♯169 痛恨の誤算(聖女の焦燥7)
提示された三枚のブロマイドに視線を落とす。
銀装飾の文箱の中に並べ置かれたそれは、精巧な描写で以て、三人の娘の姿が鮮やかに描き出されている。
間違い無く、ベルアドネさんがこっそりと作り、隠れて流通させていたものだ。
状況と時間を逆算する。
これが出回っていたのは長くても二週間程。そこでレフィアさん達にバレて、胴元の張本人は大目玉を食らっていた。その直後には七夜熱の発生が確認され、聖都は厳重な警戒体制の中、外部との連絡を遮断してしまっている。
封鎖の解かれた後に持ち込まれたとは考えにくい。その間に動いた情勢からして、これらは多分、封鎖される前に確保されていたのだろう。
これらのブロマイドは公式に神殿が流通させたものでは無い。相当数が出回ったと聞いたけれど、それはあくまでベルアドネさんが個人で流通させたもの。その数はたかが知れている。
瞑目し、覚悟を決める。
これは相当入念に、現地に手の者を入れてたとしか思えない。だとすれば当然、聖都での状況はしっかりと把握されてしまっているのだろう。
それなら敢えて隠す必要も無い。
堂々と開き直ってしまえばそれで良い。
視線に力を込めて、赤いテーブルクロスの向こう側で余裕の表情を見せるオハラ総大主教を、正面に見据える。
……この狒々ジジィめ。
「総大主教猊下のおっしゃる通りです。この者達は私の、大切な友人達で間違いありません」
「臆面も無く肯定するとは。魔物の国よりの使者を君の友人であると、そう言うのだな」
「真に友人足り得る者達との親交を深める。その事については一切の非もありません」
「魔物を友人と称するか」
「魔物ではありません。彼女らは私達と同じように喜びを感じ、他者を慈しみ、時として怒りを共有できる者達です。同じ感情を持つ命ある者を友人と呼んで、何がいけないのでしょうか」
実際に魔の国に赴いて感じた事。レフィアさんやリーンシェイドさん、ベルアドネさんの様子をすぐ側で見ていて確信した事。その思いを、きっぱりと言い切る。
強い視線と視線が正面から交わる。
ここで逸らす訳にはいかない。これは私自身がこの目で見て肌で感じた、真っ正直な感想なのだから。
絶対の自信と誇りを以て、腹に気合いをこめる。
しばらく無言のまま睨みあった後、軽く息を吐き、先にオハラ総大主教が視線を外す。
「我らと同じか。……であろうな」
どこか懐かしげに目を伏せ、柔らかく呟く。
意外な反応を訝しんでいると、総大主教は姿勢を崩し、こめかみに右手をあてながらテーブルに肘をついた。
「私にも経験がある」
不意に発せられた意外な言葉に耳を疑う。
深くゆっくりとした一言には、重々しい感情がぐっと込められているようにも感じられる。
経験がある?
言葉を思考の中で反芻させながら、一つ、オハラ総大主教の出身国がかの、
「あの時の女童がよくぞ成長したものだ。まるで生き写しのようでもある」
三枚のブロマイドの内の一枚。リーンシェイドさんの見姿が指し示される。
……まさか。
「強くしなやかな肢体。どこまでも白く澄んだ、キメ細やかな肌。気高き中にあっても漏れる、微かな鈴の音のような喘ぎ」
身の奥にあるであろう深い記憶をなぞりながら、まるで讚美歌を慈しむかのように、オハラ総大主教は呟きを続ける。
情念を厳しく戒める女神教の中にあって、その恍惚とした表情に不穏なものを禁じえない。
正直、おぞましい。
「……あれは、最高の女だった」
貪欲な瞳の奥に、浅ましい感情の灯が宿る。
総大主教という高い地位ながら、明け透けに見せる劣情の念の強さには深い嫌悪感しか覚えない。
不気味さに圧し負けぬよう、握った拳に力を込めて唾を飲み込む。
「あれ以来、どれだけ他の女を抱いても満たされぬのだ。他では満たされぬ。それだけの価値が、あの身体にはあった」
貪欲にギラつく視線が戻される。
底なしの情念と深い愛憎が、突き刺さる。
「……深く悔やんだものだ。何故私も、あのゼン・モンドのように己の内に囲い込まなかったのかと。あの者を、あの身体をかの剣聖が一人、その腕の中に独占してしまう前に何故自分で、それをなさなかったのかと」
「……剣聖、ゼン・モンド」
つながる糸。芽生える確信。
瓦礫に沈んだかつての王国。
