♯231 守り手たる者達(ラストバトル7)
朱槍を握る手が酷く痺れる。
加速した認識の中で、ゆっくりと時間が流れる。
打ち払った朱槍の先は大きく外に流れたまま、何者をも捉えていない。
右肩から受けた衝撃が重く体内を伝わり、堪えきれずに歪んだ膝が、地面に接する。
自身を打ち付けた蒼槍。
その蒼槍を持つ鬼神の白髪が長く、目の前を流れていく。
一瞬、コノハナサクヤはそこで何が起きたのか、理解が及ばなかった。
何故この白い鬼神がこんなにも近くにいるのか。
何故自分は地面に膝を着き、それを見上げているのか。
全身に広がるこの、右肩からの痛みは何なのか。
認識と衝動が、遅れてやってくる。
「……ぁぁああっ、あああぁぁああああああっ!」
右肩に受けた痛みよりも強く、両膝が着いた地面の感触よりも激しい憤りが、思考を埋め尽くす。
打たれた。
打たれた。
この私が、この私の身体が打たれた。
「ふざけるなふざけるなふざけるなーっ!」
目の前にいる忌々しい白い鬼神に、感情が爆発する。
込み上げる激情のまま弾けるように飛びかかり、手にした朱槍を滅多矢鱈と振り回す。
矮小なる者が、取るに足らないハズの穢れた命が、女神である自分を打ち据えた。女神である自分が打ち据えられた。
その一撃が、コノハナサクヤのプライドを深く抉る。
「ありえないっ、……ありえないっ!」
砂塵を巻き上げ、怒濤のように繰り出される朱槍の連撃が尽くいなされる。ただの一撃たりとて届かない。
更に込み上げる激情の嵐をするりとすり抜け、連撃の隙を突かれた蒼槍の石突きがコノハナサクヤの胸元を穿つ。
「……がっ!?」
穿たれた衝撃に、息が詰まった。
長らく忘れていた肉体の軋み、息苦しさが、コノハナサクヤに重大な枷となって襲いかかり、身体を縛り付ける。
見上げた視界の中で、蒼槍の切っ先が、自分に向けられて振り下ろされようとしていた。
奇しくも同じように槍を使い、その技で、女神を上回ってみせた鬼神の蒼槍がとどめを狙う。
一気に沸き上がった熱が引き、逃れられない一撃を前にして凪いでいく。
瞬間、コノハナサクヤはその瞼を閉じた。
「……っ!?」
黄金の瞳が閉じられたレフィアの顔を前にして、リーンシェイドが一瞬の戸惑いを見せた。
絶対のタイミング、自身を討とうとする刃を目の前にして閉じられた瞳に、身体が覚えているもう一つの記憶が反応してしまう。
そこに生じた一瞬の猶予。
すぐに開かれた黄金の瞳が、獰猛に輝く。
自らの敗北を悟り、刹那の間だけ取り戻した冷静さの中で、コノハナサクヤは一つの可能性に賭けていた。
一か八か。
この期に及んで、このタイミングだからこそ価値のあるであろう、乾坤一擲の一手。
その一瞬だけで、十分だった。
賭けに勝ち得た一瞬の隙をぬって、朱槍の切っ先がリーンシェイドの心臓を狙い、突き出される。
「がぁぁあああああっ!?」
反射的に身体を捻って心臓への直撃はかわすものの、かわしきれなかった朱槍の刃が、リーンシェイドの左肩を深く貫き通した。
衝撃を流しきれずに構えが崩れる。
更なる勢いで迫るコノハナサクヤが、構えの崩れたリーンシェイドを激しく蹴り飛ばした。
苦痛に表情を歪めながら吹き飛ばされるリーンシェイドに、コノハナサクヤの追撃が更に迫る。
「リーンシェイドっ!」
瞬刻の間に入れ替わった形勢に、セルアザム達が割って入ろうと試みる。
だが、その尽くが花びらの渦に阻まれてしまう。
舞い上がる花びらの渦が激しく吹き荒れ、駆け寄ろうとしている者達の行動を阻む。
(あとの者達ならばどうとでもなる。けれどコイツだけは、コイツだけは今ここで仕留めておかねばっ、コイツだけは、……絶対にっ!)
