♯163 凶報(魔王の憂鬱21)



 聖教国アリステア討伐を掲げて王国連合軍が動いた。

 そして、聖女も勇者も聖都にいない。


 アリステアは人族の国の中でも頭一つ武力に秀でている。だがそれも、あくまで勇者と聖女を中心に動いてこそだ。その要を欠いたままでは……。


「だいぶ分が悪いだろうな……」


 兵力差にもよるが、どこまで持つ事か。


 人の良い法主達の顔を思い浮かべ、その帰結する所があまり愉快で無い事に、苛つきを覚える。


 一瞬の稲光りを放って、閃光が轟いた。


 ドゴォーンと大気の壁と千里の距離を突き破り、一閃の雷光がすぐ側へと突き刺さる。

 もちろん、自然の雷ではありえない。燻るプラズマはすぐにそこで元の人の姿へと戻り、そっと軽く膝を折った。


「……クスハ、か」


 頷きを返す先で乳白色の巫女服が揺れ、豊かな金髪がさらりと流れる。


 ……そういえば、クスハが髪を結った所を見た事がない。精霊転身に何か関係でもあるんだろうかと、全く関係の無い事をつい考えてしまう。


「お迎えにあがりました。陛下」


「……よく場所が分かったな」


「その銀仮面で、おおよその場所の把握が出来るそうです」


 美貌の配下の示す先、顔を覆う銀仮面にそっと触れる。……やたら高性能だな、これ。


 そりゃ当然、勢いにまかせてくれてやったりしたらシキも怒る訳だと、少し納得する。


 正直、……すまんかった。


「詳細な事は、あちらで直接シキよりご説明差し上げます。あまり猶予はありません。どうかお早く」


 魔の国とアリステアは、岩荒野を間に挟んで接している。今の所それなりに良好な関係を築きつつあるアリステアが潰れるのは、魔の国としても喜ばしい事ではないし、個人的にも不愉快極まる。


 魔の国との距離を縮めたからだと?

 ふざけてやがる。


 例えそれが名目上のものであったとしても、それが為に窮地にあるのだとしたら尚更、看過しかねる。

 早急に、何らかの対策を講じる必要があった。


 だが……、と断りを入れる。


「すまんな。すぐに戻らねばならんのは分かるんだが、生憎とまだ、レフィアと合流出来ていない」


「レフィア殿、……ですか?」


 何とも不思議そうな顔でクスハが聞き返す。

 はぐれた経緯を一から説明するのも面倒だが、そんなに不思議な事だろうか。……いや、不思議な事か。好きでこうなった訳では無いが、こんな所まで一緒に来ておいて別行動とか、そりゃありえんわな、普通は。


