#162 炎立つ巨人(魔王の憂鬱20)



「……マジでか。何なんだコイツは」


 遥か頭上を見上げて息を飲む。

 見上げる先には山のような巨人がいた。


 文字通り天を貫いてやがる。

 冗談も程々にしやがれ。


 切り立った断崖絶壁にしか見えない。

 あり得ない程に太い両足でもって立ち上がる姿は、ガキの頃に見た悪夢によく似てる。


 その足下から広い範囲に渡って、木々枝々が焼ける黒煙が勢い良く立ち昇る。


 ……立ってるだけで大惨事だな、ありゃ。


 その黒煙がはるか上空へとたなびき、低くたれこめた黒雲と同化していくよりもさらに上を見上げても、その上端が把握出来ない。


 更にはその足よりも太いの二本の腕が、雲を貫いて地面へと垂れ下がっている。


 いい加減、見上げ疲れて首が痛い。


 炎の大蛇の身体から飛び出てきた七本の頭。

 そいつをセルアザムと協力して吹き飛ばした途端、炎の大蛇が急に膨れ上がり、あっという間に変貌をとげ、目の前の巨人になっちまいやがった。


 とりあえず、何が何だかさっぱり分からん。

 分かるのはただ、ひたすら面倒な事になってやがるって事だけなのかもしれない。


 ……。


 炎の巨人。


 ふと古い神話が頭に浮かぶ。

 神話に語られる古き神々の一柱。


 光と闇の姉妹神に味方した戦神アスラが戦ったという、炎の禍神。……カグツチ。

 その姿は、不死たる炎の巨人だと伝えられるらしいが……。


 まさかという思いを込めつつ、そぉーっとセルアザムに視線で尋ねると、博識な老紳士は神妙な顔付きで一つ、深々と頷きを返した。


 ……。


 ……。


 マジかよ。


 大気が、鳴動する。


 巨人が微かに身動ぎを起こすそのたびに、突風が吹き荒れ、地面が揺れ動く。


 ……ちっ。

 身動ぎするだけでこれかっ。


「……リーンシェイド達はっ!?」


「ル・ゴーシュ殿が」


 吹き荒れる暴風に耐えながら確認すると、リーンシェイドとベルアドネは筋肉エルフの結界の中に退避していた。いつの間にか、遅れて来たカーライルもちゃっかりそこにいる。


 ……要領のいい奴だよな、本当。


 だがあの結界内なら、まず大丈夫だろう。

 後方の安全を確認し、迫る巨人に向き直る。


 荒れ狂う暴風に対して立ち並ぶのは、俺とセルアザム、……と馬鹿馬。


 ……。


 ……。


 ……おい、何でお前がそこにいる。


「ぶるっひひーん」


 半眼でねめつけた視線を受け、鼻面を上げ、馬鹿馬が低く嘶く。その姿がどこか憎めず、不思議な可笑しさが込み上げてきた。


 ……。


 男の意地ってか。

 どこまで負けず嫌いなんだか。


「馬にしとくのは惜しいな、お前。……意地を張るなら、最後まで張り通せよ馬鹿馬」


「ばふっふーっ!」


 巨人がその巨躯を傾け、ゆっくりと豪腕を振り上げた。

 ……ただそれだけの事で、更に地面が大きく揺れ、大気が悲鳴をあげて乱暴に渦巻く。


 吹き飛ばされないようにしっかりと低く腰を落とし、闘神闘気を身体の奥深くに纏わせる。

 自身の身体の奥の奥。魔力の根源たる自らの魂の器をより深く意識して、その器を満たす魔力を闘神闘気へと変換していく。


 滾る力が沸き上がる。

 これが、存在の力。


 魔力とはまた違う、この世界に対して頑固なまでに在り続けようとする、絶対の力。根源たる波動。


 この力こそが真意。

 アスラ神族が受け継ぐ、戦神の血筋。


 山が、動いた。


 呆れる程のでかさを誇る巨腕がゆっくりと、圧倒的な圧迫感をともなって振り下ろされる。


 嵐のように大気が荒れ狂い、軋みをあげるその中にあって、静かに、全身を闘気に満たしていく。


