♯232 拒む者(ラストバトル8)
黒炎に焼かれ、花びら達が煤けて崩れ去る。
積もる事の無い黒い雪となった残骸が、光源に照らされた空へと順に、消えていく。
凪ぐ風に、マオリの黒髪がさらりと揺れた。
驚きに大きく見開かれた女神の双眸は、明らかに動揺の色を濃く、深めていく。
「……何故、
マオグリード・アスラ。
魔の国を統べる、魔王。
「何故お前までがっ、ここにいるっ!」
コノハナサクヤの中で驚愕が憤怒へと塗り替えられていく。込み上げる憤りに、自然と語気が熱を帯びてしまう。
「だからお前が残してった転移門を……」
「違うっ! お前は死んだハズだっ! 自ら自身の心臓を握り潰して死んだハズのお前が、何故ここにいるっ!」
再び同じ事を口にしようとしたマオリに被せるように、コノハナサクヤは自らの戸惑いを言葉にして吐き出す。何故だ。ありえない、と。
戦神アスラの血を受け継ぐ者達。
その血を遺す者。
その最後の一人までも殺したハズだった。
確かに殺したハズなのに。
スンラとの戦いの果てにヒルコに取り憑かれ、その取り憑かれた心臓ごと自ら握り潰し、果てたハズなのに。
憤りに猛るコノハナサクヤの様子に、マオリはつまらなさそうに鼻頭を人差し指でこすった。
その仕草が更に女神を苛立たせる。
「答えろアスラっ!」
「……誰かさんのお陰で死にきれずに戻ってこれた。ただそれだけだ。……あんまり言わせんな、格好悪過ぎるだろ」
「ふざけるなぁっ!」
再び大量の花びらが周りに舞い上がり、込められた激情のまに、集い狂ってマオリへと襲いかかる。
「陛下っ!」
マオリに花びらの渦が迫るのを見てリーンシェイドが声を上げるが、控えめに挙げられた手がそれに応えた。
大丈夫だからと、優しげな表情が添えられる。
気負う様子も無く、その足元から黒い炎が渦を巻いて燃え上がり、包み込もうとしたいた花びらを再び飲み込んだ。
花弁の一つ一つは自身の力の一部。
女神としての力、そのものの発現。
それらを悉く、黒い炎が焼き尽くしていく。
塵となって消えていく花びらの向こう側から、朱槍を深く握り直したコノハナサクヤがマオリへと迫った。
「ならばこの手で再びっ、その心臓を貫くだけの事っ! 剣を抜けアスラっ!」
突き出される朱槍の切っ先をマオリは軽く払いのけ、身体を外へとずらす。
よけた先へと更に槍が横凪ぎに振るわれるが、その身体に触れる事が出来ずに空を凪ぐ。
女神の槍撃が怒濤の如くに迫る。
その全てを軽く払いのけながらも、マオリは払いのけるだけで何もせず、ただひたすらに槍を避け続けた。
「剣を抜きなさいアスラっ! 私と戦えっ!」
「戦わねぇよ。そもそも戦いに来た訳じゃねぇ」
「この期に及んで何をっ!」
「俺はただ、迎えに来ただけだ」
「なっ!?」
脳天を狙って叩きつけた槍がかわされ、そのかわされた槍の柄が掴まれ、強引に引き込まれた。
槍を取られまいと強く抱え込もうとしたコノハナサクヤのすぐ目の前に、マオリの端正な眼差しが近づく。
黒い瞳の中にその姿を映し、間近に迫る。
「……お前を迎えにきた。それだけだ」
瞳の中に姿を映してはいても、その目は自分を見てはいない。その視線の意味に気づいた女神は胸中に、ズキリとした重苦しい痛みを覚える。
少年らしさと男らしさの同居した、憂いを含んで優しく微笑むその眼差しは、自分を見てなどいない。
自分に向けられたものではない。
目の前にいる自分でなくその奥にある、自我さえあやふやなクセに今も抗い続ける肉体の意思に、向けられる暖かな眼差し。
かつての思いが、その姿に重なる。
幻視する戦神アスラの姿がマオリに重なった。
激情が全身を駆け抜ける。
「っあああああぁぁぁあああああああっ!」
