♯180 災いの元(魔王の憂鬱22)
敵軍の退却を見届け、城壁の内側へと移動する。
聖錠門を抜けると大歓声に迎えられた。
大通りを埋め尽くす人の波。
城壁の内側は人に溢れていた。
二ヶ月前に来た時にも賑やかだと感じはしたが、今は雑多に押し込まれているようにも思える。
どこか疲れたようにも見えるのは、戦渦から逃れてきた領民達だろうか。疲労が濃く滲んだ顔に喜色を浮かべ、連合軍を追い払った事に対しての賛辞を、声高に称えている。
中でも見た目の良い二人には、一際大きな歓声が上がっていた。気持ちは分からないでもない。二人とも相当な、結構な、どうしようもない程のババァだが、外見だけは若いままだし。
しかも見た目だけなら、……まぁ、な。
大通りを真っ直ぐに進み、中央神殿へと向かう。
驚く事に法主は、そのまま俺達を内殿の奥へと通した。言われたままに入ってしまって良いのかと少し逡巡もしたが、招いてくれるのであれば断る理由も無い。
労いの歓待を用意しようとしていた法主に、丁寧にそれを辞退する。気持ちはありがたいが、それよりも優先する事はいくらでもある。
まずは情報の共有をしたいと頼むと、法主達が一時の休息を取った後、直ぐ様今後の為の作戦会議の場を設ける事になった。
内殿の会議室内に、一同が顔を揃える。
大きな机の脇に用意された椅子に向かい合って座る。座っているのは代表である俺と法主だけで、その他の者達はそれぞれに、その後ろにへと並ぶ。
上座をちゃんと空けて体面を整え、あくまで対等の立場として扱ってくれているように思う。未だ協定を結ぶには至っていないが、その対応に誠実さが強く伺える。
一通りの紹介を終えた後、まず始めに法主が深々と頭を下げた。それに軽く頷きを返して、本題を進める。
「とりあえず現状を知りたい。説明を頼む」
「バゼラット騎士団長。頼む」
法主が促すと、後ろに並んでいた者達の中から一人、説明役の壮年の騎士が進み出てきた。
「それでは失礼して、現状をご説明申し上げます」
机の上に大きな地図が広げられ、木製の駒が用意される。無色の駒が自軍勢力で、赤色が連合側らしい。
「連合側は勢力を三つに分け、それぞれに国境より進軍を進めております。西はロシディアのヴォルド王、南はサウスランドのガハック王、東はラダレストのオハラ総大主教がまとめているようです」
騎士団長は赤色の駒を一つずつ三ヶ所へ置いていき、東西南から真ん中の聖都に向けて動かされる。
分かりやすいな、これ。
「西はダルマルクを、南はサバラ、東はクオナを落とされ、それぞれに拠点として占拠されています。報告では西は四万、南は十万、東には六万の兵力を確認しているとの事。ただ南域方面軍に関しては、今しがたの戦いにおいて大きく数を減らせたと見て良いでしょう」
指し示された地図に視線を落とす。
「対してこちらの兵力は二万。これが最大です」
戦況はこれ以上に無い位に、……不利か。
聖都を囲い込むように配置された赤い駒を見ながら、深く唸る。
「……その中で南域方面軍だけが、突出して仕掛けて来たのか。足並みを揃えれば二十万で一気に取り囲めも出来たろうに。そのガハックとやらが馬鹿なのかそれとも、……何か仕込んだのか」
問い掛けるようにして促すと、バゼラット騎士団長は法主を伺い、互いに頷き合って視線を戻す。
「侵攻の対象となるそれぞれの都市にて、領民の避難の仕方に差を設けました」
「避難の仕方に差をつける?」
「はい。ダルマルクには西域一帯の領民と糧食を集め、クオナには糧食のみを運び込み、サバラからは逆に、一切の領民と糧食を引き上げさせたのです。東と南の領民達は現在、この聖都にて匿っております」
「……大胆な事をする。それをやってのける統率の高さには感心もするが、なるほど、それで焦った南の奴らが突出して、聖都に噛み付いて来た訳か」
簡単に言ってくれるが、それだけの大人数を混乱なく誘導するなんて、そうそう出来るものんじゃない。
この作戦を決断した法主の思い切りの良さは、大したもんだと思う。
