♯170 憧れた背中(勇者の挑戦3)
「何を考えているのかさっぱりだよっ!」
控えの為に案内された神殿内。濃紺色の髪色をした青年は苛立ちを押さえきれず、さっきから語気が荒れまくっている。
どこぞの箱入り娘のような外見をした優男のクセに、その性格は随分と荒っぽいらしい。これでいて俺と同じ年齢だってんだから、正直、色々と納得し難いものもある。
魔の国のヤツラって、見た目若すぎじゃね?
「何で聖女を一人で行かせたりしたのさっ!」
偽装の為に司祭の法衣に身を包んだ青年は、その端正な顔立ちを歪めながら、何度目かの詰問を投げつけてくる。
「マリエルがそれでいいと言えば、従わねぇ訳にもいかねぇだろ」
「普段から好き勝手やってるクセして。こういう時だけ従順を装うのもどうかと思うんだけどっ!」
……おまっ、好き勝手って。
「俺は普段から従順なんだが?」
「はっ! どの口が言ってるんだか」
生憎と俺に口は一つしかない。
割と真面目に働いてるつもりではいるんだが、いつもこう、どこか好き勝手にやってるように言われるのは何故なんだか。言われ慣れてしまってどうとも思わなくなっては来たが、腑に落ちない疑問だけは残る。
納得がいかないのか、更に怒気を顕にするその様子に一つ息を吐き、後ろ頭をボリボリと掻く。
「落ち着け
「そんな事は僕が一番知ってるさっ! でも、そういう事じゃないだろっ!」
言いたい事は分かるが、売られた喧嘩を買いに来たんだ。買う方にだってそれなりのやり方ってもんがあるだろうに。
今は人化している濃紺色の毛並みをしたファーラットの青年には、こういうやり方は性に合わないらしい。
ファーラットがワーウルフのように人化が出来るだなんて初耳だったが、アスタスはファーラットの中でも特別なのだそうだ。それもあってかこれでも魔王直属らしく、レフィアさん達と入れ替わるようにしてアリステアにやってきた。魔の国との連絡役として。
聞けば俺達が魔の国へ行ったあの時に、直接マリエルとやり合ってたのだとか。
自分を瀕死の重傷に追い込んだ相手を、どんだけ心配してんだか。付き合いはまだ短いが、コイツのお人好し加減も相当堂に入ってるとしか思えない。
「……なぁ。俺からも一つ聞いていいか」
両手を顔の前で組み、姿勢を前のめりにして表情を正す。厳かに雰囲気を変えた俺の声音に反応して、アスタスも息を飲んで振り返った。
気迫を込めた視線に、無言の肯定が返される。
真剣な眼差しの向こう側に揺るぎない意思の強さを感じ取り、コイツも、一人の男なのだと実感もする。
だからこそ、聞いておきたい事もある。
「……ベルアドネとは、もう
「っアホかぁぁぁあああああああーっ!」
色白の顔を真っ赤にして、アスタスは叫んだ。
「っこんな時に何の話だ一体っ! アホなのかっ!? アホだろ絶対っ! 何考えてんだあんたはっ!」
「……そうか。まだか」
「何一人で納得してんだっ! 大体っ、何でそこで、ベ、ベルアドネが出てくるんだよっ! 関係ないだろっベベベルアドネとはっ!」
カマかけのつもりがど真ん中だったらしい。
あからさまに過ぎる動揺を見せる様子を、生温かくニヤリと見守ってやる。
何かにつけ、言葉の端々からそんな感じがしてたから、ちょいとつついてやろうとしただけなんだが。
「違うからねっ! ベルアドネと僕はそんな関係じゃないからっ! ……聞いてる? 聞いてないだろっ! そのニヤついた顔を止めろよっ!」
……面白れぇな。コイツ。
「安心しろ。女の価値は胸の大きさじゃねぇよ」
「それで誰が何を安心するんだよっ! まったく聞いてないじゃないかっ!」