力任せにマオリを突飛ばし、距離を置いた女神が叫ぶ。
忌まわしい過去が。
悲壮な痛みをともなう記憶が。
女神の中に黒い感情を沸き上がらせる。
「お前はいつもそうだっ、アスラっ! お前は私を見ないっ!」
過去と今とが繋がり、コノハナサクヤの感情を激しく刺激する。
「いつもそうやってお前はっ、私を見ようともしないっ!」
目の前にいる者は違う。
そうではない。ヤツでは無いのだと。
頭では分かっていても、同じように重なる既視感に、昂る感情をぶつけずにはいられなかった。
「私を求めなさいっ! 私を欲しなさいっ! 私をっ、私をっ!」
冷静さを失い、見るからに精彩を欠きながら、力無き槍撃が怒声とともにただ、振り回される。
「私を見ろっアスラァァアアアアッ!」
大きく振るわれた一撃を掌で受けて掴み、憤りに強張るコノハナサクヤの目の前に再びマオリが迫る。
「俺が欲しいと願うのは、これまでも今もこの先も、……
強い意思の輝きが満たされた眼差し。
その輝きが女神に深く、突き刺さる。
「お前じゃ、ない」
眼前に突きつけられた力強い黒い瞳の中。
そこに映る姿が激しく動揺を示す。
「……やっ、がっ!?」
思わず引いた槍が手離され、勢いの着いた身体が後ろへと流れた。
膝から力が抜け、足元がもつれ、そのまま地面へと倒れるように座り込む。
カランと乾いた音を立て、朱槍が地面の上へと転がり落ちていく。
そのあまりにも軽い音に視線を向けると、その向こうに白い鬼神と剣聖がいた。
反射的に目を逸らして反対側を振り向けば、他の者達もまた、じっと黙ったまま女神を見ている。
矮小なる者達。
女神である自分に抗う愚かな者達。
その者達の前で自分は今、地面に座り込んでいる。
槍を落とし、力無く座り込んでしまっている。
「……ははっ、ははははっ、ははははっ、なに、これ」
唐突な喪失感が、身の内に到来する。
乾いた笑いが自然と込み上げてきて、しまう。
「なにこれ。なんなの。なんなのよ、……これ」
身体の感覚が鈍い。
どこまでも抗う意思が強く、身体を縛り付ける。
白い鬼神。
カグツチを下した剣聖。
死んだハズのアスラの生き残り。
……それだけじゃない。
かつて圧倒的なまでに打ち負かした悪魔王も、千年王狐も筋肉エルフも。
大して気にもしていなかった聖女と勇者、その他の者達。
取るに足らぬと思っていた者達に囲まれ、その真ん中で醜態を晒しながら、敗北しようとしている自分がいる。
女神である自分が、敗北する。
そのありえないハズの事実が現実として、自分の周りを取り囲んでいる。
全てが思い通りに進んでいたのに。
ここまで全て、自分の思い描いた通りだったのに。
どこから違ってきていたのだろうか。
どこで違えて、しまったのだろうかと。
言い様の無い喪失感と虚脱が、身体の奥底から全身をじわりじわりと染め上げる。
虚しさが心を、染め上げていく。
「ふふっ、……本当に、どいつも、こいつも」
唐突に何かが、思考を突き抜けた。
「……もう、いいわ」
女神から異質な力が溢れ出す。
「もういい。こんなの、もういらない」
先程までの見る者を惹き込むかのような力とは別種の力が、コノハナサクヤ自身を染め上げていく。
自身の力を押さえ込まれ、世界のありようを拒む女神を中心にどこか異質な力が、広がっていく。
「……ぬっ? ぐぉぅっ!?」
目の前で膨れ上がる無機質な力の波動に、剣聖が深く身構え、その背にリーンシェイドを庇う。
「……これはっ!?」
異変を感じて踏み出そうとしたセルアザムが、その異質な力に押し戻される。
次第に強さを増していく力が圧力を持ち、まるで嵐のように吹き荒れ、膨れ上がっていく。
ル・ゴーシュとマリエルの張った結界が、周りの者達を護るように包み込む。その結界の外側で乾いた地面がめくれ上がり、音も無く砕け散った。
