#115 最果ての森



 木々に茂る葉の隙間から光がおちる。

 地面に出来たまばら模様が風に揺れている。


 足元を流れる小さな清流から水を汲み上げ、手桶に水を満たす。澄んだ水に満たされた水面がキラキラと、穏やかな陽光に光輝いていた。


 傍らで水を汲み終えたリーンシェイドがこくりと小首を傾げて声をかける。


「どうかされましたか?」

「いや、……うん。すっごい綺麗な水だなぁって」


 桶の中の水をじっと見つめる。ゆらゆらと揺らぐ水はどこまでも澄み、ふとすると、そこにあるかどうか分からなるぐらいに透明だった。

 こんなにすっきりと澄んだ水なんて、今まで見たことない。


「ずいぶんと、精霊の力に満たされているようです」

「精霊の力、……か」


 よいしょっと、水を汲み上げた手桶を持ち直して立ち上がる。桶の中の水がタプンと揺れて、水滴がはねた。

 光に満ち、視界のよく通る周囲の木立を眺める。


「最果ての森なんて言うから、もっとこう、鬱蒼と草木が生い茂った密林かと思ってたのに。……なんか、綺麗な所なんだね」


 確かに木々はよく繁り、どこまでも高く並んではいるが、それが鬱蒼として陽光を遮っているという事も無い。 

 木立の間もよく風が通り抜け、夏も真っ盛りだというのに涼しさが心地よい。白いつるつるとした木の肌にそっと触れると、ひんやりとした感じさえ伝わってくる。


「私も初めてですが、このような場所だとは知りませんでした」


 汲み上げた水を抱え、皆の所へと戻る。


 ここに来るまで、何だかあっという間だった。


 魔王様に求婚の返事をするという大事な場面で、その場で泣き崩れてしまったあの夜。

 あれじゃあまるで、嫌々ながらに求婚を受けたみたいで本当に申し訳なく思う。


 もちろん、そんなつもりは全然ない。


 ……けど、あれ以来、魔王様ともあんまり顔を会わせて話せなくなってしまっている。


 さすがに呆れられたとしても仕方ない。

 泣くつもりなんて全く無かったのに。


 幼馴染みのマオリへの思いは、マリエル村に置いてきたつもりだった。幼い頃の思い出と一緒に、踏ん切りをつけたつもりでいたのに。

 ……思わず、泣いてしまった。


 ……未練がましい自分が情けない。

 私は自分で魔王様の側にいるって決めたのに。

 他の誰でも無い、自分でそう決めたんだ。

 いつもまでもグジグジとなんてしてられない。


 これで一応婚約という形になった。

 けど、そこで一つの問題が浮上してきたのだそうだ。


 曰く、婚儀の進め方が分からないと。


 そんな事があるんだろうか。

 ……あるんだろうね。

 実際、こんな事になってるんだから。


 魔王様と私の婚儀を進めるに当たり、その様式や作法は魔王様の種族の慣習と慣例に従うものらしい。ところがどっこい、魔王様は『アスラ神族』というとても希少な種族なんだそうで、誰もその一族の慣習や慣例に詳しくないのだという。


