♯235 ただいまっ!



 大きな瞳から大粒の涙を溢れさせ、コノハナサクヤは泣き続けた。


 抱き締めた肩にすがりつき、まるで幼子のように無防備な姿を晒して、泣き続ける一人の少女。


 傷つき、疲れて果て、歪んだ感情に沈み込んでしまったその最奥から、全てを吐き出すかのように咽び泣く。


 そのまま全てを吐き出してしまえばいい。

 溢れる思いを全て、ぶちまけてしまえばいい。


 それでもやっぱり、私には許せないけど。

 許す事なんか絶対に出来ないけどそれでも。


 それだけ辛かったのも本当で。

 それだけ苦しかったのも本当なのだろうから。


 くすんで、歪んで、捻れてしまったなのなら。


 泣けばいい。


 好きなだけ思う存分いくらでも。

 泣いて泣いて泣けばいい。


 その位だったら付き合っても良いと。

 ほんの少しだけなら良いとそう、思えたから。


 そう思えてしまったから。


 時間の感覚があやふやなその真っ白の世界の中で、どれ位の間、そうしていただろうか。


 大声をあげて泣き続けていたのが段々と嗚咽へと変わっていき、やがてコノハナサクヤは微かに背中を震わせながら小さく、小さく俯き、肩を落としていった。

 

 華奢で細いその身体が、腕の中で小さく縮こまりをみせる。


 そしてそのままふっと、消えてしまった。


 微かに残る芳香の中に、数枚の花びらがひらりと舞い落ちる。


 温もりと柔らかな感触が失われ、抱き締めていた両腕が空虚な空間に抵抗を失う。


 再び音を失う世界。


 その真っ白な世界に一人、取り残される。


「……消え、た?」


「大方、いたたまれなくなって姿を消したのであろう。案ぜずとも、存在が無くなった訳ではない」


「どぉわっ!? ……イワナガ、様?」


 声に振り返るとそこに、フードを目深に被った姿のイワナガ様がいた。


 いつの間にかいるんだもの。

 ちょっとびっくりした。


「すまなかった。お前には感謝している。結局全てを押し付ける形になってしまったな」


「……らしくもなく変に殊勝ですね」


「これでも自身の不甲斐なさを痛感しておるのだ。そう苛めるでない」


 どこかふんぞり反りながら、それでもどこか申し訳無さそうにそう言うと、イワナガ様はすぐ側まで来て立ち止まった。立ち止まり、視線を更に足元へと下げる。


「どれだけ長く在り続けようとも私達もまた、間違い、悩む。何度も立ち止まっては悔やみ続ける。お前達とそう変わらぬよ。……変わらぬのだ」


 その視線の先には、コノハナサクヤの残していったうす紅の花びらが数枚、真っ白な世界の中で静かに香りを漂わせていた。


 悩み、間違って、悔やむ。


 分かっているのに。

 分かっているハズなのに、それでも。


 何度もそれを、繰り返してしまう。


「……泣ける内は大丈夫だって昔、お母さんに言われた事があります」


 こういう時、ふとお母さんの事を思い出す。


 遠い、懐かしい日々。

 どうしようも無く辛くて、悲しくて、苦しくて。


 それでわんわん泣き続けていた時、まだ幼かった私にお母さんはそう、励ましてくれた。


「泣けるならまだ大丈夫。泣いて泣いて泣いて、それでも泣いたらまた、やり直せばいい。間違っていたのなら反省して、償えばいいんだって。……泣く事も出来ない位になってらから後悔するより、そっちの方がずっと良いって」


「……そうか」


「はい。だからきっと、大丈夫です」


「そうだな。……或いはそうかも、しれん」


 出来るだけ大きく胸を張ってそう答えると、そこに静で優しい頷きが返された。


「……良き母に、恵まれたのだな」


「怒るとめっちゃくちゃ怖いです。容赦ないです、本当」


 何故か怒られるのは私ばっかりだったけど。


 イワナガ様はどこか雰囲気をやわらげ、ほんのりと小さな笑みをこぼした。


「……さて、あちら側へ送ろう。お前を待つ者達の元へと、すぐにでも戻るがいい」


「戻れるんですか? 私」


「私達とは違い、お前には戻るべき場所と肉体がまだある。なればこそ、戻る事も容易いのだ。……ここは殺風景に過ぎる。お前には似合わぬよ」


「イワナガ様にだって似合いませんよ」


 ぶっきらぼうで口が悪くて、けど実は面倒見が良くて世話焼きなイワナガ様こそ、こんな寂しい所は似合わないんじゃないかと。思った事を素直に言ってみる。


 一瞬だけ驚いたような反応を見せたイワナガ様だったけれど、すぐに小さく笑ってみせた。


 小さく笑い、微かに首を振る。


「……なに、目を逸らし続けてきた者同士が互いに向き合うには、却って良いのかもしれん。これからは時間もある。ゆっくりと少しずつ、互いに歩み寄れるようにはしてみせよう」


