♯137 女神の神託1



 どこかひんやりとしている遺跡内部。

 ややもすると、身震いを起こしそうになる。


 湿った空気の中に苔むした匂いが混じる。迷宮特有の光る魔石。その、ほのかな光が照らす中、オルオレーナさんはそっと息を吐いて、雰囲気を切り替えた。


「何故か昔から、女物のヒラヒラとした服が苦手でね。男物の服を好んで着ていた僕は、ラダレストでは奇異の目で見られてたかな」


 困ったように肩をすくめて見せ、自嘲気味に笑う姿を物悲しく思う。


 ……思えば、よくこういう顔をしていた事に気づく。何かを諦めたような、ぼんやりとした作り笑い。

 どこか仕草が演劇じみて感じたのも、多分その所為なのかもしれない。


「女は女らしく、男は男らしくあれ。女神様が定めた通りに振る舞えって、……よく怒られてたかな。でも、苦手なものは苦手なんだ。怒られて落ち込むたびに、姉さんが慰めてくれたのをよく覚えてる」


 ……似合ってれば良いのでは?

 そういうものとは、また違うんだろうか。

 話を遮らないようにそう言うと、女神教の教義の一つにそういうものがあるのだと教えてくれた。


 ……何じゃそりゃ。


 女は女らしく? 男は男らしく?

 女神様がそう作ったのだからその通りにしろ?


 ふざけんな。

 何をどう振る舞おうと性別が変わる訳でもあるまい。

 女は何をどうしたって女だし、男だって一緒だ。

 らしいらしくないなんて、イメージの問題であってそれ以上でも以下でもないじゃない。


 ……何だろうね、女神教って。

 何かやっぱり、あまり好きになれそうにない。


 一人勝手に憤慨する私はさておき、オルオレーナさんは力無く目を細めて、ぼんやりと中空を眺めた。


「建前上は聖女教との関係改善の為。……だけど、教皇になった姉さんに、出来の悪い妹は相応しく無いといった所が本音だろうね。教皇の妹である僕とアリステアの勇者との婚約は、知らない間に決まってしまっていたんだ」


「……オルオレーナさんは、それで良かったんですか?」


「僕は別に。会った事もない相手だったけど、何しろ勇者だしね。それで堂々とラダレストを離れる事が出来きて清々するとしか、……考えてなかったかな。むしろこんな僕を押し付けられて、勇者も可哀想にって思ってた位だから」


 どこか他人事のように言う様子に寂しさを覚える。

 何だか否定してはいけないような気がして、それでも、自分の事なのにとも思えて。


 ……うーん。

 モラトリアム。


「半分は義務としてアリステアに行った僕だったけど、アリステアとラダレストの気風に違いには驚かされたよ。……アリステアにはラダレストには無い自由と、生きる自信が溢れているようにも感じたんだ。軽くショックだったね。今までラダレストこそが世界の信仰の中心だと思っていたのだから。そしてそんな僕に、勇者は言ったんだ」


 一度言葉を区切ってそっと目を閉じる。

 ほのかに口元を緩ませながら、オルオレーナさんは優しく落ち着いた様子で言葉を紡いだ。


「自分らしくあろうとする姿は正しいって……」


 ため息をもらすかのようにそう言うと、その時の事を思い浮かべているのか、遠く、懐かしそうに目を細めた。


「……そんな風に言われた事なんて、今まで一度も無かった。女らしくしろ、間違いを正せって、そんな事ばっかり言われてきたのに。僕は、僕が思う通りに僕らしくあっても良いのだと、……何だかね、そこで許されたような、そんな気持ちになったんだ」


「……許すも何も無いじゃないですか。オルオレーナさんは何も悪い事なんてしてないですよ?」


 例え教義に反していたとしても、そもそもの教義が間違ってるとしか思えない私にはそうとしか思えない。


「……信仰心の無い私が言っても説得力は無いですけど」


「教義に従いきれない僕だって、同じようなもんさ。けど、教義だとか周りの声だとか、そういうんじゃないんだ。僕が僕らしくある事を一番許せなかったのは、実は僕自身だったって事に、……その時はじめて気づかされもしたんだ」


