♯227 門の向こう側へ(ラストバトル3)



 突然現れた朱塗りの門が異様を示す。


 人の背丈の三倍は優に超えるその門を背にし、コノハナサクヤは自身に抗う者達を改めて見渡した。


「特別に貴方達の相手をしてあげる。……でも、こんな所じゃつまらないわ」


 慈愛にも似た眼差を彩るかのように花びらが舞い、大気が震える。


 門の前でコノハナサクヤが妖艶に表情を歪ませると、朱塗りの門の厳めしい門扉が大きく、両側へと開いた。


 舞い狂っていた花びら達が渦を巻いて、暗闇に閉ざされた門の向こう側へと吸い込まれていく。


「この私が相手をしてあげるのだもの。それに相応しい舞台を用意してあげる。望む者はこの門を通りなさい」


 コノハナサクヤの宿ったレフィアの身体が、大量の花びらの中に溶け込む。


 その身体が、渦を巻く花びらと共に門の中へと向かい、中空へと浮かび上がった。


 それまでセルアザム達を眺めていた視線がふと外され、崩れ落ちた天井から覗く乾いた空へと向けられる。


 すでに陽は中天を過ぎ、西の空へと大きく傾き始めていた。


 その様子を確認したコノハナサクヤは柔らかな笑みを残し、眼下へと再び視線を落とす。


「ただし、日没までよ。……それまではあちらで、貴方達を待っていてあげる。ふふっ」


 透き通るような声音を残し、コノハナサクヤの身体が暗闇の中へと吸い込まれ、消えていく。


 瓦礫の散乱した燦々たる光景が残る場に、沈痛な静寂が落ちる。

 

 女神は絶望的なまでの力の差を、これでもかという程に見せつけた。


 圧倒的でさえあった。


 器としての身体を手に入れたコノハナサクヤに対して、手が出なかった。その事実が痛々しい現実として、重くのし掛かる。


 けれどその中で唯一人、かつて女神と直接戦った事のあるセルアザムだけは、その差異を確かに感じ取っていた。


 明らかな違和感。

 千年前との違い。


 確かに力が及ばなかった。けれどそれは、以前の時のように絶望的なまでの差ではないと。


 今ならまだ勝機が残されているとそう、僅かに確信を得る。


「……女神の顕現はまだ、完成されていません。あれは明らかに力を、何かによって抑えられています」


「……あれでか」


 呆れたように勇者が言い、セルアザムが頷く。


 周りに重たい空気が広がる中でセルアザムの言葉の意味に気づいたベルアドネが、ハッと顔を上げた。


「……何か。あの化けもんを抑え込む何かって、まさか」


 その意味する所を悟り、投げ掛けた確認に対してより深い肯定が示される。


「顕現したばかりでまだ肉体に馴染んでいないとはいえ、本来の力はまだ発揮されてはおりません。……恐らく、その身に残るレフィア様の意思が、女神の本来の力を抑え込んでいるからだと思われます」


