♯152 光と闇の姉妹神



 最果ての森の最深部。

 ほのかな光に照される中、光の女神と三人。


 張りつめた重苦しい雰囲気の中、今にもパキリと、空間がひび割れる音が耳に聞こえてきそう。


 パキリ。


 ……聞こえてんじゃん。


 光の女神の後ろの空間に、大きな亀裂が入る。

 岩壁や地面にじゃない。まるで騙し絵でも見せられているかのように、空間そのものもに亀裂が走っている。


 空間にひびが入るとか。

 理解の範疇を軽く超えてる。


 いい加減、現実離れした光景にも慣れてもいい頃だろうに、やっぱり何かついて行けない。

 一体何をどうすれば、空間に亀裂なんてもんが入るのか。


 ……考えるだけ無駄な気もしてきた。


 でも、そんな風にあれこれ考えでもしていないと、頭の中まで畏怖一色に染められてしまいそうで怖い。


 すくんで、今にもその場にしゃがみ込みそうになる身体にぐっと力をいれ、黙ったままこちらにずっと微笑んでいる光の女神、コノハナサクヤを真正面に向き合う。


 その圧倒的な存在感と得も言えぬ迫力がとても怖いです。マジで。


「一体何をしに来たのかと問うべきか? 招いた覚えも無いのだが」


 身動きの取れない緊張感の中、イワナガ様が冷たく言い放つ。目の前のたおやかな微笑みの中にほんの一瞬だけ、無機質で冷たい感情が過った。


 その変わりようにゾッとしたものを感じるけど、瞬きする間にも再び、儚げな微笑みで表情を繕っていた。


 二人の関係がよく分かった気がする。


 光の女神の視線が私から外れ、脇へとズレた。


「……埃と苔むした臭い。狭く重苦しくて、うす暗くて。本当に、お似合いだ事」


 絹ずれの音を残して、光の女神がゆっくりと進み出る。

 視線は周りの岩壁を蔑み眺めているようではあるけど、何だか、まっすぐこちらに近づいて来ているようにも思う。


 ……ってか、こっちに来てる。


 こっち来んな。お願いだから。

 足がすくんで動けないんだってば。


「……器の娘では無いな。もう一人のラダレストから来た娘の方か。随分と手の込んだ事をする」


 確認をするかのようなイワナガ様の物言いに、ひっかかりを感じる。


 器の娘って私だよね?


 もう一人のラダレストから来た娘って、もしかしてもしかしなくても、オルオレーナさんの事だろうか。


 オルオレーナさんが、……どうしたの?


「ふふっ。こんな空間まで作ってこそこそ隠れながら、相も変わらず悪巧み。……本当に、目障りで仕方の無い事」


 多分イワナガ様に向かって言ってるんだろうけど、さっきから一度も視線をそちらへは移さず、ゆっくりと私の方へと近づいてくる光の女神。


 あどけなさの残る美貌の中に、ゾッとする程の凄惨な笑みを浮かべながら。


 ……だから怖いってば、それ。


 すぅーっと差し出したしなやかな指先が、私の片頬に触れる。緊張で動く事も出来ず、頬に触れた指先からひんやりとしたものを感じる。


「それでもこうして直接会えたのだから、それも悪い事ばかりではないのかもしれないわね。……これほどまでに美しく成長しようとは、夢にも思ってなかったもの。こればかりは、嬉しい誤算というもの」


 耳に愛しい声音とともに、指先がそっと輪廓をなぞっていく。頬から顎へ、首筋を通って肩から腕の方へと。


 正直とても良い気分とは言えないけど、褒めてくれているようなのでこそっとお礼を言っておく。

 あくまで心の中だけで。


 ありがとう。

 とりあえず触らないで欲しい。


 嫌悪感とでも言うのだろうか。

 こんな美人さんに間近に迫られているというのに、不思議とさっきから悪寒が全身を苛む。


「……どういう、事なんですか」


 更にぐっと腹の底に力をこめて、かかる圧力に屈伏しないように歯を食い縛る。


「光の女神様、……ですよね。ちょうど直接、聞きたい事があったんです」


 どうにか声色を震わす事無く言えた。


 ふわりとした印象のまま、その微笑みが私に向けられる。肯定もしないけど否定もしない。その様子こそが肯定の返答であると言う事なんだろうけど。


 一見優しそうに見える微笑みが、どこまでもそら恐ろしく見える。……瞳の奥が笑っていないからだ。


 見てるようで見ていない。

 微笑んでいるようで、きっと何も、見ていない。


 その虚ろな感情を目の当たりにすると、まるで奈落の底を覗き込んでいるような不安さえ感じる。


「カグツチとは、何ですか? オルオレーナさんにカグツチを復活させて、何をさせようとしてるんですか?」


「……何も」


 表情を微かにもかえず、指先に残る感触の余韻にふける。恍惚とした表情で指先をこすり合わせると、つまらないものを切り捨てるかのように言い捨てた。

 

「カグツチとは生体核を用いたただの魔術具。そこそこ破壊的ではあるけれど、所詮はその程度のもの。特に何も考えてはないかしら」


 ……。


 ……。


 ……あれ?


