♯234 世界の外側で
一切の音が消えていた。
動くモノも何も無く、空も大地も無い。
真っ白な空間がどこまでも続く世界。
果ての無い空間がどこまでも続いてるハズなのに、温かくも寒くもないその世界は、どこか息がつまりそうだった。
世界の外側。
多分ここが、そうなんだと分かる。
空虚に満たされた何も無い世界。
何一つ動くものの無い、変化の無い場所。
「……なんでこうなるのよ」
どこまでも広がるまっ更な世界の中で一人の少女が、こちらを睨み付けていた。
ふんわりとした桜色の髪を小さく震わせながら、剣呑な目付きの奥に底知れない憎悪をこそ含み、睨み付ける少女。
見た目的には同世代くらいだろうか。
身の丈も同じくらいなように思う。
白く抜けるような肌と黄金の大きな瞳は、本来であればもっと魅力的なものに見えるのだろう。
金糸で彩られた白と桃色が幾重にも重なりあったその繊細な衣装も、纏う険の深さに色褪せて見える。
「なんでお前なんかに、こんな事が出来るのよっ!」
私が知るかい。
どうにかしなくちゃと思ってどうにかしたらこうなった。それしか言えない。だから敢えて黙っておく。
……本当、なんでこんな事が出来たのか。
私のだんまりが気に食わないのか、コノハナサクヤの目元が更に大きくつり上がる。とりあえず、折角の美貌が台無しなのは間違いない。残念過ぎる。
「全部消えてなくなるハズだったっ。何もかも全部壊れて消えて、全てなくなるハズだっのにっ、なんで、なんでこうなるのよっ!」
半狂乱になって喚き立てるコノハナサクヤを目の前にして、落ち着いた心持ちでその様子を眺める。
不思議とどこか、落ち着いていられる自分がいた。
それは、コノハナサクヤをこっちへ道連れにしたついでに、世界の穴が塞がったからなのかもしれないし、目の前にいる存在から、かつて感じていた圧倒的な気配もその妖艶さも、欠片も感じなくなっているからかもしれない。
どちらにせよ、世界の崩壊は止められた。
外側と内側を繋げるように穿たれた穴は、何故か綺麗さっぱりと消えていた。
理屈は知らない。
もしかしたら世界の外側と繋がっていたのはこのコノハナサクヤ自身で、コイツをこっちに引っ張り込んだからこそ、穴が消えたのかもしれない。あくまで推測でしかないけど。
要はあれだ。
結果オーライ。
こんな所にこんなヤツと二人っきりになってしまったのは、……少し予想外だったけど。
「なんで上手くいかないのっ。なんで思い通りにいってくれないのっ。なんで何もかもこんなにっ……」
「あんたが結局、どこまでいっても一人だからでしょ」
一人でぶつぶつと呟き始めたコノハナサクヤに、感じていた事を言葉として投げつける。
キッときつい目で睨まれるけれど、その表情でさえも哀れに感じてしまう。哀れで、そして惨めだと。
「誰も見ずに誰にも寄り添わない。そこにあるのは自分だけ、どこまでいっても自分しかいない。……そんなので何かが出来る訳もない」
「お前にっ、お前に私の何が分かるっ!」
「分からないわよ」
短くきっぱりと言い切って、コノハナサクヤとの距離を縮める。今一つ距離感があやふやなのは、ここに肉体が無い所為なのかもしれない。
ぼんやりとした感覚の中でその距離を、少しずつ縮めていく。
「あんた、何も伝えようともしてないじゃない。誰にも何も伝えようとしてないのに、それで何かが分かる訳ないでしょうが」
「うるさいっ、うるさいうるさいっ黙れっ!」
「どんなに思いをこめて言葉にしても、気持ちを伝えたくて声にしたって、それでも伝えたい事の千分の一だって伝わらないのに。何も伝えようとしない、誰も見ようとしないあんたの、何が分かるのさ」
「黙れっ! 知ったような口をきくなぁぁあああっ!」
桜色の髪を振り乱してコノハナサクヤが叫ぶ。
