♯229 女神の破槍(ラストバトル5)
深紅に輝く槍の刃先が、妖しく弧を描く。
それは古き神々の中でも、武力の誉れ高き神が所有していたとされる神槍。
神話の時代の戦いにおいて、コノハナサクヤの手にするものとなったその神槍は、かつて数多くの神々を討ち払い、その猛々しさを大いに示した。
視る者を深く惹き込む研ぎ澄まされた美しさと、戦慄を誘う緊迫した色彩が、浅く構える美貌の女神の威圧に更なる厚みを重ねていく。
周りに舞い上がるうす紅色の花弁の、その一つ一つが、ぼんやりとした霞を纏い、仄かな光を強めていく。
妖艶な微笑みを浮かべる黄金の瞳が、狂い舞う花びらの渦の奥で妖しく、歪む。
赤い衝撃が、――駆け抜ける。
ふわりと浮かんだ花びらを押し退け迫る一筋の瞬閃に、リーンシェイドは折れた小太刀を咄嗟に構え、衝撃を刃元で受け止める。
心臓を狙った朱槍の刃先が逸らされ、眼前に迫った芳香が瞬間、くすりと微笑んだ。
「……良い目をしてるわね」
決して見えていた訳ではない。
身体に染み付いた動きが咄嗟に心臓を庇った。
ただそれだけの事。
ただそれだけの事が、リーンシェイドの生死を薄皮一枚で繋ぎ止めた。
手に残る痺れが突きの鋭さを伝える。
構えたのがレフィアの残していった小太刀であればこそ、防いだ刃諸ともに打ち砕かれずに済んだのだと、理解に及ぶ。
ふわりと舞う桜色の髪が視界の端に翻った。
「あぐふっ!?」
更に身構える間も無く、横殴りの衝撃がリーンシェイドの身体を容易く吹き飛ばした。
背後に庇っていたマリエルを巻き込みながら、二人の身体がその場から大きく弾き飛ばされる。
「でも、気を抜いたら駄目ね。興醒めだわ」
リーンシェイドを蹴り飛ばした足をくるりとその場でおさめ、物足りなさを表した視線が踞る二人の姿を追いかける。
まるで重さを感じさせないその立ち姿に、火花を散らして放電する氷塊が襲いかかった。
赤い軌跡が真円を描く。
無造作に氷塊を砕き割った槍の軌跡が、黄金の毛並に包まれたクスハをその足元に打ち据えた。
地面が砕け、舞い上がる砂礫の奥で凶刃が煌めく。
脳天へと痛烈な勢いで突き込まれた刃先が地面を抉り、重なる衝撃で地面が更に大きくひび割れた。
そこにはただ、陥没した地面があるばかり。
槍の刃先を寸前の所で跳ね避けたクスハに、影が迫る。
「がふっ!?」
膝で顎下をかちあげられ、視界を縦に大きく揺さぶられた所に、容赦の無い打ち払いが叩き込まれた。
全身の骨格が軋み、鈍い音が響く。
それでもクスハは意識を一瞬たりとも飛ばさずに堪え、鋭利な牙を噛みしめながら身をかわし、反撃を試みる。
雷をともなった炎が渦巻き、コノハヤサクヤの身体を包み込んだ。
激しい勢いを持って立ち上がる炎の渦が、女神をすっぽりとその内側へと飲み込み、膨れ上がる。
身の丈の三倍程に膨れ上がった炎の渦から槍が突きだされ、一振りとともに炎の渦もた掻き消えた。
コノハナサクヤはゆったりとした仕草にも見える動作で朱槍を構え直し、値踏みするかのような視線を周囲に落とす。
黒い影が地を走り、コノハナサクヤの足元をぐるりと取り囲んだ。
地面から無数の影の槍が生まれ、ただ一点、コノハナサクヤに向かって一斉に襲いかかる。
まるで黒い荊の針玉のようになったその場に槍を立て、塊から抜け出したコノハナサクヤはそのまま、ふわりと身体を捻りながら何事もなかったかのように地面に膝をついた。
その姿が一瞬、誰の視界からも消え失せる。
強烈な蹴り足をもってその場から踏み込んだ槍の切っ先が、筋肉老エルフの身体を貫いた。
「……がふっ、ぬぬっ」
「ご自慢の結界も、間に合わなければ意味は無いわね」
深々と貫かれた刃先が引き抜かれ、吹き出す鮮血とともにル・ゴーシュの膝が、地面に崩れ落ちた。
クスハが駆け抜け、セルアザムが迫る。
一人と一匹からの怒濤の連撃を、コノハナサクヤはゆったりとした仕草で舞うようにして避けてみせる。
クスハを再び打ち据え、セルアザムを退けた朱槍の前に勇者が立ち塞がった。
