♯134 逆凪の刃



 魔力の込められた冷気が渦を巻く。


 突然現れた六本足を持つ銀色の馬体に対して、炎の絨毯と化していた炎蛇達が一斉にその鎌首を大きくもたげて威嚇の度合いを強めた。


 リーンシェイドを背に乗せたまま、バサシバジルが威風堂々とした面構えを炎蛇達へと向ける。


 私達とバサシバジル。炎蛇達もどちらが自分達にとってのより脅威な存在なのか、本能的にそれを感じとっているのかもしれない。

 私達に飛びかかってきたその数倍の数の炎蛇達が、銀色の脅威に対して一斉に襲いかかった。


「お願いします。バサシバジル」


「ばうっぶるっひーんっ!」


 リーンシェイドの掛け声に合わせ、バサシバジルのいななきが谷底に木霊する。


 視覚化されるほどに練り込まれた真っ白な冷気の塊が、意思を持って荒れ狂う猛吹雪となって渦巻く。鋭利な刃物を何本も重ねたかのような白い霞が、中空にいる炎蛇達を尽く吹き飛ばし、粉々に砕いた。


 氷風に吹かれるまま、曝されるまま。

 成す術もなく炎蛇達が砕け散っていく。


 正直、圧倒的に過ぎる。


「あれは……、まさか。……スヴァジルファリ?」


 オルオレーナさんが声を震わせて呟く。


 見る人が見れば分かるものなんだろうか。

 私に学が無いのも事実だけど、バサシバジルを見て、すぐに名前が出てくる辺りは素直に凄いと思う。


 銀色の馬体を持つスレイプニルの原種。

 六本足の幻獣、スヴァジルファリ。

 可愛い自慢の愛馬です。


 バサシバジルはさらに冷気の風を四方八方へとぶつけまくり、炎蛇の大群を瞬く間に片付けてしまった。

 相性がいいとは思ったけど、まさかこれほど抜群の成果を見せるとは思わなかった。


「なんでっ、スヴァジルファリがこんな所に。……それに、あの背に乗ってるのは……」


「バサシバジルとリーンシェイドです。大丈夫です。私の大切な仲間ですからっ!」


「……レフィアさんの?」


 目の前で一騎当千の活躍を見せた愛馬が誇らしい。


「ぶるるるっほぅーんっ!」


 一通り片付け終わるとバサシバジルがこちらに馬首を返し、その背からリーンシェイドが颯爽と飛び降りる。

 白馬に乗った王子様とはよく言うけど、……うん。銀馬に乗った鬼姫様に助けられる気分も悪くない。


「レフィア様っ! ご無事ですかっ!?」


「リーンシェイドっ!」


 勢い良く駆け寄ってくるリーンシェイド。

 呼び声に応じて側寄ろうとして、不意にリーンシェイドが立ち止まった。


 急に表情を曇らせて立ち止まるリーンシェイドに構わず、勢いのまま抱きついた。


「……レフィア様」


「くぅーっ、会いたかった会いたかった会いたかったーっ! あの性悪賢者に飛ばされて、一時はどうなるかと思ったけど、会えてよかったーっ! ありがとうっ! リーンシェイドっ!」


 それなりに感じていた不安がどっと安心に代わる。

 一人で違う所に飛ばされて、そこであの賢者の思惑通り不安がってしまうのも何だか面白くなくて、無理矢理押さえ込んでいたものが溢れ出てくる。


 くぅーっ。


 やっぱり持つべきは美少女な友達だねっ!