「まさかアイツを一人、ここに残しておく訳にもいかんだろ。少し時間を取るが、迎えに行く」


「……はぁ」


 クスハがさらに困惑を深めたような顔で頷く。

 視線が泳いで何か別のものを見ている。


 その釈然としない様子を疑問に感じ、泳ぐ視線の先が何を見てるのかと振り返った。


 ……。


 ……。


「……レフィア?」


 視線の先。なぎ倒された木々枝々が無惨に散らばるその真っ只中に一人、こちらに背を向けて立つレフィアの姿があった。


「……魔王、様? ……あれ?」


 呆けたような間抜け顔で振り返る。


「お前、何で……。いつの間に」


 突然そこに現れた事に、思わず戸惑ってしまう。


「あれ? ……おぉっ? おおお? あら?」


 戸惑っているのはあちらも同じようで、辺りを見回しながら自分の足元とを見比べ、驚き困惑しているように見える。


 その様子が、あまりにもレフィアらしいと言うか、どこにいても何をしてても変わらない所に、自然とほっこりとしてしまう。


 ……とりあえず、無事でいるらしい。


「レフィアっ!」


「あっ、はいっ! ……って、あれ?」


 大声で再び名を呼び、側へと駆け寄る。

 レフィアも同じようにどこか嬉しそうな表情を浮かべて顔を上げ……。


 ……。


 ……。


 何故かそこで足踏みをした。


「……あれ?」


 その場から動かずに数歩足踏みした後、不思議そうな顔をして止まり、自分の足下をくるくると確かめはじめている。


「……何してんだ、お前は」


「え、だって。……おぉ? ……あれ?」


 更に困惑を深めながら、突然その場で飛び跳ね、転がり、奇妙な踊りをはじめながら、ついには泣きそうな顔へと変わる。


 マジで何やってんだ。……お前。


「……何で逃げるんですか」


 涙目になりながら睨み付けられた。

 そこで怒る意味が分からん。 


「……逃げるって何だ。お前こそさっきから動かずに何やってんだか。ほらっ、こっちへ……」


「あっ、はいっ!」


 相変わらず、何を考えてるのか分からないヤツだと思いながら手を差し出す。

 伸ばしてきた手を取ろうとして、互いの手が重なり、すれ違って突き抜ける。


「……なっ」


「……嘘っ!?」


 互いに手の平を起こし、掴もうとした指先を重ね合うが、そこに何の感触も感じられない。


「何これ……。魔王様の指がスカスカだ……」


「幻影……、なのか?」


 すぐさま賢者の所で見たレフィアの幻影を思い出す。あれと似たようなものだろうかと。

 レフィアが賢者の側にいるのであれば、これもまた、あのいけ好かない賢者の仕業であるのだろう。


「幻影……。すぐそこにいるみたいなのに……」


「多分賢者だろう、今どこにいる? すぐに迎えにいくから場所を教えるんだ」


「あっ、はい。……えっと、遺跡の最深部に、……いたハズ? 多分そうなんだと思います」


「遺跡……?」


 何の事だかさっぱり分からん。


 ……そういえば確か、リーンシェイドがレフィアを探してたんだっけか。馬鹿馬使って。


 確認の為にリーンシェイドに振り返り視線で尋ねると、意を汲んだのか、静かな肯定が返ってきた。居場所の把握は出来ているという事か。


「分かった。すぐ迎えに行く。少し厄介な事になってな、今すぐ魔王城へ戻らねばならなくなった」


「魔王城に、ですか?」


「王国連合軍がアリステアに侵攻をはじめたそうだ。女神教の奴らがアリステアに対して、対魔王協定を発動させやがったらしい」


「アリステアが……。魔王様っ!?」


 レフィアが息を飲み、その顔色が変わる。


「信じ難い事かもしれんが事実だ。アリステアが狙われている。すぐに戻って……」


「コノハナサクヤですっ! 光の女神が、アリステアを潰そうとしているんですっ!」


「光の女神が? 何だそれは」


「イワナガ様の所で光の女神に会いました。アレは違うっ! アイツは、他の人達がどうなろうと全く気にもしないんですっ! アイツだけはっ、アイツの思い通りになんか、しちゃ駄目なんですっ!」


「イワナガ……?」


 おい、待て。


 イワナガってそりゃ……。


 バッとセルアザムへと振り返る。

 緊張に表情を強張らせる老紳士が、ゆっくりと頷きを返すのに対して、思ってもみなかった事実を知る。


「闇の女神、……だったのか」


 途端、喉の奥に引っ掛かっていた疑問がスッと溶けていくような気がした。


 アイツが、……賢者が闇の女神だった。


 戦神の血筋を伝えるアスラ神族。


 その始祖は、闇の女神イワナガと戦神アスラを両親に生まれたのだと、伝承は語る。

 賢者に感じていた慈しみの正体を知る。


 ……なるほど、闘神闘気に詳しい訳だ。


「……光の女神が、アリステアを潰そうとしてるんだな」


 まっすぐに見据えるレフィアに確認を取る。


 見た事も会った事も無い相手ではあるが、その様子から、それが差し迫った事実であるのだろう事が伺える。


「はいっ! コノハナサクヤの狙いはこの世界に肉体を得て、降臨する事なんです。その為に魔の国や、魔の国に味方しようとするアリステアが、邪魔なんですっ!」


 光の女神、……コノハナサクヤか。


 まるでお伽噺のような話ではあるが、実際にあの賢者がイワナガなのだとすれば、話に信憑性も出てくる。


 イワナガとコノハナサクヤ。


 カグツチといい、光と闇の姉妹神といい、随分とスケールのでかい話になったもんだと思う。

 一体どこから、こんな事になってしまったのか。


 一度大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。


「……だから、助けろと?」


 レフィアの表情が強張る。


「この俺にアリステアを助けろと、お前は、そう言うんだな?」


 死者の行進にアリステア騎士団が飲み込まれそうになった時も、そうだった。コイツは、……レフィアは魔王であるこの俺に臆面も無く『人間を助けて欲しい』と、そう正面から頼み込んできた。


