♯226 狂花繚乱(ラストバトル2)



 うす紅色の花びらが舞う。


 崩れた天井の隙間から、光の筋がまだらに差し込む仄暗ほのぐらい空間に、無数の花びらが舞い、乱れる。


 見るものに淡く、儚げな印象を持たせる小さな小指の先程の花弁は、けれどもその一枚一枚が途方も無い力をこそ含む。


 花びらが舞い、渦を巻く。


 風も無いのに舞い続ける無数の花びら達は一つの意思に従い、縦横無尽に吹き荒れる。


 甘い香りのむせかえる中心で女神は、上気して蕩けたような視線を自らの裸身へと落とした。


 しなやかな指先が露出した肌の上を、なぞる。


「大気に混じる埃の匂い……」


 歓喜に満ちた呟きをもらしながら、抱き締めるようにした掌をそっと、太股の付け根に添わせる。


「しっとりと感じる空気の湿り」


 漏らす吐息に感情をこめながら、太股からくびれた腰元、引き締まった下腹部へと指先を添わすようにして撫で上げていく。


「全身に感じる不自由な重さ、肌に感じる冷気と、陽光の温もり」


 形の良い乳房の輪郭をなぞった指先はそのまま、交差しながら肩へとかかり、絡み合うようにして天に向かって差し出される。


「……ふふっ。ふふふっ。ふはははははっ」


 天を仰ぐ形で大きく身体を開いた女神が、高々とその歓喜に満ちた笑い声を響かせた。


「……帰ってきた。再びこの地にっ、私の世界にっ、この世界にっ、私は帰ってきたっ!」


 女神の叫びに応えるかのように、ドーム内をうす紅色に染め上げていた花びら達が、集う。


 裸身を晒す身体の、その白く輝く肌に、うす紅色の花びらが一枚、また一枚と舞い躍り、触れていく。


 花びらが集い、形を成す。


 やがて身体の全てを覆い隠した花びら達は光を放ち、形を変えていった。


 衣服と鎧が、整えられていく。


 輪郭が定まり、純白に輝く肩布がたなびく。


 身体のラインを損ねない白金の胸当ては、それ一つとってみてもまるで至高の芸術品のようでもあり、肌を覆う縫い目の無い布が、まるで上質の絹のように柔らかく光沢の揺らぎを返す。