 もちろん、頼れる愛馬も。


 どれだけ飛ばされたのかは分からないけど、こうして探して、見つけ出してくれた事に感謝が止まらない。


 思わずしがみつくように抱き締めた私の肩を、リーンシェイドは優しく撫で返してくれた。


「こうしてお会いできて何よりです。私の不注意から転移させてしまい、本当に申し訳ありませんでした」


「あれは事故みたいなもんだから。出来れば気にしないで欲しいんだけど、それよりもっ。よくここが分かったね」


 うん。あれは事故だったからしょうがない。

 リーンシェイドというよりも、むしろ私の間抜けさの所為でもあるんだから出来れば気にして欲しくない。


 そもそも悪いのはあの賢者なんだし。


「バサシバジルが……。どうやら遠く離れていても、バサシバジルにはレフィア様の魔力を感じ取れるようでしたので。迷いなくお探しする事が出来ました」


「バサシバジルっ! 偉いっ!」


「ぶひっひーんっ!」


 得意気に鼻を鳴らす愛馬の顔を、思いっきり撫でて褒めまくる。まんざらでも無いように目を細めて喜ぶ様子に、愛しさがさらに募る。


 偉いぞーっ! なんて凄い子なんだ。

 私が馬ならぞっこん惚れ込んでる所だね。

 いっそ婚約者よりも頼りになるかもしんない。


 ……っと、いけない。

 その婚約者の無事も確認しないと。

  

「……魔王様達は? あの後、皆無事だった?」


「こちらは全員無事でした。陛下だけはあの後、賢者の下で修行をされているとの事で戻られませんでしたが、セルアザム様曰く心配は無いとの事です」


「……修行? 賢者に?」


 一瞬意外に思うけど……、妙な納得感もある。

 あの賢者の様子を思えば、そういう事なのかとも思ってしまう。


 魔王様を賢者に見てもらう。


 ……多分それが、セルアザムさんの目的だったのかもしれないと。


 それが私達に嘘を言い含めてまで、セルアザムさんがこの森に私達を連れてきた理由なのだとしたら、半分は納得出来る。……半分だけね。


 セルアザムさんは確かに言っていた。

 強大な敵が迫っていると。


 魔王様は確かに強い。

 確かに強いとは思うんだけど……。


 セルアザムさんにとって、その強大な敵に対して今のままでは、不安が勝ると言う事なのだと思う。


 魔王様の強化を願って賢者に会いに来る。


 ……あれでいてプライドが高い魔王様の事だから、素直にそれを言って、大人しく従うとも思えないし。

 だから、わざわざあんな回りくどい事をしてまで賢者に会いに来た。


 半分はそれで納得も出来るんだけど……。


 何で私までこんな目に。

 どういうんだろうか、これは。


 あの賢者、最初から何故か私だけには敵意剥き出しだったし。


 ……うーん。


 とりあえず、セルアザムさんにはとこっとん説明してもらわないとだね、これは。


「……あの、レフィア様?」


「あ、ごめん。ちょっと考え込んじゃってた。皆が無事ならそれはそれで何よりなんだけど、……だとすると、すぐにでも森から出てくって訳にも、行かないね」


 とりあえずは魔王様の修行が終わるまで、かな。


 思案に頭を悩ませていると、何故かリーンシェイドが何かを言いづらそうに、こちらの様子を伺っていた。


 ……何だろう。珍しい。

 最近は随分と色々、気も安くしてたのに。


 その視線は何だか、私の姿を見ているようでもある。


 ……ん?


