♯178 聖錠門の戦い3(法主の後悔5)

 


 極彩色の衝動が、全身を突き抜けていく。

 明らかに戦場の空気が変わっていた。


 力強さを持った熱の塊がゆっくりと、胸の奥から広がっていく。


 優しげな相貌をした漆黒の鎧の若者。

 その背中が、何よりも大きく見える。


 何故。……どうしてここに。

 尽きぬ疑問はあれど、言葉にならない。


 震える拳の上に暖かな滴が触れる。

 知らず、目頭が熱くなっていた。


 戦場の空気が変わった事を察知したのだろう。突如現れた五人に対して警戒を強め、敵軍兵士達は突撃を躊躇い、距離を取る。


 生れたて空白地帯に緊張が高まる。


 そして、敵軍兵士達の後方から頭上を越え、数万を超える矢が一斉に放たれた。 


 膨大な質量を持った鋭利な塊が、大気を大きく振動させながら迫る。


「ル・ゴォォオオオーシュっ!」


「フンッ! ハァァアアアーッ!」


 魔王が叫び、肉丈夫の老人が応えた。


 体躯のがっしりとしたその老人が気合いを全身に走らせると、大気がそれに呼応し、形を成して寄り集う。密度を増した不可視の結界が、大きく広がっていく。


 圧を重ねて組まれた風の網が、瞬く間に広がっていくのを感じとり、その術式の高度さと規模の大きさに驚嘆する。


 たった一息だった。たった一息で、戦場を横にほぼ埋め尽くすかのような範囲に、分厚い、頑強な風の網が展開されていく。


 投網のように広がった風網の結界が、押し寄せる数万の矢を悉く飲み込んでいく。それはまるで、鰯の群れに放たれた投網であるかの如く、飛来する矢群を見事に全て包みこんだ。


「フンンンンンッ! ハァッ!」


 気合一閃。


 膨大な質量をともなった風の塊が唸りを上げて捻れ、大気を巻き込む。その余波によって、突風が、悲鳴を上げるかのように地上を縦横無尽に暴れ狂った。


「ぬおっ!?」


 吹き飛ばされぬようにと大きく身体を身構える。

 暴れ狂う突風が四方を駆け巡る。


 頭上では旋風をまとった巨大な風網が更に大きく捻れ、敵方に向けて大きく開かれた。そしてそのまま、飲み込んだ時の勢いを保つ数万の矢を、一斉に吐き出した。


 放たれた矢群が、放った者達の元へと降り注いでいく。


 数万を超える矢の雨に晒された敵軍兵士達から、悲鳴と怒号が渦を巻いて一気に爆発した。隊列は乱れ、降り注ぐ矢群から我先に逃れようと、狂気と混沌の中へと飲み込まれていく。


