♯164 約束



「信っじらんないっ! ありえないっ!」


 魔王様がマオリだった。


 ……何っそれ!?


 頭がぐるぐる混乱する。

 視界も回る意識も回る世界が回る。

 あっちもそっちもこっちはどっちだ。


 ……。


 ……。


 ……マオリさんって誰だっけ。


 違う、私の幼馴染だ。

 いや、違わない。……どっちだ。


 下半身丸出しで櫓から落ちたヤツ。

 私を見捨てて逃げたヤツ。


 半分ずつだって言っておいたのに、私もよりも2つも多く砂糖菓子食いやがったアイツ。

 妹のルルリやロロラには花の草冠作ったのに、私には作ってくれなくて、問い詰めたらしらばっくれたアイツ。


 魔王様が、……マオリ?


 あのマオリが……、魔王様?


 あの、顔立ちは人形のように整っていたけど、傲慢で不遜でいっつも生意気で、一つ年下のクセに何かにつけて勝負を挑んできては負けて泣いてた、あのマオリ?


 ……。


 ……。


 嘘、……でしょ。


 堪えきれずに涙が滲んでくる。

 この涙は、しっちゃかめっちゃかに混乱する感情の中の、一体どの部分から滲み出して来たものなのか。


 魔王様が目の前で仮面を外した。

 今までどんな時だって外さなかったのに。


 私の目の前で、素顔を見せてくれた。


 このまま素顔も知らないで嫁いでいくのかと少し不安もあったから、それはそれで少し嬉しい部分もあったのだけど……。


 その素顔は、あの時見た姿、そのままだった。

 いつかのデートの時に見た、成長したマオリに、そっくりそのままな姿……。


 ……。


 ……。


 っていうか、……マオリなの?


 ……本当に?