「西に領民を残したという事は、……そのヴォルドとかいうのは、そこそこに信用が出来るんだな」
「はい。ロシディアには『無血開城をした相手からは略奪をしない』という『鉄の掟』があり、ヴォルド王であれば敵方にあったとしても、信頼に足ります」
はっきりと答える騎士団長に対して、ふと疑問が過った。
「……そこまで信頼しているのならば、味方に引き込む事は出来ないのか?」
「無理だと思われます。ロシディアは決して、戦いの最中に陣営を移る事はありません」
「それもその、『鉄の掟』とやらか?」
「はい。どうにか進軍を遅らせるのが精々かと」
「……うーん」
現状の悩ましさについ考え込んでしまう。
このままでは確かに、現状打破の糸口が無い。
「やはり、難しいでしょうな」
「難しいな。そのガハックとかの能無しみたいに、真正面から馬鹿正直に挑んでくるなら何とでもなる。だが、西と東はそうもいかんだろうしな」
「……よろしいでしょうか」
法主の後ろに並ぶ者達の中から、老齢の貴族っぽい男が申し訳なさそうに発言の許可を求めてきた。法主に対して頷き返すと、法主はその貴族に発言を促す。
「もし魔王殿にご助力いただけるのであれば、こちらから打って出る事はできないのでしょうか」
「無理だろうな」
地図を眺めながら一言の元に切って捨てる。
「絶対数に隔たりがありすぎる。もしここで打って出たとしても、俺だったらそこで応戦する振りをしながら逃げ、相手戦力を引き付けておくだろう。その間に別に軍勢を組み直して……」
地図上の白い駒を東へ動かして、赤い駒の前へと置く。西か東かはこの際どちらでも構わない。そしてもう一つの赤い駒を盤外から取り、聖都の北側に配置する。
「北を攻める。北の領民の避難は出来ていないんだろ? そもそも避難させるにしても場所が無いわな」
領民への被害を最小限に収めたい。
さしずめそんな所だろう。
先にこちらが動く訳にはいかないのだ。
こちらが聖都で睨みを利かせていてこそ、北側に対する侵攻への牽制にもなりえるのだから。
「まるで理想論の綺麗事かもしれんが、財と違って、失った命を取り戻す事は出来ん。失われればそれでお終いだ」
はっきりと断言した言葉に、アリステア側の者達の中から息を飲む雰囲気が伝わってきた。意外だとでも言うような視線を感じる。
……らしくないか? すまんな。
「これでも一国を担っている身だ。その重責は知っているつもりではいる。悪戯に領民を犠牲にしたくないという法主の思惑は、当然のようにも思う」
難しい顔をしたまま、法主が瞑目する。
どこか柔らかな印象を受けるこのやり手の法主は、自分の出来る範囲で精一杯、領民を守ろうとしている。
それが、痛い程に伝わってくる。
一人の犠牲者をも出さずに戦争を終わらせる。
そんなのは所詮、青臭い理想論でしかない。
けれどその為に尽力する姿は、好ましい。
手を結ぶ相手としては申し分無いと確信する。
「西は任せる。何か策があるのだろう、そちらに手は出さん」
一つ大きく息を吐き、暗い陰を落とす面々に向き直る。
「取り急ぎこのメンツで駆けつけはしたが、後から魔王軍の本隊も合流してくる。俺達は東に睨みを利かせつつ、南側の出方を待つ。……その間に、勇者を見つけ出す」
勇者と口に出した途端、その場にいる者達の顔色が目に見えて変わった。明らかに絶望の色が濃くあらわれる。
「勇者を……、しかし、勇者はもう……」
誰かがボソリと漏らした呟きに対して、それを押し潰すつもりで机を大きく叩きつけた。
「もう、何だ?」
語気を荒らげた問いかけに対して、誰もが口を噤んでしまった。ただ一人、沈痛な面持ちを崩さないでいた法主が、申し訳なさそうに申し出る。
「勇者の消息が途絶えて、すでに10日が経っている。帰還した随従者の話では不測の事態が起きたのだと。同行していたアスタス殿もまた、その事を言い残して勇者を助けに戻りそのまま……。その後の行方が分からず、ただただ、申し訳ない」
「