 軽く手を胸に当てて、深く思いを馳せる。


「僕は出会いに感謝した。勝手な話ではあるけれど、婚約相手が勇者ファシアスである事を、深く感謝したんだ。生きる場所を見つけたと思った。この人と共にいたい。この人の側に居場所をとね。……まぁ、ぶっちゃけて言えば惚れてしまったんだな、これが。柄にも無くね」


 ……照れ隠しに笑う姿を痛々しく思う。

 見ていられなくて、そっと目を伏せてしまう。


 ……オルオレーナさん。


「勇者ファシアスと聖女ソフィアは、同じ村で生まれ育った幼馴染みだそうでね。もう一人、村に残ったっていう人と三人、強い信頼で結ばれてるとそう教えてくれたかな」


「……三人?」


「側で見てれば嫌でも分かる事もあってね。勇者ファシアスは聖女ソフィアに想いを寄せていた。誰にそれを言う事もなくね。けれど聖女はその役柄上、婚姻が許されない。……聖女でいる間はね。だからファシアスはソフィアに想いを伝えないのかと、一時は諦めもしたんだけどね。……本当は違ってたんだ。聖女ソフィアは、村に残ったもう一人の幼馴染みに想いを寄せていたんだ」


「……何とか言うか、色々あるんですね。大変そうです」


 噂に聞く、伝説の四角関係ってヤツだろうか。

 あるとこにはあるんだね、こんがらがった恋愛模様って。


「僕はそれでも良いと、そう言ったんだ。想いを捨てる必要は無いからって。そのままでもいいから、それでも、側に僕を置いて欲しいって。ファシアスは戸惑いながらも僕の想いを真剣に受け止めてくれたんだ。……根が真面目な性分なんだろうね。そんな不義理な事は出来ないからって、自分は想いを断ち切る、絶ち切って、真剣に僕と向かいあってみせるってね。……そう約束を交わしたんだ」


 ……男だね。先代勇者。


「聖女ソフィアをはじめとして、アリステアの人々も僕を快く受け入れてくれてね。僕にとっても聖都は、かけがえの無い場所になっていったんだ。……まぁ、ただ一人だけ、僕が勇者の婚約者である事が、どうしようもなく不満だったヤツもいたんだけどね。勇者の弟分みたいなヤツでさ。僕と同い歳で、真夏でも赤いレザーコートを汗だくになりながら着てるような、真っ赤っかなとんがったヤツでね。よく突っ掛かられたりもしたかな」


 ……。


 ……。


 思い当たる人が一人いるんだけど。

 まさか、……だよね。


「クリムゾン・レッドアイ……」


「……あれ? なんだ、知ってたんだ。まさかアイツが次の勇者になるなんて、その時は思いもしなかったけどね」


 ……勇者様。

 とんがってたんですね。昔は。


「そんなファシアスを、ソフィアと二人だけで魔王スンラの元へ向かわせるなんて、……出来るハズもない。ラダレストが女神の神託だと言って軍を引けば、各国もそれに従わざるを得ない。孤立し、一国のみで魔王軍と対峙せざるを得なくなったアリステアを見捨てて、……戻れる訳もないさ」


「それで、先代の勇者様と聖女様は魔王スンラに……」


 戻れる訳がない。

 もし私だったとしても、絶対に戻らない。

 オルオレーナさんも同じだったんだろう。

 だから……、アリステアに残った。


「勇者と聖女を倒した魔王軍は、何を考えていたのかそこで侵攻を止め、引き返していったんだ。まるで最初から、勇者と聖女を殺す事だけが目的だったと言わんばかりにね。結果的に各国は、アリステアというただ一国の犠牲のみで、魔王軍の侵攻から逃れた形になったんだ。……女神の神託のおかげでね」