 あの時はベルアドネが機転を利かせて、上手い言い訳を用意してくれたが、……あの時とは、状況が違う。


「……お願いします。アリステアを助ける為に力を、貸してください」


 視線を逸らす事なく、まっすぐに見つめ返す瞳に揺るぎ無い意思を感じる。


 相変わらず直情的で、搦め手が苦手な所は変わらないまま。それでも、一度はっきりと断った事を再び、こうして面と向かって正面から頼み込んでくる位には、……少し変わったのかもしれない。


 変わっていくんだよな。

 ……俺も、レフィアも。


 昔のままでは、……いられない。

 

「前にも言ったと思うが、人族を守る責務など俺には無い。俺には俺の守るべき民がいる、守らなければならないヤツラがいるんだ」


「魔王様っ! けどっ……」


 更に言い募ろうとするレフィアを片手を上げて制する。


 あの時とは、状況が違うのだ。


「……だが、友人を助けに行く事を躊躇う薄情者も、俺の国には一人だっていやしない」


「……魔王様」


「アリステアは、決して潰させやしない」


「ありがとうございますっ!」


 不安と緊張の面持ちを吹き飛ばし、喜色を浮かべるレフィアに一つ、ゆっくりと頷きを返す。

 後ろに控える仲間達からも誰一人として、異論が出る事はない。


 当然だ。

 俺達は俺達として、誇りを持っている。


 敵として対峙していたあの時とは、状況が違う。

 友人として隣に立とうとしてる者達を見捨てる事など、誇りと名誉にかけても、俺達はしない。


 それに……。


「アリステアは俺の故郷でもある。お前と出会ったあの場所を、蹂躙などさせるものか」


 マリエル村での日々は、今でも俺の宝だ。

 そこに土足で踏み込んで荒そうとするヤツラを、許す訳にはいかない。


「……出会った? 私、……が、誰と……」


 困惑を深め訝しむレフィアの前で、銀仮面の止め金を外す。


「俺と、……お前がだ。忘れたのか?」


 いや、忘れてないのは知ってる。

 つい勢いで言ってしまった。すまん。


 素顔を晒した俺に対して、レフィアの目が、驚愕に大きく見開かれる。


 ……。


 ……。


 本当なら、もっと早くに伝えるべきだった。

 もっと早くに、打ち明けるべきだったのに。


 それをここまで引き摺ってしまったのは一重に、俺に勇気が足らなかった所為だ。踏み切るだけの覚悟が足らなかった。


 ……すまなかった。ごめん。


「俺だ、……マオリだ」


 言葉を失ない立ち尽くすレフィアに、ようやくにして、名と素顔を明かす。


 一番最初に阿呆な事を考えたばかりに、結局タイミングを逃したまま、こんな形になってしまったけど。


 随分と遠回りをしてしまったが、これで……。


 これでようやく、名を明かす事が出来た。


「……久しぶり、と言うのも何だかおかしいな。……すまん。間違い無く、俺だ。……マオリだ。本当の名はマオグリード・アスラという。……今まで黙っていて、すまなかった」


 名を明かした途端、どこか急に気恥ずかしくなって視線を逸らす。何となくいたたまれなくなって、つい鼻頭を指で掻いてしまう。


 ……うん。気恥ずかしいわ、これは。


 黙り込んでしまったのか、レフィアからの反応が無い。


 ……。


 ……。


 やべっ。


 言うタイミングを間違えたかっ!?


 そーっと横目で様子を伺うと、耳まで真っ赤にしたまま、すっかりと項垂れてしまっている。

 何だか身体が小刻みにプルプルと震えてるように見えるのは、……気の所為だろうか。


「……レフィ、ア?」


 どこか具合でも悪くしたのかと声をかけようとして、急にガバッと顔を上げたその勢いに、つい押し負けてしまう。


 ……。


 ……。


 あれ?


 何か、物凄い形相で睨まれてないか? これ。


 顔を耳まで真っ赤にして、目に涙をうっすらと浮かべながら全身をプルプルと震わせているレフィアが、射殺さんばかりの視線で睨み付けている気がする……。


 ……。


 ……。


 本能が危機を察する。


 これは、……ヤバい。


「このっ、バカァァァアアアアアーっ!」


 溜めに溜めた激情を爆発させるかのような怒声が、呆れの籠った雰囲気の中に響き渡った。


 ……。


 ……。


 うん。


 どうやら俺は、何かを失敗したらしい。

 これはちょっと……、ヤバい気がする。


 





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