそうだ。
また四郎丸も覚えがいいたちで、真新な生地が水を吸い込むように素直に吸収していくから、教え甲斐もおありなのだろう。
己が子供たちに教えた時の楽しさを思い出し、苦笑する重盛だった。
五郎丸は五郎丸で、あの可愛らしい笑顔と天性の甘え上手で、女御様のお気に入りらしい。
宮中の仕来りで我が子憲仁親王を、東宮坊の重盛や
こちらも毎日五郎丸を手元におかれ、やれ珍しい唐菓子じゃ美しい薄様じゃとあれこれお与えになられて、甘やかしておいでと聞いている。
あまり子供たちが調子に乗らねばよいが…と苦労性を発揮しつつ弟たちの房室の遣戸を開けて、重盛は立ち竦んだ。
そこには敷物をのべて横たわった四郎丸の姿があった。
「いかがした?熱でも出たか、四郎」
すると脇に座っていた五郎丸が、真っ青な顔を長兄に向けた。
「わたしのせいなのです、おおあにうえ!」
「なんとした、五郎」
「きのう、女御さまがたいせつにしておられた唐物の花生けを、わたしが欠いてしまったのです。そうしたらおつき女房の桂どのがおいかりになり、わたしを打とうと竹むちを」
「…それはお前が悪かろう。きちんとお詫びしたのか?」
「もちろんです!…だからおしおきされるのはわたしのはずだったのです!でも四郎あにうえがかばってくださって…」
必死に訴えかける五郎丸によれば、くだんの女房に手のひらを上に向けて差し出せと命じられ、ぶるぶる震えながら言われたとおりにしたそうだ。
いかに武門とはいえ、そのように荒気ない仕打ちを受けたことのない子供のこと、さぞかし怖かったことだろうと、小さな心が受けた傷に思いを致す。
そのままならば五度も竹鞭で仕置きされれば、その場は収まる話だったのだろう。
しかし打たれる寸前で四郎丸が自ら身を投げ出し、振り下ろされた鞭はそのこめかみに当たった。
痛みに唇を噛みしめながら彼が女房を睨み付けたために、彼女の怒りを煽る結果となったそうだ。
「弟のつみをそなたが代わってうけるというのか、その増上慢でつみは倍加じゃとおっしゃって…」
そこでついに耐えきれなくなったか、五郎丸はぽろぽろと涙をこぼした。
「…四郎、起きられるか。兄に見せてみよ」
そう声を掛けてもぐったりと横たわったままの四郎丸に、これは容易ならざる状態かと焦燥を抱きつつそっと抱き起こして単衣を脱がせてみると、脹ら脛に無惨なみみず腫れが縦横無尽に走っていた。
どうやらその女房は仕置きと称して四郎丸の袴の裾を持ち上げさせ、したたかに打ったらしい。
あまりの痛みに
いかに過失があったとて、まだ幼い子供をこれほどまでに痛めつけた挙げ句、手当もせず放置するとは…と怒りを覚えた重盛ではあったが、子供たちの手前、口に出すことは控えた。
実際四郎丸の傷は酷い状態で、一部は化膿し始めているようだ。
そのせいでもともと脆弱な四郎丸の身体は発熱し、仙洞御所からの帰りの車の中ですでに五郎丸にもたれかかってうつらうつらとし、家に着いても一人では降りることができずに、牛飼童の手を借りてようようここまで運んだらしい。
日頃、熱を出す度に家人を心配させていることを苦に病んでいる四郎丸が、誰にも言うなと弟に命じたため、五郎丸は熱を出した兄の額に冷たく絞った手巾を置いて看病に努めたようだが、それが幼い彼にできる限界だった。
「あにうえ、四郎あにうえ、だいじょうぶですか?」
蒼醒めた顔で覗き込んでくる五郎丸に、長兄の腕にもたれかかったままの四郎丸がようよう目を開いた。
「…さわぐな。おれが熱を出すのは…いつものことだろう…」
「でも…!おきずが痛うございましょう?五郎のかわりに打たれて…」
「いいから…おまえ、すこしだまれ…」
本当は口を利くのも億劫だろうに、律儀に五郎丸に答える。
自分に代わって打たれた兄のために何もできないことが悔しいのか、五郎丸は唇を噛んだ。