「……そんなのっ、……それが正しい事だとは思えません」


 何かを犠牲にして他の何かを守る。

 そりゃ確かに、そうしなきゃ駄目な時だってあるのかもしれないけど、……素直に納得出来るようなものでもない。


 背負うものが違えば、また違うんだろうか。

 でも……。私は、そうは思いたくない。


 憤りを見せる私に、オルオレーナさんはそっと頷きを返した。


「激戦の中でも何とか生き延びた僕は、すぐさまラダレストに戻ったさ。ラダレストに戻って行き場の無い憤りを、教皇である姉さんにぶつけるしかなかった。……分かってはいたんだ。女神の神託には従わなければいけない。例えそれがどんなものであったとしても、姉さんに選択の余地なんて無かったんだと。……それでも僕は、姉さんを責めるしか無かった。責めてないと、自分で自分を保てなかったから。そうでもしないと、悲しさやら後悔やら無力感らで押し潰されて、動けなくなってしまいそうだったから……。姉さんに甘えていたんだ。姉さんが教皇として、何を思ってるのかも深く考えないままに」


 深く悔恨の情を見せる様子に浅く頷きを返す。

 女神教のリディア教皇が何を思うのか……。


「多分その時なんだと思う。姉さんはそこで、女神の神託に疑いを持ちはじめていたんだ。女神の神託に盲目的に従う事は、本当に正しい事なのかと……。事実として魔王スンラも、魔王軍も、無傷のまま残ってしまっている。もし魔王軍がすぐにでも再び侵攻して来たら、矢面に立って戦うハズのアリステアはボロボロになってしまっているし、その要となる勇者と聖女を敢えて見殺しにしたようなものだから。これが女神の望んだ結果なのだとしたら、本当にこれで良かったのだろうかと」


「女神教の教皇が、女神の意思を……、疑う」


 聖女教のトップでありながら、宗派なんてどっちでも良いと言いきった聖女様にも覚えがあるけど……、それとはまた違うんだろうなとも思う。

 どこか柔軟な聖女教に対して、何だか女神教って、女神様絶対のカチカチなイメージが拭えないし。


 その教皇が、女神の意思を疑う。

 少し意外にも思う。


「今度はアリステアに神託が下ったとの報せが届いたのは、そのすぐ次の年だった。魔王スンラとの戦いで壊滅的な被害を受けていたアリステアには人材も足らず、央神殿でその神託を受け取ったのは高齢の元法主だったそうだ。老齢で隠居したにも関わらず、それでも無理矢理引っ張ってこずにはいられない程に、高位の神官が不足していたらしい。……しかもその内容は、数百年振りに下された『福音』だったときたもんだ」


 ……ドキッと心臓が跳ね上がる。


 その『福音』って、もしかするともしかしなくても、……私の事だよね。


「神託で示された『福音の聖女』はそれから程なくして、アリステアの中央神殿に迎え入れられた。新しい勇者とともにね。多分レフィアさんも知ってると思うけど、それが今の聖女マリエルと、勇者ユーシスだ」


 知ってます。友達ですから。

 昔赤かった人は今は毛じゃむくれですけど。


「新しい聖女と勇者の選定に、各国は安堵の色をあからさまに見せた。皆、先代の聖女と勇者の死に対して、何らかの後ろめたさを持っていたからね。空席が埋まった事に対して、一様に祝いの声を上げたんだ。わざとらしく愚かしい程に明るい雰囲気の中で、姉さんだけは様子が違っていた。皆が揃って安堵を口にするその最中、姉さんは誰よりも思い悩み、苦しんでいたんだ。誰にそれを話す事なく、ね。……姉さんはその時すでに、女神から新しい別の神託を受け取っていたんだ」


「……別の神託、ですか?」


「聖女マリエルは福音の聖女では無い。聖女マリエルをすぐに殺し、本当の福音の聖女を迎えいれよ。……と」


「……なっ!?」


 ……って、何じゃそりゃ!?


 は? 女神の神託?

 女神様が神託で、聖女様を殺せと?


 いや、待て。ちょっと待って。

 何それ。何なんだ、それは……。


「そして姉さんは悩み苦しんだ末に、一つの覚悟を持って、決断した」


 力無く悔しげに言葉を切り、オルオレーナさんは深く、息を吸い込んだ。 


「姉さんは神託に従う事を、……拒んだ」




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