耳まで真っ赤にして叫ぶアスタスにそっと、目を細める。
何をどうしたってもう、事は収まらねぇんだ。
不安と焦燥に苛立ってたってしょうがない。
だったらここは一つ肚を据えて、好きな女の事でも考えていた方がよっぽど良い。覚悟を決めるってのはそういうもんだ。
「……そういう勇者こそどうなんだ」
「へ? ……俺?」
「いい年していつまで独り身のままなんだか。浮いた話の一つ位あってもいいんじゃないのか」
いや。同い年だろが。
言わぬが花だけど。
仕返しのつもりなんだろうが、ふくれっ面でブーたれながら言っても格好はつかねぇだろうに。
苦笑いを返してふと考え込む。
「俺か……。何せ荒事一筋で生きてきたからなぁ。それなりに経験を踏んでは来たが、……そんな甘い関係になった事はまだねぇな」
言いながらふと、
愛だとか恋だとかそんな関係では無かったけれど、どうしても忘れられない面影が、一つ。
「色男を気取って何言ってんだか」
「……まぁな。けどどうしても一人、忘れるに忘れられねぇヤツが、いる事にはいるな」
その場のノリと勢いで一夜を楽しんだ女はそこそこいる。しばらく一緒に暮らしたりもしたが、しばらくもすればみんな、どっか別の場所を求めていなくなっちまう。
それでいいと思ってた。
それがいいんだと、それまでは思ってた。
懐かしい面影を思い起こしながら、らしくもない感傷に、少しだけ気持ちを傾ける。
「随分とスカした気障ったらしいヤツで、そのクセ、自分らしく生きる事に罪悪感を持っているような、そんな不器用なヤツだった」
自分じゃない自分を無理矢理に着飾る。
それはまるで、そんな愚かしい自分の鏡を見せつけられているようにも感じて、顔を見るたびに苛立ちが増していくだけだった。……アイツ。
「いい女だった。同じ背中に共に憧れて、同時に失った。ただそれだけの関係だったけどな」
先代勇者ファシアスが死んだ後、生地である本国に帰ったっきり、もう随分と会ってねぇ。
あれ以来、アイツがいなくなって以来、何だか無理に着飾る事が虚しく思えて、いつのまにか、トレードマークだった赤いレザーコートも着なくなっていた。
身嗜みに頓着するのが煩わしくなって、髪や髭も不精のままになった。
……そんな事を言えば、人の所為にするなと怒るだろうか。不精の言い訳に自分を使うなと呆れるだろうか。
……。
……。
何を考えてんだか。……俺は。
「……勇者」
気がつけば、思わず黙り込んでしまい、自嘲の笑みを浮かべてしまった俺を、アスタスが心配そうに見守っていた。
「すまん。つい物思いにふけこんじまった。……らしくねぇなーっ、ったく」
今頃どこで何をしてるんだか。
出来ればどこか知らない所であっても、自分らしく生きていける場所を見つけて、元気でいてくれればと思う。
そうあって欲しいと、ただ、願う。
背筋と腰を伸ばしながら立ち上がる。
ちょいとアスタスをからかうだけのつもりが、センチメンタルなノスタルジィに傾いちまった。らしくもねぇ。
そもそも
ここに来たら、嫌でもアイツの事を思い出しちまう。
「そろそろ時間のようだ」
アスタスと互いに確認し合うと、神殿の入口から物々しい様子の神殿騎士達がゾロゾロと小走りに駆け込んできた。
どう見ても、お友達を増やそうって雰囲気には見えない。
「こんな所はとっとと暴れて、さっさと帰るに限る」
「……だったら最初から来なきゃいいだろ」
「……身も蓋も無い事言うなよ。泣くぞ」
「泣けよっ、勝手にっ!」
優しくないねぇ。
フラれんぞ、ベルアドネに。
「勇者ユーシス。悪いが貴様をアリステアに帰す訳にはいかん」
