♯175 虎と兎と狸と狐(傭兵王の逡巡2)



 聖教国アリステアは、大陸の中央部やや北よりにある。


 ここより北にはただ岩荒野が広がるばかりで、さらにその先は魔物達の世界なのだという。


 実際にそれが本当がどうかは、知らん。


 ただ、ここが人の世界の北端であるいう事実。

 それだけは確かだと言える。


 聖教国第二の商業都市、ダルマルク。


 聖教国アリステアは地理的に、本神殿ラダレストを中心にしたガッチガチの女神教徒どもの国々を東に抱え、南側にはサウスランドをはじめとした、治安の良く無い国々を臨む。


 南部の自由で性に奔放な気風は嫌いじゃない。

 嫌いな訳が無い。むしろ大好きだ。


 だが交易を主体とする商人達にとっては、治安の悪さはあまり喜ばしい事ではない。奪われるのは積荷だけとは限らないのだから、当然と言えば当然とも言える。


 そして、東の女神教徒どもは金を集めはするが手放したがらない。貯め込むだけ貯めた金は、先を競うようにして本神殿ラダレストへと寄進しまくるのだそうだ。


 多分、頭がおかしい。


 ケチなのか馬鹿なのか。

 もしくはその両方でもあるのだろう。

 あまり仲良くしたい相手ではない。


 改めて考えれば、このダルマルクが商業都市として交易の一大拠点になった背景にも納得ができる。


 その納得の商業都市の大守官邸なだけに、中はやたらと会議室が多い造りになっている。


 今は戦時下にある為、それら会議室は西域方面軍に参加した各国指導者層用の仮の待機場所として、それぞれに振り分けてある。

 これが平時であれば商人と役人達で賑わっているのかと思えば、実に羨ましい事この上ない。


「……ウチにもダルマルクのような都市があれば、わざわざ傭兵なんざやらんでも済むだろうに」


 執務室を後にして大守官邸の廊下を進みながらその有り様を横目にでもすれば、自然、愚痴をこぼしたくもなってくる。


「それで山脈の中腹にある我が国に、どれほどの商人が集まるのでしょうか。それともこのダルマルクを飛び地として、領地に組み入れなさいますか?」


 ぼそりと溢した愚痴に、三歩後ろから付いてきている副官のワインズが厳しい意見を返す。もともと無愛想な面が余計に渋さを増している気がする。

 例え三歩下がっていたとしても、長年の付き合いがある副官なだけに、結構ズバリと痛い事を言ってくる。


「魅力的な提案だが、それじゃあロシディア本国の経済の成長は見込めん。そうでもなく、ただここからの儲けだけを吸いとってたんじゃ、ラダレストの連中と何ら変わらんだろ。あまり意味は無いな」


「私も同意見です」


「……戯れ言だよ。あまり本気に取るな」


 片手を軽く挙げ、渋面を作る副官に断りを入れておく。


 常に苦しい台所事情を抱えるロシディアと裕福なアリステアの関係は、今まで良好な状態を維持して来た。

 今はこうして敵味方に分かれてはいるが、心情的にはアリステアに近い部分があるのは仕方が無い。


 溜息とともにさて、どうしたもんかと悩んでいる内に、目的の会議室へと辿り着いた。


 見張りの衛兵の敬礼に軽い挨拶を返す。


「会議室ねぇ……。せっかく美人さんと会うんだ、もう少しこう、ムードのある場所を選んじゃ駄目だろか」


「駄目です。どうぞ中へ」


 にべも無い。


 渋々開けられた扉の中へと入る。

 仕方無いので匂いを嗅ぐ程度で我慢する事にする。


 中はそこそこに広く、一個中隊50人が横になってくつろげる位は出来そうだ。窓取りも大きく、簡素で品の良い室内を十分に照らしている。

 壁際には十数人の兵士が背筋を伸ばして立ち並び、その中心に、大きめの長細いチークウッドの実務的なテーブルがどどんと置かれていた。


 そのテーブルの脇に一人、若い女性が立っている。

 今は頭を下げているので容姿は分からないが、どこか品の良さを感じる。質素なブラウスと長めのタイトスカートに、色味を抑えた赤茶色の緩めの上着と、着ている物は確かに商人風ではあるが、纏う雰囲気はどこぞの貴族令嬢のようでもある。


