♯201 遥かなる日々3



 聖都へ行った二人の活躍はすぐに知る事が出来た。


 村に訪れる旅人から、外から帰ってきた村人達から、二人が聖都でどれだけ評判が良いのか、それがどれだけ喜ばれているのか。それらの話題は尋ねずとも自然に耳に入ってきた。


 幼い頃からずっと一緒だった二人が、遠く離れた聖都において目覚ましい功績を積み重ねていく。


 誇らしい気持ちが無かったと言えば嘘になる。

 けれど同時に、恨めしくもあった。


 二人が認められるたび、その名を聞くたびに、胸の奥深くに降り積もる重苦しい気持ちにどこか、押し潰されてしまいそうになっていく。


 同じ村からの出身で、互いに幼馴染な二人。

 輝かしい二人は常に、お似合いだと誰もがそう口にする。


 それを聞くたびにズキリと胸が痛んだ。


 締め付けられるような痛みに、心がどんどん澱んでいくのを確かに自覚していた。


 やがて、ソフィアが聖女に選ばれ、ファシアスが勇者の選定を受けたとの知らせが村に届いた。


 手紙をくれると言ったソフィアからは結局、一通も届かないままだった。ソフィアに送った手紙の返事でさえも、何一つとして届かないままだったけれど、村人達にまざり、聖女と勇者の誕生に祝いの杯を掲げた。


 その頃には、自分の気持ちには気づいていた。


 遠く離れてしまっても、その気持ちは変わらなかった。


 村長からは何度も世帯を持つようにと勧められたけれど、申し訳なくもそれを断り続けた。


 叶わぬ想いだと、とっくに分かっていた。


 これは決して報われぬ想いだとも分かっていた。


 それでも、想いを断ち切る事は出来なかった。


 だからこそソフィアが聖女に選ばれたと聞いた時、村人達にまざって祝杯を上げる事が出来た。


 卑屈な自分を惨めにも思う。


 聖女はその教義上、婚姻が認められない。


 ソフィアが聖女でいる間は、彼女は誰のものにもならない。誰のものにもなる事が出来ない。それが例え、勇者が相手だったとしても。


 その事にすがって安心する自分が、そこにいた。


 例え忘れられていたとしても。

 例え、彼女が自分の元へ戻ってくる事がなかったとしても、彼女が誰のものにもならないのであればそれで、それで安心してしまえる勝手な自分が、そこにいた。


 愚かに過ぎる。


 それは結局、ただ認めたくない現実から目を逸らしていただけなのだという事に、すぐに気づかされる事になる。


『ソフィアが聖女を辞めようとしている』


 その噂は立ち処に国内に広まった。

 当然、村にもその噂は届いた。


 聖女がその位を降りる理由は限られてくる。

 最も大きな理由は、婚姻する為。聖女は婚姻が認められてはいない。だから誰かと婚姻する為には、その役職を降りねばならない。


『ついにファシアスとソフィアが』


 誰もがそう口にした。

 村の誰一人としてそれを疑わなかった。


 聖都から遠く離れたこの村では、正確な情報が伝わるまでに時間がかかってしまう。聖都からこの村は、あまりにも遠すぎた。


 真意の不確かなまま、時間だけが過ぎていく。

 不安と焦燥が日に日に募っていくのが分かった。


 そして、更なる報せが村に届く。


 それは、勇者ファシアスの婚約を伝えるものだった。


『うあああああぁぁぁぁああああっあああーっ!』


 苦しくて苦しくてはち切れんばかりの衝動に、全身が引き千切られそうだった。


 つまらない安心にすがっていた自分の愚かさにようやく気がついた。


 聖女は婚姻が許されない?