 迫る巨人に向けて、渾身の力を込めて剣を逆袈裟に振り抜く。


 刹那の静寂が訪れる。


 振り抜いた剣の軌跡が亀裂となって走る。


 直後、耳をつんざくような轟音とともに渦巻く大気が軌跡を境に二つに分かれ、衝撃が走り抜けた。


「……ぐぅっ!? くそっ!」


 凄まじい反動に吹き飛ばされそうになるのを、歯を食い縛って何とか堪えきる。

 反動は波紋を作り、周囲の地面をごっそりと抉り取っていく。その上、強引に引き裂かれた大気が行き場を無くし、手当たり次第に吹き乱れ、牙を剥く。


 遠雷にも似た音を響かせ、はるか頭上で巨人の腕が派手に吹き飛んだ。


 低くたれこめた黒雲を吹き飛ばし、差し込む陽光に照らされる巨人の巨躯が傾いていた。


 手応えは、……ありだな。


「セルアザム。とりあえず手をだすな」


 隣に佇む老紳士に釘を差しておく。


「戦神はあれを倒したんだろ? だったらやってやるさ。……試させろ」


「かしこまりました」


 覚えたての力だ。

 まだ使いこなすには程遠い。


 体勢を整え、さらに構えを深く取る。

 見れば当然のように、巨人は吹き飛ばされた腕を高くかかげながら再生を始めている。


 さらに力を込めて剣撃を飛ばす。


 振り抜く衝撃で巨人の身体を削り取る。

 反動を堪え、制御を密に。


 不死だろうが何だろうが関係ない。

 力と力の勝負で叩き潰してやる。


 一振り、二振りと剣撃を重ねていく。

 振り抜くたびに強すぎる反動に動きを止めていたんじゃ身が持たない。大きすぎる力を制御しきる為にも、意識を集中させ、目の前の獲物を見据え続ける。


 振り抜くたびに巨人は削られ、そしてすぐさま、破裂したかのような勢いで再生していく。


 ……それで、いい。

 頼むから簡単にくたばってはくれるな。


 力の流れを意識して、更に攻撃を重ねていく。


 反動がでかいのは力が逃げているからだ。

 大きすぎる力をまともに抑えきれていない。

 自身の力に振り回されている、その証拠。


 力を細く。制御をより密に。

 針よりも鋭く。一点をただ、穿つように。


 振り抜くたびに反動を少しずつ抑えていき、凝縮された力の塊を鋭く叩きつけ、吹き飛ばす。


 まだだ。


 まだこんなもんじゃない。


 まだ足りない。

 ……もっと、もっとだっ。


「っずぉりゃぁぁぁあああああーっ!」


 腰を落として回転を早める。

 次第に攻撃と攻撃の間隔を早め、振り放つ衝撃を更に加速させ、連撃を重ねていく。


 炎の巨人が再生するよりも早く、その巨体を削り、崩していく。


 もっと、もっと早く。


「まだまだぁぁぁあああああーっ!」


 更に連撃を重ね、巨人の上半身がほとんどその形を維持しきれなくなってきた頃、変化は唐突に現れた。


「はぁ、はぁ、……何だ、ありゃ」


 手を止め、その変化の様子を観察する。


 放った剣撃に削られた箇所から、様子の違う炎が吹き上がっているように見える。巨体を組み上げる紅蓮の炎とは様子の違う、……青い炎だ。


 身体の至る所から次々と青い炎が吹き上がり、炎の巨人の巨躯を侵食していくかのように見える。


 青い炎に身体を蝕まれ、巨人が崩れていく。


 ぽつりぽつりと灯った青い炎が瞬く間に、巨人の身体全体に広がり、蝕んでいく。


 いつの間にか黒雲はすっかりと吹き飛ばされてしまい、雲一つ無い青空の下、巨人の身体は蝕まれた青い炎によって燃え尽き、炎の余韻を残して、崩れさってしまった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 その様子を呆然と眺めながら、荒れた息を調える。