黄金の瞳と可憐な口元が、歪んでいく。
「ずっと一人だった。ずっとここで一人っ、誰も側にいないままずっとっ、ただ眺め続けるしかなかったっ! 見てる事しか出来なかったっ!」
「拒んだのはあんたでしょ」
「違うっ! 誰も私を見ようとしなかったっ! 誰も私に、微笑んでなんてくれなかったっ!」
「捧げられた感謝の声もあった。救いを求めてもいた。全部あんたに向けられた声だ。全部あんたに捧げられていた声なんだ。あんたは自分でそれを拒んだ」
「……知らない。そんなもの知らない。そんなの私は知らないっ! 私は、私を見て欲しかった。私を見て、私の気持ちを知って欲しかった。なのに誰も私を見てなんてくれなかった。誰も私に暖かみを与えてなんてくれなかったのにっ、そんなものっ、そんなものっ知らないわよっ!」
「今のあんた、物凄く惨めだよ」
「っこの!? ……ぐっ!?」
瞬間的に頭に血が昇ったのか、それまでぐだぐだと叫んでいたコノハナサクヤが顔色を変え、手を振り上げた。
その振り上げられた手を掴む。
掴む事が、出来た。
イワナガ様の間の空間の中で会った時には全く届かなかったその腕に、その身体に、触れる事が出来てしまった。
細くて白い非力な腕を、締め上げる。
「……なんでっ」
驚きに戸惑いを隠せないのはどうやらコノハナサクヤも同じようで、腕を掴まれた事に大きく目を見開いていた。
その鼻っ柱に一発、積もりに積もったこれまでの思いを込めた頭突きをぶちかます。
「……がふっ!?」
そこで頭突きがくるとは思ってもみなかったのか、無防備な顔面に直撃を食らったコノハナサクヤは大きくのけ反り、後方へと弾き飛んでいった。
頭突き一発でどれだけ飛んでいくんだか。
多分これは、身体が軽いとかじゃない気がする。
そもそも肉体自体がここには無いのだから。
同じ肉体を共有していた、二つの精神。
「……そういう事、か」
何だか妙に、今の状況がすとんと理解できてしまった。
コノハナヤサクヤから以前のように圧倒的な力の差を感じない理由。触れてしまえた、頭突き一発で軽々と吹き飛ばせてしまったその理由が、何となく分かる。
「……なんでっ、なんで私に触れられるっ!? なんで私に痛みをっ、お前が与えられるっ!?」
赤くなった鼻っ柱を押さえながら起き上がるコノハナサクヤは、より困惑を深めているようでもある。
「同じ肉体、同じ魂の器の中に入っていた二つの精神。その精神だけがこっちに飛ばされてきたから。……じゃないかな」
「精神、……だけが?」
「肉体的な強さも魔力的な強さも共有したまま、あっちへ置いてきてるんだと思う。だからここにあるのはお互いの精神だけ。……そういう事なんじゃないかなとは思う」
ここにあるのはお互いの精神体だけ。
つまりは心の強さのみが、ここにあるのだと。
いや、……まぁ。
自分がそれほど心が強いとは微塵も思ってはいないけど、コノハナサクヤの心が弱すぎるのには、少し驚いていたりもする。
「……ありえない。ありえないこんな事っ、こんな事っ、ありえるわけないっ。あっていい訳ないっ!」
両手の拳を固く握りしめ、顔を伏せたコノハナサクヤは目を見開きながら、憤りに肩を震わせる。
「……どいつもこいつも。どいつもこいつもっどいつもこいつもっどいつもこいつもぉおおっ! 何が天上の美よっ! 何が至高の麗しさよっ! ふざけんなっふざけんなっふざけんなっ!」
憤る感情のままに吐き出される叫びは、一体誰に向けられたものなのか。遠い記憶とを重ねているのか、黄金の瞳が激しく揺れ動き、焦点が定まっていない。
「ヤツラは私を褒め称えたその口で、私を美しいと言ったその口で怨嗟の言葉を投げつけてきたっ! 誰よりも美しいっ、何よりも華やかでっ、それが何になるのよっ! その美しさを讃えた内の誰一人としてっ、私の側でっ、私に味方してくれる者などいなかったっ! ただの一人としてだっ!」
