♯199 遥かなる日々
まどろみに満たされ、滲み、弾む。
朧気な意識があやふやな感覚の中に
流れるままに揺らぎ、巡る。
思考の波がうねるぼんやりとした明りの中、どこか遠くで細波の音が霞んでいた。
穏やかな感覚に満ちる。
あいまいになる境界が心地好い。
緩み、広がり、混ざり合う。
霞む糸が途切れ、かすかな振動を残して解れていく。
その糸の向こう側に、強い光が瞬いた。
閃光のような光が広がり、走り抜ける。
眩しさに飲み込まれ、光が意識と交差する。
その怒声は激しい熱量を帯びていた。
『ぜりゃぁぁぁああああああああーっ!』
――マオリっ!?
光の中に浮かぶマオリの姿に目が覚める。
あやふやだった輪郭が明確な形を取り戻し、刹那の時を待たずに甦っていく。
気付けば薄ぼんやりとした暗闇の中にいた。
視界も音も、湿度や気温も、全ての境界があいまいなままの暗闇の中にあって、自分の身体だけが明確に存在しているかのような、不思議な空間。
イワナガ様の間の空間と少し似ている。
――自分が自分であり続けられるかどうかって、……そういう事か。
『ヒルコ』と同調していく中で互いの意識が混濁しあい、あやうく飲まれかけそうになっていた事を自覚する。
危なかった。
コレ、マジでヤバい。
自意識を強く保ち、気を取り直す。
過ぎ去っていった光に思いを移した。
――ありがとう、マオリ。私もがんばる。
ビジョンの中に見えたマオリは戦っていた。
ここは多分、『ヒルコ』の精神世界のようなもので、そこに刻み込まれた強い記憶と繋がったのだろう。
意識を向ければ他にも、様々なものが見える。
そこにはベルアドネがいて、私がいて、ばるるん達がいた。
時系列的に見てより新しい記憶から並んでいるのかもしれない。奥へいけばいく程に遡っていっているように思う。
シキさんと戦い、何か助平そうなおじさんがいて、アスタスがいて、……勇者様まで。
そこには更に、マリエル様の姿もあった。
記憶が感覚を共有する。
その時その場での『ヒルコ』の感情が、知識としての『スンラ』の記憶が伝わってくる。
そこから、マリエル様も無事である事を知って小さく安堵する。どうやら敢えて危害を加えるつもりはないようだった。命じられ、拘束している。ただそれ以上でもそれ以下でも無い。
命じたのは、コノハナサクヤだ。
光の女神の意思の存在を再確認し、意識を更に奥へと沈ませていく。
記憶の更に奥へと沈み、同調を深めていく。
一番最初に感覚が繋がった時に見えた男性の姿は、いつの間にかどこかへ消えてしまっていた。酷く憔悴し、疲れきり、自らの死を強く願っていた。
ラダレストにいた時の記憶の断片が次々と続いていく中にあっても、その男性の姿は見当たらない。
あれが一体誰だったのか。
確かに心当たりがあるにはあるけれども、何故あんなに辛そうにしているのかが気になってしまう。
――丁度良い手駒を見つけて、狂わせた。
最果ての森の遺跡で
あれは、どういう意味なのか。
更に時間が遡り、魔王城へと移った。
『スンラっ! 貴様も道連れだぁぁあああっ!』
瀕死な黒髪の壮年の戦士が叫ぶ。
身体にしがみついた壮年の戦士から大きな力が膨れ上がり、激しく自爆する瞬間だった。
アスラの王。……マオリのお父さんの、最期だ。
それ以外にも王の妻、マオリのお母さんを手にかける瞬間や、同じような黒髪の戦士達と戦う光景が連なる。
他にもスンラは数多くの命を手にかけ、その身を自身へと飲み込んでいっていた。
スンラは他者を飲み込み、その力と記憶を奪う事が出来るのだと知る。
それが故にスンラは力ある者を求め、殺し続けていた。
他者の力と記憶を奪い続けてきた。
アスラの王を飲み込む事は叶わなかったようではあるけれど、マオリのお母さんや他のアスラ神族達の記憶が、更に繋がっていく。
『どうかこの子に、優しい未来が訪れますように』
石造りのどこかの一室で、生まれたばかりの赤ん坊が両親の愛しげな眼差しの中に包まれていた。どこにでもあるハズの、何でも無い光景の一つであるハズのもの。
アスラの王がその赤ん坊をそっと抱き上げ、頬を寄せる。
その姿を暖かい気持ちで見守る、……記憶。
生まれたばかりの幼い赤ん坊に寄せる、不安と、その幸せな未来を強く願う、親としての深い思い。
本人も覚えてないと言っていた、両親の姿。
そこにあった確かな感情の記憶。