その目標をただ一つに絞り、コノハナサクヤの朱槍が必殺の好機を逃すまいと、リーンシェイドに打ち下ろされた。
「……くっ、がぁっ!?」
朱と蒼の槍が互いに激しく打ち付けられ、貫かれた左肩を庇い、片腕で受けた蒼槍が弾き飛ばされる。
朱槍の猛攻が、リーンシェイドを襲う。
距離を取るにようにして飛び退き、弾き飛ばされた蒼槍を再び手元へと呼び寄せてその猛攻を防ぐが、左肩に負った傷からの痛みが、動きから精彩さを失わせてしまっていた。
「……お前だけはっ、許さないっ!」
激しく打ち出される槍撃をしのぎきれず、打ち込まれた衝撃がリーンシェイドを地面へと叩き伏せる。
すぐに立ち上がろうとして、激痛に身体が強張り、動きを止めてしまった所へと朱槍が迫る。
自らに迫る鋭い朱槍の切っ先から、リーンシェイドは目を逸らさなかった。
例え最期の一瞬であっても諦めない。
それを教えてくれた人がいた。
身を持ってそれを、見せてくれた人がいた。
だからその一撃が自身の命を穿ち、貫き果たすその最期の一瞬まで決して、諦めてはいけないのだと。
迫る切っ先から目を逸らさぬまま、激しい衝撃と爆音が弾けた。
大気を震わす衝撃が駆け抜け、土埃を巻き上げる震動が、乾いた大地の上を走り抜ける。
土埃が過ぎ去り、視界が開ける。
目の前に、女神の朱槍の切っ先があった。
自身を貫くその寸前で止められた朱槍の切っ先が、大きく開かれた紅玉の瞳に、映り込む。
「……拙者が、間違っていたでござる」
そこには、自らの前に立ち塞がる大きな背中があった。
朱槍を受け止めた大きな背中が、その背中越しに聞こえた声に、リーンシェイドの鼓動が激しく高鳴る。
血脈が確かな熱を持つ。
「心より惚れた御仁より託されし命たらば、
全身に滾る力が青炎を纏い、押し込まれる朱槍に対して断固とした力でそれを押し返す。
その姿に、その声に、溢れだす思いが沸き立つ。
「それを他人に預け、成したような気になっていた拙者がっ、間違っていたでござるっ!」
「……剣聖、ゼン・モンド」
傷ついたリーンシェイドを背中に庇い、手にした青く燃え盛る一振りの刀が、その尋常ならざる膂力で女神の朱槍をじりじりと押し返す。
「例えこの身にその刃を受けようともっ、託された命たらば拙者がっ、守り抜いてみせるでござるっ!」
「……なっ!?」
神代の遺産、『カグツチ』を制してその力を自らのものとした剣聖の力が女神の力を上回り、弾き返す。
「はぁ、はぁ、はぁ……。無事に、ござるか」
「……何故、何故貴方が、……ここに」
会ってはならない、頼ってはならない人。
ここにいてはならない人なのに。
肩で息をしながら振り返り、いつかの優しげな様子で笑むその姿に、万感の思いが募って止まない。
「何故だっ! 何故お前がここにいるっ!? 最果ての森にいたハズのお前がっ!? 転移門はすでに閉じられているハズなのにっ、何故ここにいるっ!?」
女神が苛立ちも顕に叫ぶ。
最果ての森にいたハズの者が何故ここにいるのか。
そして必殺の力を込めた一撃が、何故防がれたのか。
あまりにも唐突な剣聖の出現に、疑問よりも大きな憤りが沸き上がる。
「……転移門とは、何の事でござろうか」
「……なに?」
「門など知らぬでござる」
「ならば何故お前がここにいるっ! 門を通らぬ者が、何故この場にいるかっ!」
激昂する女神に、剣聖は再び刀を構え直す。
「拙者はただ、
「……走って、だと?」
「最果ての森から魔王城まで、交わした約定を守るが為に走って向かう途中、ここに至った。それだけの事にござる」
「ば、馬鹿かっ!?」
最果ての森から魔王城までは、神速のスヴァジルファリであっても十日はかかる。その距離を人の足で駆け抜けようと思えば、一体どれほどの時間がかかるのか。女神の中に呆れた思いがよぎる。
そしてこの地が最果てと呼ばれ、カグツチを封印していた森もまた、この近くにある事に思い至る。
門を通らず、走ってきた。
その馬鹿馬鹿しい事実を、認めざるをえない。
「見れば大恩あるレフィア殿によく似た御仁にござるが、全く別人の様子。恩人に刃を向けるようで心苦しくもござるが、引かぬのであればこの剣聖ゼン・モンドがっ、お相手つかまつるっ!」
「邪魔をっ、するなぁぁああああああっ!」
光を返す青い刀身が、女神に向かって返される。
女神が叫び、その怒りの感情のまま無数の花びらが渦を巻き、リーンシェイドを背に守る剣聖に襲いかかる。
瞬攻一閃。