 そんなもの、聖女を辞すればいいだけの事だ。


 そんなものにすがって何を安堵していたのか。


 村に残って自分からは何もせず、ただ届く報せに一喜一憂するだけで、それで何になるのか。何にもなりはしない。何かになるハズもないのに。


 未練ばかりが募る。

 後悔ばかりが心を蝕んでいく。


 黒くまだらに染まる思考の奥で、誰かが優しく、静かに囁きかけてくる。


『だったら奪えばいい』


 そんなの、無理だ。事実ファシアスには一度だって勝った事がない。どれだけ力をつけても、どれだけ日々を積み重ねても、ただの一度たりとて勝った事などないのに。


『だったら強くなればいい』


 強くなりたい。他の誰よりも。他の何者よりも。

 ファシアスよりも更に強く、強くなりたい。


『強くなって、奪えばいい』


 どこからか聞こえて来る声が、心を掻き乱す。


 強くなって、奪う。

 奪う為に、……強くなる。


『強くなって、奪い、更に強さを身につけて、奪いなさい』


 強さを求め、奪え。

 奪う為に強くなり、強くなる為に奪え。


『望むのならば、貴方にそれを与えましょう』


 奪う為の強さを、望んでも良いのならば。


『奪う為の力を、貴方に与えてあげましょう』


 暗闇の向こう側に輝く一筋の光が灯る。

 その中にあるものに気付き、意識が解離する。


 ――駄目っ。それを手に取ってはいけない。


 欲しい。強さが欲しい。

 奪い取る為の力が欲しい。


 ――その強さは何も残さない。


『さぁ、手を伸ばしなさい。力を、求めなさい』


 ――手を伸ばしては駄目っ! その力では何も手に入らないっ!


 力が欲しい。


 全てを手に入れる為に。

 全てを奪い取る、その為にも力が欲しい。


「駄目ぇぇぇえええええええっ!」


 暗闇の向こう側へと手を伸ばした所で、混濁していた意識の中から弾き飛ばされてしまった。


 気付けば一人、暗闇の中に立っていた。

 交差する記憶の断片が、その周りに浮かんでいる。


 これらは記憶に過ぎない。

 『ヒルコ』が喰らってきた記憶の断片に過ぎないのだ。


 すでに過去に起きた事の、記憶の断片。

 どれだけ叫んでも、止める事は出来ない。


 ぐっと拳に力を込めて、唇を噛み締める。


 今の今まで一緒に記憶の中の過去を経験していたあの人が、暗闇の向こう側へと手を伸ばしたその先には『ヒルコ』があった。


 そして、『スンラ』が生まれた。


 人間だった時の記憶も感情も『ヒルコ』に飲み込まれ、自分の名さえ失った一人の男性は、強さを求めた。


 その先に連なる、凄惨な記憶。


 スンラとなったその男性はまず、自分のいた村の村人達を皆殺しにして、喰らい尽くした。


 そしてその狂牙は近隣の村々にまで及び、討伐にきた兵士達に追われ、やがて魔の国へと行きついてしまう。


 その中にあるのは強さと、奪う事への執着。


 覚えているのは勇者と聖女への、強い渇望。


 導かれる声のままに魔物達を喰らい続け、更にその時代の魔王までもを喰らったスンラは、勇者と聖女を求め、聖都を目指して戻ってきた。


 自らが望み続けた聖都へと至る為に。


 そしてそこで、勇者ファシアスと聖女ソフィアを殺し、……その記憶と力を、喰らった。


 『ヒルコ』に取り込まれて自我を失っていたその男性は、喰らった記憶によって自分の過ちにようやく気がついた。


 決して取り戻せない過ちに、そこでようやく気がついたのだ。


 名を失い、全てを失っても尚、死ぬ事の出来ない、終わる事の無いこの暗闇の中でずっと、その記憶の中で今も苦しみ続けている。


 贖罪を願う事も出来ず。

 誰からも忘れられたまま、ずっと。


 もう終わってもいいハズだ。

 もう彼を、終わらせてあげたい。


 暗闇の向こう側へと手を伸ばす。


 記憶の断片に埋もれた向こう側へと手を伸ばし、そこに沈みこんでいる存在を強く認識して、掴みあげた。


 思いを込め、救いを願いながら。


 確かな手応えを感じる腕に力を込め、暗闇の向こう側からゆっくりと引き抜く。


 暗闇の向こう側からその男性は姿を現した。


 苦悩に老いさらばえ、酷くやつれている。


 もういい。もう、……十分なハズだ。


「……頼む。俺を、殺してくれ」


 掠れた声で死を懇願する男性をそっと、抱きしめる。


「……うん。もう終わろう。もう、終わりにしよう」


 すでにその男の人の身体は、この世には残ってはいない。残っているのはその残滓と、『ヒルコ』の分体だけ。


 魂だけの存在として、この暗闇の中に縛りつけられ続けているその男性を抱きしめ、名を告げる。


 ヒルコでもなく、スンラとしてでもない。


 失ってしまったその名をそっと、男性に告げた。

 