 さすがに、……少し疲れた。


「……陛下。お見事にございます」


 進み出るセルアザムに振り向き、一つ首を横に振る。


「……違うだろ、あれは俺じゃない。あれはもっとこう、……違う何かだ。……俺じゃ、ないだろ」


「違う何か……、でございますか?」


 青空の中に吸い込まれていく炎の残滓を見上げ、高揚した気持ちを落ち着かせる。


「……はは、……様?」


 ル・ゴーシュの結界が解かれ、隣りへ進み出てきたリーンシェイドが一言、ぽつりと呟いた。


「……どうした。何を、泣いている」


 見れば、空の彼方へと消えていく炎の残滓を見送るリーンシェイドの頬に、涙の跡があった。


 自身でもその事に気づいていなかったのか、指摘に頬に手を当て、驚きを隠せないでいる。


「分かりません。……分かりませんが、どこか、はは様を近くに感じたような、……そんな気がしました」


「……リンフィレットか」


 リーンシェイド達の生母、リンフィレット。

 リーンシェイドと同じ姫夜叉にして、魔の国においても並ぶ者のいない程の槍の名手だったとそう、セルアザムから聞いた事がある。


 魔の国を復興する為にマリエル村を後にした時、スンラより逃れて人の世界にいるハズのその力を得ようと探しはしたものの、すでに人の手により討たれた後だった。


 鈴森御前。


 人の世界で聞いたあの話がそのリンフィレットの事だと、その時はじめてセルアザムから聞かされた。


 あの青い炎が何だったのかは分からない。

 分からないが……。


「なら多分、そうなんじゃないのか」


「……陛下」


「命は死しても思いは残る。お前がそう感じたんなら、多分きっと、そうなんだろ。きっと近くに、あるんだろうな」


「……はい」


 ……。


 ……。


 柄にも無い事を言ってしまった気がする。

 恥ずかしくてちょっと振り向けないが、後悔はしていない。


 リーンシェイドの涙まじりの返事を背中に聞きながら、青空の彼方へ消えていく青い炎をそっと、見送る。


 いくらか興奮も落ち着き剣を鞘に戻した時、周りに突然、空気の繋がる感覚を覚えた。


「陛下っ! 聞こえとりやーすかっ!?」


 身構えた瞬間、シキの慌てたような大声が辺りに響いた。


「……シキ?」


 新しく渡された銀仮面に触れる。

 やっぱりというか何というか……。

 この仮面にも通信機能がついてたのか。


「いきなりどうした」


「落ち着いて聞きやーせな。ちと、えらい事が起きとるがね、至急魔王城へ戻りやーせな」


 珍しく慌てた様子に、嫌な予感が胸を過る。


「……何があった」


「人間達の間に王国連合軍が結成され、進軍をはじめやーした。対魔王協定が発動されたんだがねっ」


「王国、……連合軍? ……どういう事だ」


 魔王軍の人族の世界への侵攻に備え、国の枠組みを越えて互いに協力する為の協定、その、連合軍。

 その協定が発動されぬよう、敢えて人族の世界には関わらないようにと注意を払って来たというのに。


 何故今、それが……。


「人族が魔の国に侵攻をはじめたのか? ……アリステアはどうしてる、アリステア聖教国も、聖女と勇者もまさかその協定を受けたのか?」


「そのアリステアだがねっ! 連合軍の標的は魔の国でねぇ、アリステアがその、討伐の対象に上げられとるんだがねっ!」


「……どういう事だ? さっぱり意味が」


「ラダレストが中心になってアリステアを人族の裏切り者と糾弾しやっせた。魔の国と距離を縮めようとしたアリステアを討伐する為に、対魔王協定が発動されたんだがねっ」


 アリステアに対して協定を発動?

 ありえない報告に、腹立たしさが募る。


「……ふざっけるなっ、何だそれはっ!? 法主は!? 聖女と勇者はどうした? それを黙って見過ごしたのかっ!?」


「……聖女はラダレストに拘束されとりやーす。法主は聖都にて防衛戦の構えを取る様子」


「拘束だと? ……待て、勇者はどうした? 聖女が拘束されるのを、アイツが黙ってる訳が無いだろうっ! 勇者はどうしたんだっ!」


 そんな理不尽な状況に対して、アイツが黙って耐える訳が無い。あれでも勇者だ、そんじょそこいらの人間じゃ束になったって敵わないだろうに。それは、実際に剣を交えたからこそ分かる。アイツは決して弱くない。


 アイツは、俺が認めたヤツだぞ……。


 けれど続くシキからの報告は、事態が想定外の様相を示している事を告げる。


「勇者ユーシスは、……所在も生死も不明だがね。連絡役として同行させたアスタスとも、連絡が途絶えたっきりになっとらっせやーす」


「……一体、何があったんだ」


 得体の知れない不気味な何かを感じて、ただ憤りだけが、胸中を黒く染め上げていた。





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