♯135 ごめんね



 喉元にひんやりとした感触を強く感じる。


 オルオレーナさんのサーベルは素人目にも中々の逸品で、これ程の業物は、そう簡単には見つけられないんじゃないかとも思う。

 刀身の反りの美しさといい、見るからにバランスのとれた重心といい、見るだに惚れ惚れとしてしまいそうになる。


 相当切れ味も良いんだろうね。

 正直、そんなものを喉元に当てられている身としてはたまったもんじゃない。


 どうにか隙を見て、なんて甘っちょろい考えは許してくれそうにない。


 それが分かっているからかどうかは知らないけど、リーンシェイドと剣聖さんも不用意に動こうとはしない。


 一人、退屈なのかポージングで自分の肉体を猛烈にアピールしている駄肉エルフがいるけど、見ない振りして放っておく。


 ……。


 バサシバジルでさえも空気を読んでか、暴れだす事無く事の次第を静かに見守っているっていうのに。……おじぃちゃん。


 とりあえず状況を整理してみようと思う。


 谷底から這い上がる為の場所を探しに来たら、上流の行き止まりまで来ても岩壁に途切れるような場所も無く、そこにポッカリと開いた入口があった。


 そこで引き返そうとしたら、中からうじゃうじゃと炎蛇の大群が出てきて、囲まれて、バサシバジルが吹き飛ばして、……人質に取られた。


 ……うん。意味分からん。


「特に個人的にどうと思ってる訳でもないんだけどね」


 今にも飛びかかってきそうなリーンシェイドと剣聖さんを慎重に警戒しながら、オルオレーナさんは私を連れて、岩壁の入口の方へと近づいていく。


「ここから先は、魔物な方々にはちょっと遠慮して貰わないといけなくてね。こうでもしないと、そうお願いしても聞いてくれそうにもないし」


 普段とあまり変わらないような軽い口調で話すオルオレーナさん。……逆に、その変わらなさが怖くもある。


「私も、ここから先は遠慮したいんですけど……」


「ごめんね。それは聞けないんだ」


 せめて意思表示だけでもと、ささやかな望みをかけた嘆願はいとも容易く却下されてしまう。


 ……ぶーっ。


「……喉元に刃を突き付けられてるって言うのに、何だか余裕そうだね、レフィアさんは。……まさかとは思うけど、冗談だとか思ってる訳じゃないよね」


「余裕なんかはありません。オルオレーナさんの腕前も知ってるつもりなので、無駄な抵抗をしないだけです」


 今の所、何も良い手段が思いつかないし。

 大人しく状況を見定めようとしているだけです。


「それは随分と話が早くて、僕としても助かるけど。だからと言って、諦めてる訳でもないんだよね?」


「当然じゃないですか」


「レフィアさんのそういう所、大好きだな」


「……だったらこんな真似、やめませんか」


 努めて平静を心掛ける。

 オルオレーナさんは、刃物を突き付けて人に言う事を聞かせるような人には見えなかった。ただ、私に人を見る目がなかったと言うのであればそれまでだけど、もしそうじゃなかったのだとしたら。


 今の状況はきっと、本意じゃないのだと思う。


 ……私がそう思いたいっていうのも、多分にあるけど。


「……ごめんね」


 オルオレーナさんはしばらく押し黙った後、一言、私にだけ聞こえるようにそうこぼした。


「その方にかすり傷一つつける事も許しません」


「それは君達次第と言う所かな」


 入口の手前まで来て、そこで改めてオルオレーナさんはリーンシェイド達に声をかける。


「折角、それなりに凝った演出をしたつもりだったんだけど、全部ぱーにされちゃったから。今度は演出無しで行ってみようか」


「……演出?」


 オルオレーナさんの言葉に引っ掛かりを感じて疑問が生じる。


 演出って、一体何を……。


 一瞬感じた疑問には、直ぐ様答えが与えられた。


 オルオレーナさんの言葉に応じるかのように、何も無かった空中に赤い魔法陣が浮かび上がる。確かに見覚えのある赤い魔法陣が、まるで判子を押したかのように次々と浮かび上がり、あっという間に夥しい数へと膨れ上がった。


 この赤い魔法陣は……。


 何でこれが、オルオレーナさんに呼応して……。


 驚きをこめて横を見上げる。

 喉元に当てられたサーベルの所為でほぼ目線だけで見上げる形ではあるけれど、見上げた視界の中で、オルオレーナさんの目元が申し訳なさそうに下がるのが見えた。


「炎の蛇を召喚していたのは、貴女でしたか」


「そういう事に、なるかな」


 無数に浮かび上がった赤い魔法陣が妖しく光を放ち、再び炎蛇達がボトボトと湧きはじめた。


 ……。


 ……。


 オルオレーナさんが、……炎蛇を?


 ……何で。


 だって、でもっ。


 ……。……どうして。


 思ってもみなかった展開に、理解が追い付かない。


 ……だって。オルオレーナさんだって襲われてたのに。

 女神教の教皇の従士隊長で、従士隊の隊員だって、炎蛇に焼かれて死んでるのに?


