♯183 化け物 vs 化け物(傭兵王の逡巡6)



 赤黒い炎が間近に迫る。


 咄嗟に反応が出来ないまま、やけにゆっくりと感じる時間の中で一つの確信だけがそこにあった。


 ……逃れられない、死の確信。


 暴虐の炎に吹き飛ばされそうになった瞬間、滝壺から水の柱が真っ直ぐに空中を走った。


 大量の水が、赤黒い炎との間に壁となって立ち塞がる。


 炎が水の壁に触れ、水の壁が爆発する。


 鼓膜が突き破れるかと思う程の大音量で爆音が轟き、爆散した大量の水蒸気が視界を埋め尽くす。


 爆圧に撥ね飛ばされないように勇者の身体を押さえ付け、身を屈めて必死に堪えた。


 まただ。また、滝壺の水が勇者を守った?


 ……いや、違うっ。


 視界の端で、吹き飛ばされた水の壁の一部が別の何かに変わっていくのが見えた。


 ……毛玉?


 子供大のけじゃむくれが爆散した水の壁の中から姿を現し、地面の上へと放り出される。


「……ファーラット、だと?」


 それは確かに、傷ついたファーラットだった。


 濃紺色をした毛並みは明らかにズタボロで、よく見ればあちこちが血まだらに染まっている。


 そのファーラットは、あり得ない程の重症を負っていた。死にかけてる。一目でそれが判断出来た。


 だがそれでも尚、そのファーラットは微かに震えながらも顔を動かし、何かを必死で探しているようでもある。


 深く澄んだ黒い瞳孔に、勇者の姿が映る。

 か細い子供のような腕が前へと伸ばされる。


 まさかコイツ、……勇者を守っているのか。


 勇者を抱えていた風。

 集って岸辺へと運んでくれた水と、壁。


 直前に見た不思議な光景と目の前の瀕死のファーラットとが、胸の奥でストンッと一つに重なった。


 自然の精霊に転身できるファーラット。


 そんなの今まで見た事も聞いた事もないが、コイツがそうなのだと、コイツがここまで瀕死の勇者を庇い、守ってきただという事に確信が及ぶ。


 ……確信して、しまった。


「……魔物ではなく、心通じる、……友人として」


 耳に残るユリフェルナの言葉がつい、口に出た。


 自らも瀕死の重症を負いながらも。

 今にも力尽きようとしているのにも関わらず。


 それでも尚、勇者を守ろうとしている。


 勇者を必死で守り続けようと手を伸ばしている。


 その姿に、ユリフェルナの言葉の意味する所を強く納得させる何かを、感じずにはいられなかった。


 か細く伸ばされていた手の先が踏み潰された。

 グシャリと鈍い音が、意識に刺さる。


「たかが鼠が、随分と手を焼かせる」


 伸ばされた右手の平を踏み抜いた軍靴が、さらに深くねじ込まれていく。


 人の形をした化け物がすぐ側まで近寄り、蔑みの視線で見下ろしていた。


 人が魔物を倒し、踏みつける。

 今までそれは、当然の光景だった。


 今まで自分達がしてきた事と、何ら変わらぬ光景だったハズなのに。


 その行為に耐え難いものが沸き上がる。


「ってめぇ、何をっ!?」


 そこに、激昂する衝動にかられて掴みかかろうとしている自分がいた。


 何故そんなにもその行為に怒りを感じたのか。

 何故踏みつけられたファーラットの為に、化け物相手に掴みかかろうとしているのか。


 自分でもよく分からないまま、ただ許しがたい怒りに、全身がつき動かされていた。


 踏み出すよりも早く、激しい爆音と衝撃が、そこにいたハズの化け物を勢いよく弾き飛ばす。


「あぐっ!?」


 突然の爆音と衝撃に吹き飛ばされそうになり、揺れる地面にしがみつく。


 巻き上げられた土煙の中を、波紋を描いて広がる衝撃の余波が周囲を荒々しく押し撫ていく。


 何がどうなって……っ!?