「あの……。その、着物は……」


「あ、……うん。話せば長くなるので積極的に省くけど、何だかんだがあって貰ったものなの。リーンシェイドがいつも着てる服と似てるよね、これ。……変、かな?」


「とてもよくお似合いでいらっしゃられます。……ですが、それを、……一体どこで?」


「これ? 剣聖さんから……」


 何気なく、ふとその言葉を口に出してしまい、すぐに、今まで自分が誰と一緒にいたのかに思い至った。


「……剣聖」


 一瞬驚いたように見えたリーンシェイドの表情から、……感情が消える。


 急変した雰囲気に飲まれ、言葉が続かない。


 リーンシェイドの視線が私から外れ、ただ側で、酷く沈痛な面立ちで立ち尽くす剣聖にゆっくりと移される。

 剣聖さんはその冷たい視線を、真っ正面から受け止めた。


「……大きくなったでござるな。リンフィレット殿に、まるで生き写しの如くにござる」


「……剣聖、ゼン」


 ドスの利いた低い声音に殺気が籠る。


「何故こんな所にいるのかは聞きません。知りたくもない。……けど、レフィア様の着物はまさか」


「……リンフィレット殿に贈るべく、リーンシェイドとアドルファス、二人の助力を得て用意したものにござる」


 ……やっぱり。


 これ、リーンシェイドのお母さん、鈴森御前の為に用意した着物だったんだね。

 まさかここでアドルファスの名前まで出てくるとは思わなかったけど、この着物の仕立てにリーンシェイドが関わっていた事にまず驚く。


「まさかレフィア殿が、……リーンシェイドのご友人であられるとは夢にも思わなかったでござるが、……これも、縁と言うものでござろうな」


「……ごめんなさい。何か、言い出せなくて」


「……裏切り者。よくもおめおめと」


 リーンシェイドがぽつりと呟いた。

 か細く、今にも消え去りそうな問いかけの声は、微かに震えているようにも聞こえる。


「……すまぬでござる」


 目を閉じて俯く剣聖さんから、リーンシェイドは一切視線を逸らす事なく、視線に込めた殺気を強めていく。


「……まことに、すまぬでござる」


「聞きたくありません」


 冷たく切り捨てるリーンシェイドに、剣聖さんはただ頭を下げるばかりでいる。


 ……。


 ……何か、違和感が拭えない。


 その時に何があったのかは知らないけれど、これはまず間違いなく、伝え聞く話とはだいぶ内実が違っているような気がする。


 ……不味ったな、と思う。


 突然の事で仕方なかったとは言っても、ここで二人を合わせるべきでは無かった。

 もっと、私が気を配るべきだった。


 何か事情があるであろう事は、何となくだけど、察する事ぐらいは出来ていたハズなのに。


 ……とにかく。


 今はリーンシェイドを宥めて、どこかで仕切り直さないといけない。


「あー、ごめん。ちょっといいかな?」


 リーンシェイドに声をかけようとした所で、私よりも先に、オルオレーナさんが申し訳なさそうに間へ割って入って来た。


「オルオレーナさん……?」


 そのまま前へと進み出てきて私の側までくると、寄り添うように隣へと立ち位置を変える。


「何だか込み入った事情がありそうな所でごめんね。剣聖さんと鈴影姫、かな? 二人がこうして揃うなら、その内容も自ずと推測できもするんだけどさ……」


 オルオレーナさんは私の真横に立つと、周りを見渡しながら腰に下げていたサーベルをゆっくりと引き抜いた。


 陽光に刃が煌めく。


 くすみの無い白刃が音もなく、私の喉元に当てられる。


「ごめんね、レフィアさん」


 ……。


 ……。


 ……はい?


「……とまぁ、こういう訳なんで。僕の手元が狂う前に、少し離れてくれないかな?」


「……オルオレーナ殿、一体何を?」


 剣聖さんが刀を返して構え直す。


 突然つきつけられた刃に戸惑っていると、間を外すようにして、オルオレーナさんが左手で私の身体をさらに側へと引き寄せた。


 ……って、何、これ。


「やめた方がいいよ。剣聖さん。鈴影の姫様も。……リーンシェイド、だっけ? ……どっちでも構わないか。どれだけ君達が素早く動けるかは知らないけど、それでも多分、僕がレフィアさんの首を掻っ切る方が早いと思う」


 オルオレーナさんの剣術の腕前は、……高い。

 確かに、リーンシェイドや剣聖さんがどれだけ早く動こうとも、オルオレーナさんが刃を横に引く方が断然早いだろう。


「……下郎。すぐにレフィア様を放しなさい」


「放した瞬間に殺されそうだね、これは。申し訳ないんだけど、僕の指示に従って貰えるかな?」


 オルオレーナさんの様子に変化は無い。

 逆に、今までと様子が変わらないからこそ、突き付けられた刃の意味に理解が追い付いてこない。


「……どういう事ですか、これは」


「何と言うか、ごめんね。後で詳しく話すから、今はなるべく大人しくしててくれると、……嬉しいかな」


 本気とも冗談ともとれる口調に判断が鈍る。


 ……冗談でする事ではないか。

 駄目だ。やっぱり頭が混乱してる。


「良いであるかっ!」


 それまで沈黙を守っていたル・ゴーシュさんが声を上げた。


「……何か?」


 声音を変えないまま、突然かけられた声にオルオレーナさんも警戒の色を強くする。


 張り詰めた空気の中、ル・ゴーシュさんは分厚い胸板を誇らしげに張り上げた。


 皆一様に、ル・ゴーシュさんに意識を向ける。


「このル・ゴーシュ。先程からまるで空気なのであるっ!」


 ……。


 ……。


 おいこら爺様。





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