♯151 炎禍の大蛇(魔王の憂鬱18)



「陛下っ!?」


 うすぼんやりとした意識から目が覚める。

 朦朧としていた思考が形を取り戻していく。


 覚えているのは暗闇の中、ただ落ちていく感覚。

 逆らえきれぬ力に引っ張られ遠ざかる光。

 名残りを惜しむかのような、賢者の声。


 そして、……レフィアの姿。


 あれは確かに、レフィアだった。

 あの場所へと入れ違いに入った、……のか。


 そして俺は、……元の身体に。


「……って!? なっ、おいっ!?」


 賢者の言う通りであれば、魂だけの状態であったものが元の身体に引っ張られて戻ってこれた、……という事なんだと思う。


 身体を動かそうとして、思うように手足が動かせない事に背筋がゾッとする。


 またかっ!?


 まるでかのように身動きが取れない。

 

「陛下っ、お戻りになられたのですね。待ってて下さい、すぐに解きますので」


 縛り付けられていた。


 除き込んでいた顔に、安堵の表情が浮かぶ。


 ……カーライルだ。

 そういえば、コイツも来てたんだったか。


 小器用でよく気が回るばかりに、周りから色々と便利に頼られる部下を確認し、そっと気を安らげる。


 自身を確認すると、毛布でぐるぐる巻きにされ、どうやら荒縄でしっかりと縛り付けていたっぽい。


 ……荷物か俺は。


「全く動かなくなってしまわれてからずっと、肝が冷えっぱなしでした。お戻りになられるとは聞いてましたが、もう気が気ではありませんでした。本当に」


 荷物だったな。……すまん。


「……心配をかけた。もう大丈夫だ」


 自由になった身を起こして、手足の関節をコキコキと伸ばす。長い間動けずにいた身体は相当凝り固まっていたらしく、伸ばした筋が痛気持ちいい。


 ……確か一週間だったか。


 立ち上がり腰を伸ばすと、まるでおっさんにでもなったかのように、心地好い痺れを全身に感じた。


 身体を自由に動かせる事に喜びをつい感じてしまう。


 心無しか身体の重さをつい意識してしまうのは、魂と身体を切り離されるという稀有な体験をしたからだろうか。

 心地好い重力感に浸りながら身体を動かしていると、何だか前よりも動きに切れがあるようにも感じる。


 敢えて意識して動かしているからかもしれないが、とても一週間身動きの取れなかった身体とは思えない。


「……目覚めてすぐにそんなに動いて、大丈夫なんですか?」


 カーライルが心配そうに見守っている。


「むしろ気持ちがいい。なにせずっと身動きのとれないまま、苛々とさせられっぱなしだったんでな。……お前だけか? 他の奴らはどうした?」


 一通り身体の筋を伸ばしながら、カーライル以外の姿が無い事を尋ねる。


 順当に考えれば、飛ばされたレフィアを探しに行ってるのだとも思うが。

 とりあえず、状況がさっぱり分からん。


「リーンシェイド様は、あのスヴァジルファリを駆ってレフィア様を探しに行っています。どうやらあの馬にはレフィア様の居場所が分かるらしく、リーンシェイド様が先行し、セルアザム様とベルアドネ様がその後を追っています」


「……で、お前が『荷物』を任されてその後から追いかけてるって事か。面倒をかける」


「いえ、とんでもありません。陛下のお戻りを心よりお待ち申し上げておりました」


 簀巻状態だったのは……、仕方ないか。

 突然連れて行かれた事に俺の意思は全く関係ないが、迷惑をかけてしまった事には申し訳なくも思う。


「レフィアも今頃は賢者の示した通り、最深部に辿り着いてるだろう。……多分、だけどな。セルアザム達からはどれだけ遅れているか分かるか?」


 あれは確かにレフィアだった。

 だとしたら、多分今頃はあの賢者と共にいるハズ。


 何をか知らんが、試しだとか言って飛ばしたからには、言う通りに辿り着いたレフィアをどうこうする気もないハズ。

 特に信用している訳でも無いが、あの賢者なら……、そこで騙してレフィアに危害を与えるとも考えにくい。


「あ、はい。多分そんなには。少なくとも半日以内の距離にはいます」


 一人納得している俺に首を傾げながらも報告を上げるカーライルに、了解の頷きを返す。


 ……半日か。思ったよりも距離がある。


「すぐに追うぞ。道を先導してくれ」


「はっ!」


 毛布をさっと片付けると、身軽になったカーライルは森の奥へとすぐさま入っていく。


 どうやらちゃんと、先行組の跡は把握済みらしい。迷いなく先導するその背中に、深い感心を感じずにはいられない。


 騎士じゃなくてレンジャーとしてでもやっていけそうだよな、コイツ。


 カーライルの背中を追って、森の中を疾走する。

 道中、仮死状態にあった間の事でいくつか確認を取る。


 一番気になるのはレフィアの事だが、セルアザムや他のメンバーの様子も気になっていた。


 特に、セルアザム。


 ……。


 あの賢者とどういう関係なのかは知らんが、結果的に、俺はあの賢者に会うべきだったのだと今なら分かる。


 素直に会いに行けと言われて会いに行ったかどうか。……多分行かなかっただろう自分を思えば、騙すかのようにここに連れてきた事を、今更責める気も無い。


 ただ、それはあくまで俺の中の話だ。

 セルアザムがそれをどう思ってるかと言えば、……多分、自分を責めているように思えてならない。


 レフィアの事についてもそうだ。


 俺はアイツが、無事に賢者の所へ辿り着いたであろう事を偶然とは言え知りえたが、そうでもなければ気が気じゃないだろう。

 