 ……いや、だったら別に通例通り、適当にやればいいんじゃないかと思いもするけど。


 それを言うと、何だか不味い雰囲気がしたので言うに言えなかった。何より自分の婚儀に関わる事だし。


 そんでもって、誰も知らないなら知ってる人に聞けば良いという事で、こんな所にまで来る事になった。


 最果ての森、というのだそうだ。


 ここがどこにあるのかは良く知らないけど、とりあえず魔の国からは遠く離れた場所らしい。

 どれだけ遠く離れているのかはよく分からない。なにせ、来る時はクスハさんに連れられて一瞬で着いてしまったのだから。


 ……あれは、何とか言うか。

 凄いね。


 そうまでしてここ、最果ての森にまで来たのは、ここに住む『最奥の賢者』という人に、アスラ神族の慣習を教わる為らしい。

 千年以上生きてるセルアザムさんの古い知り合いらしいので、『人』なのかどうか、ちょっと疑わしい所もあるけど。

 曰く、この世界の全ての知識を修めた存在、なのだそうだ。


 ……何ともスケールの大きな話で。


 わっせわっせと森の中を進み、皆のいる野営地へと戻る。


 最果ての森へ来る事になったメンバーは全部で六人。

 案内役のセルアザムさんと、魔王様と私。

 あとはリーンシェイドと……。


「おー。来やっせたかん。ご苦労さんでやーしたな」

「下拵えはすんでますので、すぐに火にかけますね」


 何故かベルアドネとカーライルさんがいる。


 汲んで来た桶から、カーライルさんの用意したお鍋の中に水をうつす。

 私も調理は苦手ではないのだけれど、カーライルさんの手際の良さには少し圧倒されもする。

 ほどよく下拵えされた具材が、水のはられたお鍋の中に次々と放り込まれ、あっという間に美味しそうな匂いがふんわかと漂いはじめてきた。


「……相変わらず器用ですね。兄様を置いてきて正解でした」

「……リーンシェイド様。もしかして俺、料理係として連れてこられたんでしょうか」

「帰るまでの間、美味しいものを期待しています」


 しれっと言い退けるリーンシェイドの言葉には、どこか抗い難い強制力がある。


 最初はアドルファスとポンタくんを同行させるという話だったけど、アドルファスは再編を進める魔王軍の訓練にと留め置かれ、ポンタくんは熱を出して寝込んでしまった。

 ポンタくんはともかくとして、アドルファスは近衛騎士団の元騎士団長さんだ。

 私達がいない間にシキさん達で魔王軍の再編が急ピッチで進められていたのだそうで、その訓練の為にアドルファスを是非にと頼まれれば、断る理由も無い。

 代わりにカーライルさんを連れて来る事になったのは、実はリーンシェイドの勧めだったりする。


 色んな事を器用にこなすカーライルさんは、確かにいてくれた方が便利でとても助かる。


「おー。良い匂いがしてきたがね」


 よく分からんのがコイツ。

 本当はシキさんが同行する予定だったんだけど、何がどうなってこうなったのか、いつのまにかそれがベルアドネになっていた。


「……ん? どーしやした」


 キョトンとした表情からは、何かよからぬ事を企んでいるようには見えないけど。


 コイツには前科が腐るほどあるしな……。


「いや、……聖都みたいな賑やかな所ならまだしも、よくこんな森にまであんたが着いてくる気になったなぁと」

「ふふふ。わんしゃを見くびっとらーしたらかんて」


 誰も見くびったりはしてない。

 ただ目を離すと何するか分からないだけだ。


「今回、最奥の賢者を訪ねていく事の他に、もう一つ目的があらーすのは、知っとらーすな?」

「あ、うん。妖魔大公さんだっけ? 四魔大公の最後の一人がここにいて、それも迎えに来たんだよね」

「わんしゃの目は節穴と違いやーす。おかあちゃんがあれだけ同行したそうにしていながらも、魔王城に残る事をやむなく決めたんは、その妖魔大公に理由があるとみやーしたっ!」


 ……ん? シキさんの事だろうか。

 そういえば何だか凄く眉間に皺を寄せて悩んでた気がする。


「ずばりっ! おかあちゃんはその妖魔大公を苦手にしとらーすと、わんしゃの直感にビビっと来やーしたがね」

「……苦手? あのシキさんに苦手なものなんて、あるの?」

「……無い。あの万能無敵不遜の鬼畜化物に、苦手なものだなんて、今まで全くあらせーへんかったがね。全く可愛げの一つも無い」


 ……それ、自分の母親だろが。

 大丈夫だろうか、ここの親子関係。


「それがここに来てあの今まで見た事もなかった表情っ! これは、ありやーすっ! あのおかあちゃんにも苦手なものがあると、びしっと確信しやーしたっ! ここは是非ともその妖魔大公をどうにかして、おかあちゃんをぎゃふんっと言わしたらーせなかんっ!」

