♯200 遥かなる日々2



 小さい頃からずっと三人一緒だった。


 ファシアスがいて、ソフィアがいて。

 そこにもう一人、自分がいた。


 時間と記憶が、概念と過去が、陰鬱に混濁する意識の底で重なり、連なり、混ざりあって溶けていく。


 小さな山合の山村。


 記憶の片隅に降り積もる、微かなわだかまり。


 羊を飼い、木の実を採って菜花を摘む。

 男達は山で獣を狩り、女達は綿から糸を紡ぐ。


 平和な日常が連なる日々。


 大人達が働いている間、村の子供達は一つの集団となって手伝いながら遊び、自然を学ぶ。


 枯れ枝を拾い、花を選んで草を刈る。

 その中心にはいつも、ファシアスがいた。


 ファシアスは昔から強かった。


 一人で猪を倒し、山犬を打ち払う事が出来るファシアスは大人達からの信頼も厚かった。


 正義感が強く、誰にでも分け隔てなく接する優しさに村の子供達は懐き、誰もが憧れていた。


『俺の勝ちだっ!』


 木剣を高く掲げ、幼いファシアスが叫ぶ。


 足下には取り落としてしまった自分の木剣が転がり、押さえた右手がジンジンと痛む。


 いつも、こうだった。

 いつもあと一歩が及ばない。


 すでに村の大人の誰よりもファシアスは強い。


 けれど自分だけは、そのファシアスと対等に戦う事が出来た。自分だけは、対等に戦える。今日だってそうだった。あと一歩の所まで追い詰めて、あと少しで勝てそうだったのに。