揃いも揃って同じような動作で抜剣し、周りを取り囲む神殿騎士達。その隊列の中から一際偉そうなおっさんが進み出て来て、面白くも無い事をほざきやがる。
とりあえず鼻先で笑い捨てておく。
「はいそーですかと、素直に引き下がるとでも思ってんのか? んなわきゃねーだろ。……アスタス、下がってろ」
愛用の大剣を抜き放ち、アスタスを背中に隠すようにして前へ出る。
アスタスの実力はマリエルから聞いてる。こんなヤツラ相手に守らなきゃならんようなヤツでも無いが、わざわざ紹介する必要も無い。
コイツは、俺達の切り札でもあるのだから。
問答無用と判断したのか、おっさんが周りの神殿騎士達に号令を発した。無機質な殺気の塊が白刃の煌めきを伴って、一斉に突き出される。
「話は早いが舐めすぎだろ」
針山のように突き出される神殿騎士達の剣先よりも早く、大剣に魔力を込め、威圧をもって真横に振り切る。
剣圧は魔力を伴い、ただひたすらに乱暴な横殴りの突風となって、迫る剣先の群れを神殿騎士ごと凪ぎ払う。
「ぐぬぅおぉぉぉーっ!?」
「うぁぁああああっ!?」
それぞれに情けない悲鳴を上げながら、意図も容易く吹き飛ばされるラダレストの神殿騎士達。重甲冑に身を包んでいるハズなのに誰一人として、その場に踏み止まる事すら出来ちゃいない。
……ってか、自身の鎧の重さにさえ耐えられて無いんじゃねーのか、お前ら。
大剣を一振りしただけで崩れた包囲に、呆れよりも酷い脱力感を禁じえない。
「ひ、一振りでこの威力っ!? 化け物かっ!」
本気で言ってそうなおっさんの言葉に、深いため息がこぼれてしまう。
「……悪りぃが通るぞ。お前らじゃ何人束になったって相手にもならん。怪我したくなきゃ引っ込んで……」
本神殿の神殿騎士達の様子には、暴れる気も失せる。……情けなさ過ぎんだろ、お前ら。
興が削がれて放置しようかとした時、不意に高まる爆弾みてぇな殺気に全身が粟立つ。
咄嗟に合わせて大剣を叩き付けるが、あり得ない程の衝撃を受けて踏ん張りが効かず、身二つ分程後ろへと吹き飛ばされた。
「……ぐっ!?」
「勇者っ!?」
ジンジンと痺れる両手を確認しながら、心配そうに駆け寄るアスタスを後ろ背に庇う。
「これだけの人数で囲んでおいて素通りさせるとは、本神殿のエリートが聞いて呆れる」
遅れてやって来たであろうソイツは、無様に転がる他の神殿騎士達を蹴飛ばしながら毒つく。
あからさまにソイツだけが、異質だった。
対面しているだけで得体の知れない恐怖が、身体の芯から込み上げてくるのを否応なしに自覚させられる。
姿形は他の神殿騎士と何も変わらない。
だが、存在そのものがあり得ない程に異質だった。
「……何もんだ、お前」
気合いを込めて、竦みそうになる手足を恐怖の縛鎖から抜き放って気勢を保つ。
「おいおい。……そりゃないだろ、
燗に障る奇妙な馴れ馴れしさで、その神殿騎士は足を止め、肩を竦めた。
「俺だよ。まさか忘れたとか言うんじゃないぞ?」
言いながら大袈裟な身振りを加えて、兜の面当てを外す。
「……っな!? なんでっ!?」
面当ての下にある素顔に、息がつまる。
その顔を俺が見間違える訳がない。
他の誰であろうと、他の誰よりもよく知る姿。
忘れようもない、忘れる訳の無いその顔を。
端正な顔立ちに優しげな双眸。
心から憧れ、いつもその背中を追いかけていた。
……今もまだ、追いかけ続けている。
先代勇者、ファシアス。
13年前と何一つ変わらないままの憧れ続けた姿が、確かな存在感を持って、そこで楽しげに見下ろしていた。
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