♯228 巨人の庭園(ラストバトル4)



 門の向こう側には、荒れ果てた大地が続いていた。


 人の住む世界からも魔の国からも遠く離れ、最果てとも呼ばれる辺境。


 乾いた大気の中に、赤茶けた砂礫が混ざる。


 風雨に曝され、抉り取られた岩壁から赤土色の欠片が崩れ落ち、揺蕩たゆたうものを失った渓谷の奥へと深く、降り積もっていく。


 剥き出しの岩肌に、鈍色にびいろの枯れ草のような雑草がただ点在するだけの荒野。


 そこはかつて、古き神々が過ごした地。


 蜜に溢れ、色咲き誇る百花千種が豊潤な実りを揺らし続けていた神々の園。


 生命力豊かな巨木が涼やかな木陰を落とし、澄んだ清水を豊富に抱える大河が潤いを運ぶその傍らに並ぶ、美麗な神々の庵の数々。


 巨人の庭園とまで呼ばれたかつての世界の中心は今、乾いた空風にただ蝕まれていくだけの荒れ果てた大地として、その空虚な様を無惨に晒すのみでしかなかった。


 戦いの傷跡が無常を物語る。


 永遠に等しき時間を有するが為に奢り、強大な力を持て余したが故に他者への慈しみを失ってしまった古き神々。


 その古き神々に挑んだ一組の姉妹神と、勇ましき姉妹神の為に同胞神を裏切った一人の戦神の、戦いの傷跡。


 風化し、見る影すらもない遺跡群の中心。


 円心状に設けられた広場のような場所の真ん中で、月明かりに照らされた白い指先が、崩れかけた壁の表面をそっとなぞる。


 かつて極彩色の顔料で彩られていたその壁面はすでに赤茶けてくすみ、崩れかけた表面にぼやけた染みがわずかに、その名残を滲ませていた。


 指先が触れた箇所が欠け落ち、乾いた砂礫となって夜闇の中へと消えていく。


 壁面から離した指先を擦り合わせながら、指の腹に僅かに残った砂礫の感触に思いを馳せる。


 ゆっくりと、深い感慨に浸る。


 もう一度ここに、来る事が出来た。


 あれからどの位の月日が流れただろうか。

 どれほどの歳月を、かけてしまったのか。


 かつてここで、コノハナサクヤはその肉体を失った。


 天上の麗。至高の美と讃えられ、誉めそやされたその肉体をここで、古き神々との熾烈な戦闘の末に失ってしまった。


 もう二度と、訪れる事は叶わないと思っていた。

 もう二度と、ここに来る事は無いと思っていたのに。


 もう一度ここに来る事が出来た。


 あの時とはもう、何もかもが違う。


 古き神々は世界の彼方へと追放され、人々はその凄惨たる束縛と抑圧から解放された。


 傍らにあり、互いに背中を預けた姉神も戦神も、もう自身の側にはいない。


 人族達が自身の美しさを讃え、彩り鮮やかに塗り込めてくれたこの壁画もすでに崩れ落ち、砂礫と化そうとしている。


 残るものなど、もう何も無い。


 けれど再び自分は、ここに戻ってきた。

 ここに戻ってくる事が出来たのだとそう、深い感慨に、思考を沈み込ませていく。


 夜風がそよぎ、吹き抜ける。


 いまだ万全な感覚の戻らぬ指先を開き、鈍く伝わる感触の向こう側にあるものに、コノハナサクヤは細い微笑みを向ける。


「いつまでも強情に抗う。……あるいはこれが、器を持つという事なのかしら?」


 女神としての意思、存在する力。


 人よりも遥かに隔絶した存在に対して、ひたすらに抗い、反発し続ける意思の力。


 本来であれば肉体に降臨したと同時に、その肉体に元からある精神はすぐに砕け散ってしまうハズだった。


 今までがずっと、そうだった。


 自身の降臨に耐えられそうな器の持ち主を見つけては、今まで何度となく降臨を試してきた。試し続けてきた。


 けれどもその都度、ただの一人を除き、器を見込んだ娘達の意思は降臨と共に消し飛び、やがてすぐに、その肉体も砕け散ってしまっていた。


 ただの一人、アリシアを除いた誰も、その意思をここまで強情に残し続ける者などいなかった。


 だからこそ強く、コノハナサクヤは実感もする。


 この肉体は今までとは違う。

 この娘こそが、今まで自分の欲していた器なのだと。


 千年の邂逅。


 アリシアの時に失って以来、千二百年の渇望の先に見つけた、自身に相応しき器としての肉体なのだと。