迫り来る花びらの一枚一枚に刃を合わせ、人の限界を超えた早さで全ての花びらを剣聖は打ち落とした。
花びらは自身の力の一部。それらを打ち落とした刀から感じる力に、コノハナサクヤは驚きを隠せないでいた。
それは確かに、カグツチの力。
カグツチの炎が刀となって形をもったもの。
「あれをお前がっ、お前如き人間がっ、あれの力を完全に制したとでも言うかぁぁあああっ!」
朱槍を手に、コノハナサクヤが飛びかかる。
渾身の力を込め、神速で繰り出された一突きが剣聖の青刀にいなされ、弾かれた。
更に踏み込み深く、放たれる剣聖の一撃をなんとか朱槍の柄で受けるも、その威力に押し負けてしまう。
二度三度と剣撃が重なる度、受ける衝撃に後方へと、確実に押し込まれてしまう。
力と、技が、自身を上回る。
たかが人間が、女神である自分を上回る。
「ふざっ、けるなぁぁぁあああああっ!」
目の前が真っ白になる程の屈辱が、コノハナサクヤの理性の箍を外した。
「なんなんだお前はっ! なんなんだ一体っ! なんなんなんだお前達はぁぁぁああああっ!」
荒ぶる感情のままに振り回した槍撃を、剣聖は軽くいなし、刀の腹で朱槍を外へと払う。
その剣聖の影から、白い鬼神が迫る。
「……貴女に、抗う者達です」
「くっ!?」
突き出された蒼槍が、女神の脇腹を穿つ。
衝撃に弾かれ、受けた傷をすぐに癒しながら、更に後方へと大きく飛び退き逃げる。
姫神となった夜叉の小娘を一気に叩き潰すつもりだった。この小娘さえ叩き潰せば、後はどうとでもなる。そう思えばこそ、真っ先に叩き潰さねばならなかった。
なのに状況は、コノハナサクヤに不利になる一方でしかない。
不意に視界に、クスハの姿が入った。
特に意識した訳ではない。ふと周りの景色の中にたまたま、黄金の毛並みが目についた、それだけだった。
不利どころの話ではない。
戦いが始まってから今だ誰一人として、この者達は脱落していない。
内臓を掻き毟ったこの千年王狐も、腹部を貫いた老エルフも誰一人として、仕留めてきれていない。
姫神となった夜叉の娘と、カグツチの力を手にした剣聖は別にしたとしても、他の者でさえも誰一人として仕留められず、自身に抗う姿勢を崩さないでいる。
その事に深い怒りが、沸き上がる。
コノハナサクヤの怒りを表すかのように、花びらの渦が吹き乱れ、その中心にクスハを捕らえた。
「がっ!?」
「せめてお前だけでも、……死ね」
花びらの渦に閉じ込められ、身動きの出来ないクスハに向かって朱槍が投げつけられる。
一条の光の軌跡を残し、朱槍がクスハへと吸い込まれるように迫る。
朱槍がクスハを貫くその寸前で、巻き起こった激しい竜巻に煽られ、大きくその狙いを剃らされた。
くるくると回転しながら飛び退く朱槍が、コノハナサクヤの手の中に舞い戻る。
忌々しげな表情を顕に、クスハを守った竜巻が濃紺色の毛並みをしたファーラットの姿へ変わっていくのを、女神は睨み付けていた。
「クスハ様は僕が守りますっ!」
「……アスタスっ?」
「わんしゃもおるがね」
幼さなの残る太々しい物言いに重なるように、大岩のような巨人が巨腕を振るう。
激しい轟音を巻き上げながら迫るその巨大な質量の塊を、コノハナサクヤは朱槍の一刀の元に斬り伏せた。
「……おかあ、ちゃん?」
無数の花びらとなって巨大な傀儡が四散する。
その向こう側で、小柄な童女が不敵な笑みを浮かべていた。
「……次から次へと煩わしい」
怒りに感情を凪いだ低い声音が、響く。
「まさかお前達も、
激しい怒りとともに無数の花びらが舞い上がり、鋭い刃となってその場にいる者達全てに降り注ぐ。
そのうす紅色の凶刃の雨を、黒い炎が包み込んだ。
無数に降り注ぐ花びらの刃を黒い炎が包み込み、その全てをたちまちの内に焼き付くしていく。
「走ってだとか、……んな訳ねぇだろ。アホか」
黒い炎に焼かれ、崩れ落ちる花びらの残骸の中を、黒い全身鎧に身を包んだ若者が一人、進み出る。
それは魔の国にあって、その頂点に立つ者の姿。
全ての魔族の、希望を背負う者。
「ウチには術式の解析が得意な天才が、二人ほどいるんでな。残された転移門を再起動させて貰った。わりぃな」
吹く風に晒された黒髪が揺れ、その下の眼差しが強い意思の輝きを示す。
コノハナサクヤの前に、復活を果たしたマオリがその姿を、見せた。
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