 一体、何が起こっているのか。

 認識と理解が乖離していく。


「ル・ゴーシュはこのまま法主達を護れっ! 法主っ!」


 あっという間にその様相を変えてしまった戦場を前にして、魔王が叫んだ。


 阿鼻叫喚の有り様を不敵な笑みで確認すると、魔王は半裸の老人に対して指示を飛ばし、次いで、呆然と立ち尽くしているこちらへと振り返る。


「遅参した詫びだ。そこで大人しく見ていろ」


「……魔王リー。何故、我々を助ける。未だ協定は成ってはおらぬハズ。なのに、何故……」


 どうにか絞り出す声が、震える。


 魔王は少し困ったように鼻頭を指で擦ると、人好きのしそうな苦笑に目を細めた。


「……そう言えばまだそれだったな。その名はもう必要がなくなった。本当の名はマオグリードだ。マオグリード・アスラ」


 ……魔王マオグリード。


「い、いや、そうでは無く、未だ協定は結んでおらぬのに、何故わざわざ我らをっ!?」


「……理由がいるのか?」


 漆黒の鎧が陽光を返し、輝きを増す。


「友人に手を差し伸べるのに、理由なんかいらんだろ」


 真なる強欲マオグリードの名を持つ魔王が、戦場を見据える。


「お前達の選択は正しかったのだと、今からそれを見せてやる。後悔などする暇も無い位になっ!」


 十万の敵兵に対してたった五人。


 たったそれだけの援軍であるにも関わらず、その五人の持つ偉容さが戦場を支配していく。たった五人が、十万という数の持つ圧力を飲み込んでいく。


「クスハっ! シキっ!」


 魔王が傍らに立つ美女と童女の名を叫んだ。


「露払いを命じるっ! ド派手にぶちかませっ!」


 命じられた二人はそのまま前へ進み出て、無人の空白地帯へとそれぞれに歩みを進めていく。


 それは、戦場においてひどく不釣り合いな光景に見えた。


 豊かな金髪を風にそよがせる美女と、可憐な童女が二人、堂々とした歩調で戦場のど真ん中を歩み行く。


 緊張の走る戦場へと身を投じていく二人に対して、かかる圧力に悲鳴を上げながら、敵兵達が動き出した。


 地鳴りにも似た咆哮をあげ、戦場において似つかわしくない美女と小柄な童女を取り囲もうと、人の大波が押し寄せる。


 得体の知れない恐怖と緊張。身体を足元から縛り付ける圧力から逃れようと必死で迫るその姿はまるで、黄金の果実を求める亡者の群れのようにも見えた。


 すがりつくように、飢え渇いたかのように、狂乱の狂相を浮かべた敵兵士達が、我先にと二人に群がっていく。


 豊かな金髪をなびかせる美女の姿が、あっという間に敵兵の壁に包まれ、飲み込まれてしまった。


 そして、世界の有り様が変化する。

 目の前の光景が、その様子が、一息の間に一気に変わり果てた。


 その黄金の果実を懐深くに飲み込んだハズの黒い亡者の大群の中心に、激しい地響きを立てて、一柱の大きな火柱が立ち昇る。


 まるで天を焦がすかのような勢いを持った火柱が、凄まじい勢いで螺旋を描き、渦を巻く。


 悲壮な狂気にかられ群がっていった敵兵士達を、その断末魔さえも逃す事なく、紅蓮の炎が焼き尽くしていく。


 距離があるにも関わらずその熱量は、直に肌で感じとる事が出来る程だった。その中心部は一体どれほど灼熱の炎が渦巻いているのか。


 業火の大渦は一気に四方へと広がりを見せ、いっそ美しいまでに残酷な光景を、一瞬にして生み出してしまった。


 戦場の一角に現れた煉獄さながらの光景に呆然としていると、次いで、心胆の底を震わすかのような獰猛な雄叫びが轟いた。


 反射的に身体が恐怖に強張る。


 慌ててその雄叫びの方向へと振り返ると、同じように群がった敵兵士達の群れの中心から、何か巨大な影が地面を割りながらせり上がってきていた。


 上半身の肥大化した、まるで猿人のような巨人だ。


 八メートル程の大きさだろうか。まるで小高い丘のような巨体の背には、大群に飲まれたハズの童女の姿が見える。


 更に一際大きな咆哮が轟く。


 黒い人の群れの中心にいた巨人は猛々しい雄叫びを上げると、巨腕を振り上げ、その体躯に見合わぬ速さで敵兵士を凪ぎ払いはじめた。


 巨人の猛威が暴れ狂う。


 地面が叩き付けられる度、衝撃が大地を伝って戦場の足元を駆け抜ける。巨腕が一振りされる度、数十人単位で敵兵の塊が吹き飛ばされていく。


 突如出現した巨大な化け物に狼狽したのか、中には動きを止めてしまう一団も見られた。恐怖に耐えきれなくなって駆け出して来たはいいが、更なる脅威に対して足がすくんでしまっているかのようにも思える。


 だが、立ち竦んでしまった彼等の足下からもまた、まるで彼等を逃さないかのように、巨大な腕が続け様に出現した。


 地中から次々と姿を現す巨躯の化け物達が、逃げ惑う敵兵達へと容赦なく襲いかかっていく。その数はあっという間に二桁を越し、他に言い様も無い程の蹂躙劇が広がっていく。


「……これは、一体」


 炎の渦と巨人群の織り成す地獄絵図。


 正気を疑うかのような現実離れしたその光景を目の前にして、言葉を失う。圧倒的なまでの戦力の違いに、以前勇者より聞かされた報告の内容を思い起こす。


 四魔大公。


 魔の国には魔王と比肩しうる存在が、いるのだと。


 だが、そのような存在は初耳だった。

 過去に魔王軍と戦った時の記録にも、そのような存在がいる等との記載は一切見られない。現に13年前の魔王スンラの侵攻に際しても、魔王の側にそのような存在が確認された等の記述は全く無い。


 我々は、知らなさ過ぎたのだ。


 魔王の他にもこれほどの力を持つ者達がいる事さえも、我々は知らなかった。自分達が一体、どんな者達と戦っているのかも知らずこの千年、刃を合わせてきたのだ。


 合わす刃を納め、相手を見定める。

 自身の下した決断の正しさを、ここに知る。


「セルアザムっ! 蹴散らすぞっ!」


 敵軍が凪ぎ払われていく様子を確認していた魔王が、傍らに残る老紳士に対して叫んだ。


 次いで、魔力の爆発が巻き起こる。


「……なっ!?」


 あり得ない程の質と量を合わせ持った攻撃的な魔力が、目の前の二人から爆発的に沸き上がっていく。単純な魔力としての量ならば、いつか見たレフィアさんのそれにはまだ遠く及ばないが、それでも、そのとてつもない圧力には本能的に気圧されるものがある。