「かろうじて掴んだ情報では、本神殿において大規模な崩落があったのだとか。それ以降何も情報が掴めない現状、すでに生存は絶望的かと」
「無いな」
短く断言した言葉に、視線が集まる。
「あのすっとぼけた生活力のなさそうな飄々としたバカ面を思い起こせば、不安になるのも分かる。いや、不安にしかならないだろうが、あれでも俺が認めた勇者だ。そう簡単にくたばるハズもない」
法主ではなくその後ろ、陰気臭そうな顔色を浮かべていた奴らの顔を一人一人眺めながら、努めて明るい声を張り上げる。
「それに、勇者にはアスタスがついてるんだろ?」
「魔王……、殿」
「なら、大丈夫だ」
一通り見渡した後に再び法主へと視線を戻し、敢えて不敵に笑ってみせる。
「あいつは、鬼より怖い化け物二人が、揃って太鼓判を押すファーラットの天才児だ。勇者は必ず生きて戻るさ」
本音で言えば、……分からない。
だが、勇者とアスタス。
あの二人が揃ってくたばる絵面等、想像も出来ない。
だからきっと、大丈夫だ。
願いにも似た確信を、自身に信じ込ませる。
「……聖女の居場所の方は分かっているのか?」
「聖女マリエルの身柄は、クオナにて確認が取れた。厳重な警戒態勢の中で拘束されてはいるが、命に別状はないそうだ」
「クオナというと、……東か。安易に取り戻させてはくれなさそうだが、居場所がはっきりしている分だけまだマシか」
聖女は拘束され、勇者は行方知れず。
シキが掴んだ情報の通り、……か。
「とりあえず聖女は必ず取り戻す。だが、まずは勇者とアスタスの生存確認を優先したい。もし助けが必要なのだとすればそっちの方だろう。それでも構わないか?」
聖女マリエルは法主の実の姪だと聞く。身内の情としては聖女救出をこそ優先したいのが本音だろう。
聖女と勇者、当然二人とも助けるつもりではいるが、どちらが緊急性が高いかと言えば、勇者の方が危ないような気がしてならない。
「もちろん、それで構わない」
「……すまんな」
法主は厳しい表情に力を込め、深く頷いた。
「心配には及びません」
皆が押し黙る中、唐突に玲瓏な声が響いた。
それまでずっと黙っていたクスハが、静かに前へと進み出てくる。
「アスタスは優秀な子です。必ずや、勇者の助けとなっているでしょう」
俺のすぐ右隣りへと立ち、法主に向けて穏やかな笑みを向けた。見た目の良いクスハがそうやって微笑めば、それだけでどこか空気が安らいでいくようにも感じる。
「すぐに見つけたらっせるがな。そしたら次は、捕らわれの聖女だがね。なーんも、心配いらせんて」
クスハの言葉を継いで、反対側、俺のすぐ左隣りへとシキもまた、進み出てきた。
「……ありがとう。お心遣いに感謝する」
二人の妖怪ババァ……。もとい。二人の見た目だけなら麗しい美女と童女に励まされ、法主は再び、深々と頭を下げた。
場の沈んだ空気がいくらか、和らいだ気がする。
アリステアを守る為にも勇者と聖女の二人は、やはりこの国になくてはならない。一層気を引き締めて、話し合いを終える。
「時に魔王様。些かお尋ねしたい事がございます」
話し合いを、……終える。
……ん?
優しげな笑顔を不自然に貼り付けたまま、クスハがゆっくりと振り返った。
話し合いは終わったというのに、クスハとシキの二人が何故か、両隣りから動こうとしない。
「
……。
……。
あれ?
「……そんな事、言ったっけか」
「はっきりとおっしゃっておられました」
両脇をがっちりと固められてどこにも逃げ場のないままに、左右から発せられる底知れぬ殺気に背筋が凍る。
あくまで冷静を装ってセルアザムに視線で助けを求めるが、……視線を逸らされてしまった。ル・ゴーシュに至っては全くこちらを見てさえいない。
「魔王様。ここでは何ですので、どうぞ別室へ」
「……はい」
笑顔を冷たく貼り付けた二人に促され、部屋を後にする。
脳裏に浮かぶのは至極の名言。
その言葉をしっかりと噛み締めざるをえない。
……すみませんでした。
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