「……そう、上手く行くかな」

「ふっふっふ。千載一遇のこのチャンス。必ずもぎ取ってみせるがねっ!」


 ……。


 ……。


 シキさんの苦手な相手か……。


 まったく自分が敵わないシキさんの苦手な相手をどうにか出来ると思ってる時点で、もう駄目だと思うんだけど。


 ……そこに気づかないんだろうか、この娘は。


 果たしえない野望に燃えるベルアドネに呆れていると、森の奥の方から馬の嘶く声が聞こえてきた。


 ……そうだった。


「あの子にも水をあげないとっ……」


 腰を上げ、水の入った手桶を抱えて森の奥へと小走りに駆け寄っていく。

 ここに来たのは六人のメンバーともう一頭。

 魔王城に戻ってくる途中で捕まえた、あのスヴァジルファリも一緒だったりする。


 折角珍しい六本足の駿馬なのに。そこにいたから捕まえただけで、捕まえた本人はその後特にどうするつもりもなかったのだそうだ。

 それならばと、譲り受け、名前をつけて世話をし始めると不思議と愛着も沸いてくる。


 野営地のすぐ近く、やや木立の開けたその場所に行くと、六本足の愛馬と魔王様が睨み合っていた。


「……何やってんですか、こんな所で」


 姿が見えないから何処にいるかと思えば。

 やや呆れを含んだ声をかけながら、睨み会う一人と一頭の所へと近づいていく。


「コイツが、中々俺を背に乗せたがらないんでな」

「ぶるるるるーっ」

「……くっ、いい度胸じゃねーかっ。ぜってぇー諦めねぇぞ、すぐにでも馴らしてやるっ!」

「……何もそんなに喧嘩腰にならなくても」


 魔王様の脇から手を伸ばし、額の柔らかな毛並みを優しく撫でる。スヴァジルファリは目を細めて、撫でられるがままにすり寄ってくる。

 顎の下を撫でてやると、嬉しそうに鼻先を身体に擦り付けてくるのが可愛くて、つい抱き締めてしまう。


「ぎゅるるーっ、くぅんーっ」

「……甘えた声を出しやがって」

「ぶるるるーっ」

「このっ!? 何だその勝ち誇った目はっ!?」

「ぶっひーんっ」

「てめっ! やる気かっ、このっ!」

「……馬相手に何してるんですか」


 ……久しぶりの会話がこんなんかい。


 それでもやっばり何だか顔をあわせづらく、無意識の内に互いに視線を外し合ってしまう。


「……なんでそう、お前にばっかりなつくんだろうな、コイツは」


 最果ての森に来る事になり、さすがに全身鎧は邪魔になると、今の魔王様は普段と違い、旅装姿でいる。

 あまり見慣れない装いに、少しドキマギしてるのは内緒だ。全身鎧の時はそうでも無いけど、そうしていると何だか、年の近い男の人なんだと強く認識してしまって、少し気恥ずかしさが勝る。


 魔王様は蜘蛛をあしらった銀仮面を押さえながら、やっぱり私から視線を、そっと外してくる。


 ぐっ……。何かすっごい照れ臭い。


 そうあからさまに意識されると、婚約者になったという事を改めて強く実感させられてしまう。


「……きっと、名前で呼んであげないからですよ」


 目の前で泣き崩れてしまったもあって、気恥ずかしさで目が回りそうになる。


「名前か。……なんて名前をつけたんだ?」


 不自然に顔を背けながら聞いてくる。

 ……こっち向けばいいのに。

 私も顔を魔王様から逸らしたままで何だけど……。


「バサシバジルです」

「……旨そうな名前だな」

「ぶるっひーんっ」


 スヴァジルファリ改めバサシバジルも嬉しそうに嘶いた。


「……何か涙目で訴えてないか? ソイツ」

「名前を気に入ってくれてるんです。きっと」

「……怯えてるようにも見えるが」

「そんな事、ないよねー。バサシバジルーっ」

「……ぶるっ、……ひーんっ」


 ほら、こんなに素直に首を下げて。

 可愛い事この上ない。よしよーしっ。


「……まぁ、それでいいなら」


 バサシバジルの頭を優しく撫でてやる。


 ……。


 ……。


 そしてやっぱり、会話が途切れてしまう。

 あぅぐぐっ……。


「……あ、あのなっ、レフィア」

「……そ、そうだっ魔王様」

「「……えっ?」」


 ……。


 うっがぁぁぁあああああっ!?

 なんじゃこりゃあぁぁあああああっ!


 呪いかっ!? 呪いなのかっ!?

 クチフウジイイダセナイ神の呪いかーっ!

 どこの神だよ! 知らないよっ!


 気不味い。

 めっちゃ気不味い。


 何をどーしてどーすりゃいいの、これ。

 何か話さなくちゃと思うのに、何を話せばいいんだか。


 相手は魔王様で、もう婚約者だって言うのに。


 婚約者……。


 婚約者なんだよね、もう。


 ……。


 あーっ! もうっ!

 意識すればするほどドツボな気がする。

 何だか顔が火照って、身体中が熱い。


 ──パチパチ


 ……ほら、熱を持ち過ぎて、足元も熱いし、何だかパチパチと火の粉がはぜる音もしてきた。


 ──パチパチ


 あーっ、もう。

 本当に足元がヒリヒリと熱く……。


「ぶるっひひーんっ!?」


 ……へ?


「レフィアっ!?」


 バサシバジルが大きく嘶いたかと思うと、突然、魔王様に強く手をぐいっと身体ごと引かれる。


 バシュッと弾けるような音がして、生木の焦げる臭いが鼻についた。


 ……何っ!?


 魔王様が私を背に庇い、そのすぐ傍らにバサシバジルが飛び退くと、低い警戒音を鳴らしはじめた。


「ぐるるるーっ」

「落ち着け、馬。……何だ、コイツは」


 魔王様の背中越しにそっと、目の前に突然あらわれたソレの様子を、伺い見る。


 ……何、あれ。


 それは一筋の炎のように見えた。


 何かが燃えているようには見えない。

 何かが燃えているのではなく、ただ一筋の炎だけが、鎌首をもたげた蛇のように、そこに鎮座しているように見える。


 パチパチと火の粉がはぜる。

 どこにも煙のようなものは見えないので、本当に何かを燃やしてるのではなく、ただ炎だけがそこにあるのだろう。


 ……炎だけって、そんな事があるんだろうか。


 見た感じだと50センチくらいだろうか。

 細長い一筋の炎がまるで生き物のようにも見える。


 こちらを威嚇するかのように鎌首を持ち上げていた炎が、ぐっと縮こまる。


 ……くるっ!?


 その炎の蛇は勢いをつけて、私達に襲いかかってきた。





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