 老紳士が動いた。


 正確に言えば老紳士の足元に、大きな変化が生れた。


 老紳士を中心として、地面に落ちた影が大きく広がっていく。まるで濡れた紙面の上に垂らした黒インクのように、深い闇が滲み広がっていく。


 足下を黒一色の影で塗りつぶした老紳士の身体が、次第に影の中へと沈み込んでいく。その存在を見失った瞬間、影が大きく動いた。


 獰猛な獣のような動きを見せて、影が敵兵達の足元へと襲いかかる。


 足下を影に飲み込まれた敵兵達が次々と、深い闇の中から突き出される無数の鋭い何かに、身体を刺し貫かれ、引き込まれては絶命していく。


 必死で逃れようとする者。我先にと周りの者を引摺り倒し助かろうとする者。恐怖に怯え立ち尽くす者。例えそれがどんな者であろうとも、足元に広がる影は誰にも等しく絶対的な、絶望的な死をもたらしていく。


 ある者は自失し、ある者は狂気に顔を歪めながらも同様に等しく、深い闇の奥底へと沈められていく。


 その傍らを、巨大な暴力の塊が駆け抜けた。


 魔王の剣撃から放たれた、衝撃波だった。


 魔王はその場からまったく動く事もないまま、途方も無い程の力を剣に込め、大きく振り抜く。振り抜かれた剣の軌跡は大気を切り裂き、大地を打ち砕く衝撃波となってまっすぐに駆け抜けていく。


 一振りする毎に視界を歪ませる程の力の余波が、魔王を中心に同心円状に広がっていく。


 背後に立っているだけでその余波に吹き飛ばされぬように堪えるのが精々だというのに、その力を真正面からぶつけられた時の衝撃は、一体どれほどのものになるのか。


 駆け抜けた衝撃波は軍勢を真っ直ぐに割り、尽く吹き飛ばしていく。 


 ……圧倒的だった。


 たった五人の援軍が、十万の大軍に対して、ただひたすらに圧倒していく。


 十万の軍勢がたった五人に成す術も無く、蹂躙されていく。


 現実感のまるで無い光景。

 酷い悪夢でさえもあり得ない程に、圧倒的だった。


 ……。


 ……。


 これが、魔王。


 魔王と魔の国の、四魔大公。


「……凄まじい限りです。まさか、これ程とは」


 武器を納めて下馬し、傍らに控えていたバゼラット騎士団長が呆然としながらも、感想を漏らした。


 同じように呆然としながらも、目の前の光景から目を放せないままそれにゆっくりと頷き、同意を示す。


 すでに敵軍からは戦意が失せているようにも感じる。絶対的な戦力差として目の前に立ち塞がっていた十万の軍勢が、ただひたすらに逃げ惑っている。


「……あ、やべっ」


 魔王が打ち放った剣撃の一つが大きく反れ、敵軍のど真ん中で暴れる巨人の一つを、その背に乗る術士ごと吹き飛ばした。


 巨躯が四散し、衝撃波を受けてものの見事に爆散した巨人の身体の一部が、大きな弧を描いて飛来する。


 ドォオオーンッと地響きを立てて、その一部が狙いすましたかのように魔王のいた場所へと落ちてきた。


「違うっ! すまんっ、手がすべっただけだっ!」


 慌てて飛び退く魔王の傍らに、いつの間に移動してきたのか、吹き飛ばされたハズの童女がいっそ冷酷なまでの笑みをヒクつかせ、立っていた。


 恨みのこもった視線を受けて、さしもの魔王でさえもその圧力に後ずさる。


「わんしゃも同じようなもんだて」


「嘘つけっ! しっかり狙ってきてんじゃねーかっ!」


「つい手がすべって、狙いをハズしてまったがね。……まさか後ろから狙われるとは、思いもせんかったわ」


「待てっ、話せば分かるっ! 悪かったっ! とりあえずあやまるからっ、その殺意をおさめろーっ!」


 地面を大きく抉ってめり込んだ巨人の一部が、再び起き上がった。 バラバラに吹き飛ばされたハズの部位がそれぞれに集まり、再び巨人がそこに姿を現す。


 巨人の姿を近くで見て、それが巨大な人形のようなものだったのだと初めて気付く。そして、その巨大な人形を数十体も同時に操るこの童女もまた、規格外の存在なのだと思い知らされる。


 巨腕が奮われ、魔王が逃げまどう。


「……あれは、一体何を?」


 戸惑うバゼラット騎士団長の言葉には、さすがに苦笑を返すより他なかった。……何と答えれば良いのか。


 魔王と童女がじゃれあう向こう側では、耐えきれなくなった南域方面軍が、ついに退却を始めていた。


 その中にガハックが生き残っていたかどうかは、ここからでは確認する事は出来ない。だが例えガハックが生き延びていたとしても、相当な損耗を与える事は出来たようにも思う。今は、それで良い。


 これで聖錠門は、守られた。


 一時の安堵に、胸を撫で下ろす。


 巨人の攻撃から身をかわし続ける魔王の姿を視界の片隅で捉えながらも、この一戦を勝ち抜いた喜びを静かに、実感していた。


「だからっ! 悪かったっ! 許せっ!」


「一発当ったら許したるがねっ!」


「出来るかーっ! 普通に死ぬわっ!」





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