 うっすらとその輪郭がボヤけていく。

 周りの有り様が変わっていく。


 認識が、遠ざかっていくのが自覚出来た。

 少しずつ感覚が、乖離していく。


「……イワナガ様、最後に一つだけ聞いてもいいですか」


 遠ざかるイワナガ様に向けて訪ねる。


 前々から気になっていた事が一つ。


「神様は滅びないって。もしそれが本当なら、戦神アスラは今どこに……」


 肉体を失い、力を失っても神様が滅ぶ事は無い。

 コノハナサクヤやイワナガ様がそうであるように、存在し続ける。それが例え世界の外側であったとしても。


 それを羨ましいとは思えない。

 だってそれは、実はとても残酷な事のようにも思えるから。


 滅びる事の無い存在。

 消えてしまう事の出来ない、在り方。


 古き神々は世界の果てへと追放され、この世界には三人の神様が残った。


 コノハナサクヤとイワナガ様。

 そして二人と共にあった、戦神アスラ。


「……アスラの意思は今もその血脈の中に生き続けていよう。その最後の一人の中にもな」


 けれどもう、やはり戦神アスラはいないんだ。

 イワナガ様の側にも、この世界のどこにも、もう。


 何故なら彼の戦神は、神様ではなかったから。


 神様ではなく、多分きっと、一人の……。


「出会わなければ良かったと、……後悔したりはしないんですか」


「せぬな。短い時間ではあったが、共に過ごせた日々もあった。それを悔やんだりはせぬ。お前ならば分かるであろう。……そういうものだ」


 イワナガ様のその言葉に、迷いはなかった。

 はっきりと言い切りながら、頷いて見せる。


 戦神の血を残すアスラ神族。

 確かに彼らは、魔族では無いのだろう。


 そして何故、魔族では無い彼らが魔の国にあり続けたのか。


 それは多分きっと、そういう事なのだろう。


 マオリにも流れるその血の半分は、魔族のものでは無いのかもしれない。けどもう半分はきっと、本当に神様の血なのだろうから。


 口が悪くて横柄な、それでいて優しいひねくれ者の女神様の血を、受け継いでいるのだろうから。


「……アスラの子を頼む。よくしてやってくれ」


「……はいっ」


 遠い遠いお義母さんに見送られ、戻る。


 私のいるべき場所。

 戻るべき、その場所へ。


 光に満たされる。

 優しさが、溢れる。


 連綿と続く命の営みの、始まりと終わり。


 仄かに揺らいで煌めいて。

 絡み合い、結ばれ、続いていく世界へ。


 ……身体に、重さが戻る。


 脈打つ鼓動を感じて静かに息を吸い、吐く。


 乾いた砂埃の臭いがする。

 その臭いの中にもう一つ、別なものが混ざる。


 どこか安心感のある暖かみを全身に感じながら目を開けると、うっすらとした視界の中に黒い瞳があった。


 優しげな黒い瞳がゆっくりと綻ぶ。


 愛しさに心が、満たされていた。


「……マオリ」


 抱き抱えられたその腕の中で目を覚まして、世界の内側へ戻ってきた事を知る。


 肉体のある世界。

 命の営みに溢れる世界へと。


「……女神は、どうした」


「世界の外側に。……だから多分、もう大丈夫」


「……そうか」


 落ち着いた声に答えると、更に深く、優しく、懐の奥へと抱き込まれた。


 マオリの頬が、おでこに触れる。


「終わったんだな」


「うん」


「……そうか」


「……うん」


 労うようにかけられた声に頷き、大きな懐に身体を預ける。


 深く抱え込まれ、優しい手の平が頬をなぞる。

 その指先に手を当てて握り込む。


 見上げる視線のすぐ近くに、マオリの眼差しがあった。


 ずっと私を見ていてくれた眼差し。

 私を呼び戻してくれた、人。


 女神の光球が輝きを失いはじめ、だんだんと辺りが薄暗さを増していく。


 肌に感じる空気はひんやりとしていて。

 それでも何故か、胸の奥はとても暖かくて。


 暗くなっていく視界の中でまっすぐに注がれるマオリの眼差しを見つめ返していると、頬の下にそっと、優しい手の平が添えられた。

 