 ほんの少しの優越感と大きな悔しさがこみ上げる。


 痛む右手が冷たい感触に包まれた。


『ソフィアっ、勝ったのは俺だってばっ!』


『ファシアスは怪我なんてしてないじゃない。それに、こんなに腫れるまで強く打たなくてもいいのにっ! ほらっ、早く冷やさないと』


『ちぇっ……。なんだよ。いっつもいっつもさっ』


 ファシアスとの勝負の時にはいつも傍らに、ソフィアの姿があった。


 いつもと同じ光景。


 いつもと変わらぬ結果。


 ファシアスとの勝負に負け、怪我を追った自分に駆け寄ってくれるソフィア。そのソフィアの様子にヘソを曲げるファシアス。


 悔しさが胸中を深く、蝕んでいく。


『大丈夫だから。……もういいよ、ソフィア』


『強がらないのっ! 誰だって痛いもんは痛いんだからっ。……もうっ、村の誰よりも強いクセに、ファシアスも手加減の一つもしないんだからっ』


 何でも無い一言がズキリと、心に刺さる。


『手加減なんか出来るかよっ。俺が負けちまう』


『たまにはファシアスが打たれなさいよっ! そうすればその高々と伸びた鼻も、丁度いい長さにもなるでしょうに』


『ひっでーっ! なんだよそりゃっ!』


『べーっ、だっ! ファシアスのばーっか!』


 記憶が、交差する。


 アイツにだけは負けたくなかった。


 すでに俺は、大人達よりも強くなっていた。

 村の大人達にだって負けない位に強い。


 たまに村の外に姿を現す魔物達との戦いにだって、大人達にまざっての参戦を望まれる。村を守る為に本物の剣を渡されて、魔物達と戦っていた。


 俺はどんどん強くなっている。

 強くなっていく自分を、はっきりと自覚していた。


 なのにアイツは、アイツだけが、そこにいる。

 俺が強くなった分だけアイツも強くなる。


 どれだけ訓練しても、どれだけ実戦を重ねても、それでどんどん自分が強くなっていくのを実感したとしても、振り返ればいつも、アイツがすぐ後ろにまで迫ってきていた。


 木剣を打ち合わすたび、一撃を交わすたび。

 差し迫ってくる圧力に圧倒され続けていた。


 アイツには負けたくなかった。

 絶対にアイツだけには、負けられなかった。


『俺の勝ちだっ!』


 紙一重で勝ちを拾い、名乗りを上げる。


 どれだけ強くなっても紙一重でしか勝てない。苛立ちが募る。力の差は僅かしか無いのだと、常に思い入れ知らされてしまう。


 だからそれでも勝ったのは俺だと、俺が勝ったんだと強く、強く示さずにはいられなかった。


 まだ、俺の方が強いのだと。

 まだ俺の方が上なのだとはっきりと叫ぶ。


 右手を押さえて踞るアイツにそう言い放つ事で、俺はいつも、心のどこかで感じていた不安を押し込めていた。


 踞るアイツに、いつものようにソフィアが駆け寄っていく。


 勝ったのは俺なのに。

 勝つのはいつも俺なのに。


 ソフィアは決して俺には駆け寄っては来ない。


 いつだってアイツばかりを見て、アイツの事ばかりを心配して、いつもいつも、アイツの味方ばかりをする。


『べーっ、だっ! ファシアスのばーっか!』


 記憶が、交差する。


 もしかしたら最初は、同情からだったのかもしれない。


 村の大人達にさえ勝ってしまうファシアスに対して、決して引かず、何度負けても諦めずにまた勝負を挑んでいく。


 強い事が偉い事だとは思えなかった。

 弱くったって、優しければそれでいいと思っていた。


 どれだけ負けても、あの人は諦めなかった。


 負けるたび、傷つくたびにあの人は、悔しさを飲み込み、ファシアスを恨む事なくただひたすらに、人知れず木剣を振り続けていた。


 不思議で仕方なかった。


 村の大人達でさえ、ファシアスに負けるのは仕方無いと力なく笑って終わるのに。誰もがそこで諦めてしまうのに。あの人だけは、そこで終わる事を納得しなかった。


 何度も挑んでは、ただの一度も勝てずに傷つき、何度も負け続け、そのたびに踞ってしまうのに。


 それでも諦めずに木剣を振り続けていた。


 何でそこまでするんだろうかと。

 何で諦めてしまわないのだろうかと不思議だった。


 どれだけ必死になって木剣を振り続けても、ファシアスは必ずその上をいってしまう。あの人が一つ強くなるたび、ファシアスは必ずその一つ上に居続けていた。


 決して縮まらない差を、あの人は必死になって追いかけ続けていたように思う。


 何度も傷つき、何度も踞りながら。


 その姿をずっと、見続けていた。


 いつの頃からかずっと、私はあの人の姿ばかりを追い続けるようになっていた。


 何かをしてあげたいと思った。


 傷つき踞るその姿を見ている内に、私にも何か、あの人を癒してあげる事が出来ないかと、励ましてあげられる事が出来ないかとそう、思うようになっていた。


 打ち身に効く薬草を母から教わり、湿布薬の作り方を村の老婆達から詳しく聞いて回るようになった。


 訓練している所をそっと見守りながら、無理をしていないかどうか、身体を壊してないかどうかが心配で仕方がなかった。


 あの人の痛みを、和らげてあげたい。

 何か力になってあげたい。


 ただ一心にその事だけを望んだ私は、何度も傷つき踞るあの人の為に、傷を癒す方法を学び続けていた。


 地方回りの神官さんが村に訪れた時、私は誰よりも真っ先にその元へと教えを乞いに走った。


 薬だけでは足らなかった。

 薬よりももっと効果のある方法を、神官さんから教えて貰う為に。


 村の人達は誰も知らない。けど神官さんなら知っている、使う事が出来る。神聖魔法。誰かを癒す為の、魔法。


 私はそこで、神聖魔法を覚える事が出来た。


 あの人を癒してあげたい。


 そう願い続けた私の治癒魔法は、人一倍の効果を見せた。素質を見込まれ、更に多くの魔法を教えて貰う機会にも恵まれていった。


 必死になって魔法を覚えた。


 負けても負けても決して諦めないあの人のように、どれだけ辛くても諦めず、私は、魔法の修練を重ね続けた。


 あの人を癒してあげたかったから。


 あの人を癒すのは常に私でありたかったから。


 私は一心に、学び続けた。


 そして時間が経っていく。


 一心に学び続けた私は、十五歳の成人を迎える頃には神聖魔法の使い手として、周りに認められるまでになっていた。


 記憶が、交差する。


 小さい頃からずっと三人一緒だった。


 ずっと一緒だったのに。


 十五歳の成人を迎える頃になると、二人は眩しい位に輝きを増す存在になっていた。


 ソフィアは神聖魔法に才能を見いだされ、ファシアスはその強さに更に磨きがかかっていく。


 その噂が噂を呼んだのか、いつしか二人の名は大きく広がりを見せていくようになり、その村にその人ありとまで言われるようにまでなっていた。


 二人を訪ねて、二人を求めて人が来るようになり、隣りの村から、そのまた隣りの村から訪れる者が増えていった。


 そんな二人に聖都から直接声がかかるのは、ある意味当然の事だったのかもしれない。


 二人は中央から是非にと見込まれ、聖都へと招かれた。


 二人の聖都行きは村人達の諸手を上げた祝福の中、すぐに決定された。


 暗い気持ちが心に刺さる。


 結局一度も勝てないまま、ファシアスが中央へ行ってしまう。ファシアスがソフィアと共に、聖都へと行ってしまう。


 ならば自分もと、望む気持ちはあった。


 実際ファシアスからも一緒に行こうと何度も誘われていた。


『ファシアスがいなくなれば、この村を守る者がいなくなってしまう。お前はこの村でファシアスの次に強い。そのお前までいなくなっては、誰がこの村を守るのか』


 ファシアスとソフィアの聖都行きを祝福していた村長がその同じ声で、何度も家を訪れてはそう言い含めてきた。


『ファシアスとソフィアは望まれていくのだ。だがお前は違う。お前は自分の我が儘で、この村を見捨てていくのか』


 二人の輝かしい未来を素直に祝いたいと願いながらも何故か、顔を上げられない自分がそこにいた。


 小さい頃からずっと、三人一緒だった。


 けれどもう、違う。違うのだと。


 ファシアスはそれでも一緒に行こうと誘い続けてくれた。ソフィアもまた、一緒にいてくれればと言ってくれていたのに。


 二人が聖都へ旅立っていくのを一人、村人達と一緒に見送る自分がそこにいた。


 もう、一緒にはいられない。

 周りがそれを許してはくれなかった。


 理由も分からないまま、心に陰鬱な陰りが差す。


 抜け出せない暗闇の中に、独り、取り残されていく状況に強く、唇を噛み締めていた。


 記憶が、交差する。





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