「……本当の本当に、マオリ、……なの?」


「……ああ」


 震える声に、短い肯定が返ってくる。

 知らず、思い出が溢れる。


「七歳までおねしょしてた、あのマオリなの?」


「……六歳だ」


「干したジジの実を齧って歯が欠けた」


「……欠けたんじゃない、抜けたんだ」


「猪を捕る為の落とし穴を掘って、掘りすぎて、穴から出られなくなって泣き出してた」


「……よく覚えてたな、それ」


「干し肉だと思って馬具の革ベルトを……」


「いやっ、あるだろ他にもっ! 何でそんな事ばっかり覚えてんだお前はっ! 嫌がらせかっ! いじめてんだろっ絶対っ!」


 ……。


 ……。


 マオリだ。


 本当の本当に、……マオリだ。


 本当の本当の本当に、マオリなんだ。


 あの日、突然いなくなってしまった。

 会いたくて会いたくて、会いたくてしかたなかった、大切な幼馴染の、……マオリなんだ。


 嬉しいやら悔しいやら、何だか訳の分からないものがどんどん込み上げてきて、目頭から溢れて頬を伝う。

 鼻の頭が熱くなってくるのを、握り拳を作って必死に押さえる。……でもなきゃ鼻からも溢れてきそう。というか溢れて来ているのを必死に隠す。


「ばぁがぁっ! な゛んでぼっどはやく言わないの゛よっ!」


 ……何語だこれ。


「……すまなかった」


 申し訳なさそうに、マオリが視線を逸らす。


 昔の面影をどこか残しながらも、随分と大人びてしまったと思わさせられる。女の子みたいに綺麗だった容姿はより男らしくなって、ほんのり色気も出ている気もする。


 ……変わったんだね。

 知らない所で、勝手に大人びてしまっている。


 私の知らないマオリ。

 私の知っている、……マオリ。


「どれだけ……、どれだけな゛やんだどおぼってんのっ!」


 ……ヤバい。鼻が詰まる。


「……すまん」


「やだっ! ぜっだい゛許ざないっ!」


「……すまん」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が恥ずかしくて、袖口で乱暴に拭う。

 拭っても拭っても、後から後から溢れ出てきて止まらないので、止まるまで何度も何度も、嗚咽を堪えながら拭い続ける。


 袖口がぐちゃぐちゃになるまで拭い続けてる間、マオリはじっと、申し訳なさそうにその様子を眺め続けていた。


 ……。


 ……。


 見るなバカ。


 ツンと顔を上げて、息を吸い込む。

 感極まっていたのが、少し落ち着けたようにも思う。


 胸に手を当ててゆっくりと呼吸を繰り返して、マオリを正面に見据えた。


「……絶対に許さない。だからお願い。婚約も一度、取り消して」


 はっきりゆっくりと、そう告げる。


 これは私のワガママだ。

 それは何よりしっかり自覚もしてる。


 けど、譲りたくないものだってある。

 ごめんね、このワガママだけは譲れない。


「……そうか。……そう、だよな。……ごめん」


「マオリ」


 寂しげな表情で、どこか諦めたように微笑む。

 そんなマオリに一言を伝える為に呼び掛ける。


 どうしても、……どうしても伝えたい一言を。


 そうじゃない。

 そうじゃなくってさ……。


 分かれバカッ。


 ……。


 ……。


「……好きだよ。大好き」


「……レフィ、ア」


「マオリの事が、大好き」


 だって仕方ないじゃん。

 自覚しちゃったんだもん。

 もう自分の中で強く、自覚してしまった。


 私は、マオリが好き。


「だからお願い。ちゃんと、言って欲しい。ちゃんとマオリとしてもう一度、マオリの気持ちを言って欲しいの」


 このワガママだけは、譲りたくない。

 ちゃんとマオリとして、マオリの言葉で言って欲しい。


「レフィア、俺はっお前がっ……!」


「ちっがぁあああーうっ! ストーップっ!」


 逸るマオリに静止をかける。

 焦り過ぎだよまったく。

 こっちだって顔真っ赤にして、いっぱいいっぱいだってのに。


 焦るな逸るな気を急くな。


「違うって、今、もう一度言えって……」


「うん。もう一度言って欲しい、マオリの気持ちをもう一度ちゃんと、聞かせて欲しい。……でもそれはきっと、今じゃない。今はそれよりもっと、大事な事がある。……そうでしょ?」


 私だって今すぐ聞きたい。

 今すぐ、マオリに抱きつきたい。


 ……でも、駄目だ。

 その前にしなくちゃいけない事がある。

 止めなきゃいけないヤツがいるんだ。


「……だからお願い。今やらなきゃいけない事を先に」


「……分かった」


 マオリの表情が引き締まる。

 目の前にある問題を、見ない振りは出来ない。

 大事なものを間違えては、いけない。


 マオリの表情が、懐かしい幼馴染のそれから、魔王様のそれへと変わる。


 ……一瞬、見惚れてしまいそうなった事は、多分一生、誰にも言わない。悔しいから。


「レフィア、俺の気持ちは変わらない。今までもこれからも、ずっとだ。……それだけは、言わせてくれ」


「うん」


「すぐに魔王城に戻る。迎えに行くからそこで待ってろ」


「駄目っ!」


 指示を出そうとするマオリに、待ったをかける。

 それは、駄目。それじゃあ、駄目なの。


「私の事はいいから、マオリ達は先に魔王城へ戻って、お願い」


「バカっ、お前をここに置いて行ける訳ないだろっ!」


「もう時間に余裕は無いんでしょ? だったら先に戻って。私なら自力で何とかするから、大丈夫。それに、私はまだここで、しなきゃいけない事が残ってるの」


「……お前、自力でって」


「お願い、マオリ。大事な事を取り違えないで。今大事なのは、私とマオリが一緒にいる事じゃない」


 強い思いをこめて、願いを口にする。

 

