♯230 姫神昇華(ラストバトル6)
場の空気が色を変える。
急速な高まりを見せる緊張が戦慄の色を含み、波紋のように周囲に駆け抜けた。
「あがっ、あぐっあぁ、ぁぁあっ」
微かな呻き声を漏らして自身を深く抱え込むリーンシェイドを、真っ白な闇が覆い隠していく。
可視化される程に密度を深めた魔力が、コノハナサクヤの作り出した光源に照らされる世界に、白い闇を穿つ。
「あああああぁぁぁああああああああっ!」
漏れていた呻きが叫びへと変わる。
突如訪れた戦場の異変。
その異変の意味する所を悟り、誰よりも真っ先に動いたのはコノハナサクヤだった。
神速の踏み込み深く、朱槍の切っ先が一条の光を返して戦場を貫く。
瞬きの間に放たれた苛烈なる一撃が、激しい衝撃と周囲に広がる震動を残し、強固な結界に阻まれた。
「ふんっ! はぁぁあああああああっ!」
リーンシェイドとの間に立ち塞がり、あらん限りの力を振り絞ったル・ゴーシュの渾身の結界が、コノハナサクヤの突撃を受け止める。
ぶ厚い物理結界の表面が大きく波打ち、ひび割れながらも、かかる突きの威力を真正面から防ぎきった。
力と力がぶつかり合い、弾け飛ぶ。
大きく体勢を崩したコノハナサクヤは後方へと距離を取る。地面に降り立った先、その足元からクスハの操る無数の木の蔓が高く伸び上がり、周りを取り囲んだ。
木の蔓は中に捕らえたものを逃がすまいと、瞬く間にも太い幹へと膨らんでいく。大樹の檻がコノハナサクヤを包み込み、更に太く、厚みを増す。
その一部が、弾けて砕けた。
大樹の壁に大きな穴を穿ち、粉々に砕けた木っ端とともに、朱槍を構えたコノハナサクヤが飛び出でる。
鋭い視線がまっすぐに、リーンシェイドを睨み付けていた。
忌まわしき夜叉の娘を包み込む、白い闇。
過去に一度、その白い闇に包まれた夜叉の娘がどうなったのかを、世界の外側から見た事があった。
神に迫らんとし、その力を昇華させんと目論んだ蒙昧たる一族が、その背負いし宿業の先に行き着いたもの。
あり得ないハズだった。
それはすでに、起こり得ないハズだった。
生まれながらにして号を持つ女夜叉。姫夜叉。
その姫夜叉が二代続けて生まれた時、夜叉の一族の宿業は形を持って達せられる。
だからこそあれだけ念入りに、スンラやオハラを通してありとあらゆる手段を講じて、その片方を排除したハズだった。
そのハズなのに。
何故あれが目の前にあるのか。
何故あの娘があの白い闇に、包まれているのか。
焦燥がコノハナサクヤから、笑みを失わせる。
「させる訳にはっ……、なっ!?」
リーンシェイドに向かって再び朱槍を構えた所で、不意に受けた衝撃に身体が大きくよろめく。
「よっしゃっ! 必殺っ、勇者アタァァァック!」
「……あぐっ、ちょ、待てっ、おいっ!」
振り抜けばそこに、ベルアドネの操る魔力糸に釣り上げられ、思いも寄らぬ方向から思いも寄らぬ勢いでぶつかってきた勇者の姿があった。
かつて無い苛立ちが、迸る。
本人も全く想定外だったのか、コノハナサクヤを突然目の前にした事で改めて慌てふためくその姿に、苛立ち紛れの切っ先が突き立てられる。
「やっ! マジかぁぁぁあああああぁぁぁ……」
槍の切っ先が届くその寸前。魔力糸が強引に引かれ、思わず叫んだ声のエコーを残しながら、勇者の身体が凄まじい勢いで視界から消えた。
遠心力で加速した振り子の先、絶望的な速度で振り回される勇者の身体が再び弧を描き、コノハナサクヤに迫る。
「……ぁぁぁあああああああっ!?」
「がっ!?」
予想外に加速した勇者の、本人も意図していなかったであろう体当たりを無防備にくらい、女神の身体が弾き飛ばされた。
「いっけぇぇええっ! 勇者っ!」
「勇者ユーシスっ! しっかりっ!」
ベルアドネとマリエル、二人の声援を受け、振り回され、朦朧としかけた勇者の意識が目を覚ます。
「……このっ、こうなりゃとことんやってやらぁっ!」
勢いを乗せた勇者の一撃が、コノハナサクヤの朱槍に叩きつけられた。
