♯136 悪魔の心臓



 入口が瓦礫で完全に埋まった。

 これでもう、戻れない。


 ……ってか、帰れない。

 出る時どうするんだろう。


 リーンシェイド達が追って来れないようにする為とは言え、思い切りが良すぎる。爆破ついでに中まで崩落してたら笑い話にもならん。


 派手な演出に巻き沿い喰らってぺしゃんこになるのは、積極的に遠慮させていただきたい。


「もうこれはいいかな。……ごめんね」


 オルオレーナさんが白刃を引き、鞘に納める。

 刃を当てられた場所を何とは無しに撫でると、指先にヌルッとした。結構それなりに出血してたっぽい。

 手の平で首もとの血を拭い取り、自分の血で汚れた指先をすりすりと擦り合わせる。


 ……この位、別にどうと言う事も無いんだけど。


 それはそれ、これはこれ。


「オルオレーナさん」


「どうしっ、はぐぅおっ!?」


 拳をぐっと握りしめ、顔を上げたオルオレーナさんの横っ面を力まかせに殴りとばした。


 予想外だったのか、まともにゲンコツを受けたオルオレーナさんはたたらを踏んでよろける。


 ……痛い。けど我慢。


 思いきっり殴れば殴った方だって当然痛い。

 ジンジンと痛みに痺れる右手をぷらぷらっと振りながら、殴られた左頬を押さえるオルオレーナさんへと向き直る。


「……いっー。一発ぐらいならしょうがないと覚悟はしてたけどね。こういう時って普通、ビンタが飛んでくるもんだと思ってたかな」


 女は黙ってグーパンチ。

 文字通りの鉄拳制裁にございます。


「……どこまでが本当で、どれが嘘なんですか」


 全部が全部嘘だったとは思えない。

 人質を取りながらも、どこか中途半端だった事にも疑問が残る。


「それを騙してた当人に聞いちゃうんだ。周りからよくお人好しだって言われないかい?」


「言われません。はぐらかさないで下さい」


 困ったように作り笑いを浮かべるオルオレーナさんに、ぐぐいっと詰め寄る。人質に当てた刃を思わず引いてしまうようなお人好しはどっちなんだか。

 卑怯だよね。こんな事をするような人には全く見えないのに。


 オルオレーナさんはじっと、真剣な眼差しで私を正面から見つめた後、目線を逸らして一つ息をついた。


「刃物を突き付けられてたってのに全く動揺もしてなかったし。……さすが魔王の婚約者、って所かな」


 ……。


 ……。


 ……あれ?


 私、魔王様の事話したっけ?


「魔王の……、婚約者?」


 所在なさげに控えていた剣聖さんが、怪訝な表情を浮かべて聞き返す。


「……そっ。わるーい魔王に拐われて無理矢理婚約させられた、哀れ哀れな魔王の花嫁様。……そう聞いてたんだけどね」


「レフィア殿が、魔王殿の花嫁……」


 揶揄するような言い方にカチンッと来る。


 ……誰が哀れな花嫁だって?