 足元から脛までを覆うサンダルが地面に降り立つと、金糸模様の腰布がふわりと舞った。


 見る者の目を奪う、神々しいまでの美しさを持つその姿は、神話に描かれる通りのもの。


 神話に謳われる女神の戦装束。


 その戦装束に身を包んだ女神が、歪に微笑む。


 祭壇を見上げる誰もが、動けないままでいた。


 ある者は魅入られ、ある者は戦慄し、またある者は、攻撃を仕掛けるタイミングを坦々と狙っていたが為に。


 女神のいる祭壇。


 その祭壇への階段を、瀕死のオハラが這い上がる。


 身体を縦に切り裂かれても尚、未だ絶命に至らずに苦痛にもがき苦しみながら、女神への救いを求め、這い上がっていく。


「め……、がっ、み、……さまっ」


 死の影を濃く刻みながらも女神に救いを求め、その奇跡を求め這いずり、すがり付こうとするオハラ。


 そんなオハラに、コノハナサクヤは一瞥を落とした。


 一瞥を落とし、視線を切る。


「……なっ、何故っ、……がぁっ!?」


 コノハナサクヤが視線を切った瞬間、オハラの身体が大きく膨れ上がり、弾けた。


「役目を終えた者がいつまでも。……醜悪ね」


 まるで元々そうであったかのように、オハラの身体が大きく弾けて無数の花びらへと変わり、四散する。


 断末魔さえ残せず、無数の花びらとなって弾けて消えていく。


 それが、女神に狂信を捧げた者の最期だった。


 オハラの身体が大きく弾け、大量の花びらが舞うその真ん中を、一筋の雷光が走り抜ける。


 仕掛けるタイミングを虎視眈々と伺っていたクスハの、雷霊へと転身した文字通り稲妻のような一撃がほとばしる。


 雷の刃が空気の壁を突き破る爆音が、激しい衝撃をともなって轟々と響き渡った。


「がっ!?」


 コノハナサクヤの周りに舞う花びらが集い、暴れ狂う稲妻を受け止める。


 花びらの壁に遮られ、動きの止まった雷霊体のクスハを、無造作に伸ばされた細腕が掴み上げた。


 強制的に転身が解かれ、人化の状態へと戻されるクスハの顔面を、コノハナサクヤは笑みを浮かべながら掴み上げていた。


 白く細い指先が、頭蓋をキシリと軋ませる。


「っがぁぁああああっ!?」


「……獣風情が」


 コノハナサクヤはそのままふわりと祭壇から飛び降りると、クスハの顔を掴んだまま床石へと叩きつけ、ぶ厚い地面を深く、激しく叩き割った。


「クスハ様っ!」


「ふんはーっ!」


 すぐさまベルアドネとル・ゴーシュがそれぞれに、魔力矢と束縛結界を構築して放つ。


 うす紫色の光が明滅し、空間の一部に硬質な魔力の網がかかる。けれどそのどちらもが、空中を舞う花びらに遮られ、霧散して消えた。


 大きく陥没した床石の中心から掴んだままの腕が引き抜かれ、持ち上げられる。


 力なく吊り上げられたクスハから、微かな呻きが漏れた。


 その様子を確認するかのように、コノハナサクヤの黄金の瞳がすぅっと細められた。


「千年王狐。精霊に転身すれば神に近づけるとでも思ったの?」


 微かに身動ぎを返すだけのクスハに、更にこめられた力が、砕けかけた頭蓋を容赦なく締め上げる。


「貴女、虹色に輝く黄金の毛並みだそうね。とっても綺麗だって、そう聞いてるわ」


 右手でクスハを持上げながら、コノハナサクヤは空いている方の左手の指先で、その豊かな金色の髪に触れる。


に合うかしら」


 愛しそうに掬い上げ、撫でながら、その歪な微笑みの中に狂気の色を含ませる。陰惨な表情をその瞳に映し、左手の指先をクスハの腹部に押し当てた。


「でもね、欲しいのは貴女の毛皮だけ。獣臭い中身は、……いらないの」


 指先が押し込まれ、めり込んでいく。


「があっ!? あああぁぁあああああああっ!」


 腹の皮を破り、肉をかき分け、めり込んだ白く細い指先が、クスハの内臓を荒々しくかき回し、引き千切る。


「ふふっ、ふはははっ、ふはははははははっ」


「がああぁぁああああっああっ!」


 鮮血を浴びながら、狂おしい程の愉悦に高々とした笑い声と絶叫が響く。


 その背後から、黒い影が伸び上がった。


 すぐさま花びら達が黒い影に向かって集う。


 けれども黒い影はすぐに陽炎のように断ち消え、目標を寸前で見失った花びら達が力無く、その場で舞い落ちる。


 その様子を横目で眺めていたコノハナサクヤは自身の右手へと視線を移し、不敵に笑みを浮かべた。


「思い切りが良いわね。貴方達にとっても大事な身体なのだと、そう思ってたのだけれど?」


 事もなげに構えるコノハナサクヤの右手は、クスハを捕まえていた掌ごと、手首から先が切り落とされていた。