 信頼している。

 それは今も変わっていない。

 これからも、多分ずっと。


 だからこそ俺は、セルアザムと話し合うべきなのだ。


 賢者にはああ言ったが、気にならない訳がない。

 セルアザムが初代魔王だった事。

 セルアザムから聞いた、俺の両親の最期。


 そして、……スンラの事。


 考えをまとめながら森の中を駆け抜けていると、ふいに、前方から何かの余波のようなものが迫ってくるのを感じ取った。


 衝撃にも似た、力の波紋。


 けれどもそれは、実体を持つようなものではなかったらしく、咄嗟に身構えた俺の身体を通り抜けていく。


「……っ何だ!? 今のは!」


「……分かりません。ですが、嫌な感じでした」


 振り返るカーライルの顔が青ざめている。

 多分、俺もきっと同じような顔色をしているのだろう。


 力の余波のようなものが駆け抜けていった後、森全体の空気が変わった。……張りつめたような緊張感が高まる。


 気を付けて見れば、……静かだ。


 聞こえるのは風に震える木々枝々の、葉擦れの音のみ。いつの間にか鳥の声も虫の羽音さえも消えている。


 生き物の気配が、まったくしない。


 元より他に生き物を見る事が稀な森ではあったが、ここまで静まり返った所でもなかった。


 静けさがただ、不安と焦燥感をかきたてる。


「すまんカーライルっ! 先行するっ!」


「はっ!」


 力の余波のような何かは、目指す前方から伝わってきた。


 レフィアを探す為に先行している奴らの後を追う、俺達の前方から……。


 カーライルを残して、先を急ぐ。


 嫌な予感が拭えない。

 焦る衝動のままに全力で駆け抜ける。


 繁る木立の間をすり抜け、草叢を突っ切る。

 斜面を下り、ぬかるみを飛び越えようとして高くジャンプした時、それが見えた。


「……何だ、ありゃ」


 木の高さを遥かに越え枝葉の目隠しの向こう、一気に開けた視界の中に一筋、炎の柱のようなものが天を貫いていた。


 距離感が分からなくなる程の巨大な火柱だ。


 その光景をいくらも確認出来ないまま、激しく地面へと降り立ち、勢いを殺さぬままさらに走り出す。


 ……火柱。それも、あんな巨大な。


 この森に来てから最も厄介だった存在。

 斬り払うたびに増えていく炎の蛇が頭を過る。


 まさかとは思う反面、元々得体の知れない存在だ。最悪の想定は、無駄にはならない。


 大きく開けた草地を走り、更にいくらか近づいた時、空の上から激しい衝突音が鳴り響いた。

 衝撃で足元が揺れ、大気が震える。


 身構えつつ見上げると、火柱が大きくうねり、空を覆い尽くさんばかりに蠢いていた。


 その光景に自らの認識の過ちを悟る。


 これは火柱じゃ、……ない。


 轟々と燃え盛る炎が悪夢のように重なりあい、唸りを上げる嵐の水面の如く絡み会う。例えば地獄の釜があったとして、蓋を開ければこんな風に見えるのかもしれない。

 非現実的に連なり蠢く炎の塊。


 それが30メートル程の幅を保ったまま、まるで生き物のように空を覆っていた。


 更に力を込めて駆け出すと、大気を震わす衝撃とともに、落雷のような轟音が次いで鳴り響く。


 生き物のようにのたうち回る炎の柱。その先端部分がようやく視界に入り、予想の中でも最悪の部類のものが的中していた事に臍をかむ。


 その先端部分は蛇の顔のようになっていて、まさに獲物に飛び付くかのように大口を開けているのが見える。


 ……ありえねぇでかさだな、こりゃ。


 勢いをつけてその牙が、空中に浮かぶ何かに向かって食らいつき、再び重苦しい衝撃音が辺りに鳴り響いた。


 その空中に浮かぶ何かは驚く事に、その炎の大蛇の攻撃を弾き返していた。


 目を凝らして確認すれば、……馬だ。


 六本足のあの憎たらしい銀馬に騎乗した誰かが、この炎の大蛇と戦っているように見える。


「……空を飛べるのか、あの馬」


 この炎の大蛇が一体何なのか。

 何でこんな状況になっているのか。


 ここまで来てもさっぱり訳が分からないが、ただ一つ。やるべき事だけはしっかりと自覚もする。


 腰から剣を抜き放ち、足腰をぐっと低く落として力をためる。


 今まさに再び、リーンシェイド達に狙いを定め、大口を開ける炎の大蛇の頭に向かって高く、より高く飛び上がるその為に。


 渾身の力を込めて地面を蹴り飛ばし、中空へと飛び上がった俺は、全力を込めて、炎の大蛇の頭を叩き付けた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る