♯138 女神の神託2
女神教の教皇が女神の神託を拒んだ。
女神を絶対の存在として神聖視する宗派。そのトップにある者として、それがどれほどの苦悩を意味するのか。
膝の上に置いた手の平を、知らず握りしめてしまう。
「女神の神託に疑いを持ちはじめていた姉さんは、その神託に従う事を拒んだんだ。聖女マリエルはその時まだ五歳の童女でしかない。女神はその童女を殺せと言う。……そんなのに従える訳もない。姉さんは受け取ったその神託の内容を誰に言う事も無く、……押し黙った」
神託の内容も内容だけど、それを拒否したリディア教皇の心中に思いを馳せる。
生半可な覚悟ではなかったように思う。
「そして姉さんはその時から、女神の神託を受ける資格を失ったんだ。それから12年の間、ただの一度たりとて、女神は姉さんに神託を与えなかった」
女神の神託に従わなかったから。
女神教の教皇が、女神の意思に背いたから。
……だから、それで。
多分本人も知らない所で、聖女マリエル様は女神教のリディア教皇に救われていた。リディア教皇は女神からの神託を受ける資格を失ってまで、マリエル様を救った。
……。
思ってもみなかった事実に言葉を失う。
そして沸き上がる、一つの疑問と一つの確信。
「教皇の役割は、女神の意思を皆に伝える事がその第一になるんだ。女神からの神託を受けられない教皇は教皇として扱われない。姉さんは神託を受けられなくなった事をこの12年間、ひた隠しにし続けて来た。隠しながらも、ラダレストの為、女神教の為に粉骨砕身尽くし続けてきたんだ。困難に対して、あらゆる問題に対して、自分で考え、その全てに対処しつづけてきた。自己の責任において、教皇の責務を背負い続けてきたんだ」
リディア教皇は、……立派だと思う。
会った事も無い人だけど、尊敬に値する人だと思う。
人は誰だって自分で悩み、考えなくてはいけない。
それが自分の命に自分で責任を持つという事だと思うから。
でもそれは、
眼差しに力を込めて、オルオレーナさんを見つめる。
正しくはその、胸元を。
そこにはオルオレーナさんが、ラダレストの宝物殿から盗み出した魔石が埋め込まれている。
脈動する、禍々しい赤い宝石が。
何故そんな事をしたのか。
オルオレーナさんが自分の意思でやったとは思えない。
そもそもオルオレーナさんの言う通りならば、リディア教皇の受け取った神託の、その誰も知らないハズの内容を、何故オルオレーナさんが知っているのか。
それは、一つの確信。
「……そうすれば、リディア教皇は再び、神託を受け取る事が出来るんですね」
「……察しがいいんだね。つまりはまぁ、そういう事になるかな。巻き込んでしまって申し訳無いとは思うんだけど、従わない訳にもいかなくてね。本意じゃないなんて言い訳はしないけど、……ごめんね」
それが、指示に従う見返り。
神託を受け取ったリディア教皇が口をつぐんだのだとしたら、その内容を知る存在は自ずと限られてくる。
オルオレーナさんはその存在から、神託の内容を聞いたんだ。だとしたら、私と魔王様が婚約した事もそこで聞いたのかもしれない。
何かと中途半端なオルオレーナさんの行動にも色々と説明もつく。思った通り、オルオレーナさんは自分の意思で行動してる訳では無いのだろう。
そりゃあ色々と、中途半端な印象も受けるハズだ。
……。
……。
光の女神。
オルオレーナさんは、光の女神の意思に従って動いている。
自分の意思とは関係なく。
姉である、リディア教皇の為に。
……。
でも、何故。
民衆を救い導くハズの光の女神様が、よりにもよって女神教の、それもトップにいるハズのリディア教皇を苦しめるんだろうか。
神託に従わなかったから?
ただ、それだけの事で?
現世に置ける自分の代理人なんじゃないの?