 コノハナサクヤからやや離れた場所で再び陽炎のように影が伸び上がり、その中から、クスハを抱えたセルアザムが姿を見せた。


 ぐったりとするクスハの顔から切り取られた手首が離れ、花びらとなって散っていく。


「ふふっ。怖い顔ね」


 手首の先に花びらが集い、嘲りを含んだ微笑みの中で、切り落とされた指先が瞬く間に再生されていく。


 刹那の時を置かず、地面から飛び出てきた数十本の影の槍が女神に襲いかかった。


 その悉くを花びらが打ち払い、大きく舞い上がる。


 更に大きくうねりながら影が集い、セルアザムの操るままに鎌首をもたげてコノハナサクヤに襲いかかった。


 同じように集い、渦を巻く花びらの群と影の大蛇とが激しくぶつかり合う。


 黒い影とうす紅の花びらが弾け合い、乱れ舞う。


 その隙間を縫うようにしてベルアドネの魔法とル・ゴーシュの結界がコノハナサクヤを狙って放たれた。


 うす紅色の花びらが舞い上がり、その悉くを弾き、飲み込んでいく。


 狂い舞う花びらを突き抜け、剣閃が走る。


「……あら?」


 突き立てられた大剣の先を軽くかわしたコノハナサクヤは、その柄を握る持ち主に興味深い視線を注ぐ。


「恩知らずも良い所だこと。その力の根源たる加護をあなたに与えたのは、どこの誰だったかしら?」


 突き立てられたまま、横凪ぎに振るわれる大剣に合わせてくるりと回りながら、コノハナサクヤは楽しげに目元を緩ませた。


 かわされた剣先を手元に引き込み、逆袈裟に構え直した勇者が迫り、鋭い切り上げを振り抜く。


「ありがとよっ! おかげで今も、こうして戦うことが出来るんだからなっ!」


「私が与えた加護の力で私に歯向かうだなんて。あなたも相当イカれてるわね」


「勇者の加護は聖女を守る為の加護なんだろ? ……だったら何も、問題ねぇじゃねぇかっ! あんたに貰った加護だろうが何だろうが、あんたを追い払う為に使っちゃならねぇだなんて約束は、した覚えもないんでねっ!」


「ふふっ。……確かにそうね。その通りだわ」


 勇者が絶え間なく振るう連撃のその一切を苦もなくかわしながら、コノハナサクヤは更に楽しげに目元をゆるませた。


 レフィアの姿で、レフィアの口から発せられるその声は、けれども狂気の色がどこまでも深く、含まれている。


 その傍らを、迸る炎の一撃が貫いた。


「……元気の良いこと」


 怒りに表情を失ったクスハが、手の先だけを炎霊に変え、更に立て続けに炎撃を打ち放つ。


 激情を乗せた灼熱の業火が、宙に舞う花びらを押し退けながら、何本も打ち放たれる。


 その傍らにふらつきながらも、青い顔をしたままのマリエルが立ち上がっていた。


 意識を取り戻してすぐに、クスハの治療の為に魔法を構築したマリエルの足元がふらつく。


 肩で息をするその視線は強い意思を宿し、まっすぐにコノハナサクヤに向けられていた。


 これ以上ない位の殺意のこもった視線を一身に受け、コノハナサクヤの中で歓喜の感情が大きく膨らんでいく。


「ふふっ、ふははははははははっ!」


 コノハナサクヤはこの状況が、楽しくて仕方がなかった。


 存在としては取るに足らない矮小な者達が、その身もわきまえず、女神である自分に無謀にも挑んでくる。


 大きく隔たりを見せる力の差を目の当たりにしても、一心に挑んでくるその姿に、どこか快感にも似た愉悦に浸り、楽しさを感じていた。


 それは、本懐を達した余裕から来るもの。


 自身の降臨を受け入れるだけの器を持つ身体を、願ってもない形で容易く手に入れた喜び。


 自身の女神としての力を、十全に発揮出来る状況にあって、そこに敵として挑んでくる者がいる事に対する、興奮。


 この上ない歓喜が、コノハナサクヤの中に満ちていた。


 歪な狂気が更に深く、刻まれていく。


 コノハナサクヤの感情を表すかのように、無数のうす紅色の花びらが乱れ狂い、暴れ舞う。


 時に儚げに、時に狂おしく。


 放たれる攻撃の悉くを払いのけ、その一切を弾き飛ばし尽くした花びらが集い、コノハナサクヤの後ろ背に大きな塊を形作る。


 渦を巻いて集い、密集して形を成し、再び弾けるようにして四散した花びら達の中から、一際大きな朱塗りの門が、その姿を現した。


「いいわ。今はとても気分が良いの。だから特別に、あなた達の相手をしてあげる」


 巨大な朱塗りの門の前に立ち、コノハナサクヤは自らに挑もうとしている愛しき、愚かな者達に、歪んだ慈愛の込められた微笑みを、向けた。





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