♯184 暴虐の猛威(傭兵王の逡巡7)
静けさを取り戻した場に、瀑布の音が響く。
衝撃で水が弾き飛ばされ空になった窪みへと、岩壁から落ちる地下水が滝となって注がれていく。
細かな水飛沫をあげて水位が再び深まっていく中を、巨人を素手で砕いた化け物がゆっくりと歩みを進める。
膨れ上がった剥き出しの筋肉が脈を打つ。
物語の英雄のようだった面影はすでに無い。
むしろ荒々しく乱れた髪といい、隆起させた肉体といい、まるでどこぞの蛮族の王のようですらある。
「幻魔大公シキ・ヒサカ。……噂以上ではあるな」
化け物がボソリと呟いた。
シキ・ヒサカ……。
幻魔大公?
聞き慣れぬ名前に疑問を覚えるも、それは、童女に向けられたものであるらしい。
張り詰めた空気の中でそっと、童女へと視線を移す。童女は不愉快そうに顔をしかめ、化け物を睨み付けていた。
「だが、……脆い。我が力に恐れをなして領地に引きこもっておった貴様だ、でしゃばらず、そのまま隠れておれば少しは長生きも出来たであろうに」
「おんしゃは……、
化け物がゆっくりと近付く。
一歩踏み出す事に圧を増していく魔力に、いっそ全てをかなぐり捨てて逃げ出したい衝動が込み上げ、ぐっと堪える。
ヒリつく圧力に必死で自我を保つ中、童女から感じる魔力もまた、その密度を増していく。
「……外面だけは男前があがっとらっせやぁすが、死んだハズのおんしゃが何故こんな所にいやぁすんか、……迷い出て来るにはまだ日も高かろうに」
「ふんっ、俺は死なぬ。それだけの事だ」
「……世迷い言を」
化け物の足が地面を踏みしめた。
童女は中空へと手を伸ばす。
伸ばされた指の先で空間が大きく歪み、数本の真紅の大刀が姿を現した。大刀は童女の周囲にピタリと浮かび、その切っ先を化け物へと向ける。
赤黒い炎が化け物の身体をつつんだ。
更に感じる圧力が息苦しさを増した時、甲高い音を上空に響かせながら、一本の鏑矢が射ち放たれた。
聞き馴染みのある特有の音に気付き、咄嗟に口元を手で覆い、顔を伏せる。
直後、着火された煙幕弾がその場に幾つも投げ込まれ、激しい閃光と爆音が連続して轟いた。
……鼓膜が酷く痺れる。
耳を塞ぐだけの余裕がなかった。
瞬く間にも視界が、特殊な調合をほどこした深紫色の煙で埋め尽くされる。
「ヴォルド様ーっ!」
キーンと耳鳴りが続く中、深い煙から頼れる副官が姿を現した。タイミングとしては悪くない。
「すまん、……助かった。コイツを」
勇者を抱え起こしてワインズに示す。
見ればワインズの脇には馬が二頭引かれているのが分かった。一頭はもちろんワインズの馬で、もう一頭は滝壺へと一緒に飛び込んだ自分の馬だった。
生きていた事を労ってやりたいが時間が無い。
ワインズの手を借りて勇者の身体を馬へと乗せる。勇者を確認したワインズは一瞬驚きを顕にしたが、すぐに表情を厳しいものへと戻し、深く頷いてくれた。
皆まで言わずとも通じる副官を頼もしく思う。
比重を調整し、滞空時間を伸ばした煙幕といってもそれほど長く持つ訳でも無い。煙が晴れる前に素早くとんずらぶっこいておきたい。
鞍に手をかけてとっとと逃げ出したい衝動を解放するが、それでも、後ろ髪を引かれる思いに足が止まってしまった。
「……ヴォルド様、お早くっ」
戸惑いを感じながらも、目を閉じて逡巡を押し込める。
……仕方ねぇよな。
仕方ねぇんだ。
ぐっと握り拳に力を込め、こちらの様子を不安そうに伺う副官へと顔を上げる。
「ワインズっ、お前のエクストラポーションを。俺のはユーシスに使っちまって空だ」
「はっ。……ですが、何故?」
ワインズからエクストラポーションを受け取り、馬から離れ、すぐ側に倒れ込んでいた毛玉に側寄った。
自分でもらしくない事をしてる自覚はある。