「……いや、だって。……あれ? 光の女神様がオルオレーナさんに直接、カグツチの封印を解くように指示したんじゃ……、無いんですか?」


「ふふっ。そうね。確かにあの娘には、カグツチの封印を解くようには伝えたわ。でもそれは別に、カグツチを欲しての事では無いの」


 古き神々の遺産であるカグツチ。

 その封印を解く事によって、何かをするのだと思ってた。


 なのにそれを、……否定されてしまった?


 あれ?


 小さく含み笑いを残して、光の女神が真横を通り過ぎる。近くにいるととてもプレッシャーを感じるので、出来ればそのまま離れていって欲しいんだけど……。


 懇願虚しく、くるっと向きをかえて反対側の肩の方から再び、光の女神が絡み付くように寄ってくる。


 ……だから近いんだってば。


「この空間がどういう場所だか知っていて?」


 耳元で囁かれる声に否定を返す。

 ……出来れば、肩を指先でなぞるのを止めて欲しい。


「この場所では肉体はその意味を失い、魂が仮初めの姿を保つの。精神世界と物質世界の。間の空間」


 肉体が意味を失い、魂が仮初めの……。


 ……。


 ……。


 ……つまり?


「ここは肉体無きものが、仮初めの姿を得る事の出来る場所。逆に、肉体に魂が縛り付けられている者であれば、この空間では指先一つとして、動かせはしないでしょう」


「肉体と魂の、……間の空間」


 説明を受けて一つ、納得もする。


 ここがどういう場所なのか、何故魔力に意識を委ねるように内部の自分を強く認識すると、それだけで動けるようになるのか。


 もちろん原理や理屈はさっぱり分かんない。

 けど、ここがそういう所であるという事だけはすんなりと受け入れる事が出来た。


 なるほどなるほど。


「肉体も力も失ったというのに、わざわざこんな空間まで作って仮初めの身体でこそこそと。本当に、目障りな事。そもそもがこの空間を特定する事が出来れば、それで良かったの」


 肉体も力も失って? ……誰が?

 イワナガ様が?


 仮初めの身体?


「必ずカグツチの封印の側にいる。思った通りだった。おかげでこうして、直接ここを潰しにもこれた。更に言えばレフィア。あなたにもこうして直接会いたかったのよ? だからあの娘に、あなたをここへ一緒に連れて来るようにも言ったわ。良く働いてくれたご褒美に、そう……、カグツチをあの娘に上げる位はいいかしら」


「……多分、いらないと思います」


 そんな得体の知れない破壊道具を、オルオレーナさんが欲するとも思えない。


 何がそんなに面白いのか、私の返事を聞いた光の女神は嗜虐的に口元を歪ませた。


「そうかしら? 神託を伝える事の無い教皇。そんな姉の権威を支える為にも、あの娘はきっと、欲しがるのではなくて?」


 どこか他人事のように言うその様子に、違和感を覚える。


 ……おい。ちょっと待って。

 何、それ。


「……貴女の言う通りにすれば、また教皇さんに神託を伝えるようにするんじゃ……、ないんですか?」


「ふふふっ、おかしな娘ね。私に逆らった子を、そんな事で許すとでも思って?」


 光の女神はそう言うと、可憐な花を思わせる無邪気な笑顔に、さらに深く嗜虐的な香りを含ませる。


「許すものですか。あの教皇には、私に逆らった事を死ぬまで後悔させて、いつまでも苦しんでいて貰わないと。すぐには殺さないし、教皇を辞めさせもしない。だってそれでは私の気がすまないんですもの。ふふっ」


「……それじゃあ、オルオレーナさんは何の為にっ」


「私の為よ。決まってるじゃない」


 迷う事なく即答する光の女神に、言葉を失う。


 何だ……、これ。

 何なんだ、コイツ。


 これが光の女神?

 こんなのが、本当に?


 だってそれじゃあ、オルオレーナさんは何の為にあんな事をしてまで、コイツの指示に従ったのか。


 許さない?

 自分の言う事に逆らったから?


 だからリディア教皇を苦しめる?

 そんな子供じみた理由でいたぶって、苦しむ姿を見て自分の気を晴らしたいから?


 こんなのが、光の女神。

 こんなのが……。


「あの娘にカグツチを扱えるとは思えん。……死ぬぞ」


 イワナガ様が険を含ませて、呟いた。


 ……死ぬ?


