#114 執行猶予(魔王の憂鬱14)
「……この辺りで、よしましょう」
一直線に突っ込んでくるリーンシェイドの姿に、セルアザムの背中が重なる。見れば、リーンシェイドの突き出した腕を、セルアザムがしっかりと受け止めていた。
「陛下にも十分伝わりました。これ以上はもう、必要ありません」
優しく、落ち着いた声が耳に届く。
宥められ、拳を止められたリーンシェイドは少し逡巡しながらも殺気を霧散させた。真っ白になっていた姫夜叉モードから、いつもの黒髪へと戻っていく。
殴られてやるつもりだった。
自分への戒めに一発、リーンシェイドに殴られてやっても良いと思っていた。それ位は、突然かと。
けど、……そうだよな。
こんな真面目一辺倒のリーンシェイドに、俺の自己満足で殴らせてしまっては駄目だ。そんなもんをコイツに背負わせて、コイツが何も思わない訳がない。
うーん。
つくづく自分が情けない。
全っ然、なってないよな。……俺。
「すまない、セルアザム。……すまなかった」
申し訳なさすぎてまともに顔も見られない。
ゆっくりと目を閉じてセルアザムにそう告げると、セルアザムは何も言わずにすっと一歩下がった。
昔から何かと世話をかけ続けている。
何だか本当に、申し訳ない。
自責の念に飲み込まれそうになるのをぐっとこらえ、目を開けて正面を見据える。
自分の情けなさに正直嫌気もさすが、それで自暴自棄になって、殴られてやってもいい立場でもない。それだけの立場にいるハズなのに、その自覚がまだまだ足りていないのだと痛感させられてしまう。
「リーンシェイドも、……すまなかったな。嫌な役回りをさせてしまった」
転身を解いたリーンシェイドが、すっとその場に膝をついて頭を下げた。……元々真面目で忠誠心に厚く、滅多な事でこんな事をするヤツじゃない。
「……申し訳ございませんでした。ですが覚悟の上の事です。如何様にもご処分下さいませ」
「阿呆か。今ここでお前を処分なんかしてみろ、それこそ周りから俺が袋叩きに合う。……何もせんよ」
処分も何も、出来る訳がない。
「ですがそれでは、規律というものが……」
「幸いにして一番その規律とやらに喧しいバルルントもアドルファスもいない。……今頃は禁忌の森を抜けた辺りか? 何しろお前達が置いて来てしまったからな」
畏まるリーンシェイドに居心地の悪いものを感じながら、チラリとセルアザムの様子を伺う。柔和な老紳士はにこやかに口元を緩ませて、小さく頷いた。
俺の好きにしろってか。
甘いんだか、厳しいんだか……。
「しばらく人族の国で過ごして、人族の暮らしに慣れ過ぎたか? ここは魔の国だ。ここでの規律は俺が決める。いいな」
「仰せのままに」
視線をシキやクスハにもうつす。
見た目はただの童女と淑女にしか見えないが、だからこそ、……達が悪い。
「俺が悪かった。……すまん」
考えてみたら先代スンラの時代、魔王スンラに従うを良しとせず、徹底抗戦し続けた二人だ。俺が魔王だからと言って、手加減なんかするヤツラじゃない。
シキは鼻を鳴らして無い胸を張り、クスハはニッコリ微笑んだ。
いや、マジで怖いわ。……お前らだけは。
リーンシェイドに振り返り声をかけて立ち上がらせる。
「今夜の事で誰かを罰するような事はない。俺が悪かった。だから気にするな。色々と壊したものも直さねばならんが、大丈夫だろ。カーライルがやる」
「陛下! 俺だけ罰になってますが!」
「直してる間は有給扱いにしてやる」
「いえ、普通に働いてますよね、それ! 何でそんな如何にもご褒美みたいに言うんですか。もっと普通に有給下さいっ!」
「考えとく。リーンシェイドにも約束する。……レフィアに、名を告げる。必ずだ」
ここまでされて黙ってる訳にもいかん。
ちゃんとしよう。俺も。
ちゃんとレフィアと向き合うんだ。
大丈夫。ちゃんと向き合えるさ。
「……成立した婚約が破棄されても、ですか?」
……。
……。
「……へ?」
「婚約が内々とは言え成立するまで黙ってらして、その後に告白されるのです。それでレフィア様にどのように思われようとも告白なさると、そう約束して下さいますね?」
……念の押し方が少しえげつなくないか?
ってか、……え?
駄目なのか? それで嫌われたり、するのか?
