第五章 女神の軍勢

♯168 虚飾の神殿(聖女の焦燥6)



 回廊を進む靴音が無機質に響く。


 豪奢な彫刻に彩られた柱と柱の間を、案内役の背中に導かれてついていく。外気に触れる回廊にはどこか、肌寒さを感じてしまう。


 相変わらず、閑散とした所だと思う。


 建物の大きさに比べて、出入りを許される人の数が圧倒的に少ないからだ。


 昔から何も変わらないし、変わろうともしない。

 何か特別な誇りでも持っているかのように、ただひたすらに、同じであろうとし続ける。


 それがここ、女神教の総本山。

 ラダレスト本神殿。


 痛い程の静寂が、心侘しさを伝えてくる。


 本音で言えばずっと縁遠いままでいたかった場所。だけど現状は、そうも言ってられない。


 七夜熱の終息によって、開放された外部からもたらされた報告は正に、寝耳に水なものだった。


 『聖教国アリステアが侵略戦争を始めようとしている』


 事実無根の言い掛りに対して早急に対応はしたものの、出遅れた時間的なロスは致命的だった。

 アリステアを取り巻く諸外国の状況はすでに、本神殿ラダレストを中心にして、それ相応の対処が取られてしまっていた。


 外部と遮断されていた二ヶ月間が惜しまれる。


 直接会って弁明を聞きたい。


 リディア教皇からの書簡を携えた使者は、本国の意志を私達にそう伝え、スレイプニルに引かせた馬車まで用意してきていた。


 一夜にして千里を駆け抜けると言われるスレイプニルは神馬として、ラダレストでも国宝級の扱いなのだという。


 それは明らかな罠だった。


 弁明という言葉を使う当たり、すでに敵視されているのは明白で、そんな中へ来いと言うのだ。あからさまにも程がある。

 けれど拒めば含む所有りと取られ、疑惑が決定付けられてしまう。神馬立ての迎えを用意したのは形式上だけでも、それほどの待遇にて迎えるという事なのだから。


 少しでも時間が欲しい私達は、その罠に自ら乗り込む事を選択した。と言うよりも、せざるをえなかった。


 リディア教皇に直接会える機会を逃す手は無いし、例え会見が無駄に終わったとしても、それまでの時間はラダレスト側を牽制出来るかもしれない。


 例え罠だと分かっていても、それに乗らない手は無い。


 真っ先に自分が行くと言い出す叔父を宥め諭すのが、一番大変だった。さすがに法主には、アリステアに残ってもらった。フットワークが軽いのは叔父様の魅力の一つではあるけれど、今回ばかりは引いて貰うしかない。


 無事に戻れるかどうか分からないこの手の案件は、それこそ私の専門分野なのだから。いざとなったら自力で強行手段を取れる私と勇者ユーシス、そしてごく少数の限られた手勢を厳選はしてきた。


 勇者ユーシスとは行動を分けられてしまったけれど、それは想定の範囲内。あちらはあちらで何とでもなるだろうし、私は私で、リディア教皇との会見を上手くまとめなければいけない。


 向かう大広堂は、それ自体が一つの建物になっている。

 大広堂だけではなく、ここでは全てがそのようになっていて、目的ごとの為にそれぞれ建物が違う。


 ラダレスト本神殿とは一つの山に建てられた、大小様々な神殿の総称なのだから。それらの神殿群が、長い回廊や廊下で網の目ように繋がっている。


 おかげで無駄に広い。


 富と繁栄を象徴する一面を持つ光の女神の加護を願い、各国の王侯富裕層が先を競って献殿する為、今もまだ、数を増やし続けているのだと言う。


 そのほとんどは使われる事も無いままに、空虚な絢爛美を腐らせてしまっているけど。


 虚飾の神殿。


 その労力と資金を僅かでも他に回せば、それだけ救われる人の数も多くなるだろうに。願い祈るだけで現実的な行動に移さないその姿には、とても同意しかねる部分が否定出来ない。