コノハナサクヤが顔を上げてこちらへと振り向く。
疲れ果てた顔には自嘲の色が浮かび、吐き捨てる叫びの語気がだんだんと強みを帯び、乾いていく。
「……アスラだけだった。アスラだけは隣にあって、肩を並べてともに戦ってくれた。アスラだけはその言葉に嘘偽りなく最後までともに戦ってくれたのに。……けど違う。違ってた」
途中から両腕を抱え込み、だんだんと俯いてくその様子をただ黙ったまま、見守る。
小さくなっていく声に耳を傾ける。
「アスラは私など見てはいなかった。アスラの目には最初から、私など欠片も映してはいなかった」
真っ白な空間に小さな呟きが伝わる。
「……勝てる訳、ないじゃない。勝てる訳ない。アイツに私が優るものなんて見た目しかないのに。みなが羨む美貌? 咲き誇る花の誉れ? ……そんなもの、見てもくれない相手にどうしろってのよ。どうすればいいってのよっ!」
「……違うんでしょ」
「何が違うっ!」
「戦神アスラは確かにあんたを見てはいなかった。戦神アスラは最初からずっとただ、イワナガ様だけを見続けていた。……それはあんたも同じなんじゃなかったの?」
まるで戦神アスラを愛してたかのように言うコノハナサクヤに、きっぱりと否定を返す。
それは違うのだとはっきりと分かる。
だってそれは、私にとっても大切な事だから。
ようやくにして自覚した確かな思いだからこそ、コノハナサクヤのそれは違うのだとはっきりと分かった。
「あんただって、戦神アスラを見てた訳じゃない。あんたが見てたのは違う。あんただって、戦神アスラの事なんて見てなかった」
そしてコノハナサクヤのそれが何であるのかも、分かる。
「あんたが見てたのは、イワナガ様だ」
「……っな!?」
「イワナガ様に愛しげな眼差しが注がれるのも、イワナガ様が楽しげな笑顔に囲まれるのも、あんたは気にくわなかった。自分よりも醜いと蔑んでいたイワナガ様が、自分が望んでも手に入れる事の出来なかったものの中にいる。それがただ妬ましかった」
それは嫉妬だ。
それもコノハナサクヤはアスラにではくイワナガ様に強い嫉妬を、抱き続けているのだと。
いつも比べられ、見下げてきた相手。
美醜において常に比べられてきた相手だからこそ、逆にそれが許せなかったのだと。
「……違うっ、私はっ!」
しどろもどろになって後ずさるコノハナサクヤの胸倉を強引に掴み上げ、力任せに引き込む。
間近に引き寄せた動揺に揺れる瞳を、しっかりと真正面に向き合う。
「だったら、……だったら言ってみなよ。見てくれなかったとか、してくれなかったとか求めるばかりでなく自分からっ、自分の言葉でっ、はっきりとアスラを愛してたって言ってみせろっ!」
「……違うっ、違う私はっ、私はっ!」
「言えっ! 言ってみろっ!」
「嫌だっ、違うっ、違うっ!」
「言えないんだろっ!」
ここに来て、ここに至って分かる。
それは、そういう事なんだと。
コイツの中にあるのは強い嫉妬なのだと。
思えばコイツは世界の外側から声を届ける時、誰にでもその声を伝える事が出来ていた訳じゃない。
その声を伝える為に必要な条件があるんだ。
オハラやスンラの中にあったのは強烈な嫉妬だった。
そしてオルオレーナさんの中にもそれがあったんだと分かる。オルオレーナさんは先代聖女ソフィアに嫉妬していたんだ。
オルオレーナさんはずっと、勇者ファシアスとともに戦い、ともに死んでいった先代聖女ソフィアに対する嫉妬を、拭う事が出来なかったのだと。だからコノハナサクヤの声が届いた。……届いてしまったのだと。
リディア教皇だってそうだ。
言う事をきかなかったから届けなかったんじゃない。伝えたくても、伝えられなかったんだ。