だが、このまま放って置く事も出来ない。
言い訳するつもりもないが、目の前に倒れ込まれてちゃ仕方ねぇんだと自身の中に言い聞かせる。
「……助けて貰った借りだけは、返しとくからな。死ぬなら俺の見てない所で頼む」
ズタボロのファーラットの口の中へ無理矢理エクストラポーションを流し込む。容態が容態だけに必ず助かるという保証などどこにもない。だが、これで体力と魔力が回復すれば、命を繋ぐ芽も出てくるかもしない。
「まさか魔物であるファーラットに、この俺が直接こんな事するなんてな……」
これがユリフェルナばりの美女だったら直接口移しで流し込んでいる所だが、流石にそこまではしてやらねぇ。
ほんわかと温かみを取り戻したけじゃむくれを担ぎ上げる。
毛玉が子供大で助かったのかそうでないのか。これが勇者と同じような体格だったら、迷わず見捨てて行けもしたものを。
ファーラットを馬の背に乗せ、鞍に跨がる。
……煙幕が晴れるまでに、間に合うか。
直ぐ様馬を走らせようとした時、爆風が走った。
視界を塞いでいた煙幕が一気に吹き飛ばされてしまう。
「雑魚が、小賢しい真似を」
目の前に暴虐の圧力が膨れ上がった。
「……ちっ、そう簡単にはいかねぇか」
すかさずワインズの馬の尻を蹴り飛ばし、自身の馬をワインズの馬とは対称方向へと走らせる。
二頭の馬の間に、赤黒い火柱が立ち上った。
炎の爆風に煽られながらも鐙を強く踏みしめ、ワインズと共に化け物を大きく迂回しつつ馬足を走らせる。
「逃がさんよ」
化け物がワインズの馬に迫る。
「……くそっ、次弾っ、放てぇーっ!」
背に負う積み荷の選択を間違えた。
ファーラットをワインズに任せ、勇者をこそ自分が背負うべきだったのだと悔やみながらも、脇に待機しているであろう部下達に一か八かで指示を出す。
すぐさま煙幕弾が投げ込まれた。
「……後で臨時ボーナスだな」
激しい閃光と爆音が連なる中へ、馬の目と耳を塞ぎながら突っ込んでいく。
すれ違い様に化け物に蹴りをかまし、暴れおののくワインズの馬の手綱を強引に掴み、引っ張りだす。
「申し訳ありませんっ、ヴォルド様」
「いいからっ、とっととずらかるぞっ!」
「舐めるなぁぁあああーっ!」
激しい熱量をまとった剛腕が振るわれる。
悪戯心で蹴りをかましたのが効を成したのか、化け物は見当違いの方向へと攻撃を仕掛けていた。
その隙にさっさと距離を稼ぐ。
だが、化け物はやっぱり化け物だった。
煙幕が腕の一振りで薄れてしまい、憤りに歪んだ禍々しい眼光に捉えられてしまう。
……ヤバいっ。
フザケんなっくそっ!
化け物が身を屈めて飛び上がる。
短い時間の中で必死に稼いだ距離が、化け物の跳躍一つでおじゃんにされてしまう。
理不尽過ぎだろ、そりゃ。
「……くそったれぇっ!」
迫る脅威に苛立ちを吐き捨てる。
逃げられねぇと頭の中に冷たいものが駆け巡る。
目の前まで迫っていた化け物が突然、激しくぶちかまされて吹き飛んだ。
「とっとと逃げやぁせなっ!」
「すまんっ!」
煙幕の向こう側から飛び込んで来た童女が叫ぶ。
明らかに助けてくれたのだと分かる援護に、馬足を早め、背中越しに叫んで応えた。
化け物と化け物。
だが、息を飲む程に美しい姿をした方は、どうやら敵ではなさそうな事に安堵を覚える。もし敵でないなら、もう少し成長した後によろしくお願いもしてみたい。
そのまま駆け抜けようとした時、目の前に赤黒い炎が連なりながら激しく吹き上がって壁を作り出した。
「……くそっ!」
「そのまま突き破りやぁせっ!」
思わず馬を止めた所で、背後から童女が叫んだ。
叫ぶと同時に放たれた真紅の大刀が赤黒い炎の壁へと突き刺さり、そのど真ん中に大穴を穿つ。
……これならっ!