押し込まれる剛力に僅かに女神の視線がずらされ、小さな舌打ちが漏れる。
朱槍を捻って強引に身体を入れ替え、先へと踏み出す。
「行かせません」
「……このっ!?」
先へと急ごうとしたコノハナサクヤの前を、闇の刃を振るうセルアザムが塞ぐ。
「ぞぉりゃぁぁあああっ!」
動きを止められた所に、背後から勇者の大剣が勢いをつけて迫った。
「なめるなぁぁあああっ!」
無数のうす紅色の花びらが集い、渦を巻く。
激しく、勢いを増して渦巻く花びらの塊が爆発したかのように四散し、セルアザムと勇者の二人を弾き飛ばした。
その舞い散る花びらの向こう側。
激昂するコノハナサクヤの視界の外へと花びらが散っていくその向こう側で、白い闇が、収束していく。
真っ白な闇が、人の形を成していく。
毛先まで純白に染め抜かれた真っ直ぐな長い髪が、ふわりと扇状に広がり、流れて落ちた。
包まれていた白い闇をそのまま身に纏ったかのような衣は、女神の戦装束と同様、魔力がその形を成したもの。
天を突く一対の角は失われ、透き通るかのような白い肌が、幽玄の幻を思わせ仄かに輝きを放つ。
それは、夜叉の一族達の妄執の悲願。
人の形を成した真っ白な闇の中で、紅玉の瞳が解き放たれる。
呪術を積み重ね、犠牲を連ね、数限りない怨嗟と慟哭を積み上げてきた先に生み出した『号』を持つ娘の、その母娘に互いの頭蓋を食ませる事で生まれるもの。
神に迫る力を得る代償として、本来であれば理性を失うその肉体の器の中で、リーンシェイドの意識が覚醒を果たす。
憂いを帯びた眼差しの中に理性の輝きが灯り、意思を持った視線が、ゆっくりと目覚めを果たした。
種の枠を超えた鬼神。
姫神。――『鈴姫』。
根元からその有り様を作り替えられた鬼神の姿がゆらりと揺らぎ、その場から消える。
刹那の刻を待たず、衝撃が女神を捉えた。
「……ぐっ!?」
瞬きをする間もなく間合いを詰め、繰り出された掌底による一打を朱槍が受けとめる。
重く沈み込むかのような衝撃に大気が震え、低く唸りを上げながら、その余波が波紋を残して広がり残る。
ただ突きだされた手の平で押さえられているだけ。ただそれだけの事で感じる力の圧力に、コノハナサクヤの中で焦燥が激しく深まっていく。
リーンシェイドは霞がかる、うすぼんやりとした意識の中で確かにその力を、感じていた。
作り替えられていく身体。
無遠慮にかき乱される感情と、記憶。
自身が自身でなくなる恐怖の中、視界が、音が、感覚の全てが閉ざされて消えていく中で確かに感じた、思いの力。
消えていきそうになる自我を暖かく、優しく包み込み、守ってくれた母の、リンフィレットの意思の力。
その力を身体の内に、自身の一部として感じ続けていた。
女神が朱槍の切っ先を捻り、その槍元が足元へと凪ぎ払われる。
意識するまでも無く身体が反応を返し、ふわりと飛び上がったその下を、朱槍が通り過ぎていく。
身体が自然と動いた。
流れるようにして突かれるその切っ先をかわして奥へと踏み込むと、女神が大きく後ろへと飛び退く。
地面を蹴り砕いて再び振るわれる朱槍の一撃が、眼前に迫る。
女神の破撃が迫るのをはっきりと認識しながら、リーンシェイドは心の中に浮かぶその名を呼び寄せた。
手の中に生まれる確かな感覚。
リーンシェイドの静かな召喚に応じて出現した蒼槍が、朱槍の一打を受け止める。
――鬼槍・蒼天衝。
それはかつて、母の手にあったもの。
受け止めた力に勢いを溜め、小さな弧を描いて打ち払われる一撃が、女神に振るわれる。
弾かれ、手堅い痺れが手元に残る。
確かな感覚を手の平に感じながらくるりと身を翻し、握りを変え、更なる一撃を女神に向ける。
手にした蒼槍の感触が、四肢の感覚が、何をどうすれば良いのかを教えてくれる。どう動けば良いのかが、分かる。
自らの中に深く交わった感覚が、覚えの無いハズの槍の扱いを伝えてくれている。
持ち手をずらしながら、伸縮自在な間合いで打ち込まれ続ける槍撃に、女神がたじろぐ。
それは確かに、母の御技。
