♯179 美しき強さ(傭兵王の逡巡4)
雲の影から、抜ける。
再び室内へと差し込む陽光が、刻々と、その角度を変えていく。大きく東側に窓枠の設けられた会議室は、正午を過ぎて、日差しの角度がより細くなってきていた。
揺るぎない真っ直ぐな視線を受けながらも、返す言葉が見つからず、自身の内へと問いかけ続ける。
さて、どう出るべきか。
ユリフェルナ・ハラデテンド。
……大した女だ。
七夜熱の特効薬を広めようとしている財団の本拠地を、ロシディアに置く。青絵図を書いたのは果たして彼女の父親か、それともミリアルド法主か。
どちらにせよ、王であるこの俺に、一介の商人としてそれを直接持ち掛けてくる。生半可な度量ではない。話の流れ次第では自分の身でさえ、どうなるか分からないというのに。
だが、しっかりとやって見せた。
それもこれ以上無い程効果的に。
こちらのメリットは確かにでかい。
断る方がどうかしてる。だが、……どうなる。
望みは許可だと言った。
その言葉をそのまま受け取るのであれば、許可など出してしまえばそれで良い。それで済む。その事自体はまったく問題も無いし、至極簡単な事だ。何せ頷けばそれで良いのだから。
……だが、違う。そうでは、無い。
強い意思のこもる翡翠の瞳は、ただまっすぐに、俺からの返答を待っている。その意思の強さの示すもの。迫られた選択の先にあるものを、待っているのだ。
本来なら本拠地をどこに置くのかなど、自分達で勝手に決めれば良い事でもある。民間の財団だ。例えコンラッド自由商人組合が後ろについていたとしても、王であるこの俺に、わざわざ許可を求める必要などありはしない。
なのに敢えて許可を求めてきた。
必要なのは、許可ではないからだ。
自分達の手札を見せ、選択を迫る。
言葉を額面通りに受け取るのであれば、そもそも選択の必要すらない。大きすぎるメリットに目も眩めば、二つ返事で承諾して、それでおしまいだ。
そして、……どうなる。
頷けば、七夜熱の特効薬が世の中に広まる。
その意味する所は、……つまり。
唇を摘まんだ指先に力が籠る。
王国連合軍に参戦する意味の消失。
俺達がラダレストに従う理由が、なくなるのだ。
狙いは、離間工作。
もしくは王国連合軍の、緩やかな解体。
……といった所か。
……。
……。
どでかい手を打ってきやがる。
各国ともに、参戦に際しての一番の理由は、特効薬の取り扱いに関する懸念だ。逆にそれさえなくなってしまえば、あとこの連合を繋ぎ止める楔は『対魔王協定』への参加義務だけになってくる。
『対魔王協定』への参加義務。
だがそれは、過去に一度。崩された先例がある。
他ならぬラダレストの主導の下、一度集められたハズの連合軍は解散し、当時のアリステアは一国の戦力のみで魔王スンラと戦わざるをえなくなった。
その裏に何があったのかは知らん。
当時の俺はそれを知る立場にはまだいなかったが、事実『対魔王協定』への参加義務はその先例をもって、絶対の拘束力を持つものではなくなった。
戦う理由が、……無くなっていく。
元より粗末で強引に過ぎるやり方だった。
地盤が揺らげば、一気に崩壊もしかねん。
なればこそ、そもそもの発端となった流言の確認も必要になってくる。アリステアが魔物達と手を組んで、世界の侵略を企てている事について。
眉唾ものではあるが、その真意がどこにあるのか。
それを確かめたい。
「……一つ教えてくれ。アリステアが魔物達と手を結んだという流言が広まっている。……それが、真実なのかどうかを」
問いかけた言葉に対してユリフェルナはやや顎を引いて、瞑目した。何に想いを寄せているのか少しの沈黙を守った後、ゆっくりと口を開く。
「私の祖父は以前、聖都の聖剣騎士団にて騎士団長の役を担っておりました」
何かを決意したかのように紡ぎ出した言葉に対して、その意図を一瞬、図りかねる。
……祖父?
何故ここで自らの祖父の事を……。
いや、待てっ。
……ハラデテンド。聖都のハラデテンド!?