 あの人達を焼き殺したのは……。


 ……。


 オルオレーナさん?


 ……何で。


 炎蛇を召喚使役出来るのは、女神教の本神殿から盗まれた秘宝の力だって言ってたのに。その秘宝を盗んだ泥棒を追いかけて来たんじゃないの?


 その泥棒から、秘宝を取り戻す為に追い掛けて来たオルオレーナさんが炎蛇を召喚してる?


 何で。


 意味が分からない。

 それじゃあまるで、オルオレーナさんが秘宝を盗んだ張本人だとしか……。


 教皇の妹なのに?


 ……何で。


 頭の中で情報が整理仕切れないでいる間に、赤い魔法陣から召喚された炎蛇達が、再び地面に炎の絨毯を作り出していた。


「余計な事はしないでね。剣聖さん。貴方を傷つけるつもりは無いので、剣聖さんはこちらに来て貰ってもいいかな?」


「……どういう事でござるか」


 当然の如く警戒を顕にする剣聖さん。

 軸足をかすかに引いて鞘に手をかけようとした所を、オルオレーナさんが止める。


「貴方が人間だから、かな。この先も何かと物騒かもしれないしね。ここから先も一緒に来て貰おうと思って」


「……断るでござる」


 にべも無く断る剣聖さんの返答に軽いため息をつくと、オルオレーナさんはさらに穏やかな声音で続ける。


「駄目だよ? 特に無理な事をさせるつもりも無いけど、ここで剣聖さんを死なせる訳にもいかないんだよね。ここで断ったりするとレフィアさんがどうなるか、……分かるよね?」


「剣聖さんは関係ありません。巻き込むのは私だけにして下さい」


 敢えて大人しくしてるのはオルオレーナさんが積極的に誰かを害そうとしないからであって、もし私を盾にとって誰かを害そうとするなら、それは許さない。


 喉元に刃が食い込むのも構わずに、オルオレーナさんに振り返る。

 首の皮が切れて血が鎖骨に垂れ落ちた。


「今は僕がそれを決めるのであって、レフィアさんの意見も剣聖さんの意思もあまり関係は無いかな」


 取り付く島も無いオルオレーナさんだけど、皮膚一枚切れる程度に刃を引いてくれたのは……、気の所為ではないっぽい。


 ……何のつもりなんだろうか。

 中途半端さに判断が鈍る。

 

 剣聖さんはしばし思い悩んだ後、チラリとリーンシェイドの方を伺った。


「貴方に心配される謂れもありません。余計な事など考えず、レフィア様をお守りする事だけを考えて下さい」


「……すまぬ」


 一瞥さえせずに冷たく言い捨てるリーンシェイドに、剣聖さんは一言謝罪の言葉を残して進み出る。


「あと、スヴァジルファリもかな。さっきみたいに一掃されても困るしね。……レフィアさん、スヴァジルファリにこちらに来るように言って貰えるかな?」


「嫌です」


 きっぱりと断りをいれる。

 さすがにオルオレーナさんの眉間が不快に反応したけど、構うもんか。


「……状況が分かってるのかな?」


「分かってるからこそ、嫌です」


「ただの脅しだと思われてるなら、ちょっと心外なんだけどな」


「構いません。この状況でリーンシェイドだけを炎蛇の大群の中に残すなんてありえない。その指示には絶対に従いません。斬るなら斬って下さい」


「……うーん。これはちょっと困ったかな」


「バサシバジルっ!」


 オルオレーナさんには構わず、静かにこちらをずっと見つめ続けている銀色の愛馬に呼び掛ける。


「リーンシェイドを守ってっ! 何があろうと、必ずっ! 絶対に、絶対だからねっ!」


「ぶるっひひーんっ!」


 言葉が通じなくても思いは伝わる。

 バサシバジルなら絶対に大丈夫だと、そんな頼もしさを感じずにはいられない。


「……レフィア様」


「うーん。まぁ、仕方ないかな。そうまでして積極的にどうにかしたい訳でも無いしね。……と、これ位かな」


 意外に簡単に諦めを見せるオルオレーナさん。

 そのまま、入口の中へ入るようにと促される。


 ……。


 ……。


 嫌だなぁ……。

 入りたくないなぁ……。


 最深部になんて行きたく無いんだけどな……。


 いくらか進んだ所で立ち止まり、続いて剣聖さんも入口の中へと招き入れられた。


「それじゃあ、バイバイ」


 オルオレーナさんの言葉に反応を示し、入口付近にいた炎蛇達が身を縮めて丸くなり、小石程度の大きさへと変わる。


 小さく光る火種のようだと思った瞬間、入口を巻き込むようにして同時に爆発を起こした。


 塞ぐ、……つもりだ。


 ……。


 ……ごめんね、リーンシェイド。

 ごめんね、バサシバジル。


 崩れ落ちていく入口の向こうで、リーンシェイドが真っ直ぐにこちらを見つめているのが見えた。





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