 女神教の人なら仕方ないのかもしれないけど、魔王様を悪く言うのは気に食わない。

 魔王様はへたれで変態だけど、決して卑怯な人では無いし、あれでいて誠実な所だってあるんだから。


「私が望んで婚約したんです。そういう言い方は二度としないで下さい」


 拐われたのは事実だけど。

 婚約を受けたのは、悩んで決めた私の意思です。


「……だろうね。自分の身可愛さに言う事を聞くような人には、見えないもの。さっきもそうだったし。あれ、本気だったよね」


 何故か楽しげに言うその口調を不審に思う。


「……魔王様の事なんて一言も言ってないのに、何でオルオレーナさんが知ってるんですか? 私が魔王様と婚約した事を」


 解せぬ。


 あまりよく思ってないだろうと思って、魔王様の事も賢者の事も、敢えて何も言わなかったのに。

 婚約したのだって、ついこの間の事だ。


 何より、婚約が決まってからすぐに森に来たのに。私達よりも先に森に来てたであろうオルオレーナさんが、何でそれを知ってるんだろうか。


 全く持って解せぬ。

 腑に落ちぬ。


「ここじゃ何だから、どこか落ち着いた場所で詳しく話すよ。……剣聖さんも。どうか、お願いします」


 オルオレーナさんに促され先へ進む。

 どのみちもう戻れないのだから、進むしかない。


 気付けば中はぼんやりと明るかった。

 壁に埋まった光る魔石が、ここが迷宮である事を如実に示している。森全体が迷宮になってるんだから、当然、その最深部へ続くであろうここも迷宮化が著しいのだろう。


 むしろ迷宮そのものかもしんない。


 途中何度か迷宮トロルとも遭遇したけど、どれも声を上げるまでも無く、剣聖さんが瞬殺していった。


 ……強さの格が飛び抜けていらっしゃる。


 無理矢理同行させられたハズなのに。積極的に前へ出ていく剣聖さんの様子を不思議にも思う。


「……魔王殿とセルアザム殿には恩義がござる」


 さりげなく聞いてみたら、思ってもみない名前が出てきて驚いた。まさか面識があったとは……。


 どういうつながりなんだろうか。


「レフィア殿が魔王殿の最愛の人と知った以上、拙者、何があろうと守り抜いてみせるでござるよ」


「さっ、さーっ!? さ、さいっ?」


 いきなり何言い出しやがるでござる。

 改めて言われると、こう……。がぅ。


 ……。


 ……。


 最愛の人。


 があぁあああああーっおぅっふっ!


「……どうしたでござるか?」


「はぁ、はぁ、はぁ……。何でもありません。……ちょっと羞恥心と貞操観念が淑女に乙女しただけです」


 婚約したんだから、何を今更だけど。

 不意に意識してしまうと何だかすっごい恥ずかしい。


 少しだけ羞恥に悶えはしたけど、道中は驚く程に何事もなく進んでいった。

 まず間違いなく、先頭を行く剣聖さんのお陰です。


 ありがとう。


 ほどなくして、休むのにちょうど良い空間があった。入口から入って、体感的に三時間位だろうか。閉鎖された薄暗い空間にずっといる所為で、今一つ感覚がしっくりこない。

 もしかするとそんなに経って無いかもしれない。

 とりあえず、一息つく事にした。


 ただ、お腹は空いた。


 オルオレーナさんが例の手提げ袋から燻製肉と干しパンを出して、皆に切り分けて配ってくれた。ついでに薄めた葡萄酒もついて少しリッチな気分にもなる。


 剣聖さんも最初は警戒してたけど、ここまで来て毒を盛っても意味が無い。構わず頬張り、剣聖さんにも奨めておく。


 ごちそうさまでした。


 食事も済み、一息ついた所で、オルオレーナさんから切り出すのを黙って待つ。


 剣聖さんも胡座をかいてがしっと押し黙れば、少し躊躇いながらもオルオレーナさんは話始めた。


「何から言えばいいかな……。まずは、これを見てもらえるかな」


 おもむろに首もとを緩め、白いシャツの胸元を大きく開いて見せた。ほのかな明かりの中に見える白い胸元に一瞬ドキッとするけど、すぐにその異様さに気づく。


 親指大よりも一回り大きいだろうか。白い艶やかなオルオレーナさんの胸元に、硬質な赤い石が埋め込まれていた。赤い石は妖しく光沢を保ち、鈍く澄んでいるようにも見える。


 ちょうど心臓の上辺りだからだろうか、赤い石からかすかに脈動を感じるような気がする。


「まさかそれが……」


 オルオレーナさんの指先がそっと、胸元の脈動する赤い石の表面をなぞる。


「気味が悪いよね。人の身体に取り憑いて生き血を吸い続けてるんだ。まるで生きてるみたいでしょ。こんなものがラダレスト本神殿の門外不出の秘宝中の秘宝だってんだから、趣味が悪いなんてもんじゃない」


