♯186 シキ・ヒサカの敗北(魔王の憂鬱23)



「アスタスは一命をとりとめたようです」


 聖都の中央神殿。


 内殿の一角に用意された私室の中で瞼を固く結び、組んだ拳で机を強く押さえながら、セルアザムからの報告を受ける。


「衰弱も酷く、非常に危ない所でした。ですが幸いにして致命傷になるような深いダメージも無く、治癒に特化した聖都の神官達の助力を得られた事もあり、今は小康状態を保っております」


「……そうか」


 仄かな安堵とともに小さく息をつく。


 満身創痍のアスタスがシキを連れて中央神殿に飛び込んで来たのは、陽が沈んですぐの時間帯だった。


 突然の事態に神殿内は騒然となった。


 探していたハズのアスタスが瀕死の状態で飛び込んできたのもそうだが、そこに勇者の姿は無く、代わりに運んできたシキもまた、瀕死の重症を負っているとあれば尚更だ。


 すぐさま魔王軍と聖都の治療師が集められ、双方の総力を上げての治療看護が夜を徹して行われた。


 法主達の助力には深く感謝している。


 だが……。


「……シキの方は、どうだ」


 言い淀むセルアザムに報告を促す。


 外見状はアスタスの方がより深刻な状態に見えた。

 そのアスタスが一命を取り止めたというのに、セルアザムは暗く厳しい表情を崩さない。


「……残念ながら」


 重く、ただ静かに。

 無情な答えが告げられる。


 握り締めた拳に指先が食い込んでいく。


「身体に受けた傷はどれも浅く、治癒魔法ですぐに回復したのだそうですが、その後も魔力の減衰が止まらず。今は魔香で外部からの魔力供給を試みておりますが芳しくはないようです」


 治療の合間の朦朧とした意識の中で、アスタスは事の次第を懸命に、しっかりと言伝えていた。


 ラダレストで何があったのか。

 勇者に何があって、どこにいるのか。


 その報告の中にあった、一つの名。


 シキはアスタス達を助ける為にソイツと戦い、傷ついたのだと。


「……専門家の見立てでは、魂の器そのものが損傷している可能性があるとの事。魔力減衰が止まらないのもその為のようです」


 抑揚を押さえた声音が事の深刻さを伝える。


「身体の傷は直せても、現状、魂の器を修復する術は、……存在しません」


 重くのし掛かる感情に、奥歯を強く噛み締めて堪える。


「持って、……三日かと」


 ……。


 ……。


 シキ・ヒサカの敗北。


 魔王軍の最高戦力の一角にして、ヒサカの英雄として人望の厚いシキが、……死ぬ。


「……スンラっ」


 闇の女神の言う通り、ヤツは生きていた。

 ただの騙りなのか、それとも本物なのか。


 そのどちらであったとしても関係無い。


「例え騙りであったとしても、『スンラ』を名乗るヤツを見過ごす訳にはいかん。……ただの騙りに、シキが負けるとも思わんがな」


 怒りと憎悪で気が狂いそうになる。


 なんとか平静を装っていられるのはその名を聞いた途端、激しい感情を爆発させたヤツが、すぐ目の前にいたからに過ぎない。


 スンラの名を聞いた途端、クスハはすぐさま雷霊となって現場へと飛んでいった。


 かつて魔王としてのスンラに徹底抗戦した一人であり、シキの盟友でもある彼女の怒りは凄まじいものだった。


 現場にはすでに何一つ残っておらず、ただ凄惨な破壊の跡が残るのみだったそうで、それからずっと、クスハは中央神殿と領内を行き来しながらスンラを探し続けている。


 クスハが雷霊となって移動するたび、空を突き破るような轟音が鳴り響く。曰く、雷の速さで移動すると空気が壁のようになり、それを打ち破る時に衝撃と轟音が発生するのだとか。