 やる事やってから祈れよお前らは……。


 自力救済を求める聖女教と、他力救済を求める女神教の違いはすでに、決定的にまで乖離し始めているような、そんな気がする。


 案内役が立ち止まる。威圧感たっぷりの縦に長い豪華絢爛な扉が開かれ、中へ入るようにと促された。


 一つ大きく息を吸い込む。


 ……さぁ、やってやろうじゃないか。


 気合いを込めて背筋を伸ばし、ゆっくりと開けられた扉の向こうへと進み出る。


 中はとても広く、開放的なまでに設けられた明かりとりの窓から、燦々と煌めく陽光が差し込んでいた。外から取り込まれた光は、天井から吊るされた無数の水晶細工のシャンデリアに反射して、室内を明るく照らし出している。


 趣味は悪くないけど、明かりとりの為だけにどんだけ手間と資金をかけてんだか。


 覗けば映り込む程に磨かれた大理石が、モザイクのように床一面に敷き詰められている。その中心に、細長い机が申し訳無さそうに備え付けられていた。


 一個中隊が並んで座れそうな位に長い机の向こう、赤地に、金糸で刺繍の施されたテーブルクロスの向こう側に座っていた人影が、私の入室に対して視線を上げる。


「遠路はるばる、よく来てくれた。歓迎しよう」


 紫金に彩られた派手な法衣に身を包んだその壮年の神官は、ニコリともしないまま、顔の前で組んだ指の隙間からギラついた視線を送ってくる。


 オハラ総大主教。

 リディア教皇に次ぐ女神教の、権力者。


 今は無きリンド王国出身で、何の後ろ楯を持たない身でありながらも叩き上げで登り詰めた野心家の男。強引な手段で周りを黙らせるそのやり方には敵も多いと聞くけれど、それが故に、彼を慕う者も少なくないのだという。