 身体の前で掬い上げるようにした両掌に力を集め、光球を造り出す。めぐり逢い、手に入れた喜びに思いを込めた光球が、燦然と輝きを増していく。


 それは人族の使う『灯り』の魔法と同じものでありながらも、込められた力の大きさが根本から違っていた。


 激しい閃光のような光が手元に生まれ、眩しいばかりの輝きが、夜闇の中の廃墟を煌々と照らし出す。


 まるで小さな太陽のような光球が出現すると、コノハナサクヤは月の輝く夜空に向けて、まっすぐに打ち上げた。


 光が弾け、世界を照らす。


 夜闇の中で静かな眠りにつこうとしていた世界が、一瞬にして、真昼の世界へと引き戻された。


 光を一身に浴びて、桜色の髪が輝きを増す。


「……ここにはね、色とりどりの草花が咲き乱れ、そのどれもが皆、儚い命の輝きを懸命に紡ぎつづけていたわ」


 過去を慈しみ、愛しそうに目元を細めながら、コノハナサクヤは振り返る事もなく、背後へと声をかけた。


 コノハナサクヤの背後、崩れかけた遺跡の間で、陽光にも似た輝きに豊かな金髪がしなやかに揺れる。


「花は枯れてこそ実を結び、種を残すもの。散り逝く事こそが命の本質。だからこそ紡がれる命は、より一層輝いていくもの」


 背を向けたまま、穏やかにさえ聞こえる声音で語りかけるコノハナサクヤに対して、クスハ・スセラギは怯む事なく、その姿を光の下へと晒しだした。


 気負う事無く、凛とした眼差しをまっすぐに前に向け、崩れかけた遺跡の間から進み出たクスハは、コノハナサクヤと同じ広場の中央部分まで至ると、そこで立ち止まった。


 天を突く獣の遠吠えが、響き渡る。


 人の輪廓が裏返り、大きく弾むように膨らむ。


 一瞬、地に沈んだかのように縮まったクスハの姿が大きな影を落とし、一匹の獣の形を成した。


 九つの尻尾がゆるやかに背後へと広がり、虹色の輝きを放つ黄金の毛並みが豊かに波打つ。


 千年王狐。


 本来の姿へと戻った翡翠の瞳がコノハナサクヤを正面に捉え、白くしなやかな四肢が空中を駆け抜ける。


 九つの尻尾の内の一つを風霊に、もう一つを雷霊へと転身させたクスハが、旋る風の壁に雷を纏わせてコノハナサクヤへと飛びかかる。


 鋭利な一つの矢が大気の壁を貫く。


 一筋の黄金の雷と化した一撃はけれども、壁のように集った花びらに阻まれ、激しい衝撃と爆音を届かせるのみに潰えてしまった。


 解かれた風と雷が、舞い上がる花びらの隙間を伝い暴れる。


 弾かれ、長い九つの尾を引きながら大きく旋回するクスハに、花びらの壁の向こうから歪な微笑みが振り返った。


 雷撃と炎撃が地を這い、連なる氷柱とともに三方向から、花びらの渦の中にいるコノハナサクヤへと迫る。


「……足掻きなさい。命の散り逝く様に輝きを、添えながら」


 コノハナサクヤを中心にうす紅色の花びら達が大きく渦巻き、弾けるように広がりながら、クスハからの攻撃を弾き飛ばした。


 大きく舞い上がった花びら達が再び集い、螺旋を緩く描きながら、低く身構える黄金の獣へと雪崩れ落ちていく。


 その花びらの渦をクスハは、身体を風霊へと転身させて避けた。


 勢いをつけて雪崩れ落ちた花びらの渦は一度そこで四散するも、再び集い、転身と実体化を交互に繰り返しながら避けるクスハを、執拗に追いかけていく。


 金色の光が一筋の軌跡を残し、うす紅色の牙が弾けて集い、重なり膨らみながら、追いかける。


 避けきれず、追い付かれ、実体化したクスハを飲み込もうとした花びらの渦がそこで突然、弾かれたように舞い散った。


 四散する花びらの隙間から格子状に幾重にも組まれた強固な結界が、その姿を見せる。


 結界の内側、毛並みを揺らす獣体のクスハの足元に寄り添うように、身構えたル・ゴーシュが全身の筋肉を隆々と滾らせていた。


「ふんっ、はぁぁぁぁああああああっ!」


 肌の上に血管を浮かび上がらせてル・ゴーシュがポージングを変えると、更なる気合いが全身に込められる。


 筋肉老エルフの掛け声とともに、多重に組まれた結界の外側が弾けるように広がり、周りを取り囲んでいた花びらを一気に押し退けた。


 花びらの渦が取り除かれ、結界が駆け抜けた空白の地面がそこで大きく盛り上がる。


 大きく隆起した地面が見上げるような土人形へと姿を変え、コノハナサクヤに向け、拳を大きく振りかぶる。