 夜を通して鳴り響く雷鳴が、クスハの怒りをそのまま現しているようにも聞こえていた。


 魔王軍の本隊も到着し、今は聖都の城門前で南域方面軍に備えて陣をはっている。


 こちらの手駒も揃い、これから東にむけて何らかのアクションを起こそうとしていた。このタイミングでのシキの消失は、戦力の損失という意味合い以上にダメージがでかい。


「スンラはラダレストと繋がっている、……か」


 闇の女神はスンラの居場所を知っていた。

 俺の手の届かない所にいると、言っていた。


 ラダレスト本神殿の奥に隠れられてたんじゃ物理的にも戦略的にも、おいそれと魔の国から攻め込む訳にもいかなかった。確かにその通りだ。


 スンラとラダレスト。……女神教との繋がり。


「いつからだと思う?」


 声を潜め、対面のセルアザムに問いかける。


「……これはまだ推測でしかありませんがおそらく、……最初からだと」


「お前も、そう思うか……」


 スンラと女神教は繋がっていた。

 それは多分、スンラが魔王となる前から。


 それがどういう繋がりなのかは知らん。

 だが、スンラが魔王となってやった事を考えてみれば、実際そうとしか思えない事ばかりだった事にも気付く。


 何故今になってヤツが出てきたのかは知らん。


 そこにどんな思惑があって、何を企んでいるのか。

 全くもって不気味で不透明な状況ではあるがそれでも、その裏にある図式が朧気ながら見えて来たような気もする。


 敵は、なるべく分かりやすい方がいい。


 何が敵で、誰を殺せばいいのか。

 スンラが女神教と繋がっていた。


「……却って敵が分かりやすくはっきりしたな」


 姿勢を崩さないまま目を開ける。


 握り締めた拳の向こう、セルアザムの深い眼差しの向こうにあるものに目標を見定め、目線で射抜く。


「法主達とも話がしたい」


 ゆっくりと立ち上り、声に意思を込めた。


「リーンシェイド達も集めてくれっ、アドルファスやクスハもだっ、皆を会議室へっ!」


「かしこまりました」


 シキがスンラに敗北した。


 その事実はすでに、聖都中のみならず魔王軍の中にまで深く広まってしまっている。


 ……いや、スンラの存在に対して未だに畏怖から抜けきれていない魔王軍だからこそ、その意味する所がより大きかった所為もあるかもしれん。


 薄れかけていた恐怖が再び、魔王軍や聖都の中で広まりきる前に、……これを打ち砕く。


 急な呼び掛けにも関わらず、法主達の集まりは早かった。それだけ事態を重く見ているのだろう。事実を希望的憶測のみで判断しない辺りにも、この法主達の為人を伺い知る事が出来る。


 会議室に入ると、沈痛な空気が更に張り詰めたものへと深まっていく。


 さっと室内を一瞥し、一通りの顔ぶれが揃っている事を確認して自分の席の側へと歩み寄った。


「……ベルアドネ様は、シキ様の元に」


 椅子に腰を下ろすと、耳元でリーンシェイドが小声で伝えてきた言葉に小さく頷く。


 その後ろには、鬼気迫る感情を必死で押さえ込んでいる様子のクスハもいる。


「魔王殿。シキ殿は……」


 控えめに尋ねてくるミリアルド法主に対して瞑目し、小さく首を横に振る事で答えた。微かなドヨメキが、法主の後ろで生まれる。


「尽力が及ばず、申し訳ない」


「いや、法主達の助力には感謝している。アスタスを助ける事が出来ただけでもありがたい。……すまなかったな」


 ギリッと奥歯を噛み締める音が、押し殺した殺意とともにすぐ背後から伝わってくる。


「やはり、本物のスンラで間違い無いのだろうか」


「おそらく、……間違い無いだろうな」


 肯定の言葉に、更にドヨメキが深まる。


「……スンラは13年前に死んだと聞いていたが、何故今になって、しかもラダレストに組みするようや形で現れたのか、……過去に魔の国で何があったのか、教えては貰えぬだろうか」


 背後で不安がる面々の心中を代弁するかのように、法主が厳かな声音で以て問いかけてきた。


 スンラの名が大きな意味を持つのは、何も魔王軍の中だけの事では無い。過去にアリステアもまた、スンラの暴虐の凶牙に曝されている。


 一つ大きく息を吸い、吐く。


「かつて魔の国の片隅に、戦神アスラの血を伝える一族が住んでいた」


「戦神、……アスラ」


「アスラ神族だ。今は俺がその最後の一人になってしまったが、アスラ神族は魔族とは違う。……人族ともな」


 一度区切り、法主達へと真っ直ぐに視線を上げる。

 不安さを浮かべる視線を真正面から受け、言葉を紡ぐ。


「闇の女神の祝福を受けて生れたのが魔族なら、人族とは光の女神の祝福を受けて生れた命の事を指す。アスラ神族はそのどちらからも祝福を受けてはいない。……まぁ、強いて言えば闇の女神よりではあるが、祝福を受けて生れた訳では無い以上、アスラ神族は魔族とは呼べない」


「……魔王殿は、魔族では、……無いと?」


「本来なら魔族ではないアスラ神族は、魔の国と関わる事など無い。……今まで関わる事なく、過ごしてきた」


 ……そう、セルアザムから教わった。

 側に立つ育ての親へと視線を移す。


 俺には両親の記憶などほとんどない。

 自分がアスラ神族である事も、アスラ神族とは何であるのかも、全てセルアザムから教わった事だ。


 視線を正面へと戻し、目を伏せる。


「だが、俺はアスラ神族最後の生き残りとして、魔王とならざるをえなかった。魔王として魔の国を支えなくてはならなかったんだ」


 アスラ神族としての力に目覚めたあの時。

 セルアザムは俺に、その理由を教えてくれた。


 そして俺は、レフィアのいる、レフィアと過ごしたマリエル村から魔の国へ戻った。魔王に、なる為に。


「13年前。スンラは倒された」


 その事実は知らされても、それが誰によって、どうなされたのか、誰も知らぬまま。


 誰にも伝わらぬまま。


 それは、敢えて伏せられた真実。

 スンラの最後。


「スンラを倒したのは、……俺の両親だ」


 魔の国でも一部の者しか知らされていない真実を、告げる。


「一族の長だったらしい俺の両親はその命を引き替えにして、スンラを倒した。……そのハズだった」





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