「だって、あにうえ…」
「…おまえが打たれるよりは、よほどいい」
「…四郎あにうえ」
日頃ちょこまかと後を就いてまわる後を付いて回る弟にうんざりはさせられても、これで四郎丸が五郎丸のことを大事にしていることは知っている。
…己の身を投げ出してまでもとは思わなかったが。
幼子には幼子なりの愛し方があるのだと、弟たちの互いを思う心に胸を熱くする重盛だった。
「そなたは弟思いじゃな、四郎」
「……五郎が打たれていたら…もっとおお騒ぎにございます、おおあにうえ…」
「ははは、違いない。ともあれ、そなたはしばらく出仕も控えて、大人しく寝ていよ。兄がよいようにしておくからな」
四郎丸を再びそっと褥に寝かせると、重盛は子供たちの部屋付きの女房を呼び、薬師の手配をすると父の部屋に向かった。
もともと四郎丸はそう丈夫な方ではない。
今よりももっと幼い頃は、ひと月に一度は寝込むほどの熱を出していた。
そのたびに家中が大騒ぎになり、母も西八条第の女房たちも寝間に詰めきりで看病に当たっていた。
しかし四郎丸自身はそうした自分に忸怩たるものがあったようで、己の弱い身体に焦れているのがわかる。
子供なりに鍛えようとでもしたのか、床上げしたその日に裸足で雪の庭を駆け回ってまた熱を出し、また寝床に逆戻りなどということもあった。
といって決して寝たきりということはなく、元気な時は過ぎるほどに元気でやんちゃで、悪戯ばかりしてよく乳母や家司のみならず重盛自身にも叱られていたものだ。
五郎丸は五郎丸でこのすぐ上の兄の後ばかり追いかけていたので、当然共に小言をもらうのだった。
しかし叱られてしょんぼりと肩を落とす幼子の可愛らしさに、家の者はつい頬を緩ませ、もうしてはならないと念を押して二人を解放してしまう。
そんな時に、目に涙を溜めているのを見られまいと駆け出していく四郎丸とは逆に、はい決していたしませんとにっこり笑う五郎丸を、周囲の大人たちは素直なよい子だと誉めた。
だが重盛は実はこの笑顔が存外曲者であることを知っていた。
なぜなら二人の悪戯はだんだんと巧妙に、かつ大胆になっていったからだ。
そしてその計画の立案者こそが五郎丸で、四郎丸は積極的な実行者であったのだろう。
考えてみれば、これは武門の将としては得難い資質だった。
四郎丸の大胆さと実行力、五郎丸の計画性と人心把握の力――どれもこれから平家が日の本に盤石で強固な支配を布いていく過程で起こりうる数多の戦において、末頼もしい力であった。
(あれたちが今よりも二十年…いや、十五年ほども年を経ていれば…だがな)
確かにそれは院御所の出仕では発揮する必要のない能力のはずだった――少なくとも、今は。
いずれにしてもこのまま捨て置くわけにもいくまいと、父に諮ってくだんの花生けに似た唐物を手に入れて女御にお届けし、子供たちの無作法を丁重に詫びた。
女御はそのようなことがあったとも知らされていなかったようで驚かれていたが、「五郎丸のおかげで新しい花生けを手に入れました」と笑ってお許し下され、お詫びの品をご受納くださった。
そのうえ体調が悪いのであればしばらく出仕は控えて休んでいるようにとお心遣いまでいただいて、恐縮した重盛であったが、その時下座に控えていた女房の一人が憎々しげにこちらを睨み付けていることに気づいた。
(ほう…この女が例の女房殿か)
自分がしたことを女御様がおとりなしになり、四郎丸を労られたことに気分を害したにしては、あまりにその視線が強い。
(これは…四郎はとんだとばっちりを受けたのかもしれぬな)と密かに思う。
平家は父と院の関係で急激に宮中で勢力を持つに至った。その存在を忌む者たちは多い。おおかたこの女房もそうした不満を持った者のひとりなのだろう、と見当を付け、女御の御前を下がる。
