♯176 虎と兎と狸と狐2(傭兵王の逡巡3)



 無言の空間が凍てついていく。


 陽光の陰った室内は元々が簡素な造りな為か、肌に感じる冷やかさに対して無情な表情を返す。


 何本もの槍の穂先が、無機質で冷淡な鋭さを以て椅子の周りを取り囲んでいる。見るからに若く儚げな女性に対して野暮もいい所だとは思うが、今のこのタイミングはあまりにも、……悪すぎる。


 占拠したにも関わらず略奪の許可を出さない総大将が、された側の国の貴族令嬢と会っている。ただそれだけの事であったとしても、身に覚えの無い嫌疑などいくらでもかけられかねん。


 別にだからどうだという程ではないが、何も敢えて面倒事を抱える必要は無い。


 好みかどうかで言えば、多少年齢差はあるにしてもど真ん中の女性に対して、威圧を込めて対する。


 ……まったくもって、嫌な役回りだ。


 視線を伏せ、落胆をあらわにする。

 けれど意外にもそこで、女が動いた。


「王の御慧眼、真に感服いたします。……確かに以前、我が家名は聖都において、伯爵位をたまわっておりました」


 軽く戻した視界の中で取り乱す様子も無く、槍に囲まれながらも毅然とした態度でそっと、頭を下げる。


 声音から多少の緊張は伝わる。

 だが、……それだけだ。

 怯えている様子は微塵も感じられない。

 その事を意外に感じながらも自然、興味が募る。

 

 ユリフェルナ嬢の動きに反応した衛兵達を身振りで押し留め、その発言の内容を問う。


「……以前、というのは?」


「身内の不始末により爵位と領地はすでに返上しております。今は平民の身。故あってコンラッド自由商人組合に籍をおいておりますが、身の証に嘘偽りはございません」


 強い真っ直ぐな視線が、返される。

 雲が途切れ、陽光が室内を再び暖め始めた。


 若さと威厳に満ちた翡翠の瞳にはどこか、見る者を魅了する不思議な何かを感じずにはいられない。


 この若さでここまでの芯を得る。……か。

 稀有な女性である事だけは確かに思う。


 何かを言いかけていたワインズを止める。


「お前達が偽証に騙されたとは思っていない。コンラッド自由商人組合の証は本物であったのだろう?」


「……はい」


 信頼の出来る副官の肯定に是を返し、浅く頷く。


 最悪、コンラッドの商人共も締め上げねばならなくなっていた所だったが、どうやら杞憂に終わりそうで助かる。


 手首を返して衛兵達に警戒を解かせた。


「すまなかったな。どうやら勘繰り過ぎたようだ。何せこの状況なのでね。いらぬ詮議は元より避けたかった」


 だったら会うなと横から視線が突き刺さる。

 ズキリと胃が痛むが性分だから仕方ない。


 美人との出会いは人生の宝だ。

 女性の華やかさ無くして何の為の男の生か。


 わざとらしい咳払いを軽く聞き流す。


「いえ、自身の未熟さ故にいらぬ猜疑を招いてしまい、申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます」


 ユリフェルナ嬢は着席したまま深々と頭を下げた。槍を解いてもまだ声音が固い。緊張が続いてる所為なのかそれとも、何か別の理由で力が籠るのか。


「しかし、奪爵とは穏やかでは無いな。一体何を……」


 考え事をしていた為かそれをつい口に出してしまい、慌てて言葉を途切る。迂闊に過ぎた。


「いや、不名誉を暴くつもりはなかった。すまん。今のは失言であった。許せ」


 お前の家はどんな悪い事をしたのだと、さすがに当人を前にして聞くような事柄ではない。明らかに申し訳なさそうに目を伏せる様子に、失言を悔いる。


「……いいえ。法主様よりは降爵の御沙汰を頂いたのですが、父がそれでは名分が立たぬと。自ら申し出て領地と共に爵位を返上させて頂いた次第にございます」


「それはまた、豪気な父親だな」


 その父にしてこの娘あり、か。

 降爵で良い所を身分そのものもを返上する。

 何をしたのかは知らんが、思いきった事をする。 


「伯爵位を失ってしまった事を家名の先人様方には申し訳無くも思いますが、今は父の決断を、誇りにさえ思っております」


「そうか……。そのようだな」


 話す内容に嘘や偽りは無いように思う。

 どれも後で調べればすぐに分かる事ばかり。


 言葉通りに信じて良いとは思うが、さて……。

 その先の本意がどこにあるのか気にはなる。


 先を続けるように促すと、一呼吸間を置き、朗らかな表情を見せながらユリフェルナ嬢は口上を続けた。


「その為か、ご厚情により、私財の一切を据え置いて頂けました。今はそれを元に、在野にて医の道を施さんとされている、さるご高名なお方の活動を広める為、父と共に財団を立ち上げ支援させていただいております」