剣の道を極めた剣聖ゼン・モンドがかつて相対し、魂の内より見惚れた蒼槍の美技。
打ちては払い、払い突きたる万丈のうねり。
姫神としての力を得た母の技が、コノハナサクヤを圧倒し、確実に追いつめていく。
それは女神にとって、いくつかの誤算が重なった結果でもあった。
その一つが、リーンシェイドの力が本来の姫神のそれを、大きく上回っていた事。
もう一つが、姫神へと昇華したにも関わらず、リーンシェイドがその理性を失わず、意識を保っている事。
コノハナサクヤは知らなかった。
レフィアの身体の中にリンフィレットの頭蓋の欠片が残っていた事も、その欠片が小太刀へと形を成した時、欠片に刻まれた忌まわしき『号』がレフィアによって『銘』へと浄化され、より純粋な思いの力へと書き換えられていた事も。
子殺し。
親殺し。
本来それは、そこに生まれる怨嗟と慟哭をもって完遂するもの。
底無しの嘆きを糧に達せられる、――昇華。
けれど闇の女神の加護を受けたレフィアが書き換えた『銘』が、その結果を変えていた。
それは守りたいと願う純粋な思いの形。
その思いが、本来失われてしまうハズの自我と理性を、リーンシェイドに残した。
子を思う母の、母を慕う子の思いが重なり、コノハナサクヤを追い詰める。
女神の力を、圧倒していく。
コノハナサクヤには理解が出来なかった。
何故自分が、押されているのかと。
矮小なる者達を自らの手で叩き潰し、それで終えるハズだった。
望んだ器を手に入れ、現世への帰還を果たし、再び自らの力を直接、自分に歯向かう者達に見せつけ、それで終るハズだった。
それを可能にするだけの圧倒的な力の差が、そこにあるハズだったのに。
鈍い感覚を伝える手足を繰り、ぎりぎりでリーンシェイドからの技をしのぐ。
最後の誤算が、ここにあった。
どれだけ頭数を揃えようと、例え姫神がそこで生まれようとも、それらを圧倒するだけの力があるハズだった。事実、それだけの力があるにも関わらず、力を万全に振るう事が出来ない。力が解放されない。
強固に逆らう肉体の意思が、それを許さない。
時が経てば次第に薄れ、消えていくハズの肉体の意思が、力を振るうたび、目の前の者達を傷つけようとするたびに逆に強く、抗いを見せていく。
自我の無いハズの、いつ消えてもおかしくないような意思が、女神としての力の解放を頑なに拒む。
こんなハズではなかった。
こんなハズでは、なかったのに。
思うにならない状況に苛立ちが募り、募る苛立ちが、コノハナサクヤから冷静な思考を奪い去っていく。
力と早さではまだ分がある。
女神としての力はまだ、目の前の白い鬼神よりも微かに上回っている。
なのに、押し負けてしまう。
流れるように繰り出される槍の技が、鋭利に突き出されるその一突きが、振るわれる一振りがその差を埋め、押し迫る。
「……くっ、このっ!?」
ぎりぎりでしのぎ、打ち返す先が軽くいなされる。
コノハナサクヤは堪えきれず、自ら距離を取った。
白い鬼神の槍技が、女神を圧倒する。
圧倒され、自ら引かねばならない程に追い込まれた事に、コノハナサクヤの中に深い屈辱が刻み込まれていた。
女神としてのプライドが、鬼神の前で深く穿たれる。
距離を取ったコノハナサクヤに闇の刃が迫る。
勢いにのる勇者の大剣が、クスハの雷撃が、体勢を整える暇を与えずに次々と放たれる。
うす紅色の花びらを苛立ち紛れに渦巻かせ、それらの攻撃を尽く弾き飛ばすと、その花びらの渦を貫いて鬼神の蒼槍が貫き放たれる。
一息の間をずらされ放たれた突きを弾く。
虚を突いて放たれた一撃を弾いた朱槍が、外側へ大きく流れてしまった。苛立ちに力んだ肢体に大きな隙が生まれる。
その一瞬の隙に、蒼槍が叩き込まれた。
激しい衝撃が、コノハナサクヤの右肩を打ち砕く。
「がぁっ!?」
鬼神へと覚醒を果たしたリーンシェイドの蒼槍が女神を圧倒し、その身に、届いた。
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