鈴森御前と剣聖のお伽噺。
やはりあの話には、語られなかった部分があるのだ。
叔父様が懸念した通り、『鈴森御前と剣聖』の話にはまだ、私達の知らない何かがある。そしてこの目の前の男はそれを知っている。多分きっとこの男は、その場にいたのだろう。……そんな予感が拭えない。
「身を焦がす程の嫉妬というものをあの時ほど、強く感じた事はなかった。自身の手の届かぬ褥にて、あの身体が剣聖の好きに嬲られているかと思うとな。耐えられぬ屈辱と憎悪で、身が焼ききれそうだった」
「修道者達の上に立つ者としては些か、生臭いお話をなさるのですね」
「……だが、そんな私だからこそ、女神はお救い下さったのだ。光の女神はそんな私に直接、お声を下さった。それ以来私は、下されるお声に示される通りに生きてきた」
込めた皮肉は無視されてしまった。
おぞましさが更に募る。
「アリステアを攻めるは女神の意思によるものだ。今更何を弁明しようとも、もはや事は止まらぬ」
「……女神の意思を自身の欲望に置き換えないでいただけますか。穢らわしさに吐き気を感じます」
「君は何も知らない。ただそれだけだ。……だがそれは時として、何より滑稽でもある」
明らかな嘲りの笑みが向けられる。
それが本当の素顔なのだろう。元々この会見には何の意味も無いのだと、言葉よりもはっきりとその表情が示している。
「無駄な時間はここまでにしておこうか。君からの
ゆっくりと席を立つ姿に、警戒を強める。
最初から話を聞くつもりが無いなんて分かりきってはいたけれど、ここまであからさまに軽んじられてはいい加減、腹も立つ。
……ふざけすぎだろ、クソジジィ。
「……アリステアは、負けません」
「ふんっ。聖女と勇者を欠いたかの国がどこまで抵抗出来るか、すぐに分かる」
総大主教が合図を送る。
やっぱり、素直に帰す気は無いらしい。
けれどそれは、こっちだって想定の範囲内。
背後で膨れ上がった殺気に対して、即座に魔法を構築させて対応する。
グォンと低い衝突音とともに、衝撃が走る。
「……聖域結界か。中々見事なもんだなこれは」
他に伏兵の気配は感じられなかった。
背後には、扉の前で警護をしていた神殿騎士が一人いただけのハズ。見ればその神殿騎士がすぐ側にまで近づき、構築した聖域結界に阻まれていた。
「まさか一人で私をどうにか出来るとでも? ……聖女を甘く見すぎですっ!」
罠といってもこの程度ならば、どうと言う事も無い。敵対する側に甘く見られるのは、むしろ有難い事この上無い。
聖域結界の向こう側にいる神殿騎士に対して、『
こうなったらすぐにでも勇者と合流をせねばならない。
構築した魔法が光の魔法陣を描き、神殿騎士の足元から動きを束縛する魔法の鎖を幻視させる。
「
憎々しい声が呑気に呟かれる。
けれどごめんなさいね。これは……。
「いや。
心の中で否定しようとしていた事を先に、目の前の神殿騎士に言われてしまった。
その足元を束縛しようとしていた光の鎖が、事も無げに粉々に砕かれる。……麻痺の方は全く効いてもいない。
「……なっ!?」
「『
構築した魔法がいとも容易く崩され、更に余裕を見せるその様子が信じがたい。『聖縛鎖』も『行動制限』も一介の神殿騎士に崩されるような魔法では無い。
「……
「くっ!?」
室内の奥で感嘆する総大主教は無視して、目の前の神殿騎士に対して更に魔法を構築する。
……コイツ、何者なの。
さすがに『聖域結界』までは崩せないようではあるけれど、得体の知れない恐怖が焦燥をかきたてる。
無駄に死傷者を出す気は無かったけれど、状況的に手加減の出来る場合では無いのかもしれない。
一撃で勝負を決めようと、かつて濃紺色の鼠人を仕止めた『浄化の炎』を構築しようとした時、パリンッと甲高い破裂音がして、目の前の結界がガラスのように砕け散った。
思考が止まる。
……。
……。
……嘘でしょ。
「まぁ、無駄ではあるがな」
『聖域結界』を砕き割ったその
コイツ、……一体。
自らの誤算を痛い程に悟る。
恐ろしくゆっくりと流れる時間の中で、驚愕とどこか得体の知れない恐怖が身を蝕むのをただ、感じる事しか出来なかった。
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