 とりあえず、スタイルは悪くない。


 ……良しっ。


 テーブルを挟んで真正面に座ろうとしたら、ワインズに咳払いで咎められた。


 ……仕方が無いので上座の椅子に向かう。


 微妙に距離が遠い気がするんだが、何故だ。

 これじゃあ匂いすら嗅げないじゃないか……。


「……楽にしてくれ」


 四角いテーブルの短辺、奥の椅子に座って声をかけた。

 件の女性はテーブルの長辺の真ん中辺り、椅子で数えると四脚の距離の所にいる。


 ……やっぱり少し遠いだろ、これ。


「本日は多忙の折り、このような時間を頂き恐悦至極にございます。感謝と祝福をお伝えするとともに、ロシディア王国の栄耀栄華を心よりお慶び申し上げます」


 挨拶の口上を受け、意外さに気付く。


 王であるという立場上、猫なで声でご機嫌伺いをしてくる連中は後をたたない。金銭的に貧しい国ではあるが、それでも一応王は王だ。上手く取り入ってやろうという下心には敏感にもなる。

 目の前にいるこの女は商人だと聞いた。ならばこそ、何らかの利益を求めての目通りだろう。だが、その声色は凛として心根強く、媚びるような感じが欠片も無いように思えた。


 ……まぁ、以前にも一人だけ、出会い頭に人を助平呼ばわりした、すっとぼけた奴がいなかった訳でもないが。


 ……。


 ……。


 祖国の大事だってのに、あのはどこで何してんだか。


「口上を受け取る。顔を上げよ」


 脳裏に浮かぶむさい馬鹿面を振り払う。

 あの馬鹿とは違い、よく見れば所作にもどこか品がある。


 左手を右手でそっと包むようにして鳩尾のやや下辺りに添え、肘張らない自然な角度で両脇を緩めた姿勢のまま、背中を丸めずに頭を下げている。そこに力んだ様子は無く、あくまで自然体でそうしている感じは、とても付け焼刃で身に付く所作には思えない。


 確かに百戦錬磨の商人であればその所作にも納得が行くが、目の前にいるのはどう見ても歳若い娘だ。


 貴族の生まれか、よほどの大店の箱入り娘か。

 どちらにしろ、興味が深まっていく。


 入室してからずっと下げられていた顔が、ゆっくりと上げられた。


 ……。


 ……。


 心臓が小さく、トクンッと高鳴る。


 確かに、……美人だ。


 ふわりとした淡い髪色が陽光に煌めく。

 後ろ手に緩く纏めてあるが、結い上げて無いのは未婚だからだろう。歳は十七かそこら辺りといった所か、思っていた以上に若い事にまず驚く。


 肌は瑞々しくキメ細やかに白く抜け、薄めの唇と細い顎のラインに儚げな印象を持つ。全体的に細めの体躯からは、華奢なか細さを感じさせもする。

 それだけであるのならば薄幸そうな雰囲気が拭えなかっただろうが、何よりも印象強いのが、その凛とした眼差しだった。


 一見するとどこぞの箱入り娘のようであるにも関わらず、しっかりと前を見据える大きな翡翠のような瞳には、はっきりとした意思の強さが見える。


 確かにこれは、相当な美人だ。

 はっきり言えば好みだ。ど真ん中だ。


 ……。


 ……。


 好きです。


 やべぇ。なんだこれ。


 いいのか? いいんだろうか。

 

 年齢で言えばまず十は違うんじゃないか?

 十歳差はありか? なしか?