軽い吐息がコノハナサクヤの口から漏れ落ち、見下した視線が投げ掛けられる。
「……一人場違いね。何のつもりかしら?」
「まぁそう言うなって。……見てなっ!」
勇者が駆け出すその後ろで、マリエルがある一つの魔法を構築し終えていた。
遥かなる祈り。
勇ましき者を護りつつ、更なる力の導きを願う。
一つの思い。一つの肉体。
不屈たる精神に、怖れを知らぬ勇気に。
光満ちたる加護と屈強なる祝福を示す。
『
『
不屈なる精神を持つ勇敢たる者に、その心の強さに比例して更なる力を与える聖女最強の支援魔法が、その場にいる者達の身体を淡い光で包み込む。
勇気ある者。
不屈たる者。
その名に恥じぬ者に、聖女の加護が降り注ぐ。
力を得た剛剣が、朱槍に対して叩きつけられた。
「勇者とは聖女を守る為にこそある。……聖女マリエルを背にした勇者は、一味違うぜ」
押しかかる剣圧が、コノハナサクヤの力と拮抗する。
「……怖れを知らないのね。馬鹿も使いようかしら」
「うっせぇっ!」
更に込められた力が、流される。
槍を引いて勇者の大剣を外へと逸らしつつ、コノハナサクヤは流れるように身体を勇者と入れ替えた。
反応しきれず、体勢の崩れた勇者の背中に、握りを持ち替えて最小の動きで構え直した朱槍の刃先が、迫る。
鋭い切っ先が勇者の心臓を貫く。
「うぐぉっ!?」
命を貫く感触を確信して突き出された刃先が、誰もいない空間を突き抜け、地面に突き刺さった。
「馬鹿も使いようだがね」
ありえない体勢からありえない動きで槍を避けた勇者の向こう側で、ベルアドネがドヤ顔でほくそ笑んでいた。
「……いや、ちょ、ベルアドネさん。今のはちょいキツい。……胃がひっくりかえる」
目を回しながら立ち上がる勇者から、ほんの少しの弱音がこぼれる。
「……魔力糸。勇者を傀儡で引っ張ってるのね」
その勇者の身体からベルアドネの指先へと繋がる魔力糸を確認して、コノハナサクヤはすっと目を細めた。
「さっそくバレてまったがね」
「……隠す気も無かったでしょうが、最初から」
無い胸を張って何故か誇らしげなベルアドネに、勇者は軽く肩を落として力なく息をつく。
「勇者ユーシスっ! 頼みますっ!」
「おおよっ!」
聖女の声援に勇者が駆け出す。
回復支援魔法のスペシャリストと傀儡の天才児の補助を受けた怖れ知らずの勇者の剣撃が、コノハナサクヤの朱槍と激しくぶつかりあう。
剛剣が振り下ろされ、足りぬ速度をベルアドネの糸が補う。
聖女マリエルの祈りの深さと、勇者ユーシスの引かぬ勇気が、『聖戦』の効果を相乗効果で何倍にも引き上げていく。
指先から感じる力の流れを繊細に読み取りながら、傀儡の里、ヒサカの誇る天才傀儡師がその動きを絶妙なタイミングで補助し続ける。
合わさる力が、女神に迫る。
鈍さの残る感覚に歯がゆさを感じながら、繰り出される剣撃に徐々に押し込まれていく。
「くぉっ!? っぜりゃぁぁあああっ!」
振り抜く剣撃が槍の柄を弾く。
うす紅の花びらを散らしながら、コノハナサクヤは弾かれた勢いのまま、後ろへと大きく飛び退いた。
「……正直、驚いているわ。まさかここまでとは」
「いや、もうだいぶ限界。……キツいわ、これ」
「ふふっ、安心なさい。すぐ楽になるわ」
限界を超えた動作の連続に顔色を悪くさせる勇者に、再び赤い槍が迫る。
その傍らから飛び込んできた白い影に、コノハナサクヤは踏み込みかけた足を止めて反応を返した。
リーンシェイドの寡黙な一撃が、コノハナサクヤの間隙を突く。
更にそこへ、セルアザムが両手に影の刃を携えて斬りかかった。
捌ききれず、花びらの残像を残してコノハナサクヤの姿がその場から逃れる。
二人の動きが先程よりも更に鋭くなっている事を怪訝に感じたコノハナサクヤは、チラリとマリエルの様子を一瞥し、その理由に納得を返した。
聖女の『聖戦』は勇者だけではなく、この場にいる全ての者達に効果を及ぼしているのだとそう、理解する。
「……予想以上よ、貴女達」