見送りに出てきた親しい女御付き女房の小宰相局に何気なく尋ねたところ、あの女は前右大弁の妻だった女で、桂の君と呼ばれているのだという。夫が亡くなってから世話する人があって出仕したが、同輩たちからの評判も芳しくはないらしい。
「あまり…こうしたことはお耳に入れたくはございませんが…」
人目についてはと脇の小部屋に案内し、躊躇いながら小宰相局が語ったところによると、桂は新参にも関わらず藤原北家の出を鼻に掛けて気位が高いばかりか、女御の局の片付けや諸々の雑事を朋輩たちに押しつけ、自らは女御の側に座り込んで指図するばかり、一向に動こうとはしないのだとか。
思い余った小宰相局たちが女御に申し上げたところ、困ったお顔をされて「
「前左大臣…基房公か」
平家にとっては縁戚に当たる松殿基房だが、その関係はなかなかに複雑なものがある。
重盛の妹の一人、盛子は十にもならない時に藤氏長者である近衛基実に嫁いだが、二年ほどで夫に死に別れた後、わずか十一歳でその所領・宝物のほとんどを相続し、四歳下の義子である基通の養母となった。
それは父清盛と縁深い藤原宗家家司である藤原邦綱の密かな策謀によるものだったのだが、当然藤原家の平家に対する反発は激しかった。
基実の同母弟である基房は当初盛子を妻のひとりとして迎え、所領の取り返しを計ったが、今度は清盛の反対に遭い、藤原宗家と平家の関係は悪化の一途を辿っていた。やがて基房は後の重盛自身にとっても深く関わってくるのだが、表面上はまだ妹盛子の義弟であり、若い政敵でもあるというだけの青年だった。
しかしくだんの女房がその基房の縁に連なるというならば、桂女房が粗相をした四郎丸や五郎丸だけでなく、自分に対しても敵対意識を持つのは不自然なことではない。まして彼女の亡くなった夫は右大弁だったというのならば、もともと地下人であった平家の者に官位や職位を抜かれた恨みも強いのだろう。
「どうも、女御様もお困りのようだな」
「…ええ、おそらく。でも表だってお咎めになることもできず、私どもも扱いかねておりまして…」
「そうか。いや、女房方があの方を非難なされば、どのような難儀が降りかかるかしれぬ。ここは自重されよ。それがしも何ぞ手だてを考えよう」
「お願い申します」
英名の誉れ高い春宮大夫に事を訴え、ほっと安堵したような小宰相局に微笑みかけて法住寺殿を出たものの、具体的な思案が浮かぶわけでもなく、さりとてこのままでは仙洞御所の火種ともなりかねないと、頭を抱えたい気分になる。
何より可愛い弟たちの身の危険ともなりかねない。
まったく女というのは度し難い――と妻の他に通う女を幾人か持つ身ゆえに思い当たることも多い重盛が溜息を吐くと、供の貞光がそれを聞きとがめたか、馬上の主を振り仰いだ。
「…いや、何でもない」
「物思わしげな吐息をお吐きになられておりましたが」
「ああ、世の中というものは、何と煩雑なことかと思うてな」
「若殿ほどの御方でも、思うに任せぬ事がおありですか」
「おうさ。ままならぬことばかりよ」
「ははあ…。若殿を袖にするとは豪気な女君もおいでになるようで」
なにやら誤解したらしく、貞光はにやりと笑った。子供の頃から共に遊んだ幼馴染みでもある彼は、時折こうして重盛を
「馬鹿者。艶めいた話ではないさ。そのようなことなら、事は容易いのだがな…」
悩むばかりで一向に方策の浮かばぬ己を重盛は嗤った。
何が平家の総領か、何が英邁の若武者か。あれほど手塩に掛けた弟たちを守ることも出来ず、たかが女一人の驕慢を留めることも出来ずにいる。
しかしそうやって重盛が手を
(続)
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