♯185 得体の知れない不安(傭兵王の逡巡8)
「……がはっ、げほっ、はぁ、はぁ、はぁ」
しくじった。
草地に強く背中を打ち付けてしまい、肺に受けた衝撃で大きく咳き込む。意識外から煽られた爆風に、手綱を引くのが間に合わなかった。ありえねぇミスだ。
涙目で堪えながら状況を確認する。
騎乗していた馬はすぐ近くに倒れ込み、細かな痙攣を繰り返していた。命はまだあるみたいだが無理をさせ過ぎた。
「……くそっ!」
白目を剥いて沫を吹く馬に触れ、首筋を撫でる。
荒々しい息づかいとともに筋肉が激しく脈を打っている。……これ以上は、無理か。
「すまなかった……」
激しい打撃音と衝撃の余波が嵐のように荒れ狂う中、鬣を撫でて労り、諦める。助けてやりたいが余裕が無さすぎる。
馬から離れ、一緒に投げ出されたハズの毛玉を探す。
濃紺色のけじゃむくれも同じように草地に投げ出されていた。同じように投げ出され、地面に踞りながら、強い警戒の色を発しながらこちらを睨み付けている。
「気がついたか。……言葉は、通じるのか?」
一瞬手を伸ばしかけ、引っ込めた。
下手に近寄れば刺激してしまうかもしれん。
視線を外さずに一定の距離を保つ。
「……勇者、はっ、……どこ、……にっ」
ズタボロな濃紺色のファーラットは震える手足で身体を支え、ふらつきながらも立ち上がろうとしていた。
小さな声が、荒い息に途切れ掠れる。
「ユーシス。……勇者の事なら心配するな。ヤツとは古い馴染みだ、悪いようにはしねぇ。俺の部下が先に運んでいってるハズだ」
気がついて真っ先にする事が勇者の心配かよ。
心の中で呆れつつも、その姿に感じ入る。
「お前の名は? ……名は、あるのか?」
場をつなごうと咄嗟に出た言葉に、自分で驚く。
マジか……。
ファーラットに名前を聞くなんて。
「……何故それを、……聞く」
より一層警戒を強めるボロボロの毛玉に、聞いておきながら戸惑っている自分が妙に可笑しく感じられた。
ふっと小さく息をつき、力を抜く。
「勇者もだが、お前に飲ませたエクストラポーションも決して安いシロモンじゃねぇ。こっちも少ない小遣いでやりくりしてるんでな。後で請求するにも、請求先が名無しじゃ格好つかんだろ」
姿は違えど、同じ感情をもつ命なのだと。
不思議と、その意味が分かったような気がした。
「それとも何か? 助けて貰うだけ助けて貰って、後は知らんぷりでも決め込もうってか? ……そりゃあんまりだろ。仁義におとりゃしねぇか?」
「……アスタス。アスタスだ。助けて貰った礼は言っておく。……すまなかった」
「俺はロシディアのヴォルド。好きなモノは酒と昼寝と女と女だ。嫌いなモノは、ありすぎて困ってる。……よろしくなっ」
「……どこの助平親父だ、あんたはっ」
「おっとっ」
バランスを崩して倒れそうになる所を、さっと近寄って支える。緊張からか一瞬身体が強張ったように感じたが、すぐに呆れたような表情がそこに浮かんでいた。
ドォォーンッという低い衝撃が響き渡る。
童女の操る巨人がまた一体、粉々に砕かれた。
「骸巨兵がっ!? ……シキ様っ!」
「おいっ!」
身体の支えさえも効かず、ボロボロだってのに。
這いつくばってでも行こうとするのを、強引に押さえつけて押し止める。
「その身体じゃ無理だろっ。お前はとりあえずこの場を離れとけってっ!」
「……ぐっ、それは出来ないっ。そんなのっ、出来るハズが無いだろっ! アレはスンラだっ、シキ様とともに戦わないとっ!」
「……スンラ? スンラって、お前っ」
……いや、待て。スンラだと?
あれが、あの化け物がスンラ?