 大量の土砂の塊が圧縮されて固められた拳が、圧倒的な質量となって叩きつけられた。


 地面が激しく揺さぶられ、衝撃が駆け抜ける。


 うす紅色の花びらが激しく飛び散り、四散する。


「……外したっ!? やばっ!」


 更に巨大な土傀儡を動かそうとしたベルアドネは、土傀儡に繋がる感覚から危ういものを感じ、土傀儡に繋がる魔力糸を強制的に切り離した。


 棒立ちになった巨大な土傀儡が中心からひび割れ、うす紅色の花びらを散らしながら弾け飛ぶ。


 土傀儡を操っていた魔力糸を伝わる余波が、遮断された箇所で行き場を失い、破裂する。


 粉々になって崩れ落ちる土傀儡の瓦礫が積み上がっていく中で花びらが集い、人の形を成していく。


 桜色の髪をふわりとなびかせ、金色の双眸が妖艶な微笑みを見せた。


「……ふふっ。土くれと一緒に粉々になる所だったわね。勘の良い事」


 花びらの隙を縫うようにして勇者とセルアザムが同時に、薄ら笑いを浮かべたままのコノハナサクヤに切りかかった。


 大剣の切っ先が迫り、影の刃が間合いをつめる。


 けれどもその切っ先が届くよりも早く、無数の無慈悲な刃と化した花びらの渦が二人を遮り、弾き返した。


「……ぐっ、間合いが遠かったか」


 全身に浅い傷を負い、少なくない流血を堪えながら、弾き飛ばされた先の地面で勇者が舌打ちを残す。


 その勇者とセルアザムの身体を、暖かく柔らかな光が包み込んだ。


 刻まれたばかりの身体の傷口が見る間にも塞がり、出血が止まる。


 二人の背後でマリエルが、その構築した治癒の魔法に全力を注ぎ込む。


「死なない限りは何度でも癒してみせます。思う存分に突っ込んで行って下さい」


「……ありがてぇ。恩にきる」


「どれだけ傷を負っても、決して一思いには死なせませんっ!」


「……言い方」


「回復役がいるというのも、考えものね」


 やる気に漲るマリエルの背後に花びらが集い、中から微笑みを浮かべたままのコノハナサクヤが、その姿を見せた。


 マリエルは咄嗟に身構えてその場から距離を取ろうとするが、集い狂い踊る花びらの渦に逃げ場を封じられてしまう。


「まずは一人目。……かしら?」


 歪んだ微笑みが更なる狂気の色を深めた。


「くっ!?」


 すぐさまマリエルは『聖域結界シールサンクチュアリ』を身の回りに展開する。


 舞い踊るうす紅色の花びらの一つ一つが、目標を切り刻む為の鋭利な刃物に変わり、マリエルに襲いかかった。


 甲高い音を立てながら、結界を容易く砕いた花びらの刃が、幾重にも連なり牙をむく。


 捻れて集い、渦を巻いて立ち上がる花びらの柱がそこに生まれ、一瞬の間をおいて燃え上がった。


 守り手たる青き炎に焼かれ、飲み込まれていく無数の花びら達。


 身構えるマリエルの前に、半ばで折れた小太刀を振り抜いたリーンシェイドがその姿を見せた。


 小太刀から溢れる青炎が花びらを捉え、焼いていく。


「ふははっ、ふはははっ、あはははははっ!」


 コノハナサクヤの歓喜に震える笑い声が響く。


「いいわっ! 物凄くいいわよっ、貴方達。命の輝きに満ちた、引かぬ意思の籠ったその眼差し、その姿っ! たまらないわっ! たまらなく輝いているわっ!」


 歓喜に震え、上気した眼差しが狂おしい程の情念に歪む。


 吐息も荒く、身悶えするかのように自らの興奮をぶちまけたコノハナサクヤは天を指差し、その右手を高々と掲げた。


 指先を中心にして、花びらの群れが渦を巻いて集う。


「それでいてこそ、私の帰還を祝うに相応しい贄にもなりえるというもの」


 落とした声音で低い囁きが漏れる。


 指の先に集う花びら達が一筋に連なり、簡素でいて豪奢な飾りの施された一竿の朱槍へと姿を変えた。


 白い指先が朱い槍に触れる。


 穂先が弧を描き、流れるような取り回しを見せながら、コノハナサクヤは皆朱の槍を身体の脇へと携える。

 

「捧げなさい。その命の散り際の輝きを」


 桜色の闇が深い狂気を、その金色の瞳に浮かべてうっすらとただ、微笑んでいた。





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