 聖女教を目の敵にする、ガッチガチの女神教原理主義派の筆頭でもある。


 ……よりにもよって、この男か。


 噂によれば『働き蜂カラブローネ』という狂信者集団を子飼いの駒として、自らの手元に置いているのだという。そんな連中に不意を突かれでもしたら面倒な事この上無い。


 油断無く室内の気配を探る。

 室内にいるのは、……三人。


 自分と目の前のオハラ総大主教、そして警護の為か、扉の側に控える神殿騎士の三人だけ。他に潜んでる気配は特に感じられない。


 ここで何かを仕掛けてくるつもりは無いという事だろうか。決して油断の出来る状況では無い。けれど、力技で来るつもりが無いのであれば、後はどうとでもなる。


「総大主教御自らお言葉をいただけるとは、真に恐悦にございます」


 軽く頭を下げながらも、警戒は緩めない。


「……心にも無い事を言う。まぁ、世辞が言えるのはそれだけ状況が見えているという事でもある。悪い事では無いがな」


 落ち着いた声音が白々しい。

 心にも無いのはどっちなんだか。


 ニコリともしないその様子に、欠片も歓迎の意思が無い事は明白この上無い。けどこっちだって、気迫で負ける訳にはいかない。


「本日はリディア教皇様直々のお呼びだしと伺って来たのですが、……これは、どういう事なのでしょうか」


 上手すぎる話だとは思ったけど、やっぱりこれは、最初からリディア教皇に会わせるつもりなんか無かったか。


 これで一つ、ここまで来た目的が消え失せてしまったっぽい。ま、それならそれでも構わないけど。

 最初からぶち壊れてる会見なら、上手くまとめなくても良い分、幾らか気も楽になる。


「教皇陛下は体調が優れないので今は休んでおられる。代わりに私が貴殿らの弁明を受けようと思うのだが、総大主教の私では何か不服かね」


「いいえ、とんでもございません。むしろ、総大主教猊下にお手数をお掛けしてまでこのような場を設けて頂けた事に深く、感謝を示すばかりにございます」


 ……わざわざ罠を張ってくれてありがとう。

 存分にその悪意を、利用させて貰います。


 頭を下げながらも、その片隅では逃走方法をしっかりと考えておく。

 この会見が無駄に終わったとして、素直にアリステアに帰してくれるなんて事はまず無いだろう。そこまでお人好しだとも思えない。


 もしもの時は、まず真っ先に勇者との合流を目指す。勇者と合流さえすれば、後は同行したの力で、すぐにでもアリステアへと戻って防衛に備える。

 魔の国から連絡役として、レフィアさん達と入れ替りにやってきたがいてくれてこそ、この無謀な行為にも勝算が見えるのだから。


 コイツらはまだ、を知らない。

 それこそがこちらの、唯一の切り札でもある。


「それでは本題に入らせて貰おうか。良ければかけたまえ。立ったままでは話し辛いであろう」


「お心遣い痛み入ります。ですが未だに修道中の身。総大主教猊下と椅子を並べるなどとんでもございません。どうかお構いなく、お進め下さい」


 組んでた腕を解いて、切り出すオハラ総大主教にきっぱりと断りを入れておく。

 相手がリディア教皇本人であればともかく、コイツと席を並べる気なんて更々無い。誰が座るか。座ればそれだけ、いざという時の挙動に制限を受けざるをえない。


 きっぱりとした拒絶に対して、特にこれといった反応を返す様子も無く、オハラ総大主教は手元の書面に視線を落とし、更に話を進めていく。


 ……だろうね。

 そっちも形式上椅子を勧めただけかい。


「貴殿らの国アリステアは我ら人たる国々を裏切り、あろう事か魔物達と同調を計り、我らに害なさんとせし件について。……何か弁明があれば、言うが良い」


「弁明も何も。そもそもの事実誤認がございます」


 酷い言い掛りもあったもんだ。

 そもそも裏切りだの害なさんだの、一体何の話だか。


「事実誤認とな」


「私達は人の世界を裏切るつもりも、ましてや害なさんと企てる事など、一切しておりません」


「……なるほど」


 オハラ総大主教が身を起こして書面から視線を上げ、じっとこちらを値踏みするかのように見つめてくる。


 どうやら色々と文句があるっぽい。

 けど文句ならこっちだって山のようにある。


 負けじとまっすぐに睨み返すと、オハラ総大主教は軽く目を伏せ、微かな笑みを見せた。


「そこに用立てて置いた箱があるのが分かるかね」


 総大主教の示す先、赤いテーブルクロスの上に置かれた銀細工の文箱へと視線を移す。宝石で彩られた、無意味に豪華な一抱え程の箱。


「それを開けてみるが良い。心配せずとも、開けた途端に危険なものが飛び出すような物では無い」


 促されるままにテーブルに近づき、銀細工の文箱の様子を改める。……確かに、特に変な細工が施されてるようには見えない。開けた途端に爆発したり毒矢が飛び出たりはしなそうではある。


 意図が読めずに逡巡していると、開けるようにと無言で更に促される。


 総大主教の態度を不審に思いながらも、慎重に蓋を開け、中にある物を見て、……言葉を失った。


 ……。


 ……。


 これが、何故ここに……。


 それまで事務的に話を進めていた総大主教の相貌に、会心の笑みが浮かんだのが分かった。


「それはふとした事から手に入れたものでね」


 白々しく大袈裟な声音が重なる。


 箱の中に入っていたのは、三枚のカード。

 いや、カードというよりこれは……。


「聞く所によればその者達は君の、な友人だそうだな」


 背筋にゾッとしたものを感じてしまう。

 箱の中には三枚のブロマイドが並べて置かれていた。

 言うまでもなく、レフィアさんとリーンシェイドさん、ベルアドネさん達の姿が精巧に描かれたブロマイドだ。


 まさかこんなものまで、確保していたとは。

 粘りつくような嫌らしい獣の視線が、忌々しい。


 ……この男、一体どこまで。


 睨み付けた先で陰湿な笑みが更に深まる。


「さて、どのようにそれを説明してくれるのか、非常に楽しみにしているよ。アリステアの聖女マリエル殿」


 虚飾の神殿の最奥に潜む獣はその獰猛な牙を、剥き出しにしようとしていた。





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