「……ありがとう」


 一言を残して、男性の姿が崩れ去る。


 苦悩と後悔に際悩まされ続けていた時間が、終わる。


 抱きしめた腕の中で黒い結晶へと姿を変え、パキンッとひび割れ、砕けてそのまま、消えていった。


 男性の冥福を静かに祈る。


 壊れてしまった日々に、壊してしまった思い出にそっと、祈りを捧げた。


 暖かな光が満ちる。


 捕らわれていた記憶が、解き放たれる。


 ソフィアさんの想いが、ファシアスの記憶が。

 マオリの両親の記憶が、……消えていく。


 再びゆっくりと目を開ける。


(魔力径路の把握は出来た。これで『ヒルコ』の分体を一気に潰す事が出来るであろう)


 『ヒルコ』との同調を終え、意識を切り離した所にイワナガ様の声が届いた。


「多分もう、その必要は無いと思います」


(必要が、……無い?)


 魔王城の地下迷宮。その最深部。

 脈打つ『ヒルコ』に添えた手を、ゆっくりと離した。


 多分もう、その必要は無い。


 不思議と何故か、それが分かった。


 『ヒルコ』を見上げると、その脈がだんだん弱まっていくのが分かった。一定のリズムを刻んでいた脈が次第に弱まり、その間隔を開けていく。


(これは……。まさか、自死? 『ヒルコ』が自ら、自分の生を終わらせようとしている。……ありえぬ)


 やがて、その脈動が静かに止まる。


 『ヒルコ』ではなく、『スンラ』でもない。

 その核に捕らわれていた魂が、自ら終わらせたのだ。


 魔力径路で繋がった分体達と共に、静かに、終わりを迎えたのだと分かった。


 脈動を止めた『ヒルコ』の色が黒く沈んでいく。


 弾力性のあった肉質が強張り、より黒く変色しながら、見ている間にも縮んでいった。


(……分体を巻き込んで、『ヒルコ』が自死しおった。まさか、こんな事がありえるのか)


 『ヒルコ』がその活動を停止した。


 あの人が全てを終わらせたのだと分かる。


 自分の名前を取り戻したあの人が、残りの分体を巻き込んで全てを、終わらせたんだと。


「だけどまだ、一体だけ残ってる」


(……レフィア?)


「アイツは、あの人とは違う。あの人の執着と渇望から生まれたアイツは、スンラは、あの人の意思に従う事なんてありえない。アイツがまだ、アイツだけはまだ残っているハズです」


 地上に残る最後の一体を思い浮かべる。


 あの人から生まれたスンラは、まだ地上で戦っている。まだ地上で、マオリと戦っているハズだから。


「イワナガ様っ! すぐに地上へ戻りますっ!」


 マオリだけを戦わせはしない。

 必ず背中を追いかけて追い付いてみせると、そう約束を交わしたのだから。


(もちろんそのつもりだ。だが少し待て。……よしっ!)


 イワナガ様の言葉と共に、身体が浮遊感に包まれる。周りの景色がぐるりと反転して不思議な感覚が広がりを見せた。


 どこか覚えのある感覚に、思い当たりがある。


「……ここって、まさか」


だ。『ヒルコ』の残骸を触媒にして急拵えで用意した。迷宮内であればこの空間を経由して転移出来る。すぐにでも表層階へ向かうぞっ!)


「はいっ!」


 イワナガ様の言葉の通り、次の瞬間にはすでに間の空間から地下迷宮の入口まで転移していた。


 迷宮の主って、便利に過ぎる。


(急ぐぞっ!)


 間の空間があるのならいつまでも私の中にいる必要も無いハズだけど、いてくれると何かと助かるのでありがたい。


 急いで目の前の階段を駆け上がる。


 仄暗い迷宮の中から飛び出した途端、予想外の眩しさに目がくらんでしまった。


 そこはすでに魔王城の中などではなく、瓦礫の散らばる荒野のような状景が広がっていた。


 戦いの激しさを思い知らされる。


 その瓦礫の散らばる真っ只中に人影が見えた。他の誰と見間違うハズも無い。マオリだ。


「マオリーっ!」


 その名を叫ぶと同時に、考えるよりも早く、身体が駆け出してしまう。


 眩しい程の光の中。瓦礫が吹き飛ばされたその中心で右拳を力強く握り締めながら、、マオリが、そこに立っていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る