神様の考える事はよく分からない。
「……突然の事だった。あの日、女神は僕に突然語りかけてきたんだ。三ヶ月位前だったかな。女神が直接僕なんかに神託を下した事もそうだけど、その内容に僕は言葉を失った」
……。
三ヶ月前。
思わず背筋に冷たいものが走る。
遺跡内の薄暗さが途端、薄気味の悪いもののようにも思えてくる。
思い当たる事が、ある。
三ヶ月前と言えば、聖都に行く前。アスタスがベルアドネを拐って死者の迷宮の封印を解いた、あの時だ。
あの時私は、セルアザムさんの封印をほどいて、自分の中にあった膨大な魔力を溢れさせ……。
──ようやく、見つけた。
刹那。
記憶には無いハズの声が、耳元に届いた気がした。
……。
……記憶にない?
……違う、覚えてる。
無意識の内に、必死に思い出さないようにしていただけだ。
底抜けのするような恐怖が込み上げてくる。
「……っはぐ!?」
得体の知れない恐怖に押し潰されないように、咄嗟に自分の身体を抱き抱える。
「……レフィア、さん?」
「レフィア殿っ!?」
頭の天辺から血の気が引くのが分かる。
奥歯が噛み合わず、上手く息を飲み込めない。
座っている事が出来ずに地面に踞る。
突然変調をきたした私に、側にいた二人が慌てだす。
怖い。
怖い。
怖い。
……何が?
分からない。
何をそんなに怖れているのだろうか。
自分でも分からないけど、ただひたすらに、底の抜けたような深い恐怖が全身を縛り付ける。
「レフィアさん? ……しっかりっ!」
「レフィア殿っ! 気を確かにっ!」
……。
……。
……落ち着け。
落ち着くんだ。
大丈夫。大丈夫だから。
まだ大丈夫だ。慌てるな、落ち着け。
冷静に考えろ。無意味に怯えるな……。
「はぁ、はぁ、はぁ……、んくっ……。ごめん、……大丈夫。大丈夫だから」
乱れた息を調えながらゆっくりと身を起こす。
心配そうに見守る二人に、無理矢理だけど笑顔を作って返してみる。……あまり効果はなさそうだけど。
突然の自覚に、思わず取り乱してしまった。
……分かってしまった。
理解出来てしまった。
あれだ。あの時だ。
溢れる魔力に身を委ねて、意識を身体の外へ飛ばした、あの時だ。
あの時私は、……出会っている。
この世ならざるほどに美しく、儚げで、艶かしく、……そして、何よりも怖ろしいもの。
あれが……。
光の女神。
私は、光の女神に会ったんだ。
あれが光の女神。
私はあの時に、光の女神に見つかった。
ようやく見つけたと言っていた。
ずっと探し続けていたとも。
セルアザムさんが私を隠し続けていた相手は、光の女神?
なら、強大な敵というのも?
光の女神が敵?
民衆を教え導く女神様が?
何故。分からない。
何で女神様が、敵なのか。
何で光の女神が私なんかを探すのか。
……。
……。
……福音。
福音って、……一体、何?
「……分からない事が多すぎる」
「レフィアさん?」
不安な表情を浮かべるオルオレーナさんに向き直る。
刃物を突きつけて人質にとった相手に向ける顔じゃないよね、それ。
きっと、本人だってやりたくてやった事じゃない。そうするように言われ、仕方なく従うより他に無かった。
そう言う事なんだと分かる。
私を見つけた光の女神は手駒を欲した。
自分の意思に反抗を示したリディア教皇では無く、それを餌にして、オルオレーナさんに白羽の矢を立てたんだ。
リディア教皇の置かれた状況を知れば、オルオレーナさんは間違いなく言う通りに動くと思って。
オルオレーナさんはリディア教皇に負い目を感じている。リディア教皇が女神の神託を疑う原因を作ったのが自分だと、多分そう、自分で悔やんでいる。
もしそうでなかったとしても、リディア教皇を救う為なら、きっとオルオレーナさんは……。
「ふざけんなっ……。それが女神のやる事か」
思わず出た言葉に怒気がこもる。
やりようの無い憤りを、確かに感じていた。
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