西瓜姫
白玉
西瓜姫
蒸し暑い夜だった。湿度は高いが喉は渇く。電車から降り徒歩で家へ向かいながら水分に想いを馳せていると、仙人のような格好をした妙な爺が道端で西瓜を売っているのが目に止まった。こんな夜中にいったいなにを? と不審に思ったが、西瓜売りがしきりに「瑞々しい西瓜だよ! 瑞々しい西瓜!」と繰り返すので、「みずみずしい」という言葉に惹かれ、並んでいる中でもひときわ大きく目を惹く艶っぽい西瓜を指差し、ひとつ連れて帰ることにした。
「旦那、お目が高いね! それはメスの西瓜だよ!」
西瓜にオスもメスもあるものか、と鼻で笑いつつ、金を払い西瓜を受け取る。大きさの割にはやけに軽く、危うく落としそうになる。
冷蔵庫で冷やすにも、丸のままでは入らない。半分に割る前にせっかくなので密度を確かめてみようか、と耳を付け、拳で三つほど叩く。ポコポコ、と空洞であるような手応えを感じた。
包丁を刺し引き抜き、再度刺しては引き抜く。我が家の小さな包丁ではたかが知れていて真っ二つに切ることは不可能に思えたが、幾度が繰り返すうちに抵抗がなくなり、おそらく空洞に達したのだな、と丁度いいあたりで指の先を入れ左右に開いた。中は見事なまでの空洞だった。
そこに、浴衣姿の君がいた。うちわで扇ぐ君はまるで自分の部屋でくつろいでいるようで、あまりにも自然な姿に疑うことすら忘れた。「これが日本の夏か」と実に感慨深い。
君は真っ赤な汁まみれであるのに、それを意に介さない堂々とした佇まいだ。
僕が君に恋をしたのは、きっとこの時だ。
部屋中に西瓜の甘いような青臭いような匂いがたちこめる。
僕に気づきスッと立ち上がった君は、体長二十センチにも満たないほどで、物欲しそうな表情をしていた。手で触れるのをためらい、大きめのスプーンを持ってきてすくい出してやる。浴衣のあちこちには、黒々とした、まさに瑞々しい種がくっついており、それに気づいた君は途端に眉間を寄せた。汁まみれがそこを嫌がるとは、なんとも面白い。
肌に張り付く浴衣を気にしてか、君は自分自身を見渡してから僕に視線を投げた。それを僕は、風呂に入りたいのだな、と解釈した。
そこで思い出す。幸いなことに、祖父の形見として残したはいいが持ち腐れていた立派なドールハウスの類が、うちにはたくさあったはずだ。途中階段で脛をぶつけながら亡き祖父の部屋まで走り、入るなり電気をつけた。隅に置かれた赤黒いベロアの布をめくると、コレクションというには立派すぎる家が姿を現した。しばらく人に忘れられた程度にくすんではいたが、乾いた布で拭いてやると、全体が見違えるほど綺麗になった。人形用の服はもちろん、家具や、生活用品も十分すぎるほど揃っていた。
薬缶で湯を沸かし、適度な温度にしてからドール用のバスタブに注ぐ。まるでティーカップに紅茶を注ぐような、丁寧で気の抜けない作業だった。
下心などない、単なる興味で、僕は君を見ていた。すると君の小さな頬が、西瓜の汁のそれとは違った朱色に染まって行くのがわかった。そうか風呂だものな、とあわてて僕は目をそらし、身体ごと反対を向いた体勢のまま、後ろ手で小さなハンカチと着替えの服を置いた。ちゃぷ、ちゃぷ、と、小さな魚が跳ねるような音が部屋に響く。
こうして、西瓜の君と僕の、奇妙な共同生活が始まった。
一言も言葉を発さない君なので、意思疎通のために、紙と、シャーペンの芯でなんとかこしらえた小さな鉛筆もどきを渡した。しかし警戒しているのかなかなか使ってもらえず、会話をしないまま数日が過ぎた。
しかし会話こそないものの、君との生活はとても充実したものだった。
祖父の残してくれたコレクションは、君にとってすごく満足できるものだったようで、僕が知り得る限りのすべての君の時間を、君は君の部屋で、洋服を着て鏡を見たり、陶器のティーカップセットやシルバーを眺めたりして、嬉しそうに過ごしていたね。
人形用とは思えないほどに丁寧に作られた柔らかいシルクの布団で、静かに寝息を立てている君の寝顔を見るのは、僕にとって最高の幸せだったよ。
そして再び訪れた蒸し暑い夜。帰宅途中に喉が乾き、またもや水分のことを想っていると、いつぞやの妙な西瓜売りが「瑞々しい西瓜だよ」と道端で風呂敷を広げていた。
「割ってみるまでわからない! 今度は性別不明の西瓜だよ!」
「ひとつくれ」
君に僕以外の友達ができたらいい、不在のときは寂しい想いをさせているだろうから、という純粋な親心だった。僕は考えるより先に、大きめの西瓜を指差していた。
「まいどありィ」
帰宅後すぐに台所へむかう。包丁を持たないほうの手を拳にして、三つ叩く。軽い音。完璧な空洞だ。
期待に胸を弾ませ、いざ包丁を入れる。一度目と同じように、指を入れて開き割る。
空洞の端で、薄汚れた真っ赤な男が胡座をかいてこちらを睨んでいた。……嫌な予感がよぎる。
君は嬉しそうだった。仲間を見つけてはしゃぎまわる君を見るのがつらくて、僕はその男の世話を一切放棄し、自室に籠もり、震えながら布団にくるまった。
翌朝、いつものように君の様子を見にドールハウスの屋根を開けると、ベッドに君の姿は無く、かわりに木製の小さな机の上に、小さな小さな置き手紙があった。そこには虫眼鏡でないと確認できないくらいの小さな文字で、「けっして探さないでください」と書かれていた。
君は僕の前から姿を消した。
(もう少し続きを書きたかったです。残念、時間切れ)
西瓜姫 白玉 @srtm_
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