「カグツチの生体核として何故あの娘を選んだのかは知らんが、あの娘では情念が弱すぎる。あれではカグツチを制御する間もなく、妄執の炎に焼き尽くされるのが目に見えておる」


「オルオレーナさんが、……死ぬ? なんで……」


「ふふっ。一体それの、何が悪いのかしら。あの娘は死ぬ。この空間は無くなる。何の問題も無いじゃない」


「なんでっ!? オルオレーナさんは貴女の言う通りに動いていたんでしょ? 指示にちゃんと従ったのに、なのにっ、なんでっ!?」


 訳が分からない。

 自分に逆らったリディア教皇は許さない。

 素直に従い続けたオルオレーナさんも助けない。


 それを、屈託の無い笑顔で肯定する光の女神。


 ……なんで、そんな。


「花は枯れてこそ、実を結ぶ」


 岩壁の際に生える赤いユリに指先をなぞらせる。

 愛しそうに言うその姿はとても美しいもののように見える。それが美しく見えるからこそ逆に、どこかそら恐ろしいものを感じずにはいられなかった。


「結んだ実は種を残して繁栄を享受する」


 光の女神がそっとなぞると、指先の触れた箇所から赤い花が茶色く淀み、……枯れていく。


「花は枯れ、人は死ぬもの。それでいてこそ、美しくもあり、愛しくもある」


 振り向く表情はどこまでも優しげで、吸い込まれそうに美しく……。だからこそ、吐き気のする程に気味が悪いとさえ思えた。


「なのにこんな所でみっともなく、仮初めの身体を用意してまで惨めに隠れ潜んだりして。……今度は決して邪魔はさせない。もうあの時のようには、させやしない」


 それまでとは一変して、光の女神が憎々しい感情を顕にして空間を睨み付ける。

 睨み付けた空間に再び、大きな亀裂が走った。


「邪魔をした覚えなど無いがな」


「……黙れ」


 取って付けたような微笑みを崩さぬまま、イワナガ様の言葉に対して険を含ませる光の女神。


 空間を歪ませるかのような圧力が花びらをともなってイワナガ様へと向けられた。イワナガ様はそれを微動だにする事なく、魔力のようなものを当てて弾き返す。


 震動で洞窟内が大きく揺れる。

 空間に走った亀裂がさらに大きく広がる。


「アリシアはようやく見つけた器だった。まさか人でありながら、あのような器を持つ者が現れようなど夢にも思わなかった。それをようやくにして手に入れたというのに、お前が邪魔をしたのでしょう? よくもぬけぬけと」


 ……アリシア。初代聖女様の事だ。


 憎々しく吐き捨てる光の女神だけど、やっぱりイワナガ様の事を見ようともしない。……何とかいうか、意地でも見てやらないという風にも見える。


「邪魔などしておらぬよ。お前を拒絶したのはあの娘の意思によるもの。あの娘は彼の者を助けるが為、自らの意思でお前を拒絶したのだ。何故それを認めぬ。他者を想う気持ちは時として、神々の力をも超える。お前とて、それはよく分かっている事であろう」


「世迷い言を。アリシアはあの時、悪魔王を倒すが為に私を受け入れた。私に力を求めたの。そのアリシアが、自分の意思で私を拒絶するハズも無い。下らない妄言でしらを切るのはみっともなくてよ?」


 ……ん?


 ……あれ?


 二人の話す内容にどこか違和感を感じる。

 拒絶やら悪魔王を助けるやら。


 初代聖女様って、悪魔王を倒す為に光の女神の降臨を受けて、降臨に魂の器が耐えきれず、塩の塊になって死んだ。……んだよね?


 聞いた話と微妙に何かが違う気がする。


「なればこそあの時、悪魔王にとどめを差そうとしたお前に抗おうと、あの娘は自ら自分の魂の器を砕いたのであろう」


「……まさかあの時取り逃がしたあの者が、折角見つけたレフィアを隠していただなんてね。それもお前の入れ知恵なのでしょう? ……忌々しい」


 パキンッと、空間のひびが広がった。


 ……。


 ……。


 待って。……何、それ。


「知らんな。そもそも助言をするのであれば隠せとは言わずに殺せと言うであろう。その方が憂いも無い。あれは、あの者が自らの意思でやった事だ」


「ぬけぬけと。お前もあの悪魔王も、目障りで仕方の無い事。隠れてこそこそいつも邪魔ばかり。さすがはお前が加護を与えた者ね。卑怯な所もまるで同じ」


 頭が、混乱する。


 初代聖女様の事やオルオレーナさんの事もだけど、今二人が話してるのは何? ……誰の事を言ってるの?


 悪魔王……。


 初代聖女様は、悪魔王にとどめを差す前に光の女神を拒絶した? 悪魔王を取り逃がした……。


 悪魔王は、生きている? ……今も?

 そして光の女神から、私を隠した……。


 脳裏に浮かぶのは、穏和な表情をした優しいあの人。


 悪魔王は初代聖女様に助けられた。

 アリシア様は、初代魔王を助ける為に……。


 何となく、何かがあるような気はしていた。

 きっと話せないような何かが、そこにあるのだと。


 古ぼけたペンダント。

 色褪せた肖像画。

 魔王城に咲く、濃いピンクのスプレーバラ。


 ……セルアザムさん。


 セルアザムさんが、悪魔王。

 セルアザムさんが……、初代魔王。


 思いも寄らぬ事実に頭が混乱する。

 けど、心のどこでその事に納得もしていた。


 だから、だからセルアザムさんは……。


 ぐっと唇を噛みしめ、顎を引いて顔を上げる。

 ひるむ心に渇をいれて、拳を強く握り締める。


 いつの間にか足の震えは、……気にならなくなっていた。





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