 シルエットを残してマオリの体温が近づき、息を止めたのが分かった。


 東の空が白ずんで、朝の光が大地に差し込む。


 夜闇を照らしていた女神の光球が消え、昇る太陽の光が、辺りに暖かな安らぎを満たしていく。


 唇と唇が、互いを求めて近づいていく。


 眩しいばかりの朝日に照らされるマオリとの、二人のシルエット。


 その中で一人。私だけが。











 


「っいやあああぁぁあああああっおぐ!?」


「あぶぉっ!?」


 反射的に身を屈めてしまい、勢い余ってマオリの顔面に頭をぶちかましてしまった。


 仰け反るマオリの腕から慌てて飛び降りて、身体を隠しながらその場へとしゃがみこむ。


「いやっ、ってかなんでっ!? なんで全裸っ!?」


 いや、分かってる。なんとなく記憶はあるけど。うっすらと理解は出来てるけど、それでもなんでこのタイミングで、こんな時に私だけが一人全裸を晒してるのか。


 女神の光球が消えたって事は女神の力が薄れて、消えていったって事でそれは分かるけど、なんでそれで一緒に服まで消えてんだコンチクショーッ!


 泣くぞっ!

 泣いてるよっ!


 顔をおさえながら反対を向いてマオリが踞る。


 ……うん。女神でさえも吹き飛ばした自慢の頭突きです。相当痛かったかもしんない。ごめん。


 いや、でもっ、だからっ!


 朝日に照されながら、知らず全裸を晒す。

 間抜けに過ぎる自分の姿に頭がパニクる。


 なにこれっ!?

 なんなんっ、これっ!?


 いやぁぁぁあああああああっ!?


「……失礼いたします」


 涙目で慌てふためいている所に、ふぁさっと白く清らかな布が身体に被せられた。姫神になったリーンシェイドが、自身の魔力で魔力布を編んで覆ってくれている。


「うぅぅ。ありがとう。リーンシェイド」


 しがみつくようにその白い布で身体を隠すと、その裾をリーンシェイドは固く握りしめた。固く握りしめたまま、顔を伏せて肩を震わせる。


「……お願いですからもう二度と、もう二度とこんな事は、しないで下さい。……お願いします」


「……ごめん」


 顔を伏せたまま小さく囁くリーンシェイドをそっと肩で受けて、抱き寄せる。


「ごめんね。……心配させて本当に、ごめん。ありがとう」


 リーンシェイドを肩で抱きながら、その後ろにいるみんなへと視線を向ける。


 他に選択肢がなかった。

 それしか無いと思って、コノハナサクヤに直接意地の張り合いを仕掛けた。そうしなければ他のみんなを助けられないと思ったから。


 でも、一人じゃ勝てなかった。

 私一人ではコノハナサクヤには勝てなかった。


 朝日の中にいるみんなを見る。


 みんながいなければ勝てなかった。

 みんなが一緒に戦ってくれたからこそ、こうして再び戻ってこれたのだと。


「ありがとう……」


 順番に一人ずつ、その姿に視線を移していく。


 朝日の中でセルアザムさんは視線をずらして、相変わらずすっと姿勢良く佇んでいた。


 その横で何故か明後日の方角を向きながら、ル・ゴーシュさんは筋肉を滾らせてポージングしてる。


 人の姿に戻ったクスハさんはシキさんと並んで、張り付いた笑顔を浮かべながら、慌てているアスタスの目をシキさんと二人で塞いでいた。


 ベルアドネは楽しそうにマリエル様と一緒に、勇者様と剣聖さんをぐるぐる巻きにしている。


 大切な仲間達。


 とても大切な、頼もしい友人達。


「……レフィア」


 そして、……大切な、人。


「その、……なんだ。あれだ、ほら」


 マオリは赤くなった鼻っ柱を人差し指で触れながら、バツが悪そうに目を逸らしていた。


 その姿がなんだか好ましくて、愛しくて。

 ついほんわかと、胸の奥が温かくなる。


「……おかえり」


 私の還るべき場所。

 戻るべき場所に今、私はいるんだと。


 ……そう、心から思えた。

 心から思うことが出来た。


 すっかりと明るくなった空の下、ひんやりとした空気を目一杯に吸い込む。


 どこか晴々とした気持ちを抱えながら、マオリへと気持ち一杯の笑顔を向ける。


「ただいまっ!」


 そして私達の戦いは、……終わった。





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