意を決してそこへ飛び込んでいく。
アクロバットショーの練習なんざしたこたぁ無いが、ぶっつけ本番でもやる時ゃやってやる。
赤黒い炎の壁に穿たれた穴のスレスレを飛び越えた時、背後に身の毛もよだつような殺気が膨れ上がった。
その刹那、水晶を砕いたかのような甲高い破裂音が響く。
「俺を前にして弱者に気をかけるとは、甘く見すぎだ」
「がっ……!?」
視界の隅でその光景を捉える。
赤黒い炎に穿たれた穴、その穴の向こう側で童女の身体を、化け物の腕がまっすぐに貫いているのが見えた。
童女の身体がビクンッと震え、腕や顔に、硝子を砕いた時のような亀裂が走っていく。
パキーンッと、更に甲高い音が響き渡る。
化け物が童女の身体を貫いた腕に力を込めた途端、あっけない程に脆く、童女の身体が粉々に砕け散った。
「……なっ!?」
あまりの光景に言葉を失う。
童女の身体を粉々に砕いた化け物は続け様に、腕にまとわせた赤黒い炎を塊にしてこちらへと投げつけてきた。
赤黒い炎の塊が高速で迫る。
「させやせんがねっ!」
突如中空より姿を見せた童女が再び、手にした大刀でその赤黒い炎を叩き落とした。
地面に叩きつけられた炎の塊が弾け、まるでバケツの水をぶちまけたかのように炎が飛び散る。
……どういうトリックなのか。
確かに化け物に砕かれたかのように見えたのに、童女の身体は傷一つ負っていなかった。
だが、その顔色は青ざめ、苦痛に酷く歪んでいる。
どうやら無傷という訳でも無いらしい。
「ワインズっ! 先に行けっ!」
「ヴォルド様っ!?」
ワインズの馬の手綱を手放し、馬首を後方へとむけて来た道を取って返す。
咎めるようにワインズが声を上げるが、将来性のある美人を一人残して逃げれる訳もない。性分には逆らえん。
見た目以上に華奢でまるで重さを感じさせない童女の身体は、思ったよりも柔らかく感じられた。
「おんしゃっ!? 何をっ」
「美人は人生の宝だっ、みすみす見捨てる訳にいかねぇだろっ!」
童女を前に抱え込み、瀕死のファーラットを背に負う。
明らかに欲ばり過ぎだが、どっちも見捨てておけねぇなら多少の無理をおかしてでも抱え込むしかねぇ。
抱え込んだ童女の身体に傷らしい傷は見当たらなかった。だが、今にも死にそうな青ざめた表情には、脂汗がいくつも浮かんでいる。
脇から赤黒い炎が再び迫る。
腕の中の童女が苦痛に呻きながらも身振りを切った。
どこからか飛んできた真紅の大刀が赤黒い炎へと突き刺さり、小さく爆散して炎を散らす。
直接手に触れず、大刀を扱えるらしい。
見た事もない術だが、その見事さに感嘆する。
「おんしゃも相当に、救いがたい性格をしとるがね」
「すまん。よく言われる」
「……そういうのも嫌いでは、無いがん」
苦痛に顔を歪ませながらも、腕の中で確かに、その童女がか細い笑みを作ったような気がした。
一瞬の隙に、童女が腕の中から飛び立つ。
「なっ!? おいっ!」
「わんしゃの事はええっ、はよ勇者とその子をっ!」
ふわりと地面に飛び降りた童女は後ろ背にそう叫ぶと、そのまま弾けるようにして、追いかけてくる化け物に向かって駆け出していった。
「今にも死にそうな顔して何言ってやがるっ!」
再び馬首を返そうとしたその時、後方で激しい爆音が轟いた。
地を這うようにして迫る爆風に煽られてバランスを崩し、横倒しに倒れた馬体からファーラット共々、草地の地面の上へと大きく投げ出される。
「うぐるぅがぅぁああぉぅがぁぁああーっ」
日の傾きかけた夜空に再び、巨人の咆哮が響いていた。
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