あの化け物が……。
「魔王スンラだってのか」
並外れた化け物だという事は分かった。
どうにか出来る相手じゃないという事も。
だが、まさかあれがあの、スンラだとは。
突拍子も無い名前であっても納得がいった。
疑う余地すら内容程にすんなりと理解が出来た。
その凶悪なまでな強さ。あれがスンラ。
暴虐の魔王、スンラなのだと。
「アリステアはあんなヤツと手を組もうと……」
「陛下をあんなヤツと一緒にするなっ!」
呆然と溢れ出た言葉に、アスタスが激しい反応を見せた。
「スンラはもう魔王じゃないっ! アリステアが僕達と手を結ぼうとするのも、陛下が魔王であってこそっ、あんなヤツと陛下を一緒にするなっ!」
「……いや、待て。待てってっ。……どういう事だ? アレがスンラだってんなら、ヤツが魔王なんじゃないのか? アリステアが魔王と手を組もうとしてるのなら、そういう事なんじゃないのか?」
「ラダレストだよっ。僕らがスンラに襲われたのは、ラダレストの本神殿の中だった。……だから、そういう事なんだよっ!」
「……本神殿に、スンラが」
……。
……。
おい。
おいおいおいおい。おいっ!
何が本当で何が嘘なのか。
アリステアが魔王と手を組んだ。
それを糾弾したのはどこのどいつだ。
13年前のスンラの侵攻。
今回の強引なアリステアへの攻撃。
ユリフェルナの言葉、傷ついた勇者。
情報が、状況が一つずつ、形をともなって意味を成す。
朧気だったパズルのピースが一つずつ、その形と意味を鮮明に浮かび上がらせていくような気がした。
「っがはぁぁぁっ!?」
「シキ様っ!」
童女が激しく撥ね飛ばされた。
明らかに様子がおかしい。さっき赤黒い炎の壁の前で喰らった一撃が、その動きを妨げているように見える。
苦悶に顔を歪めながらも、スンラに対して再び構えを取る童女。
何が正しくて何が嘘なのか。
愚鈍な頭でもそれが少しずつ見えてきたような、そんな気がしきた。
赤黒い炎をまとい、スンラが迫る。
地面を震わし大気を揺さぶる一撃が、動きに生彩を欠き始めた童女へと、無慈悲なほどにぶちかまされる。
「ぐっ!?」
「ここで死ねっ! シキ・ヒサカっ!」
すかさず童女が身振りを切る。中空から童女を守るように幾つもの人形の腕のようなものが出現するが、スンラの勢いを止める事は出来なかった。
「がっ!?」
人形の腕が尽く砕かれ、童女が撥ね飛ばされる。
形勢は、明らかに不利になっていた。
大きく弾き飛ばされた童女が立ち上り、真紅の大刀を構える。いや、構えようとして、胸の辺りを激しく押さえながらその場に膝をついた。
「がっ、……くっ」
肩で大きく息を荒らげる童女に、スンラの表情がおぞましげな嘲笑に歪む。
「苦しそうだな、シキ・ヒサカ」
「……これしきっ、なんとも、あらせんがねっ」
「慈悲だ。楽にしてやろう」
スンラの魔力が渦を巻いて高まる。身体から湯気のように陽炎を立たせる熱気が、いくつもの赤黒い炎の塊となって浮かび上がった。
それがどれだけの破壊力を持つのかは予想もつかないが、あれだけの火球を一斉に投げつけられたら、動きの鈍くなり始めた童女には防ぎようもない。
「シキ様っ!」
今にも駆け出していきそうなアスタスの腕を、無理矢理引っ張って押さえ込む。
「何をっ!? 放せっ!」
勢いよく振り返り睨み付けてくるアスタスの視線を真正面から受け、縮み上がる肝っ玉を根性で押さえつける。
……仕方ねぇ、一か八かだ。
「……隙を作る。その間にあの女の子を連れて逃げろ」
手短に言い捨てて手を放し、アスタスの前へ進み出る。
「なっ、お前……っ」
「将来美人になりそうな上玉をっ、見捨てる訳にいかんだろっ!」
満身創痍だがこのファーラットは風や水の力を使って勇者を助けていた。エクストラポーションで魔力が回復してるんなら、同じようにあの童女を連れて逃げる位の事は出来るだろう。……出来なきゃそれまでだ。
ポーチから
ガハックがくだらねぇ事言ってきたら使ってやろうと仕込んでおいたものだ。折角だからもっと有効に使ってやる。
身を低く構えながらスンラとの距離を詰める。
スンラは童女に向かい、欠片もこちらに意識を向ける様子すらない。何をしようと容易く跳ね返せると思っているんだろう。まったくもってその通りなのが癪に障るが、今はそれがありがたい。
余裕を見せるスンラの鼻頭に向けて、握り込んだ煙幕弾を投げつける。
鋭い放物線を描いて投げつけられた煙幕弾はスンラに当たる直前に、いとも容易く叩き落とされた。
小さな爆発音とともに空中で中身が炸裂する。
「……なっ!? なんだっ、これはっ!?」
途端にスンラの顔が苦悶に歪んだ。
煙幕弾の中身は発酵した魚の干物をさらにじゅくじゅくに腐らせてから砕いて作った、嫌がらせようの臭い玉だったりする。
……あまりの臭さに、臭いが目に染みるだろ。
「く、臭いっ!?」
臭いは紳士のエチケットだぜ?