 確かに趣味が良いとは言えないけど、何と言って良いのか分からずにじっと見つめる。

 異物感が半端ない。こんなものが身体に埋め込まれるように取り憑いてて、気分が良い訳ない。


「……申し訳ござらんが、目に毒にござる。胸元を閉まって欲しいのでござる」


 顔を真っ赤にして背ける剣聖さん。

 純な反応を見せてるけど、人の胸を鷲掴みで揉みしだいたよね? チャラにはしたけど、忘れてはないからね。


「ごめんね。……ちょっと嬉しいかも。こんな貧相な身体にそんな反応してくれるなんて」


 一言謝りながら襟元を正す。ほのかな膨らみが却って色っぽいと思ったのは内緒です。


 それに、……大丈夫。


 敢えて名前は出さないけど、どこかのベルアドネよりは確実に膨らみがありましたから。


 ……。


 ……。


 少なからずショックを受けている自分を自覚もする。


 それでもやっぱり心のどこかで、何かの間違いであって欲しいと願っていた。誰か他に泥棒さんがいて、そいつが炎蛇を操っていたのではないかと。


 実際に異様な魔石が脈打つ様を目の当たりにしては、疑いようもない。


「……かつてはこんな僕にもね、婚約者がいたんだ」


 服装を戻して語り始めたオルオレーナさんに剣聖さんと二人、意識を向ける。


 婚約者と言う言葉にピクッと反応してしまう。

 そんな私に優しく否定を返して、オルオレーナさんは先を続ける。


「レフィアさんとは違って、半分政略結婚みたいな婚約だったけどね。そもそもの始まりは13年前、魔王スンラが攻めてきた時が始まりだった」


 ……スンラ。


 ここでも出てきたか。

 何か大抵の人の過去に関わってきやがる。

 もう死んでるって話だけど、どこまでも迷惑な魔王だ事で。

 今の魔王様に代替りして正解だと思う。


「魔王スンラの進軍に対して、僕達は対魔王協定を発動し、各国が連携してこれに備える体制を整えていた。当時僕はアリステアに滞在していてね。その時の勇者と聖女を中心として、防衛態勢を整える手伝いをしていたんだ」


 その時私はまだ四歳だったけど、魔王が進軍して来た時の話は村の大人達からも聞いた事がある。そもそも魔王に良いイメージがなかったのもその所為だし。

 おかげで今の魔王様との初対面の時、かなり険悪な態度を取ってしまった。……ごめんね、魔王様。


「そんな時に本神殿から報せが届いたんだ。未明、教皇の元に女神からの神託が下った、……と」


「女神様からの神託、……ですか?」


 言葉を確認する私に、オルオレーナさんは組んだ両手を膝に置いて重々しく頷くと、そっと息を吐くように答えた。


「魔王スンラの侵攻に対して勇者と聖女、二人だけでこれに向かわせ、一切の手出しをしてはならない。……伝えられた神託の内容に耳を疑ったよ」


「……なっ、何ですか、それ。まさかそれに従ったんですか?」


 ……ありえないでしょ。

 そんな神託があったなんて初耳だけど、魔王軍の侵攻に対して勇者様と聖女様二人だけに任せるだなんて。


 ……んな阿呆な。


「何度も確認もしたし、強硬に反対もした。……けど、神託の内容は事実で、教皇と本神殿の決定は覆らなかった。……姉さんとラダレスト本神殿は対魔王協定から外れる事を選んだんだ。さすがに、アリステアの人達はその神託に従わなかったけどね」


「当たり前じゃないですか。勇者様と聖女様の二人だけを魔王の矢面に立たせるだなんて。アリステアの人達がそれを認めるとも思えません。いついかなる時も最後まで全力を尽くす。それがアリステアの気風です」


 自力救済。


 聖都で聖女様から聞いた講義の内容をふと思い出す。

 女神様に救いを求める女神教と、自力救済を求める聖女教。女神様からの神託に対する反応の違いが、そういう所に出てくるのだと納得するのと同時に、両者の在り方の違いを強く感じもする。


「……オルオレーナさんも、それで本神殿に戻ったんですか?」


 女神教の教皇の妹なら、本神殿の指示には従わねばならなかったのだとも思う。本人の意思とは関係なく。


 けれどオルオレーナさんは、静かに否定を返した。


「……戻らなかった。本神殿からの協定軍が引き上げた後も、僕は一人、アリステアに残り続けた」


「……何でですか。お姉さんからは戻れって言われたんですよね」


「戻れる訳がない。……戻ろうとも思ってなかったかな。例えそれが半ば政略的な婚約だったとしてもね。将来を添い遂げようと決めた相手を見捨てるなんて、僕には出来なかった」


 ……。


 ……。


 ……って、はい?


 まさか、オルオレーナさんのかつての婚約者って……。


 思わず息を飲んでしまう。


「先代勇者ファシアス。……僕の婚約者だった人だ」


 オルオレーナさんはぐっと何かを堪えるように顔を上げ、そっと目を閉じる。


「結局、単独で挑んだアリステア軍は壊滅。勇者ファシアスと聖女ソフィアは……」


 不意に詰まった言葉の先に、沈黙が降りる。


 ぐっと口をつぐんで一つ間を置いた後、オルオレーナさんは感情を押し込めるようにして、組んだ両手に力を込めた。


「……魔王スンラに、殺された。僕はそれをただ側で見ている事しか、……出来なかった」


 遺跡の内部をほのかに照らす魔石の灯りが一瞬、揺らいだような、……そんな気がした。




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