「……レフィアさんの意思」


 倒れそうにふらつく身体を勇者に支えられたマリエルが、その名を呟く。


「レフィアさんの意思は、まだ、消えてはいない?」


「いまだ残り、抗いを見せているからこそ、女神の力が抑え込まれているのだと、……そう見ています」


「ならっ、まだレフィアはっ……」


 声を荒らげるベルアドネに対してセルアザムは、厳しい表情を崩さずに視線をそらした。


「レフィア様の意思が残る今であれば、まだ我々にも勝機が残っています。ですが……」


「……けれども時が経てば、いずれその意思も消えてしまう。そして女神にはもう、もない」


 言葉が途切れたその後を紡ぐかのように、クスハがそっと、進み出る。


「それでも貴方は、門をくぐるのでしょう?」


 ふわりとした豊かな金髪がなだらかに流れる。


 穏やかで力強い深い碧の瞳がまっすぐに向けられ、セルアザムの前まで近づき、立ち止まった。


「……あの時、共に戦わなかった事がずっと、心残りで仕方ありませんでした」


 切れ長の美しい瞳が遠い過去と今とを繋ぐ。


 すっと横目で伺う端麗な瞳に対して、灰黒色の瞳が申し訳なさそうに閉じられる。


 セルアザムのその様子に、名残り惜しむかのように視線を戻したクスハは一瞬だけ瞳を閉じ、微笑みを残した。


「悪魔王の名を継いで二代目を名乗った時から、当に覚悟は決めています」


 囁きを小さく伝え、玲瓏たる姿が交差する。


「今は貴方と同じように、未来ある若者達の礎を築く身の上。……この身の何を、惜しみましょう」


 そっと歩みを進めるクスハがセルアザムの横を通り抜け、朱塗りの門の中へと入っていく。


 千年王狐。


 虹色に輝く黄金の毛並みを持つ大妖は気性穏やかにして、慈愛に満ちた眼差しでずっと、魔の国の民を見守り続けてきた。


 そのたおやかな外見の奥に滾る激情を秘め、揺るがぬ闘志を抱えた戦士が一人、門をくぐる。


 強く靭やかな姿が力に包まれ、細かな光の粒子となって門の向こう側へと消えていく。

 

 クスハ・スセラギが門の向こう側へと消えたのに続き、巨漢の老エルフが進み出る。


 体躯的に虚弱であると言われていたエルフでありながら、千年をかけ、はち切れんばかりの筋肉を誇るまでに肉体を鍛え続けた反骨心の持ち主は最初から、ただひたすらに前を見続けていた。


 我が道を行き、どこまでも貫く。


 この先もずっと、そう在り続ける事を示すかのように。


「このル・ゴーシュ。道があれば進み、門があればくぐる。それだけなのである」


 悩み無き眼差しをまっすぐに向け、その巨漢もまた、朱塗りの門の向こう側へと消えていく。


「……どっかの筋肉エルフじゃあらせんが、ここで尻尾を巻いてまったら、おかあちゃんにもレフィアにも、会わせる顔があらせんがね」


 どこか呆れたように目元を弛ませながら、ル・ゴーシュの消えた後にベルアドネが続いた。


 脱力したかのように肩を竦めながら、それでも力強い視線を門の向こう側へと向け前に、進み出る。


「おかあちゃんの名代として最後までしっかりと、……責任を果たさんとかんがね」


 ベルアドネの姿が門の向こう側へと消え、再び静けさの落ちた場でセルアザムはそっと、顔を上げた。


 そこに立つ、厳しい表情に力強い意思を宿した二人と、確かな視線がまっすぐに交わる。 


「貴方達は光の女神の側に属する者。或いは、これより先に進むべきではないのかもしれません」


「女神の教えは常に心の内に在り続けています。その教えに従えばこそ、今やるべき事から目を背けるなんて、出来ようハズもありません」


「……ですが」


「目の前にある試練には自らの力を持ってこれに応える。今までもずっと、私達はそうしてきました。そしてそれは、これからもずっと、そうあるべきであると信じています」


 勇者の手から離れたマリエルが自身の両足でしっかりと立ちながら、揺るぎない視線をまっすぐに向ける。


「それに、これは私の失態が招いてしまった事。レフィアさんにそれを、ただ押し付けたまま黙っているだなんて私には出来ませんし、そんな事、したくはないんです」


「……だそうなので、俺達も行くって事で構わないよな? 慮ってくれるのはありがたいし、確かに足手まといかもしれんが、ここで置いてけぼりは勘弁して欲しい」


「……勇者ユーシスっ」


 進み出た横に並ぶ勇者に、マリエルが驚き、振り向く。


「聖女を守るのが勇者の仕事だ。この期に及んで一人で行くとか、そんな我儘は言ってくれるなよ?」


 おどけたように肩を竦めて笑う勇者はそのままマリエルの横を抜き去ると、セルアザムに軽く手を挙げて応え、一足先に門の中へと入っていった。


 その背中に続きマリエルもまた、門の向こう側へと姿を消していく。

 