リディア教皇はずっと、自身をさらけ出して生きるオルオレーナさんを羨ましく思っていたから。
そしてその思いに自身で区切りをつけた時から、リディア教皇にはコノハナサクヤの声が聞こえなくなった。届かなくなったんだ。
イワナガ様を妬み続け、羨み続けた。
その思いがコイツをここまで、歪ませたんだと。
愛され方を知らずに愛し続けた女神と。
愛し方を知らず、愛され続けた女神。
それはきっと、そういう事なんだ。
そういう事なんだと、――思うから。
そして多分、そのどちらもがきっと苦しんでいたんだとそう、思うから。
それでもそのどちらが幸せだったのかと言えばきっと、そういう事なんだと思う。
与えられる喜びは大きいものだけど、与える喜びには勝らない。
「違う、違うっ嫌だっ! 嫌だ嫌だ嫌だっ!」
「目を背けるなっ!」
胸倉を掴む手に力を込めて更に引き寄せる。
言葉を失い、ただ首を横に振るだけのコノハナサクヤからはもう、傲慢に歪んだ笑みは一切消え失せていた。
与えられるだけの女神。
愛されるだけの、美貌を讃えられる存在。
けどそれでも、私は知っている。
知ってしまったから。
「あんたのした事は許せないし。私はそれを、絶対に許さない」
それでも、それだけじゃなかった事を。
元々、嫉妬だけじゃなかった。
愛し方を知らなかったけど、決してそれだけじゃなく、愛され続けてきただけじゃない事も私は、……知ってしまったから。
「でも、だから。これだけは言っとく」
本当は知りたくなかった。
本当はただ、憎いだけの存在でいて欲しかった。
憎んで恨んで憤って、ただ打ち倒す為の相手でいて欲しかったけど、……それももう、出来ない。
悔しいけど。
とても悔しくて仕方ないけど。
掴んだ手を解いて、力任せに身体を抱き締める。
とても華奢でか細くて頼りないその身体を両腕で深く、深く抱き締める。
「……ありがとう」
それでも、守る為に戦ったのだと。
愛し方を知らなくても、この細い身体で肉体が滅ぶまで戦い続けたのだと、知ってしまったから。
「みんなを、世界を助けてくれて。ありがとう」
許せない気持ちも本当で。
踏みにじってきた人達の事を、それまでにやって来た事を思うと悔しくて悔しくて仕方ないけど。
それでもかつて、みんなを守る為にどれだけ苦しくて、どれだけ辛い思いをしてきたのかも本当で。
だからそれが余計に許せなくて。
でもだからこそ、悔しくて。
「怖かったんでしょ。本当に、本当に辛かったんでしょ。それでもあんたは、戦ってくれた。この世界の命を守るためにそれでも、戦ってくれた」
抱き締める腕に力が籠る。
どうしようもなくて。
どうしようもないからこそ。
どうにもならない自身の思いがそこに、籠る。
どうしたら良いのか分からなかった。
私はどうしたら、良いのだろうか。
しっちゃかめっちゃかに絡み合う感情の中で、それでもただ一つ、ただ一つだけ確かな気持ちに思いを乗せて、言葉にする。
「だから。……ありがとう」
抱き締めた腕の中に、コノハナサクヤの温もりを確かに感じる。強張りを見せるその身体から感じる確かな温もり。その温もりが、熱をもって込み上げてくるのがわかった。
思いが、伝わる。
「……うわぁぁああああああぁぁあああんっ」
強く、強く抱き締めた腕の中で。
まるで沸き上がる熱を吐き出すように。
コノハナサクヤが声を上げて、泣いた。
まるで子供のように大きな声をあげ、恥も外聞もかなぐり捨てて。大粒の涙を黄金の瞳から溢れさせ、泣き出した。
幼い迷い子が再び帰る場所を見つけて安心した時のように。叱られた子供が許され、抱き締められた時のように。
コノハナサクヤはただ、いつまでもずっと腕の中で声を上げて、泣き続けていた。
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