忘れかけていた記憶が、パッと浮かび上がる。
何故今まで気付かなかったのか。
「……まさか、あのっ」
咄嗟に出た呟きに対して、肯定が返される。
レイドリック・ハラデテンド。
勇猛にして剛健たる騎士の中の騎士。
その武勇は確かに聞いた事がある。
かつて一度は会ってみたいと、憧れを抱いた事もある。
それは結局、叶う事は無かったが……。
「レイドリック・ハラデテンドは13年前、スンラの侵攻の際に戦死されたと聞いている」
「……はい。その時に祖父と叔父様方、魔法兵として参加していた母も、戦死したそうです。ですがその中で父は一人、生き残りました。武勇の誉れ高き家にありながらも、父はその才に恵まれず。文官として戦場から遠い場所にいたが為、だそうです」
淡々と紡がれる言葉に耳を傾ける。
一族を魔王軍に殺された、……その遺族。
その心中はどれほどのものか。
「私も父も、憎んでいました。一族を奪った魔王軍を、母を殺したあの者達を、決して許しはしないと。そう憎み続けていました」
ユリフェルナの表情に影が差し込む。
美麗な横顔がどこか自嘲気味に歪みを見せる。
「聖女様が魔の国よりの使者を招いたと聞いた時は、耳を疑いました。何故、そんな事をするのか。何故そのような者達を自ら招き入れたりするのかと。不審と不安にかられ、いても立ってもいられませんでした」
翡翠の瞳が微かに、揺れ動く。
「なので実際に見てやろうと思ったんです。父には絶対に中央神殿には近づくなと言われておりましたが、それでも。魔の国の者達が神殿内で、どんな顔をして過ごしているのか、もしそこで取り繕った涼しげな顔でもしていたならば、その顔に熱湯の一つでもぶつけてやるつもりでした」
今にも泣き出しそうな微笑みを浮かべ、静かにそっと振り返るその姿に、魅入られる。
「けれど私には、……出来ませんでした」
「……その理由を、聞いても?」
「どうにか命を取り止める事が出来ましたが、二ヶ月前には私も、七夜熱に冒され、生死の境をさ迷っておりました」
「……七夜熱に」
意外なカミングアウトに度肝を抜かれる。
事実として知ってはいても、目の前の人物が実際に七夜熱にかかり、生還したのだと聞けば特効薬の存在を嫌でも実感せざるをえない。
「酷い発熱と絶え間無く続く嘔吐と腹下し。熱が引いた後は気だるさと激しい悪寒に襲われ続け、朦朧とした意識の中で忍び寄る死の恐怖を、身近に感じ続けていました」
実際にその患者を見た事はまだない。
けれども教訓として、過去の事例として、その様子は幾度と無く教え込まれてきた。忌むべき病。国崩しとも呼ばれる、高い感染力を持つ疫病。
それを実際に体験した者の言葉に、室内の誰もが固唾を飲んで、耳を傾ける。
「けれどそこにはいつも、優しい温もりを伝えてくれる手がありました」
眼差しの先に、温もりが広がる。
紡ぐ声に、優しさが触れたような気がした。
「悪寒を感じれば毛布を。吐瀉物で汚れればすぐに拭ってくれて。不安を感じればそっと手を握り、朦朧とした意識の中でも常に、優しく励まし続けてくれた姿があったんです」
憧憬、というのだろうか。
緩む眼差しの先に見ているのであろうその光景は、確かな記憶を辿ったものなのかもしれない。
自然、その視線の先に幻視する光景に、思いが至る。
「私はその人の中に、強さを学びました。美しくあるという事の意味を、知ったんです。私もそうでありたい。そんな強さを持ちたいと、焦がれました。……心から、憧れてしまったんです」
強くあるという事。
美しくあるという事。その意味。
それは、室内に入った時から感じている。
この目の前の女性に感じる魅力の意味を、思う。
芯のある眼差しが再び、まっすぐ向けられる。
翡翠の瞳に見つめられるたびに鼓動が高鳴る。
この美しさの、……意味。
「その人は、魔王の花嫁でした」
「……魔王の、花嫁」
「己の身可愛さに、黙って捕らわれるような人ではありませんでした。不本意に脅されるのであれば毅然とした死を選ぶのだと。そんな人が受け入れたんです。そんな人に受け入れられるのだと、……魔王に対する見方が、私の中で変わっていったのです」
申し訳なさそうにはにかむ姿が胸に迫る。
悔やむ気持ちは誰に対するものなのか。
悔しくても認めざるをえない。
意地よりも尚、深きものを知ったのだろう。
どこか嬉しいような、寂しいような。
それでいて強さを感じる表情を見せる。
「王のお聞きになられた事は半ばは真実です。アリステアは魔の国と、手を結ぼうとしています。ですがそれは、魔物達とではありません。心通じる友人として、今までの恨みや憎しみを未来に残さぬよう、隣に立つ事が出来るようにしようとしている、ただそれだけの事なのです」
問いかけに対して言葉を尽くす。
自身の中でも葛藤があったのだろう。
その葛藤を越えて得た答えなのだと、分かる。
重さをともなった答えだ。
誠実にこそ、受け止めなければならない。
「分かった。……すまんな、ありがとう」
なればこそ、こちらも誠意をもって応えねばならない。その場しのぎや打算では、潤む翡翠の瞳の前に浅ましくも過ぎる。それでは尊厳は意味をこそ失ってしまう。
「返答はしっかりと吟味した上で決めたい。どうかそれを、許して欲しい」
どうにか絞り出した答えを、告げる。
申し訳なくも、今の俺にはそれしか言えなかった。
ユリフェルナが深く、頭を下げる。
今はこれで、見逃して貰えるようだ。
敗北を認めるしかない。
今の俺にはまだ、覚悟も何もかもが足りていない。
なればこそ、勝てる訳もない。
十も離れた娘に対して心地よい敗北感を感じながらも、退席を告げ、会議室を後にする。
ユリフェルナ・ハラデテンド。
彼女がそうまで言う『魔王の花嫁』とは一体、どれ程いい女なのか。
「……世の中は広い。いい女との出会いはまさに、人生の宝だな」
精一杯の苦笑いを浮かべた強がりに対して、ワインズはただ深く、頭を下げるばかりだった。
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