 そしてセルアザムが門の前に立つ。


 セルアザムは最後に一人、身体を強張らせて俯いたままのリーンシェイドに優しげな眼差しを残し、無言のまま、門の向こう側へと進んでいった。


 コノハナサクヤに導かれるまま、一人一人が自らの意思で門の向こう側へと姿を消した場に、強張る身体を必死に抑え込むリーンシェイドが一人、残る。


 リーンシェイドは動けずにいた。


 傾きかけた太陽が地平に繋がり、静まり返ったドーム内を赤く染め上げていく。


 姫夜叉の感性は魔族の中にあってさえも突出したものを持っている。その誰よりも鋭い感覚で女神との力の差を直接感じ取ってしまったリーンシェイドはそこに、底知れない畏怖を刻み込まれてしまっていた。


 レフィアを助けたい。


 レフィアから託された意思に、応えたい。


 そう強く思えば思う程に、手足が強張り、顔を上げる事さえも出来ずにただ、身体を竦ませてしまう。


 怖い。


 人の世界で、魔族の世界で、欲望と憎悪を一身に受けていた時でさえも感じた事の無い恐怖が、心身を蝕む。


 我が身を捧げる覚悟ならあった。


 例え力及ばず我が身が滅びようとも、一心に尽くす覚悟ならあった。


 けれどそれが、どこまで通じるのか。

 果たして本当に届くのか。


 途方も無い程の力の差の前に、何かが自分に出来るなどと思う事が出来なかった。


 ただイタズラに、無駄に散り逝くしか無いであろう自分が。何も出来ないであろう自分が。


 託された思いに応えられないであろう事が。

 リーンシェイドの身体を縛り付けていた。


 そこにふと、微かな音が耳に届く。


「……何か、今」


 自身の無力さに打ちひしがれ、絶望に心折れかけていたリーンシェイドの耳に、微かに清んだ音が聞こえたような、そんな気がした。


 その音に導かれるように視線を上げると、赤く染まった瓦礫の向こう側から確かに、鈴の音が聞こえてくる。


 小さく、軽やかに清んだ微かな音。


 恐怖に心を染め上げられながらも、鈴の音に導かれるままゆっくりと立ち上がる。


 崩れ落ち、積み上がった瓦礫の隙間。

 その隙間からリーンシェイドを呼ぶモノ。


 そこに、一振りの折れた小太刀があった。


 光の柱に抗い、半ばで砕け、真ん中からぽっきりと折れてしまったレフィアの小太刀。


 その折れた刀身が青銀に、輝く。


 導かれるまま、誘われるままに。折れた小太刀の柄に手を伸ばしたリーンシェイドはそっと、その小太刀に触れた。


 鈴の音が響く。


 それは、遠い日の記憶。

 失われてしまったハズの、愛しさと温もり。


 大切なものを守りたいと願う一人の女性の、子を思う母の、死してなお募る思いと意思が、鈴の音を通して伝わり響く。


「……はは様」


 リーンシェイドは、その小太刀がどういうものであるのかを知らない。


 かつて首を狩られ、強大な呪い刀となってしまった母の頭蓋の欠片がレフィアに清められ、その体内に残っていた事を。


 亡き母の意思の宿るその頭蓋の欠片が闇の女神の加護を受け、レフィアの魔力を借り、小太刀として形を成していた事を、リーンシェイドは知らなかった。


 鈴の音が響く。


 その思いを、その意思を伝えようと深く、深く響かせる。


 亡き母の意思に触れ、伝わる思いに目頭が熱くなり、視界が滲んでいく。


 頬を伝う暖かさに、心が震えていた。


 折れた小太刀を深く胸に抱え込みながら、リーンシェイドは伝わる熱を確かに受け取る。


 すでに怖れは、その身を蝕むものではなくなっていた。


 西陽が地平の向こうへと完全に姿を消すと、朱塗りの門が厳かにその重たい門扉を閉ざした。


 静寂に満ちた聖地に夜の帳が訪れる。


 そこにはすでに誰も、残ってはいなかった。





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