底知れぬ不安が、掻き立てられていく。
「結局、こうなるのね。結局そうやって私を拒絶する。どいつもこいつもそうやって、私を拒むのね」
ゆらりと立ち上がった女神の足元から地面が砕け、消えていく。
光と音が、吸い込まれていく。
――虚無。存在そのものへの、否定。
「だったらもういいわ。もういらない。もうこんなの、こんな世界、どうにでもなってしまえばいい。壊れて失くなってしまえばいい」
ただ静かに、世界が裏返る。
虚ろな瞳に力無い微笑みを張り付けた女神を中心にして、世界が崩れ、裏返りながら飲み込まれていく。
あろうとする世界への拒否。
存在の拒絶。
世界を拒む女神の存在が、世界の外側へと続く一穴として、穿たれる。
世界の内と外とを、繋ぐ。
「知らなかったでしょ? この世界の外側にもね、空間はずっと広がっているの。音も無く熱も無い空間がただずっと、どこまでも広がってるのよ」
肉体を失い、存在する事を許されなかったコノハナサクヤはずっと、そこにいた。世界の外側からずっとこの世界を、眺め続けていた。
肉体を失い、例え力を失ったとしても、女神は決して滅ぶ事はない。滅ぶ事が許されない。
滅ぶ事の出来ないまま世界の外側からただ、眺め続けている事しか許されなかった。
「ふふっ。空虚に満ちた空間。時間の流れさえも崩壊する外側とこの世界を繋げたら、どうなると思う?」
世界の外側に向けて穴を穿つ。
ただそれだけでやがて、世界はまるで泡が弾けて消えるかのように、裏返る。
どこか楽しげで虚ろな視線が、その場にいる者達に向けられる。
結界の中で耐える者達。
背にある者を庇い堪える者、庇われる者。
誰もが皆、その場から踏み出そうと試みるが女神の拒絶する意思が、近づく事を強く拒む。
存在を否定する虚無に、近づく事さえ拒まれる。
「すぐに虚無が世界を貪るわ。こんな世界、跡形もなくすぐに食い尽くされる。崩れてバラバラになって、そのまま何もかも消え去るの。壊れ果ててしまえばいい」
その中で一人、崩壊に動じずにじっと厳しい表情のままのマオリに、女神の視線が向けられた。
女神の視線を受け、マオリはそっと瞳を閉じる。
一瞬だけ瞳を閉じ、大きく息を吸い込んだ。
そして、あらんばかりの思いを込めて、その名を叫ぶ。
「戻ってこいっ! レフィアーッ!」
その揺るぎ無い様子に、空虚に穿たれた感情が苛立ちからの憤りを女神の中に沸き立たせ、憎悪に染まる。
どこまでも自分を蔑ろにするその存在が、許せなかった。
ならばもう、いい。
もう、消えてしまえと。
崩壊が世界を飲み込む。
地面が割れて砕け、大気が断末魔を上げるかのように震え、暴れ狂う。
拒絶し、拒む力が周囲へと大きく広がりを見せるのとは裏腹に、その中心から世界が、形を失っていく。
大地が、大気が、音が、……熱が。
光さえも飲み込む虚無の中心でただ一人、女神はその虚ろな瞳で、崩壊する有り様を眺め続ける。
このまま消えてなくなればいい。
何もかも綺麗に消えてなくなれば、それでいい。
世界が自分を拒むのなら。
そこに自分の居場所が無いのなら。
もういらない。
もうそれで、……いい。
もうそれで、良いのだと。
「この世界ごと何もかも、……消え去りなさい」
静かな呟きが漏れる。
静寂の内に全てが終われば良いと、女神はそっと、瞳を閉じてその時を待つ。
これで全て終わる。
このまま全て終わっていく。
「そんな事、……させない」
その声が女神の耳に届く。
終わりを望む言葉を残したのと同じ口から、もう一人の存在がその意思をはっきりと、強く、示した。
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