深く、深く愛していた事を伝える、記憶。
こんな記憶でさえも、奪い続けてきたのだ。
不意に、光の加減が大きくぼやけるように広がった。
『ファシアスっ!』
光の中から聞こえた聞き覚えのある声に、一際大きな鼓動が胸を打つ。
『……何でっ!? 僕がラダレストの人間だからっ? 僕が教皇の妹だからっ? 何で僕を置いて行こうとするんだっ! そんなのっ絶対に許さないっ! そんなのっ、嫌だよっ!?』
どこか見た事のある場所だった。
アリステアの中央神殿。多分その、内殿の一角。
そこでオルオレーナさんが『私』に向かって声を荒らげている。
少しばかり若いような気もするけれど、それは確かにあのオルオレーナさんだった。
先代勇者の婚約者であり、女神教の最高指導者リディア教皇の実の妹でもあったオルオレーナさん。彼女は最果ての森の遺跡の奥でカグツチの封印を解いてしまい、飲み込まれてしまった。
助けたくて、助けようとして。
でも、届かなかった。
その彼女の姿が、目の前に迫る。
『すまない。けど、これだけは駄目だ。君を連れていく訳にはいかないんだ。……君には、生きていて欲しい』
『私』は、すがるオルオレーナさんの両肩を優しく押し留め、それでも強さを込めて突き放した。
強い意思と切ないまでの思いがこみ上げる。
先代勇者ファシアスとしての記憶。
教皇の神託によって王国連合軍が解散され、アリステア一国でスンラの魔王軍と戦わなくてはいけなくなった時の、オルオレーナさんとの最期の別れの記憶だ。
身が千切れんばかりの愛しさを堪え、それでもすがるオルオレーナさんを拒絶する先代勇者ファシアスの、記憶。
この記憶がここにあるという事は、先代勇者もまた、スンラに飲み込まれていたのだという事になる。
『ふざけんなっ!』
場面が切り替わり『私』は激しく殴りつけられていた。
同じアリステアの中央神殿の一角、さっきとはまた別の場所だ。
『何弱気な事言ってんだっ! オルオレーナの事を頼む? ふざけんなっ! アイツに必要なのはあんたであって俺じゃないっ! 俺にあんたの代わりをさせようとすんなっ!』
真っ赤なロングレザーコートに真っ赤な革の眼帯を着けた赤い変な少年が怒鳴る。
もしかして、勇者様だろうか。
トルテ君から聞いていた通り、若い頃の勇者様は何故か全身を赤一色の装備で固めていた。特に眼帯が気になる。
『頼むからアイツから、アイツへの思いから逃げようとするなっ。あんたは俺の憧れなんだっ、憧れのままのあんたでいてくれっ! いつまでも逃げてんじゃねぇーよっ!』
『……私、もう決めたの』
純粋な思いを伝える勇者様の姿がぶれ、一人の女性の姿へと重なる。どこか晴々とした、すっきりとしたような表情で微笑む、とても魅力的な女性の姿へと代わった。
さっきの場面からまた更に時間が遡る。
見晴らしの良い場所でその女性と二人、先代勇者ファシアスはそこで隣り合い、遠い空の向こうを同じように眺めていた。
『聖女を辞めるわ。……やっぱり私は、あの人が好き。流されてここまで来てしまったけれど、この気持ちにだけはどうしても嘘はつけないって、……そう気付いちゃったから』
『遅せぇよ。馬鹿』
『……うん。馬鹿だった、私。……だから、ごめん』
先代の聖女、ソフィアだ。
同じ村で幼い頃から三人一緒に育ってきた想い人の告白に、ファシアスは別れを強く決意していた。
『謝る相手が違うだろ。直接本人に言ってやれ』
『……うん。でも、……ごめん』
『……だからそこで謝んな、馬鹿』
幼い頃からの思いを無理矢理に押し込め、どこか分かっていた事実だと、自らに言い聞かせる。
彼女にとって自分はただの幼馴染でしかない。
それはずっと、分かっていた事だった。
ソフィアは昔から、ただ一人の事しか見ていなかった。
ただ一人、ソイツの事しか見えていないのだと、長い付き合いの中ですでに分かっていたのだと、故郷の村に残ったもう一人の幼馴染に思いを馳せる。
『でもこれだけは、もう間違えたくないの』
自らの思いを自覚したソフィアは、迷いの無い眼差しで力強く微笑んだ。
『私は、……****が好き』
意識が深く混ざり合い、混濁していく。
深く沈み込んだ記憶の中で自身の感覚が交わるのをぼんやりとただ、感じ続けていた。
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