あまりの臭さに流石にスンラがたじろいだ。
その瞬間を、見逃す訳にはいかない。
「かかったなっスンラっ! 後ろを見てみろっ!」
勢いをつけてはっきりと、大声で叫ぶ。
「何をっ!?」
スンラが慌てて後ろを振り返り、浮かべていた赤黒い火球をまとめてそちらへと投げつけた。
滝壺のど真ん中に、ど太い火柱の群れが立ち上がる。
……特に何かがある訳でもねぇがな。
「アスタスっ! 今だっ!」
スンラが釣られてふりかった瞬間、アスタスへと合図を飛ばす。合図を受けたアスタスの身体が爆散したかのようにその場から掻き消えた。
突風が吹き抜けて童女の身柄を拐い、一瞬の間に、アスタスと童女はその場からいなくなった。
……よしっ!
小さく握りしめた拳に力を込める。
滝壺の火柱が収まると、スンラは振り返り、ゆっくりとした動作で二人が飛び去っていったであろう方向へと視線を投じた。
「ふんっ……」
嘲笑に歪んだ笑みがこちらへと振り向く。
「……どうした。もう追いかけないのか」
「慈悲だと言っただろう? 我が闘気は肉体を超え、魂の器を直接砕くもの。逃げた所で幾らももつまい。全身を苛む激痛の中でどれだけ持つ事やら。……すでに興味は失せたわ」
魂の器を直接砕く……。何だそりゃ。
つまらなそうに呟くスンラに対して、どうにか自我を保ったまま、構えを取る。
アスタスと童女を上手く逃がせたのはいいが、よく考えたら、俺一人だけ取り残されてたりするんだよな、これ。
……ヤバさウルトラマックスじゃね?
さてここからどうやって逃げようかと緊張に身体が強張る。スンラはゆっくりと首元をほぐしなら、ぐるりと首をまわした。
何だか急にダレはじめたように見えるが……。
「ロシディアのヴォルド、……か。さっきからまだ貴様には手を出すなと喧しいのがいるのでな。貴様は貴様のやるべき事をさっさとやってろ」
誰かから指示を受けている?
「……本神殿の、オハラ総大主教か。殊勝な事だな。上からの命令には逆らえないってか」
言葉を返した瞬間、身体の横すれすれを魔力の塊が通り抜けた。魔力の塊は力を持った衝撃となり、すぐ横の地面を大きく抉り取る。
「吠えるな。あの程度の者が俺に何かを言える訳も無かろう。……更なる力を得るまでだ。それまでは、……見逃してやる」
……オハラじゃ、ない?
だが、スンラの様子をどこかおかしくも思う。
オハラでは無くもっと別の、もっと他の誰かの意思に、否応なしに従っているようにも見える。
スンラを従わせる誰か。
一体どこのどいつが……。
スンラは憎々しげに言い捨てると、そのまま、どこへとも無く姿を消していった。
破壊の痕跡が生々しく残る滝壺に一人、取り残される。
「ヴォルド様っ!」
場を支配していた緊張が解かれると、ワインズを筆頭に周りで待機していたであろう部下達がどっと駆け寄ってきた。
「ワインズ、至急ダルマルクに戻り、あらゆる方面からありとあらゆる情報をかき集めろ。ユリフェルナにも連絡を取るんだ。勇者にも可能な限りの治療を最優先であて、知ってる事を洗いざらい聞き出すんだっ」
「……はっ」
「……何が起きてやがる。何が起きようとしてんだ一体っ」
訳の分からないままに巻き込まれるなんざゴメンだ。
事態はしっかりと動き出してやがる。
アリステア。魔の国。……スンラ。
「……敵は、誰なんだ」
得体の知れない不安がただ、おぞましさを増しながら膨れ上がっていくのを感じていた。
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