 ……ありでもいいと思う。

 むしろ積極的にありな方向で願いたい。 


「……あの、何か?」


「ありな方向を心より望む」


 何口走ってんだ俺は。


 思わず無遠慮に見惚れてしまっていた。

 不審に眉根を潜める姿も美しい。


「申し訳ありません。どの方向でしょうか……」


 申し訳なさそうにはにかむ姿もまた可憐すぎる。


「んっ、んんーっ!」


 ワインズの不機嫌な咳払いが突き刺さる。

 

 正直、……すまん。


「まずは座られよ。互いをよく知る為にも、ゆっくりと言葉を交わし合おうではないか」


 斜め後ろから何かが突き刺さるが、気にしたら負けだ。


 勧めに従い席につくのを確認する。

 物音一つ立てず着席する所作も、中々に淑やかさのお手本を見ているかのようだった。


 軽く咳払いの真似事をして声の調子を整える。

 美声である必要はないが、出来るだけ威厳は出しておきたい。


 ……さて。


「歴代の聖女達をはじめ、アリステアの女性は皆たおやかで美しい。『美人の国』と言われるのも、なるほど、確かにその通りだと実感出来る。……今日ほど、この国の男どもに嫉妬の思いを強く感じ事はないな。まったく。もし次に生国を選べるのだとしたら是非、女神に縋ってでもこの国の男子として生を受けたいものだ」


「過分なお言葉に痛み入ります。ロシディアの傭兵王としてご高名であらせられる王に、そこまで言っていただける事こそが、何よりの賛辞と存じます」


 流れるように垂れ流した口上に対して、慎み深く、わざとらしく無いように軽く、会釈が返された。


 その様子をゆっくりと観察しながら、拳を軽く握って鼻の下に当て、人差し指と親指で唇を挟み込む。


 ……否定は、しないか。


 そっと流した視線の先でワインズが浅く、頷きを返す。

 ただそれだけで意図の通じる貴重な副官だ。長年の付き合いは伊達じゃない。


 肩から力を抜いて、椅子の背に体重を預ける。

 少しは期待していただけに、残念にも思う。


 コンラッド自由商人組合の商人、……ね。

 まずもって、だった訳だ。


 立場上出会いには事欠かないが、中々それ以上にはならない。この物寂しさだけはどうしたもんか。


 一息の間を流して、更に何か口上を述べようとしている所に片手を上げ、その言葉を止める。


 微かに見せる戸惑いの表情に対して人差し指を立て、なるべく落ち着いた声音を意識し、告げる。


「例えば飢えた虎の前に一羽の兎がいたとする。なるほど、その兎はとても魅力的で、飢えた虎にとっては極上のご馳走に見えるだろう」


 更なる目配せを必要ともせず、脇に控えていたワインズが壁際に待機していた衛兵達に頷き、合図を送った。


 指を一本増やし、二本の指を立てた手の首を捻り、わざとらしく示して見せる。


「だが、その後ろで狸と狐が化かし合いをしてるともなれば、話は変わってくる。目の前の兎は果たして至高の果実か劇毒か」


 物騒な音を立てる事もなく衛兵達が動く。


「どれだけ飢えていようとも、そう簡単に食らいつく訳にもいかん。……いずれの狸か狐かは知らんがいいように踊らされるのも、好きではないんでね」


 よく手入れの行き届いた槍の穂先が、椅子に座ったままの女性を中心に半円を描くように、突き出された。


 あまり乱暴な事はしたくない。


 それは荒事を飯のタネにしているからこそ願う、自身の中にある微かな拘り。血を流し続ければ心も荒む。戦場以外で流される血は、出来るだけ少ない方がいい。


 ……、ではあるが。


 覚悟を決めているのか、衛兵達に取り囲まれてもさして焦った様子を見せない令嬢に対し、少し感嘆の念を抱く。


 美しいだけでなく度胸もある、……か。


 なればこそ、一層残念でならない。

 出来れば平時において出会いを求めたかった。


 雲に遮られ、差し込んでいた陽光が陰る。

 薄暗さを増した室内には、どこか、肌寒さを禁じ得ない。


「さて、ユリフェルナ・ハラデテンドと言ったか。……してまで、進駐している軍の総大将の前に単身その身を晒す。よもや無事に戻れるとも、思ってはいまい?」


 微かに動揺を見せながらも決して取り乱す様子は無い。ユリフェルナと名乗った貴族令嬢は、毅然とした態度を保ったまま、まっすぐに、揺るぎ無い視線を返し続けている。


 見れば見る程に、好ましい。

 この視線に情愛を乗せられる男性を羨ましく思う。


 交わる視線の中に感じる仄かな失意を、認めざるをえなかった。





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