 一瞬、何かが目の前を通り過ぎた。


「……幼い、少女?」


 爆音の余韻に耳鳴りが止まぬ中、土煙の向こう側へと飛び込んでいくその姿を視線で追いかける。


 随分と小柄に思う。


 それは確かに、童女にしか見えなかった。


 滝壺の方へと弾き飛ばされた化け物へと、童女の姿をした、……もう一方のが迫る。


 姿形は一見すると童女にしか見えないが、感じる魔力の圧力と殺意の強さが半端ない。


 人の形をした化け物と童女の成りをした化け物が、滝壺の水面の上で激しくぶつかり合う。


「……なんなんだ、こりゃ」


 童女の持つ真紅の大刀が舞う。


 身の丈に合わないような柄の長い、真紅の大刀を大きく振り回しながら、赤黒い炎を放つ化け物と切り結ぶ。


 刃と刃が打ち合わされるたび、振り抜かれるたびに、衝撃が余波を作って波紋のように水面を走る。


 湿った大気が、張りつめた気脈が、まるで大砲のような爆音に悲鳴を上げる。


 現実感の無い攻防を目の当たりにして、身体が、手足が、まるで金縛りにあったかのようにその場に縫いとどめられてしまっていた。


 甚大な魔力同士がぶつかり合う。


 レベルが、……違い過ぎる。


「ふんぬっ!」


 打ち下ろされた一撃に、真紅の大刀が粉々に砕け散った。


 水面の上で、小さな赤い破片が飛散する。


「ぬるいわっ! 幻魔の長よっ!」


 化け物の長剣が赤黒い炎をまとい、止めとばかりに武器を失った童女に向けられた。


「……ほざきやぁすな。下衆が」


 童女が憎々しく言い捨てると、まるで紐でひっぱられるかのように、そのまま後方へと大きく飛び退いた。


 赤黒い炎が横凪ぎに何も無い空間を通りすぎる。


 直後、周囲に飛び散っていた赤い破片が火に包まれた。


 一つ一つの欠片が炎をまとい、姿を変える。


 散らばった欠片が無数の真紅の大刀へと形を変え、化け物を取り囲む。


 童女が、身振りを切ると、それが合図であったかのように、中空に浮かぶ大刀が一斉に中心にいた化け物へと突き放たれた。


「ぬぐぅおおおおおおおおぉぉおおーっ!」


 ど太い雄叫びを上げ、豪雨のように降り注ぐ大刀を次々と切り落としていく化け物。


 込められた力が、反応の速さが、認識の限界を超えている。


「……たわけが」


 童女が動いた。


 そっと、天を受けるかのように手の平が空に向けて突きだされ、その手の平の示す先、丁度滝壺の真上の辺りに、見た事もないような複雑な魔法陣が浮かびあがる。


 高まる童女の魔力に呼応するかのように魔法陣が輝きを増し、その向こう側から何か巨大な影が姿を現した。


「うぐるぅがぁぁぅおぅぁあああーっ!」


 空中に呼び出された巨人が、その大顎を目一杯に開いて雄叫ぶ。


 解き放たれた巨大な質量が重力に引かれるまま、眼下の滝壺へと、その圧倒的な拳を振り上げながら飛び掛かっていく。


「ふんぬぅぅうううううーっ!」


 上空から落ちてきた巨人の一撃を、滝壺の真ん中で化け物が長剣で受け止めた。


 重苦しい衝撃音が低い爆音となって響く。


 激し過ぎる衝撃に大気が歪み、力と力がぶつかり合うその一点を中心にして、余波が、真円状に周囲を凪ぎはらっていく。


 大気が壁となって叩きつけられ、滝壺の水がすべからくその外側へと弾き飛ばされた。


 岩壁が抉られ、地面がめくれあがる。


 巨人の一撃を受けた長剣が紙くずのように砕け散り、その身につけていた鎧が、枯れ木の皮肌のようにひび割れ、崩れ去っていく。


 顕になった滝壺の底へと更に押し込まれながらも、砕けた長剣の柄を握っていた拳の形そのままに、化け物は巨人の巨腕を素手で受け止める。


 ありえねぇだろ、それは……。


 山のような巨人が振り下ろした拳を、比較にもならないような小ささの体躯でもって素手で受け止めていやがる。


 巨人が咆哮を上げ、更に巨腕に力を込めた。


 化け物の身体が一瞬沈み込む。


 その、次の瞬間。


「ずぅおりゃぁぁああああーっ!」


 化け物が雄叫びを上げながら腕を高く、振り抜いた。


 腕を弾き返された巨人は大きくバランスを崩し、ゆっくりとよろめく。


「はぁぁあああああーっ!」


 化け物は更に巨人を押し潰すかのように掌打を加えると、赤黒い魔力を含んだ衝撃が、巨人の身体を粉々に打ち砕いた。


 破裂音が木霊する。


 砕かれた破片が陽の光の下で、盛大に飛び散っていた。





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