構える朱槍に更なる力が込められ、渦を巻いて舞い上がる花びらの勢いが、弾ける。
黄金の瞳が獰猛な闘争心を宿した。
「でも、それじゃあまだ足りないわ……」
色をも残さぬ衝撃が、駆け抜ける。
コノハナサクヤの本気の一撃が空間を貫き、セルアザムの影の刃を粉々に打ち砕いた。
「もっと、もっとよ……」
虚空に真円を描く赤い槍の軌跡が、反応の遅れたリーンシェイドに叩きつけられる。
「もっと、もっと更なる輝きを、見せなさい」
流れるような動作で勇者に打ち下ろされた一撃が、弾ける花びらの中に恐ろしいまでの衝撃を生み出す。
堪えきれずに構えを崩した勇者に、容赦の無い石突きの一撃が突き込まれた。
「おぶぅっ!?」
腹部に強烈な打撃を受けて踞る勇者に、すかさず聖女からの治癒魔法がかけられる。
本気になったコノハナサクヤにセルアザムが、リーンシェイドが再び斬りかかり、勇者が剣を振るう。
隙を伺ってマリエルがル・ゴーシュの傷を癒し、クスハが持てる転身を使い、攻撃を重ねていく。
花びらが雷を散らし、連なる刃が火花を走らせる。
影の刃が、勇者の剣撃が、舞い躍るかのような動きを見せるコノハナサクヤに迫り、追い詰めていく。
赤い槍に凪ぎ払われ、貫かれた傷を、マリエルが癒し、ベルアドネが動きを支える。
激しい攻防が続く中、リーンシェイドはそこに確かな手応えをはっきりと感じていた。
女神の強さに迫り、戦い続ける手応え。
圧倒的な強さを前にして、それでも引かずに戦う事の出来ている状況に、確かなものを感じはじめていた。
けれどこれでは、……足りない。
それは奇しくも、女神の言葉の通りでもあった。
これでは足りない。
このままでは届かない。
途方もない程の力を秘めた女神を相手にして、今自分達は戦う事が出来ている。どうにか、刃を交える所まで迫っている。
けれどそれでは駄目なのだと。
戦う事が出来るというだけでは、駄目なのだと。
それだけでは足りない。
それでは決して届かない。
それでだけではレフィアは、
足らない一手。
届かない、あと少しの力。
このままでは決着のつかぬまま、ただ悪戯に時間だけが過ぎてしまう。戦い続ければ続ける程に、状況は女神により有利に傾いてしまう。
焦燥が、リーンシェイドの胸中を深くしめつける。
焦る心が見つからない糸口を求め、足掻く。
困惑極まる思考に絶望が顔を覗かせたリーンシェイドの耳に、澄み渡った涼やかな音が響いた。
手元の折れた小太刀から鈴の音が、響く。
「……はは、様」
鈴の音がその意思を、リーンシェイドに伝える。
それは亡き母の、死して尚紡がれる思い。
鈴の音が伝える小太刀からの意思を、リーンシェイドははっきりと受け取った。
突き出した剣撃がかわされ、凪ぎ払われる朱槍の軌跡から飛び退き、大きく距離を取って後方へとリーンシェイドが下がる。
「……リーンシェイド?」
その様子に疑問を抱いたベルアドネが、どこか緊迫した雰囲気を纏うリーンシェイドへと振り向く。
「少し時間を、……下さい」
このままでは足りないのなら。
このままでは届かないのならば。
ただその一歩を、踏み出すしかないのであれば。
鈴の音が伝える、小太刀の意思。
亡き母の思いが導く、その方法。
生まれた時からずっと背負い続けてきた宿業と、向き合う為の覚悟をそこで、自身の中に刻み込む。
「リーンシェイド、おんしゃ、何を……」
手にした小太刀に視線を落とす。
折れた小太刀の核にあるのは、亡き母の、頭蓋の欠片。
一族の宿業を背負いし姫夜叉の、二代続けて生まれてしまった号を持つ者の、その片割れの頭蓋。
足りない一歩を繋げる為に。
母の意思を伝える小太刀の、その折れた刃元を持ち上げ、自らの歯を刃に立てる。
子を思う母の。
母を慕う子の思いが、交わる。
リーンシェイドは半ばで折れた小太刀に歯を立て、自らの口の中でその刃を、噛み砕いた。
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