「……陛下」
「する! 約束する! だからその殺気を引っ込めろ! 分かったから、約束する!」
リーンシェイドが怖い。
短気はよくない、うん。よくないぞ。
「いつまでにするんでやーすか?」
すかさずシキが逃場を固めてくる。
いつまでって……。
それも今決めないと駄目なのか。
「いつまで、……って、そりゃ……。すぐにでも」
「今すぐに、でやーすか?」
「いや、さすがにこれから今すぐには……」
「なら明日中でやーすな」
「待てっ、今日の明日でいきなりは……」
グォンと唸りを上げて三人の殺気が再燃する。
「……陛下」
「待てっ! 早まるなっ! 分かったから! 分かった! 俺が悪かったからっ! そうすぐに殺気立つなっ!」
……あれ? 何だこれ。
さっきまでと状況があんまり変わって無い気がする。
何でこんなに俺、追い込まれてるんだ。
三人の殺気を宥めようとしていると、それまで黙っていたセルアザムがすっと声をあげた。
「陛下。レフィア様が婚姻に同意され、内々とは言えこれで婚約が成立いたしました事、心よりお祝い申し上げます」
「あ、ああ……。ありがとう、セルアザム」
「ですが一つ、問題がございます」
「……ん? 問題?」
とにかく話題をずらさねば。
「今後、実際にどのように婚儀を進めるべきか、それを知るものはおろか、それらを記したものがございません」
「……は? 何言ってんだ、そんな訳ないだろ。俺が魔王だからってんだったら、今までにも在位中に嫁を娶った魔王なんて、いくらでもいるんじゃないのか?」
「先例に従うのであれば、様々な種族や慣習がある中で、新郎たる者の種族の習わしに応じたものを取り入れるべきかと」
「だったら、それで……」
言いかけた所でふと気づく。
新郎である俺の種族の習わしに、……応じる?
それって、つまり。
「はい。それで進めたいとは思うのですが、陛下はアスラ神族の最後の一人にございます。今は亡き陛下の御両親の為にも、是非アスラ神族の慣習にのっとって進めていきたい所存ではございますが……」
一区切りついて、セルアザムが続ける。
「誰も知らないのです。何をどうするのか」
いや、……ちょっと待て。
「知らないって、……どういう事だ」
「アスラ神族は魔の国にありながらも、古来より魔の国との関係を一切持たずに今日まで至りました。交流の歴史がまったく無いのです。当然の事ながら、アスラ神族の慣習を知る者も国内にはおらず、城内の資料にもまったく記載がございません」
「……マジか」
「アスラ神族がどのように婚儀を進めるのか、誰も何も分からないのです」
いや、まぁ……、確かに。
俺はアスラ神族の最後の生き残りで、アスラ神族は魔の国にありながらも一切の交流を断って暮らしてきた、という事は聞いてはいたが。
え、何? 誰も何も知らないの?
マジでか。
「だったら、それこそ。適当に……」
言いかけた瞬間。空気が凍てつく。
「……
「嫁入りの儀礼を、……適当にと言わしやーしたか?」
「大切な婚儀を、……適当、に?」
「いや! 何でもない! 何も言ってない!」
今までで一番の殺気が向けられた気がする。
駄目だ。コイツらの前での失言は命取りになる。
「でも、だったらどうすれば……」
「一つ、心当たりがあるのですが、よろしいでしょうか」
「……頼む」
失言をしないように、慎重にセルアザムに問いかける。
「最果ての森の最深部に、『最奥の賢者』と、呼ばれている方がおられます。その御方を頼られてはいかがでしょうか」
「最奥の賢者? ソイツなら、知ってるのか?」
「まず間違いなく、ご存知かと」
「……そうか。その言い振りからすると、セルアザムは会った事があるのか? どんなヤツだ?」
「……遥か遠い以前に。とても聡明なお方にございますので、必ずや尋ねた事に返答をいただけるものと思います」
「そうか、では早速誰かを……」
誰かを使者に立てて聞きに行くようにと言おうとして、セルアザムにそれを止められた。
「事は秘事に通じるかもしれません。ここは陛下自らがレフィア様をともなって、直接聞きにいかれる事を是非にとお薦めいたします」
「……俺が、レフィアと一緒にか?」
「はい。最果ての森の最深部には早々すぐに辿り着けるものではございません。些か時間もかかりましょう」
「だったら尚更、誰かを使者に立てた方が……」
「レフィア様とお二人、普段と違う環境でお過ごしされれば、普段と違う事もまた、お話出来るかもしれません」
「いや、だからそれこそ、何もわざわ……」
言いかけて、ふと気づく。
普段と違う環境? 普段と違う事を話すって。
……つまり、そういう事なのか?