 ここでようやく、合点がいく。


 どんな話が飛び出てくるのかとヒヤヒヤしていた胸中に、軽い安堵が訪れる。元貴族令嬢としてでは無く、実際に一介の商人として何かを売り込んで来てくれた方が、分かりやすいし気も安い。


「なるほど、そういう事か。要はその財団に一口噛めと、そう売り込みに来た訳だな」


 一つ息を吐き、両手を軽く打ち鳴らす。

 乾いた短い拍が、心情を如実に現していた。


「分かった。ウチもそう財政にゆとりがある訳でもないが、勝手に決めつけていらぬ脅しをした詫びだ。ある程度の出資であれば構わない」


 出来れば美人とは仲良くもしたい。

 本音を口に出す訳にもいかないが、これだけの女性だ、今後に通じて繋がりを持っておくのも悪くない。なにせ好みのど真ん中だ。個人的にも是非親密になっておきたい。


「ワインズ。誰か適切な者を選んで彼女の話を聞くよう伝えておいてくれ。頼んだ」


 振り返った副官は目を合わせてくれなかった。

 それでも深々と了承する所が、付き合いの長い由縁でもある。持つべきものは理解ある副官こそだな。


 微かに苦笑いが浮かんでしまう。

 ふと、ワインズにそう指示を出す俺から、それでもユリフェルナ嬢が視線を外していない事に気付く。


 じっとこちらをまっすぐ見つめたまま、ゆっくりと落ち着いた声で、更に一言を添える。


「私共が支援させて頂いている方のお名前は、ガマ・ボイル殿と言います」


 ……。


 ……。


 ガマ・ボイル?


 聞き覚えの無い名に首を傾げていると、傍らに立っているワインズの表情が急に強張った。その突然の変化に不穏なものを感じて、浮わつきかけていた気分をすぐに引き締め直す。


 ソイツが一体、どうしたのだと……。


「かつてファレナド王国にて王宮医局筆頭主席を務められたお方で、今夏にはその医術によって、聖都をお救い下さりました」


 ……ファレナド王国。聖都。


 二つの地名に共通するものに即座に思い至り、サァーッと頭が冷えていくのを実感する。


 ファレナド王国はかつてロシディアの目と鼻の先にあった小さな王国だ。当時はそれなりに交流もあったと聞いている。……その王国がどうやって滅んだのかも。


 そして、今夏の聖都。

 それは当然、記憶にも新しい。


 その二つの地名を医の道で繋げるものと言えば、一つしかない。


 何かを言いかけていたワインズに深く頷きを返し、出した指示を撤回する意思を手振りで示す。


 姿勢を戻して声を静めながら、確認をとる。


「……その財団が支援しているという活動の内容とは?」


「七夜熱の特効薬の製法と投与方法を広く知らしめ、この世界から、七夜熱による犠牲者を無くす事を目的としております」


「いや、待てっ!」


 予想通りの返答に、いや、予想を斜め上に突き抜けた返答に対して、思わず声が上ずってしまった。


 広く知らしめる? 特効薬を?

 国崩しの特効薬だぞ?


 今までどこの誰も発見できていなかったものを自分達で見つけたというのに、それをわざわざ広める?


 それでどれだけ稼げるというのか。

 ……稼げる所の騒ぎじゃない。


 諸国との外交にしても、それ一つでどれだけ優位に立てる事か。だがそれはあくまでも、自国において独占してこそだ。特効薬を自国で独占してこそ、命を天秤にかけた取り引きで優位に立てるというのに……。


 そもそも、在野の医者がそれをする?


 アリステアは、ミリアルドをはそれを国として抱え込んではいない?