 間違えては、駄目だ。

 今ここで遺跡の奥まで迎えになんて来てしまったら、それだけ対応が遅れてしまう。……ただでさえ後手に回ってしまっているのだから、今はその時間さえ、惜しい。


 それに私は、まだ行けない。

 まだここで、やらなければいけない事が、残っている。


 ……だから、一緒に行く訳にはいかない。


「……頑固者」


 少しの間ためらい、マオリはそっと、そうこぼした。


「こういう時は絶対譲らないのな、お前」


 ねめつけるように微笑む姿に、安堵を覚える。

 ここでそういう顔をされると、……少し照れる。


「うん。意地でも譲らない」


「分かった。今度こそ約束する。今度こそ必ず、お前を迎えに来る。絶対にお前を迎えに来るから、待っていてくれないか」


「嫌っ!」


「……ありがとう。必ず迎えに、って、おいっ!」


「イ・ヤ・だっ!」


「おまっ! 空気読めっ!」


「空気? そんなもんっ、吸って吐いて終わりじゃないっ、気にしたら負けだよ?」


「ここは素直に頷いて、必ず待ってるとか何とか、涙ながらに言う場面だろっ」


「その約束はしたくないっ、待ってるなんて、真っ平ごめんっ! きっぱりすっぱりお断りっ!」


「バカっ、だから今はそれ処じゃっ……」


 更に言い募ろうとするマオリを、じっと見つめる。

 様子が変わった事を不審に思ったのか、その視線を受けて、マオリもまた、言いかけていた何かを飲み込んで押し黙った。


 ……うん。マオリはマオリだ。

 でも、もう、それだけじゃない。


 それだけでは、いられない。


 ……だって。


「……だってマオリはもう、魔王様なんだよ?」


 自分の口から放たれた言葉が、自分の胸に深くつきささる。


 マオリはマオリだけど、もうそれだけじゃない。

 それは、……ちゃんと分かってる。


 ちゃんとそのつもりで、いる。

 だから、……大丈夫。


 ちゃんと言わなきゃ、駄目だ。


「もう私だけのマオリじゃないもの。私だけに振り返ったりしてたら駄目だよ。大勢の人達の希望や未来を、いっぱい背負ってるんでしょ? ……だからマオリは振り返ったりしないで、まっすぐに前を見て、自分のやるべき事に全力でいて欲しい」


「……レフィア、お前」


「だから今度は、私が約束する。そんなマオリの背中を追いかけて、必ず追い付いてみせるから。例えどこで何をしてたって、必ず追い付いてみせるからっ」


 泣きたい。

 でも、泣いちゃ駄目だ。


 本当は迎えに来て欲しい。

 私だけを見て、私だけを求めて欲しい。


 私だけのマオリでいて欲しい。

 いつでも隣りにいて欲しい。


「……だから、だから今度は、マオリが私を、待っていて欲しい。振り返ったりしないで、まっすぐ前を見て、……進んでいて欲しい」


 笑え。


 胸を張るんだ。


「……そんでもって、追い付いた時、そこでまたもしマゴマゴしてたりしたらドーンっと、背中をはたいて押して上げるからっ、……思いっきり、押してあげるから」


 だから、泣いたら駄目だ。

 ここで泣いたら、絶対甘えてしまうから。


 そうしたら絶対、足手まといになってしまう。

 そんなのは絶対、私が私を許せない。


 だから、……だから。


「だからどうか、お願いします。……。私の大事な家族と、かけがえのない友人達をどうか、……お願いします」


 ……。


 ……。


 言えた。


 最後までちゃんと言えた。

 泣かずに最後まで、ちゃんと言いきる事が出来た。


 胸を張って前を見て、ちゃんと言えた。


 不意に、マオリの影が重なる。


 あまりに突然の事に意表を突かれ、反応する事が出来なかった。


 マオリの影が重なり、優しげな表情がすぐ側にまで迫る。サラサラな前髪が目の前で流れる。

 どこかあどけなさの残る瞳が閉じられ、長い睫毛が端正な顔立ちの中で際立って見えた。


 唇がそっと重ね合わさる。


 幻影越しに唇がそっと、重ね合わさった。


 そこには何の感触も残さないけれど、温もりも重みも、何も感じる事は無いけれど。


 だからこそ、そっと、純粋な思いだけを残して、マオリの影が離れていく。


「……大丈夫だ。まかせろ」


 突然の行為に言葉を失くす私に、マオリはただひたすらに穏やかで、優しげな囁きを残していった。





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