それはつまり、最奥の賢者とやらに婚儀の進め方を聞きに行くと言うのは口実で、……という事か?
「……執行猶予、でやーすな」
ふと浮かんだ考えを肯定するかのように、シキがぼそっと呟いた。
ってか、執行猶予とか、怖い言い方するな。
何を執行する気だ……。
「陛下、いかがなされますか?」
……いかがもタコも無いだろ。それ。
そこで、そこにいる間に言えって事か。
そんなもん、考えるまでも無い。
「分かった。セルアザムの言を聞こう。……レフィアと一緒に、最奥の賢者に会いにいく。……お前達も、それなら納得するか?」
「畏まりました。私もお供いたします」
リーンシェイドが深々と頭を下げた。
どうやらそれで、納得してくれたっぽい。
「なら最果ての森へは俺とレフィア、リーンシェイドと、後はそうだな、アドルファスとポンタで行くか」
「わんしゃも一緒に行くがね」
思わぬ所から声が上がって、思わず振り返り凝視してしまった。
「……お前も行くのか? シキ」
「折角ヒサカから出て来たのに、誰かさんの変わりにずーっと魔王城に籠りっぱなしでやーす。そろそろわんしゃも、外へ出てみたいがね」
退屈してたのか、……コイツ。
「行きたいなら行きたいで構わんが、……そうか、お前も来るのか」
「……妙にひっかかる言い方でやーすな」
だって何か、怖いんだもん。お前。
「じゃあ、メンバーはそれで……」
「今回は私もご同行いたします」
珍しくセルアザムが声を上げた。
「……って、セルアザムもか。そうだよな。よく考えたら案内役がいるもんな」
「それも確かにございますが、丁度、最果ての森へ行く用事もございますので。都合がよろしいかと」
「……都合? 他に何かあるのか? そこに」
「はい。かねてより行方の分からなかった四魔大公最後の一人、妖魔大公殿が彼の地にいる事が分かりました。なので直接、呼び戻しにまいります」
「妖魔大公、……ル・ゴーシュか」
悪魔大公であるセルアザムを筆頭に、幻魔大公シキ、天魔大公クスハと、四魔大公の内の三人が魔王城に集まっている。
確かに、最後の一人も確保できるなら確保したい所ではある。……けど実際、他の三人と違って最後の一人である妖魔大公ル・ゴーシュの事はあまりよく知らなかったりする。
何でも結界術に長けた老エルフで、自らを鍛える為にあちこちを放浪し続けているとしか……。
「な、なっ、アヤツを連れ戻しやーすんかっ!?」
シキが突然、素っ頓狂な叫びを上げた。
「はい。ル・ゴーシュ殿は結界術の手練れ、必ずや陛下のお役に立ちましょう」
「い、いや、確かにそうでやーすが。何も自ら放浪を続けるアヤツを、わざわざ迎えにいかんでも……」
「そうですか……、ついに見つかってしまいましたか。ついに……。そうですか……」
ル・ゴーシュの名前を聞いた途端、いきなり様子がおかしくなるヤツが二人程いるんだが……。
何だ? ……この反応は。
「シキもクスハも、……どうしたんだ急に。何か顔色が悪くなってないか?」
「陛下はその……、ル・ゴーシュ殿も、この城へ招かれるおつもりですか?」
「妖魔大公次第だが、そうしてくれるならそのつもりではいるが、……何か問題があるヤツなのか?」
「悪い方では無いのですが、……その、何というか、とても個性的な方でいらっしゃいますので」
……その言い方がすげぇ不安になるんだが。
何だ? どーいうんだ?
「アヤツが最果ての森に……。お出掛けはしたい、けど、行くとアヤツがおる。……でもお出掛けしたい」
シキが何だか独りでブツブツ言い始めた。
セルアザムはそんな二人とは対照的に、しれっとした顔でニコニコしている。うん、セルアザムの反応はあまり当てにはならないのは判ってる。相手がどんなヤツだろうと、セルアザムはいつもこんな感じだし。
とりあえず最果ての森へ行く事は決まった。
決まったんだが……、何だろう、これ。
先行きに一抹の不安を感じる。
とにかく無事に帰ってこれますように。
誰にともなくそっと、心の中で祈るばかりだった。
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