「……独占は初端から視野に、……無い」


 言葉に出して尚、その意図が掴めない。

 知らず親指を唇に強く押し当て、深く考え込んでしまう。


 どういう事だ。何を考えている。


 独占する事のメリットは計り知れない。そんなのは誰にだってすぐ分かる。だがそうじゃない。逆に考えなければならない。


 独占しない事のメリットは何だ。

 それを広める事で得られるものは?


 ……いや。それも違う。


 狙いを見定めろ。目的は何だ。

 何処を見ている。


 ミリアルド法主は国としての管理をせず、民間に特効薬の管理を任せたのだ。その真意は何処に。


「……ロシディアから資金を引き出してどうする」


「王に望むのは資金ではございません」


 どうにか引き出した問いかけに対して、返ってきた答えは酷く短いものだった。


 酷く短く、聞き流す事の出来ない答え。


 資金を望まない。

 ならば、一体何を……。


「……何が望みだ」


 低く抑えた声色に動揺が滲む。


 いつの間にか立場が逆転しているかのような感覚を覚える中、始終変わらぬ態度を貫くユリフェルナ嬢ははっきりと、それを告げる。


「財団の本拠地を、ロシディア国内に置く事のを頂きたく思います」


「薬を広める為の本拠地を、ロシディアに……」


 ……。


 ……。


 ……してやられた。


 頭の芯を鈍器で打ち抜かれた思いだ。

 まさかここで、ここに来て、……そう来たか。


 王宮予算を傾ける程であったとしても、資金の提供を求められた方がよっぽど楽な話だ。金のやり取りだけで済むのなら話は早かったろうに……。


 財団の本拠地をロシディアに置く。

 慧眼だ。そのメリットは両者にとって計り知れない。


 ロシディアは商業的には未熟な国だ。

 産出する鉱石や鍛冶物を輸出しているとは言え、国内の経済インフラは限定された地域にしか行き届かない。人の行き来と生活基盤があってこそ、経済は広がる。


 そこへ財団の本拠地を敢えて置くのだ。

 しかもコンラッド自由商人組合が後ろにいる。


 特効薬はどの国だって誰だって欲しがるだろう。それを交易商人達が支えているのだ、各国からロシディアに足を運ぶ人数だって、確実に今よりも広がりを見せる。


 ……ロシディアの経済が、回る。


 財団にしても傭兵国家で名高いロシディアに本拠地を据える事で、やってくる交易商人達の道中を護衛する手も回る。そもそも傭兵業は頻繁に国内外を行き来する。各国へ網を広げる事も容易いだろう。


 金では無く、場所。


 確かにそれであってこそ、双方の享受する利益は互いを潤すだろう。ややもすれば、ロシディアにこのダルマルクの様な商業都市を望む事も可能性としてはありうる。


 ……欲しい。


 是非とも喉から手が出る程、欲しい。


 ……。


 ……。


 ……だが。  


「……まったく。こちらの弱い所ばかりをついてくる」


 内心に沸き上がる渇望を必死に堪え、どうにか浮かべる作り笑いでもって顔を上げる。


 なるほど、ミリアルド法主は特効薬の管理を国において抱え込まなかった。ラダレストがアリステアを押さえたとしても、特効薬の独占は不可能だろう。薬はすでに、国の管轄下に無いのだから。国を押さえても民間で薬は広がる。


 その本拠地を、ロシディアに置く。

 その乾坤一擲の一手に舌を巻く。


 ……断れる訳がない。

 メリットがあまりにも大きすぎる。


 そしてこの話を持ち込んだのは、在野において活動する医者を支援する、財団だ。あくまで一介の商人に過ぎない。……言い逃れる術はいくらでもある。


 やってくれたなミリアルド法主。

 ロシディアを、囲い込んできやがった。


 逃げ道を塞ぐには何も、武器をもって脅すだけが方法では無いのだと、……思い知る。


 目の前の元令嬢を正面に見据える。


 兎であると思った。

 魅力的な兎であると、思い込んでいた。

 飢えた虎の前に放り出された、餌であると。


 だが、違う。

 認識を改めねばならない。


 彼女もまた、虎であるのだと。


 眼前にいるアリステアの美しき虎は、その揺るぎ無い翡翠の瞳に強い意思と矜持を込め、凛として、在り続けていた。





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